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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
- 694 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/18(Mon) 22:55
- >>691
>そして、古賀を、「西洋音楽の形式を日本音楽のモチーフによってアレンジし、現代日本人の血肉に同質血液化させた」と評した。 「文部省唱歌に始まる近代民衆歌謡は、時代状況を色濃く反映し変遷して来たが、古賀は、歌謡曲・流行歌を大衆性をもった新しい潮流として完成させ、昭和という時代を象徴する文化に発展させた。 」
>>692-693
>日本の歌謡の源流に仏教の声明(しょうみょう)があるといわれている。経文を 「ナームーアーミ ダーブーツゥー」と唱えるように、「マーボーロシーノー カー ゲヲ シターイテー」と歌うのは、“ゆり”、つまり“小節”をいかした歌謡の歌い 方に引き継がれているという。それによって、歌詞にこもる深い意味を情感を込めて 伝える事ができるのだ。 アラブの音楽が、余韻嫋嫋たるコーランの朗誦の伝統を受け継いでいるのと似てい る。
大正末期から昭和初期にかけて登場したラジオやレコードによって、マス・メディア時代が訪れます。巷には、まるで大正12年の関東大震災や昭和2年の金融恐慌、さらに軍国化への息詰まるような社会情勢に反発するかのように、エロ・グロ・ナンセンス的な歌や、新民謡・ご当地ソング等による集団的狂舞が溢れかえりました。『證城寺の狸囃子』や『蛙の夜まはり』といった童謡への振り付けや、昭和3年にレコード発売された『道頓堀行進曲』の和製スウィング・バンドの演奏からは、当時の尋常ならざる空気が感じられます。民衆は本能的に現実逃避へと向かっていたのかも知れません。
古賀政男は、そんな狂騒的な音楽が好まれた時代に登場したのです。ですから、今では「古賀メロ」の代名詞ともなっている『影を慕ひて』ですら、昭和4年6月に明大マンドリン倶楽部第14回定期演奏会で初演(ギター合奏)した際には不評で、周囲からは「今の時代はジャズ調のもっと派手な曲でないと駄目だ」との声があがったそうです。それで、ビクターでの最初のレコードが佐藤千夜子吹き込みの『文のかをり』(昭和5年2月発売)になったらしいのですが、昭和5年12月発売の佐藤千夜子の『影を慕ひて』に続き、昭和7年2月には再度、自らのギター伴奏でコロムビアから藤山一郎の『影を慕ひて』を発売して大ヒットさせました。古賀は、世の風潮に媚びず、自分のスタイルを貫くことで、時代を引き寄せたのです。
「古賀メロ」は、こうして、確かな歌唱力を身につけた音楽学校出身の歌手・藤山一郎や関種子らによって、当時、流行歌を敬遠していた新たなファン層まで獲得しました。そして、その後は、圧倒的な声と人気を誇る美空ひばりの登場で、大衆音楽の雄としての地位を不動のものとしていったのです。
当時は、若者たちがギター片手に「古賀メロ」を歌うことが、一種のブームのようになっていました。「古賀メロ」は、現在でもカラオケで愛唱されていますが、まさに鑑賞するもよし、自ら歌って愉しむもよしといった音楽であることがわかります。
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