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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/12/01(Sat) 20:25
最近の歌謡番組で「昭和」というのは、昭和末期、飽食の時代の昭和50年代のことらしいですが、昭和の名曲、どのくらい知ってますか?、何が好きですか?

今でこそテレビは色々な歌で溢れていますが、昔は民謡や唱歌・童謡、軍歌、演歌など以外にみんなが、大衆が口ずさむ、歌える歌というものがなかった。
昭和〈1926〜1989)と共に、SPレコードとともに始まった大衆歌曲としての、日本の文化としての「歌謡曲」の歴史、SPレコードの歴史、それは歌ずくりにかけた多くの先人のたゆまぬ熱き思いの歴史であった。

昭和の歌謡曲の歴史を歌で辿ってみましょう。

レコード歌謡は、今から84年前の昭和3年〈1928)「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)に始まったとされます。まだ日本が草深く貧しかった時代です。




510 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/21(Thu) 20:22
>>159-161
古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その五「勝利の日まで」。−ブログ高知
コメント
「勝利の日まで」これ古賀メロデーの隠れた名曲だと思います。
これは、勝利の日までというより、敗戦の坂を転がり落ちていく中で、その心情を歌ったもので、実は、昭和19年から始まった学童疎開の学童によって歌われたそうです。以下にある雑誌からの投稿を紹介します。(コメント

h ttp://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2008/04/post_6c1b.html


511 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/25(Mon) 19:09
いわゆる「流行歌」といったレコードに対し、ラジオ(NHK)では「歌謡曲」といった。
歌謡曲と言った場合はクラッシックを意味した。

流行歌または歌謡曲の黄金時代はSP時代と重なる。
日本で最後のSPレコードは昭和37年(1962)であった。

その後日本が豊かになるとともに大きく変質していくことにある。

NHK「あなたのメロディ」(1963)では、素人作曲が始まる。
また昭和40年代にはいるとテレビのナツメロブームが起こる。

懐かしの歌を振り返るのはよかったのだが、何でも作曲家の後ろに「メロディ」の名をつけてしまったのはまちがい。

SP時代に、実際に広く使われ愛されたのは戦後まで『古賀メロディ』ただひとつだけだった。

『古賀・メロディ』とは、昭和初期に主流だった「晋平節」に対するもので、「晋平・節」に変わりメロディで主流となった古賀作品に対する敬愛を込めた称号のようなもの。

512 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/25(Mon) 22:55
☆インテリ層と古賀メロディー

戦後10年、昭和31年春に出た、毎日新聞社「写真 昭和30年史」がある。
ここには、多くの貴重な写真が。昭和6年の扉は、有名な古賀春江の『酒は涙か溜息か』(昭和6年9月新譜)の楽譜の絵と世相、それに「古賀メロデー」登場のことが。

そして「9月18日未明、満州事変勃発。」

そして次のように記されている・・


「東北出身の兵隊が満蒙の戦野で戦っているとき、その留守の東北は冷害が田や畑を、村を荒廃させてしまった。稲作は平年作の三分の一と言われ、人々は蕨の根を掘り、松の甘皮を剥いて飢えをしのぐ惨状だった。
 岩手の詩人・宮沢賢治は『雨にも負けず、風にも負けず、・・寒さの夏はおろおろ歩き・・』とうたったが、 都市の学生たちがその惨状を訴えているとき、巷では「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」
 など青白きインテリ層の中に「古賀メロディ」が氾乱していった。」・・


この若き「藤山一郎」の歌う「古賀メロディ」の青春の息吹。
怒涛の如くに登場しただろう。

「酒は涙か溜息か」(1931.9)に続く、藤山一郎の「丘を越えて」(1931.12),「影を慕いて」〈1932.3)、

 人は敬意を表して「古賀メロディ」と呼んだ。


(参 考)
毎日新聞社社会部編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社1956.3)

「週刊日録20世紀1931(昭和6年)―「満州事変」勃発!」」講談社1997
  人物クローズアップ 古賀政男、「酒は泪か溜息か」大ヒット
  銀座で東北の惨状を訴える学生たちの写真も。

513 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/25(Mon) 23:07
酒は涙か溜息か

作詞 高橋掬太郎 作曲 古賀政男
昭和6年9月

1 酒は涙か溜息か
  心のうさの捨てどころ

2 遠いえにしのかの人に
  夜毎の夢の切なさよ

3 酒は涙か溜息か
  かなしい恋の捨てどころ

4 忘れた筈のかの人に
  のこる心をなんとしょう

この型破りの二行詩の「酒は涙か溜息か」の発表で、
「古賀メロディー」の時代を決定ずけた。

また、これが洋楽の形式をもった、「晋平節」中山晋平の時代から「古賀政男」の時代へ、これをもって本格的昭和SPレコード歌謡の幕開け、昭和流行歌、歌謡曲の誕生の記念すべき曲である。


同時に「歌う昭和史」の昭和史たる、歌手「藤山一郎」を誕生させた記念碑となる曲である。


514 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/25(Mon) 23:24
日本のもっとも大きく伸びんとするとき、日本人の心を支えた音楽があります。

古賀政男は、日本に歌謡曲という新しい音楽の分野を根ずかせることを心に、メロディーの重要性を訴え、かつ広く世界の色々な分野の音楽を取り入れました。
昭和一桁代、その新鮮な新しい音楽を、人は主流だった『晋平“節”』に対し、『古賀“メロディー”』と呼んだのでした。



515 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/26(Tue) 21:05
昭和6,7年に、主流だった「晋平節」の時代から、
「メロディー」の重要性を主張し実践した古賀政男。

今や『古賀メロディー』に似せた作曲家の後ろに「メロディ」をつけた、意味の違う軽い表現で、たくさん使われているのは残念なことである。

しかしそれは戦後、ものが有り余る飽食の時代の真っ盛り、昭和40年代以降のナツメロブームの産物で、戦後に到るまでそういうものが実在したわけではない。

516 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/27(Wed) 06:32
ネット上などには、もっともらしく作曲家の後ろに「メロディ」をつけた物があふれているが、たとえば「服部メロディ」・・とかの類、
誤解を招く。

517 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/27(Wed) 07:02
戦後20年代までのSP時代に、実際には使われていないVirtualなものの代表的なものとして

「服部メロディ」などのほかにも、「古関メロディ、」、「江口メロディ」、「吉田メロディ」・・などがあげられるだろう。

518 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/05/27(Wed) 20:03
昭和は明治、大正を合わせたより長く、60年を超えている。
戦前、戦後を通じて、たえまなく、切れ目なく、メジャーなヒット曲をこれほど多く持つのは、「古賀メロディー」をおいてない。

519 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/02(Tue) 07:06
主に戦前の一時期の江口夜詩、逆に主に戦後の一時期の古関祐而、主にリズム系、J−POP系とされる服部良一。
それぞれいろいろだが、戦前戦後を通じて誰もが知っているようなメジャーな「ヒット曲」となると非常に少なく、10曲程度。

520 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/10(Wed) 18:31
日本の歌謡曲の歴史をつくった作曲家・古賀政男、歌謡曲の歴史そのものであるだけに、古賀政男に関する文献は圧倒的に多い。

まずその最初は、テイチク黄金時代、昭和13年(1938)11月、作品104編と半生物語、作品研究を収録し、B5判393頁と浩瀚な宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』>>152である。

・・豪華な大型本で、序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、三浦環、佐藤惣之助、小松耕輔、サトウハチローなど、錚々たるメンバーが寄稿している。(なお、この新聞広告には「古賀メロディ」という言葉が使われている。)


宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻昭和53年10月)

詩人の萩原朔太郎は、「古賀政男と石川啄木」と題する序文を寄せ、二人に共通する情想について、次のように記した。
 「現代日本の社会が実想しているところの、民衆の真の悩み、真の情緒、真の生活を、その生きた現実の吐息に於て、正しくレアールに体感しているロマンチシズムである。それ故にこそ彼等の藝術は、共に大衆によって広く愛好され、最もポピュラアの普遍性を有するのである 」。
 そして、古賀を「西洋音楽の形式を日本音楽のモチーフによってアレンジし、現代日本人の血肉に同質血液化させた。」と評した。

大正から昭和の初めにかけて、「『誰でも歌える歌』ずくり」を目指した中山晋平(晋平節)、これに対し古賀政男は、昭和の初め、大衆性をもった「古賀メロディー」という新しい潮流を創出し、歌謡曲・流行歌を、「昭和」という時代を象徴する「文化」に発展させた。



521 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/11(Thu) 12:29
古賀政男と石川啄木(『古賀政男芸術大観』)・「萩原朔太郎全集 第14巻 雑纂」筑摩書房 1978.2.25

522 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/14(Sun) 20:08
古賀政男のこのテイチク時代は飛ぶ鳥を落とす勢いで年齢的にも、もっとも脂ののった時期と言われる。

昭和12年には、代々木上原駅前の松林三千坪を手に入れ、清水組(清水建設)に頼んで邸宅を建てる。
この邸宅が完成したのが昭和13年4月のことだった。

この後古賀政男はまことに忙しい。

昭和13年6月「人生劇場」を最後にテイチクをやめ、昭和13年11月8日にはコロムビアに移籍復帰するのだが、その前に「外務省音楽文化親善使節」としてアメリカや南米に立つ。

11月14日には、藤原義江らの見送りを受けて横浜港からハワイ経由で龍田丸でアメリカに向けて出港。

同じく13年11月には、上記「古賀政男藝術大観」がでる。

1年後の昭和14年10月10日帰国。三浦環の歓迎会を受ける。

523 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/15(Mon) 19:47

戦前の流行歌〈1928?〉

h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt



524 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/15(Mon) 19:49

戦前の流行歌〈1928−1943)

h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt



525 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/25(Thu) 07:59
「昭和」という激動の時代、レコード歌謡は生まれ激動の時代を生きてきた。

レコード歌謡の黎明期から、戦前・戦後までたくさんの「作曲家」が生まれた。そして多くの曲が世に出た。>>524

でも、この激動の時代を通して一貫してヒット曲を生み出し得たのは、古賀政男の「古賀メロディー」しかない。

昭和の初めから「古賀メロディー」と呼ばれ愛された理由もここにある。



「古賀メロディー」とは昭和の歴史とともにあった「時代性」の重みと「普遍性」を持つ。

526 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/28(Sun) 23:30
>>256-258 索 引 (主なもの)

>>269-270 昭和SP歌謡 主要歌手(戦前・戦中)


527 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/06/29(Mon) 17:04
>>434 ☆古賀政男に関する文献☆


528 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/08/20(Thu) 09:47
古賀政男総合スレ  2Ch BBS(懐メロ邦楽)

 h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/

529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/10/06(Tue) 08:34

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=35

530 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/10/30(Fri) 21:43

・新東宝映画 1949「影を慕いて」(古賀政男作曲生活20周年記念制作映画)
 主題歌 希望に燃えて(サトウハチロ―作詞、古賀政男作曲)


★「希望に燃えて」(伊藤久男・霧島昇・近江俊郎・高倉敏・二葉あき子・奈良光枝)ー新東宝が古賀政男作曲生活二十年を記念して上原謙・山根寿子主演、野村浩
 将監督で制作した「影を慕ひて」のラストシーンを飾る主題歌となったが、もともとこれは映画のためではなく、NHKの視聴者リクエストによる「希望音楽会」のテーマーソングとして制作されたもの。


★ 希望音楽会(1945年、NHK)
 主題歌:「希望に燃えて」
  音源:「思い出のラジオ・テレビ主題歌集」(GES-31299)より
  敗戦後初の歌謡曲番組。

  1945年8月15日、昭和天皇が「終戦の大詔」を放送、日本は事実上敗戦し、無条件降伏した。
  そんな時世の中、国民に希望を与えるため、10月3日に本番組は開始された。
  リスナーからのリクエスト曲を出演歌手が生で歌うといった内容のもので、資料によれば戦後初の
  大ヒット曲「リンゴの唄」も、この番組で初めて電波に乗ったそうである。

  番組最後に出演者全員によって歌われるのが「希望に燃えて」であり、サトウハチロー作詞、古賀政男
  作曲によるこの曲は、後半のメジャーに転調する展開と一気に希望を歌う歌詞と一体になって、当時の
  国民に大きな希望を与えたであろう名曲である。
  (但しレコード化されたのは昭和24年〈1949〉のこと。)

東日本大震災の被害に遭われた方々にぜひ聞かせてあげたい曲です。




531 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/10/31(Sat) 13:05
>>530

希望音楽会(昭和20年10月?)

NHKラジオ放送 戦後最初の歌番組
「リンゴの唄」もこの番組から世に出た。

主題歌 希望に燃えて(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)
  
   ♪ あなたも私も いつも心は春よ・・

532 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/16(Sat) 18:42
【美輪明宏】冬に聴きたい昭和の名曲「人生の並木路」古賀政男の曲は歌手が苦労していた
.

Himatsubushi Channel

2015/01/10 に公開 You Tube


美輪明宏さんが、冬にぴったりな昭和の名曲「人生の並木路」について話し、昭和期に活­躍された作曲家の古賀政男(こがまさお)さんや、作詞家の佐藤惣之助(さとうそうのす­け)さん、歌手のディック・ミネさんなどを紹介し、懐かしの昭和流行歌について語られ­ています。古賀政男さんの曲は歌い手が困っていたという裏話が面白かったです。

※曲は省略していますm(__)m

美輪明宏 薔薇色の日曜日 2015年1月11日放送分より


533 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/17(Sun) 21:33
【美輪明宏】作曲家・古賀政男について
Thepleiadian2012

2014/06/01 に公開 You Tube
(上の表題で検索のこと)


美輪明宏さんが昭和の国民的な作曲家・古賀政男さんについて語っています。
(TBSラジオ『岡村仁美 プレシャスサンデー』 薔薇色の日曜日2014,6.1より。)



534 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/19(Tue) 10:56
古賀政男総合スレ  2Ch BBS(懐メロ邦楽)


h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/l50

535 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/19(Tue) 22:47
作曲家・古賀政男 You Tube

・・これで検索(コピーして)してください。




536 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/23(Sat) 11:50
古賀政男との思い出〜りんどう峠(島倉千代子)
.

2015/09/25 に公開 You Tube

(この表題で検索のこと)



537 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/25(Mon) 11:28
>>536

昭和54年 古賀政男追悼3時間ドラマ >>179

 渥美清『幾山河は超えたけど 昭和のこころ古賀政男』 (全編・後編)

      (1979年4月14日、NHK総合TV)

でのインタビューです。

538 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/27(Wed) 22:10

作曲家古賀政男〈1904−1978〉がその73歳の生涯を閉じ昭和53年〈1978〉7月25日の夜、

訃報を伝えるNHKは、すべてのラジオ放送を停止し、一斉に古賀メロデフィーを

長し続けた。



539 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/01/27(Wed) 22:27
なお、同年8月4日、古賀政男に「国民栄誉賞」が贈られた。前年にプロ野球の王貞治選手に贈られるために制定され、生存者に贈ることを目的にされたもので没後に贈ることには異論もあった。
しかし、福田内閣は『古賀政男氏に贈らない理由は無い。』として贈ることを決めたもの。なお、古賀政男音楽博物館に展示されている。

540 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/15(Mon) 08:23
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50


541 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/15(Mon) 08:38
☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50



542 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/25(Thu) 23:54


543 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/01(Tue) 15:01
『名曲』って!?・・消えてほしい最近の歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=347425366&ls=50



544 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/03(Thu) 20:51
歌謡曲の歴史

日本では元々「歌謡曲」とは、いわゆるクラシック音楽の歌曲を指していた。藤山一郎、淡谷のり子らの本職ともいえるジャンルの音楽である。歌謡曲の基礎とされる古賀メロディーも、その初期はマンドリン・ギター音楽の研鑽から作られたものが多く、洋楽調の曲であった。


〜NHKラジオ放送『国民歌謡』〜


 「歌謡曲」という用語を日本のポピュラー音楽を指し示す一般的な用語にしたのはNHKのラジオ放送とされる。戦前のNHK放送の番組である『国民歌謡』は、レコード販売によって流行を生み出す当時風紀上問題があるとも言われた「流行歌」に対し、ラジオ放送によって公共的に大衆に広めるべき音楽の追求という目的があった。


 読売新聞昭和8年7月7日記事には「『歌謡曲』というから、シューベルトやブラームスのリード(リート、歌曲)を放送するのかと早合点すると、そうではない。渋谷の姐さんが歌う流行歌であり、AK(現在のNHK東京)の当事者に理由を聞くと、何故か放送ではなるべく流行歌なる語を使いたくないそうだ」と書かれており、当時、「歌謡曲」がクラシック音楽の歌曲を意味していたこと、そしてNHK側も「流行歌」という言葉を使用しなかった事情の一端が伺える。

 

 その後、日本が戦争に邁進し軍国主義が台頭するようになると、国民歌謡は当初の目的から外れ軍事利用されだし、戦時中の音楽は戦時歌謡や軍国歌謡と呼ばれた。これらの戦中時代の歴史については一部では現在の「歌謡曲」と繋がりがありながらタブー視される傾向が強い。




545 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/03(Thu) 21:42
>>544

殆どの洋楽はクラッシックを基本としてる。日本では元々「歌謡曲」とは、いわゆるクラシック音楽の歌曲(リート)を指していた 。
したがって、[クラシック]そのものが、なんらの特長になるものではないことを心に留めなければならない。


いい音楽・曲は短かくも適切かつ十分な賞賛の言葉がでてくるはず。
ただ漠然と「クラッシックの香りがする」とかは、テクニック的で、あまり特徴のもないものでしょう。


たいせつなことは、歌は心(詩)であり、クラッシック云々などを含めて、テクニックがどんなに優れていても、真に心のつぶやきや叫びから出たものでなければ、けっして聴く人の心を感動させることはできないということ。
曲は詩を越えることはできない。・・詩を大切にした古賀政男は「詩はお姉さん、曲は弟」と繰り返しのべている。


「クラシック」は音楽の「必要条件」ではるが、「十分条件」にはなりえない。

歌は「詩」を心で歌うものであり、クラッシック云々などを含めて、テクニックがどんなに優れていても、真に心のつぶやきや叫びから出たもの(詩情)でなければ、けっして聴く人の心を感動させるこはできない 。(必要十分条件)

参考までに「クラッシックの香り」とは、消臭剤の香り(クラシックジャスミンなど)のことであることを付け加えておきたい。





546 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/07(Mon) 22:36
歌は「詩」を心で歌うものであり、クラッシック云々などを含めて、テクニックがどんなに優れていても、真に心のつぶやきや叫びから出たもの(詩情)でなければ、けっして聴く人の心を感動させるこはできない 。

歌はテクニックでなく、本当の作曲家は「詩人」でなければならない。

「文のかをり」「影を慕いて」・・【詩はお姉さん、曲は弟】と言って古賀は「詩」を大切にした人。

古賀自身「生来の詩人」であった。

佐藤惣之助、西條八十、サトウハチロー・・、詩を大切にし多くの詩人とまみえた半世紀にわたる古賀の作曲生活。

「古賀メロディー」の魅力、それは曲はもちろん、その優れた第一級の詩人。その今に生きる優れた「青春」を、「青春の苦悩」を謳った第一級の詩、その簡潔な詩の中に「優しさと憂い」・・、

時代を超えた真実が端端に秘められている。他の作曲家には真似のできないことであろう。


547 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/08(Tue) 22:32

「西條八十作詞、古賀政男作曲」「佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲」「サトウハチロー作詞、古賀政男作曲」・・といえば、それだけで歌謡の歴史の中でも最高・至高のネームバリュウを与える。

「サーカスの唄」「誰か故郷を想はざる」「青い背広で」「人生の並木路」「目ン無い千鳥」・・歴史上にも、第一級の詩人と深く結びついた作曲家古賀政男の数限りない名曲、

その半世紀にわたる昭和の歌謡史、昭和の世相史、社会史に燦然と輝くその重みは偉大です。



548 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/10(Thu) 20:09

コガミュージアムコンサート ご案内
東京大衆歌謡楽団
永遠の古賀メロディーコンサート

良き昭和の時代を今に歌い継ぐ
戦後生まれの平成育ち「東京大衆歌謡楽団」による
古賀メロディーのコンサート

昭和時代の安らぎ、温かさ、夢などを感じながら古賀メロディーの世界をお楽しみください。


2016年5月28日(土)14:00−16:00

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)ケヤキホール
指定席制 2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051

小田急線代々木上原駅
南口 井之頭通り 駅前交番前



☆5月18日 国際博物館の日 は 無料開館となります。



549 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/12(Sat) 20:53

生誕110年・・・古賀政男

(これで検索)You Tube

2014/11/07 に公開


550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/23(Wed) 21:47
古賀政男は長引く日中戦争によって悪化する日米関係を改善するため、外務省の依頼で昭和13年(1938年)から昭和14年(1939年)にかけて、音楽親善使節としてアメリカへ向けて旅立つ。
ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問。


NBC放送から「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」など5曲が世界に向けて15分間にわたって放送される。

差所に到着したロサンゼルスでの歓迎会で披露した演奏は、招待された文化人やマスコミから大きな喝采を受けました。


「古賀メロディーはコスモポリタンである。つぎのような世界のリズムを取り入れている。ルンバ、タンゴ、ワルツ、速度のあるマーチ、スクウェアーダンスなど。だが、その一方ではまちがいなく東洋歌曲の軽快さも持ち合わせている。言い換えれば、彼は、伝統的な日本人の心情を近代音楽で粉飾している」
(1938年12月6日・ロサンゼルス・タイムズ紙)



551 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/28(Sat) 11:37
飽食の時代と言われ久しくなったこのかたテレビで日本の詩情的な歌はほとんど耳にしなくなり、殺伐とした時代になり身内の殺傷が眼に余るのは物欲の成れの果てなり、食べる事が喜びの頃は皆助け合って生きていた。情けもやさしさもあった。昭和は遠くなりにけり。

552 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/17(Wed) 21:17
歌手・藤山一郎は、『青い牧場』『決戦の大空へ』を最後に、昭和18年〈1943〉2月、ボルネオ・ジャワ方面の海軍将兵慰問のため船で横浜港を出発、日本を離れた。その後抑留され、寄港したのは、昭和21年(1946)7月15日のことだった。

つまり、藤山一郎には、戦争を隔ててこの約3年余りの空白がある。このあたりのことは、戦後の藤山一郎のことを読み解くうえで重要なことだが、あまり明らかにされていない。

1946年7月15日、藤山一郎は復員輸送艦に改装された航空母艦・葛城に乗って帰国の途についた。いち早くこのニュースをかぎつけたのはNHKだった。藤山は早速8月4日にNHKのラジオ番組『音楽玉手箱』に出演をした。

これを皮切りに、日本での歌手活動を再開させることとなったのだが、彼の戦後の歌手活動の出発点が「ラジオ」であったことは戦後の活動を大きく制約されてしまうという点でたいへん残念なことではある。
活動範囲が、詩人などで、主にかっての西條八十など第一級の優れたレコード人脈から、少数のラジオ(番組)人脈に移ってしまったのはたいへん残念なことである。曲は詩を越えることはできないのだ。



もちろん年齢的にも、すでに30代後半になっていた。あの20歳、東京音楽学校生徒で歌手デビューし、「古賀メロディ」の青春を高らかに歌い上げていたあの頃の若き20代のあの溌剌さも年とともに失われてゆくのはやむを得ないこと。

レコード界も大きく様変わりして行く、昭和28年には春日八郎に始まる演歌歌手が登場していく。

1954年(昭和29年)、藤山はコロムビアの専属歌手をやめ、NHKの嘱託となった。その理由について藤山自身は「自らのクラシックとポピュラーの中間を行く音楽生活を充実させつつ、将来活躍できる新人に道を譲るのも悪くない」と考えたからだと述べている。もちろんそれ以外にも当然レコード歌手としての年齢的なこともあるだろう。

いずれにしても、昭和18年、突然に始まる3年間にわたる慰問抑留生活が、戦前から戦後へ、「歌う昭和史」ともいわれるこうした歌手・藤山一郎の抜きんでた才能や活動を大きく変えた!。


553 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/27(Sat) 18:39
歌というものは聞く人の心に安らぎを与え、心に響くもの、感動を与えるものでなければならない。
クラッシクの香りだとかは歌に求められるものとは違うもの。

554 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/02(Mon) 12:25
新年があけました、今年、平成29年〈2017〉は「昭和」で数えると92年目。

「昭和」は、1926年(昭和元年)12月25日から、1989年(昭和64年)1月7日まで62年と14日となる。

「昭和」は、日本の歴史、いや世界の歴史の上で最も長く続いた元号であり、元年と64年は共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。
なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。

元号の【昭和】は『書経』堯典の「百姓昭明、万邦協和」によるもので、すべての国民の安寧のもとに国際社会の平和の実現を目指すものだった。
実際は、「昭和」の時代は、30年代半ば、高度成長時代くらいまで、今では考えられないほど貧しい時代、食料難の時代で、しかも戦争に明け暮れたのでした。

最近テレビで「昭和歌謡」とか言って若い下手な歌手しか出てこないが、その歌は昭和最末期、昭和50年代、飽食の時代。
明治と大正を合わせた60年より長い。60年をはるかに越える「昭和」。

その昭和の「名」だけいいとこどりした、退屈なモノトーンの歌、下手を競い合うような歌ばかり!。
「レコード歌謡」が始まった「昭和」、昭和改元して実2年後の「昭和3年〈1928〉」にそれは始まった。

レコード歌手第一号はビクターの「佐藤千夜子」。第一号は「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)である。

佐藤千夜子は、昭和4年〈1929〉から昭和5年〈1930〉にかけて、まだ一学生にすぎなかった古賀正男の作曲した「影を慕いて」など7曲をビクタ―に吹き込み、
直後イタリアに渡った。

翌、昭和6年〈1931〉3月彗星のごとく登場したのが「古賀政男」だった。

世は「大学はでたけれど」、世界恐慌の真っただ中だった。今から86年前のことだった。

まだ日本が草深く、農村主体のまだ貧しかった時代、貧しくも心豊かな時代だったことでしょう。

最近の歌はギスギスして何を言ってるのかわからない。このころの歌には心を打たれるものがある。

そっと寄り添う優しい歌、やさしいメロディ、優しい詩。

第一級の詩人、第一級の作曲家、第一級の歌手が心を込めて作り上げ歌い上げた名曲である。


555 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/02(Mon) 13:06
古賀政男(1904−78)作曲家、福岡県生まれ。明治大学卒業。ギターの伴奏で七五調二句からなる『酒は涙か溜息か』(歌:藤山一郎、詞:高橋掬太郎、1931年コロムビア)ほか、哀愁漂う旋律は"古賀メロディー"と呼ばれ、日本人の心をとらえた。『誰か故郷を想はざる』(歌:霧島昇、詞:西条八十、40年コロムビア)や『悲しい酒』(歌:美空ひばり、詞:石本美由起、66年コロムビア)は大ヒット。国民栄誉賞。

代々木上原一、二丁目,小田急線代々木上原駅前、井の頭通りに面して建つ、三千坪の広大な古賀邸、今、音楽博物館になったその屋敷の中に、七ヶ所観音像をおき、毎日読経を欠かさなかった。
古賀政男の音楽の源となって一貫して流れているのは、この「寂しさ」だという。
古賀政男は大きな邸宅に住み、数十億といわれる群を抜いた著作権料。外車を何台も持ち、指には大きなダイヤを付け、最高の名誉も得たが、寂しさ・侘しさから逃れられなかった。

「古賀メロディ」と言うのは、青春時代から家族の中で居場所を見つけられず葛藤した歴史、その中で「母(の愛)」ということがキーワードになる。
「影を慕いて」にもあるように、それが詩となり曲となったものと言われます。時代を越え、世代を越えて愛される理由もここにあると考えられる。
昭和53年(1978年)7月25日、古賀政男が亡くなった。その夜、訃報を伝えるNHKラジオはすべての番組を停止して古賀メロディを流し続けた。

そして翌年、昭和54年(1979年)4月14日、NHK「特集 幾山河は越えたれど 昭和のこころ・古賀政男(前編・後編)」が放送された。
その後も何回か再放送されている他、古賀政男音楽博物館で定期的に鑑賞会が開催されている。

このとき、後編の最後で藤山一郎、霧島昇、ディック・ミネ、近江俊郎、村田英雄、美空ひばり、島倉千代子など縁の深い歌手が古賀政男との想い出を語っている。
他に、当時の古賀政男の広大な屋敷の中や、お手伝いさんによる証言も加え、このような邸宅での日常が貴重な映像で紹介されている。

なお、同年8月4日、「国民栄誉賞」が贈られた。前年にプロ野球の王貞治選手に贈られるために制定され、生存者に贈ることを目的にされたもので没後に贈ることには異論もあった。
しかし、福田内閣は『古賀政男氏に贈らない理由は無い。』として贈ることを決めた。古賀政男音楽博物館に展示されている。


556 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/02(Mon) 13:14
「古賀メロディ」の歴史は、日本に「歌謡曲」という「 大衆歌曲」が生まれ、それが大衆の中に根付くいていった歴史そのものといえる。作曲家はこれまでたくさん出たが、「古賀政男」ほど多くの
ヒット曲を持つ作曲家はいない。

日本のもっとも大きく伸びんとするとき、日本人の心を支えた音楽があります。
古賀政男は、日本に歌謡曲という新しい音楽の分野を根ずかせることを心に、メロディーの重要性を訴え、かつ広く世界の色々な分野の音楽を取り入れました。
昭和一桁代、その哀調を帯びた新鮮な新しい音楽を、人は主流だった『晋平“節”』に対し、『古賀“メロディー”』と呼んだのでした。

戦後10年、昭和31年春に出た、毎日新聞社「写真 昭和30年史」がある。
ここには、多くの貴重な写真が。昭和6年の扉は、有名な古賀春江の『酒は涙か溜息か』(昭和6年9月新譜)の楽譜の絵と世相、それに「古賀メロデー」登場のことが。

そして「9月18日未明、満州事変勃発」。そして次のように記されている・・


「東北出身の兵隊が満蒙の戦野で戦っているとき、その留守の東北は冷害が田や畑を、村を荒廃させてしまった。稲作は平年作の三分の一と言われ、人々は蕨の根を掘り、松の甘皮を剥いて飢えをしのぐ惨状だった。
 岩手の詩人・宮沢賢治は『雨にも負けず、風にも負けず、・・寒さの夏はおろおろ歩き・・』とうたったが、 都市の学生たちがその惨状を訴えているとき、巷では「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」
 など青白きインテリ層の中に「古賀メロディ」が氾乱していった。」・・


この若き「藤山一郎」の歌う「古賀メロディ」の青春の息吹。
怒涛の如くに登場しただろう、それがインテリ層にであったことは、これを愛した若き山田耕筰や、萩原朔太郎などからも窺い知ることができるのだが、特質に値するだろう。

昔の時代の人は貧しくも幸せだったろうと思うと同時に、86年を経た今日に至るも、ジャンルを越えていろいろな場面で、繰り返し、繰り返し根強く歌われ続け
演奏され続けていることはすごいことではないでしょうか。


『古賀政男と島倉千代子』・・
NHKアーカイブス『幾山河は越えたれど 昭和のこころ 古賀政男』
h ttp://www.youtube.com/watch?v=DaF2dUW88NY




557 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/03(Tue) 22:50
NHKアーカイブス・スペシャル

大衆文化に歌謡曲という分野を築きあげ、日本の音楽界に大きな足跡を残した作曲家・古賀政男。
昭和53年(1978)に亡くなった古賀政男を追悼し、その翌年に放送されたのが、この番組です。
彼の生涯をたどり、昭和史を生きた人々の思いにかさね合わせて描くドキュメンタリーと、渥美清主演のドラマで構成されています。
かつての古賀邸の部屋を再現した東京・代々木上原の古賀政男音楽博物館に、親交の深かったゲストをお迎えして古賀政男の残したものを改めて問いなおします。

■「幾山河は越えたれど 〜昭和のこころ 古賀政男〜」
 1979年(昭和54年)4月14日放送
 90分×2本(二部構成)

前編では古賀政男の生い立ちから朝鮮半島への移住までの幼少年期。そして音楽に目覚め苦学をしながら人生の辛酸を味わった学生時代と「影を慕いて」の誕生秘話。やがてレコード会社の専属作曲家となって成功し、結婚するまでの青年期を描きます。また、「誰か故郷を思わざる」にまつわる視聴者の忘れられないエピソードや「酒は涙か溜息か」が生まれた裏話など、古賀メロディーの背景が浮き彫りにされます。ゲストは、昭和30年のデビュー当時から深く影響を受けた歌手の島倉千代子さんです。
後編は成功して以後を描きます。結婚生活の破綻や母との別れ、太平洋戦争にからむ波乱の後半生です。そして、放送当時は現役だった今は亡き往年の歌手たちの証言と歌声で、代表的な古賀メロディーの数々が蘇ります。さらに、台頭著しかったニュー・ミュージックの旗手たちにとって古賀政男はどのように位置付けされているのかを探ります。 ゲストは、少年時代、大陸からの引き揚げ列車で古賀メロディーとの強烈な出会いを体験し、後に作詞家となって古賀政男と親しく交流した、なかにし礼さんです。

【出演】
渥美 清
柳生 博
水谷良重
ハナ 肇
山内 賢
森 光子
 ・・・ほか


【番組のなかで聴くことのできる主な古賀メロディー】
・影を慕いて
・キャンプ小唄
・酒は涙か溜息か
・東京ラプソディー
・丘を越えて
・人生の並木路
・湯の町エレジー
・誰か故郷を想わざる
・りんどう峠
・無法松の一生
・悲しい酒

【一口メモ】
*古賀政男は、作曲だけでなく「日本レコード大賞」の制定や「日本音楽著作権協会」の設立などの音楽文化と音楽産業の発展のほか、後進の育成などにも尽くしました。

*古賀政男音楽博物館には、再現された部屋のほか故人ゆかりの品々などが展示されています。また、資料や書籍、音源などが揃っていて閲覧や試聴が出来るようになっています。

古賀政男音楽博物館
 〒151-0064 東京都渋谷区上原3-6-12

*福岡県大川市には、復元された生家と古賀政男記念館などがあります。

古賀政男記念館
 福岡県大川市大字三丸兼木844

558 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:15
古賀政男総合スレ 2Ch,懐メロ・邦楽

h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/l50

559 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/14(Tue) 22:20
【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50

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