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【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/06/19(Sun) 18:45

唱歌・童謡、新民謡、歌曲・歌謡曲、多くの詩人、作曲家が生まれ、明治以来たくさんの「日本の歌」が生まれました。

その歌は多くの詩人や作曲家の人一倍の歌にかけるたゆまぬ情熱と努力の賜物であり結晶であり、かけがえのない文化遺産です。

日本の音楽文化遺産、日本の名歌・名曲・名盤を語りましょう。


103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/04(Thu) 16:15
【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50

104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/17(Wed) 16:28

国民歌謡名曲選/旅愁(増永丈夫・独唱)

eightmen28


「旅愁」は藤山一郎、本名の増永丈夫で放送した「国民歌謡」のなかで知られざる名唱です。初放送は昭和14年11月27日、奥田智重子、村尾護郎らでしたが、その後、増永丈夫が独唱しレコードは昭和15年10月でコロムビアから発売されました。増永丈夫は同年4月、マンフレート・グルリットの指揮でベートーヴェンの「第九」をバリトン独唱しています。「旅愁」は岩田九郎作詩、大中寅二作曲。「増永丈夫」は藤山一郎がクラシックを独唱するときの演奏名です。昭和6年、東京音楽学校在学中、コロムビアから流行歌手藤山一郎としてデビューし、古賀政男の「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などをヒットさせて以来、流行歌手として声価をえました。昭和8年、東京音楽学校を首席で卒業。ビクター専属となり、藤山は内外の歌曲、外国民謡は「藤山一郎」で歌唱しましたが、本格的なクラシックは増永丈夫で独唱しました。レコードにも同名で吹き込んでいます。その後、テイチクを経てコロムビアの専属となり、「東京ラプソディー」「男の純情」「青い背広で」「青春日記」「懐かしのボレロ」「上海夜曲」「なつかしの歌声」「燃ゆる大空」などをヒットさせました。この詩は、蕉門十哲の一人曽良を伴って奥州から北陸、そして美濃の大垣に至るまでの五カ月間行脚した紀行文『奥の細道』を題材にしている。増永丈夫のどこまでも清らかで誠実なハイバリトンが芭蕉一向の旅の愁いを歌いあげているます。松尾芭蕉は、出雲崎に宿泊したとき、その頃、夜空に横たわるように見える天の川が、西南から斜めに東北にかけて佐渡のほうに流れていく光景が目に入ったという趣旨を『奥の細道』のなかに記しています。歌詩の最後の一行はそのときの情景を詠んだ有名な歌であろう。最後の<荒海や佐渡に横とう天の川>では、増永丈夫の美しく叙情的に歌う歌唱は見事です。





105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/09/05(Mon) 15:01
やすらいの歌 楠木繁夫 NHKラジオ歌謡
放送 昭和22年12月

百田宗冶作詞 古賀政男作曲 昭和12年3月発売

106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/10/11(Tue) 06:51
NHKオンライントップ
NHKラジオ第一 教授の休日
蓄音機&SPレコード教室
10月10日(日、祝)15:05?16:55 生放送
黒崎政男;哲学者 東京女子大学教授
梅田英幸;蓄音機&レコード愛好家


100年近く前に製造された蓄音機をスタジオ内に設置、
黒崎政男教授・梅田英喜氏秘蔵のSPレコードをその場でかけながら、
奥深く優雅な"音"を愉しみます。
今回の聞きどころは…
20世紀を代表するギタリスト・セゴビア、古賀政男&藤山一郎、河竹黙阿弥の代表作!

レコード鑑賞 古賀政男作曲 藤山一郎歌
 影を慕いて、酒は涙か溜息か



黒崎 政男
哲学者・東京女子大学教授

梅田 英喜
蓄音機&SPレコード愛好家

道谷 眞平
NHKアナウンサー





HMV #101(ポータブル)イギリス製
(1927年頃)

HMV #130(卓上型)イギリス製
(1931年頃)

HMV ♯202 イギリス製
(1928年頃)




107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/11/08(Tue) 21:01
ローエングリン/バリトン増永丈夫(流行歌手テナー藤山一郎)

eightmen28
チャンネル登録1650


2014/10/05 に公開 YOU TUBE

昭和8年、コロムビアからクラウス・プリングスハイム指揮の「ローエングリン」が発売されました。前年の暮れ、東京音楽学校の4年生、増永丈夫は日比谷公会堂で外国人歌手と伍して《ローエングリン》を堂々と声量豊かに卓越した歌唱で独唱しました。このときの独唱者によって《ローエングリン》が東京音楽学校の奏楽堂において吹込まされました。独唱者はヴーハー・ペーニッヒ、マリア・トール、薗田誠一、伊藤武雄、増永丈夫。増永丈夫はすでに流行歌手藤山一郎としてデビューし、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」などの古賀政男作品を歌唱し、一世を風靡させていました。昭和8年、東京音楽学校を首席卒業し、同年4月、ビクター専属アーティストとして華々しくデビューし、流行歌は藤山一郎、クラシックの独唱はバリトン増永丈夫に使い分け日本の音楽界に登場し国民的な不世出の歌手として活躍し、その後、「東京ラプソディー」「青山脈」「長崎の鐘』など不朽の名曲を歌唱し、国民希望、勇気、励ましをあたえ、国民栄誉賞を受賞しました。

標準の YouTube ライセンス

108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/11/08(Tue) 22:57
国民歌謡名曲選/朝(藤山一郎/加古三枝子・独唱)


「朝」は国民歌謡の傑作です。名曲として愛唱・鑑賞されました。作詩・島崎藤村、作曲は小田進吾(本名・高階哲夫)で、昭和16年に発売された藤山一郎(昭和8・東京音楽学校首席卒業)と東京音楽学校を卒業したばかりの新のソプラノ歌手加古三枝子によるコロムビア盤が好評でした。藤山一郎の日本語の明瞭度が高く、テノールの音色をもつバリトンで表現力豊かに独唱します。国民歌謡にふさわしい歌唱です。

109 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/11/17(Thu) 23:20
藤山一郎. 武蔵野/朝/林 武蔵野の自然を歌う


流行歌手テナー藤山一郎(声楽家増永丈夫・バリトン)が国木田独歩の『武蔵野』の世界を歌います。「武蔵野」と「朝」は昭和16年に録音されたもので、これがアメリカとの開戦直前とは驚きです。「林」は平成の時代の藤山一郎、80歳の録音である。武蔵野の自然は民俗学の柳田國男も愛した風景です。歌曲「武蔵野」作曲には童謡・日本歌曲でおなじみの弘田龍太郎です。録音は昭和16年。「朝」は島崎藤村の詩で知られ、国民歌謡の名曲で日本歌曲としても知られます。録音は昭和16年。共唱は加古三枝子で東京音楽学校の後輩で当時の新進の声楽家です。作曲者の小田進吾は高階哲夫が本名でヴァイオリン奏者として活躍し、作曲・指揮者としても名を残しました。「朝」はシューマンのピアノ曲の「楽しき農夫」を意識して作曲しています。「林」は武蔵野の自然をテーマにした歌曲で藤山一郎80歳のときの録音です。雑木林に溢れる木漏れ日と爽やかな緑の色彩を感じさせます。

110 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/11/28(Mon) 19:25
古賀政男映画主題歌傑作集/なつかしの歌声/春よいづこ

2015/09/23 に公開
古賀政男の映画主題歌傑作集「なつかしの歌声」(藤山一郎/二葉あき子・歌唱)「春よいづこ」(藤山一郎/二葉あき子・歌唱)です。昭和15年東宝映画「春よいづこ」の挿入歌と主題歌で、藤山一郎も出演し歌唱は勿論、ピアノ、ヴァイオリン、トランペット、指揮と多彩な音楽家として実力を披露しました。

111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/07(Wed) 23:27
故小妹(西班牙民謡)/藤山一郎.(昭和8年録音)


2012/04/06 に公開
藤山一郎は昭和6年コロムビアから音楽学校在校中にデビューしたが、昭和8年東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)首席卒業後、ビクター入社。「故小妹」の原曲はスペイン民謡で橋本国彦の編曲によるポピュラー声楽曲として藤山一郎のレコードが発売。ヴァイオリンは橋本国彦が自ら独奏。藤山の歌唱には哀愁と美しさがある。本格的なクラシックは本名の増永丈夫(バリトン)で独唱するが、このような外国歌曲・民謡はテナー藤山一郎で吹込む。作詞の惟一倶楽部は惟一倶楽部はユニテリアン教会の宗派が惟一館で集会し讃美歌などを歌う同好倶楽部の一つ。

112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/08(Thu) 11:40
藤山一郎 影を慕いて.


2012/07/15 に公開
藤山一郎独唱・「影を慕いて」。声楽技術を駆使した歌唱芸術で古賀政男の名曲を歌いあげます。明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会(昭和4年6月)で初演、ギター合奏でした。その後、佐藤千夜子がビクターで吹込みましたが、レコードは売れませんでした。藤山一郎の登場をまたなければなりませんでした。

113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/08(Thu) 23:44
藤山一郎 丘を越えて(昭和42・明治大学マンドリン倶楽部演奏)


2012/03/13 に公開
国民的名歌手藤山一郎が独唱する「丘を越えて」。金解禁(金本位制復帰)の失敗によってもたらされた昭和恐慌が原因で生家が破産。昭和6年 東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部*音楽学部)在学中、膨大な借財返済のために流行歌手としてコロムビアからデデビュー(キャンプ小唄)。「酒は涙か溜息か」が大ヒット。藤山一郎による古賀メロディーの一世風靡し古賀政男の音楽が世に広まりました。つづいて、溌溂と声量豊かに昭和モダンの青春・「丘を越えて」を歌いあげます。藤山一郎の歌唱芸術が際立っています。

114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/08(Thu) 23:51
丘を越えて 藤山一郎/古賀政男.


2012/10/29 に公開
昭和6年発売の「丘を越えて」です。青春をテーマにした藤山一郎・古賀政男の合作芸術の傑作です。演奏は明治大学マンドリン倶楽部(男子部員時代)。藤山一郎は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)在学する将来を嘱望された期待のクラシック音楽生でした。昭和恐慌で破産した生家の借財返済のためにアルバイトの流行歌歌手となりコロムビアからデビューしました。青春を声量豊かに高らかに弾むように歌いあげています。躍動感溢れる歌唱は永遠の名唱です。

115 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/09(Fri) 00:21
藤山一郎_ 酒は涙か溜息か (1931)


2014/10/16 に公開
作曲・古賀政男、作詞・高橋掬太郎
recorded in 1931(昭和6年)
78rpm / Columbia-26486-A
on Columbia #121 gramophone

この歌は、満州事変と東北大凶作、昭和大恐慌の中、昭和6年に藤山一郎の歌で発売されました。

116 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/10(Sat) 18:42
城ヶ島の雨 藤山一郎.


2012/02/17 にアップロード
藤山一郎が独唱する日本歌曲です。声楽家増永丈夫(バリトン)が究極の声楽技術でテナー藤山一郎としてその魅力を伝えています。藤山一郎は慶應普通部時代から東京音楽学校(現東京芸大)の予科の頃まで、「城ケ島の雨」の作曲者梁田貞に声楽を学びました。声量豊かな美しいハイバリトンは師譲りのものといえるでしょう。本科に進んでからは船橋栄吉、ヴーハー・ペーニッヒに声楽を師事しています。昭和6年、生家の借財返済のために流行歌手藤山一郎としてコロムビアからデビュー。昭和8年、東京音楽学校を首席卒業しビクター専属、昭和11年テイチク、昭和14年コロムビアへ復帰、戦前戦後を通じて不世出の国民歌手として多大なる功績をのこしたました。


117 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/14(Wed) 14:44
【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50

118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/05(Thu) 21:33
平城山/藤山一郎 万葉の心を歌う


2015/10/12 に公開
藤山一郎(声楽家増永丈夫)が独唱する美しくも哀しくも典雅な旋律で万葉の心を伝える「平城山」です。作曲者の平井康三郎は藤山一郎の東京音楽学校(現東京芸術大学)の同級生です。藤山は敢えてバリトンの音域のGマイナーにして昔日の日々を思い出し静かに涙する心情を凝縮するかのように表現しています。


119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/01/13(Fri) 23:44
美しき日本の歌 藤山一郎/出船(日本歌曲).


2012/03/26 に公開
寂しい日本海の海と雪が舞う港の哀傷・郷愁を感じさせる「出船」は日本歌曲の名曲です。本名の増永丈夫ではバリトンの声楽家ですが、藤山一郎がテノールの美しい音色をいかしてしんみりと独唱します。編曲は富田勲。マリンバの低音を生かして暗い波間に雪が花びらのように散り行くような北国の寂しい港の情景を描いています。


120 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/02(Thu) 19:08
影を慕いて(ギター歌曲).藤山一郎・古賀政男の名曲を歌う

2012/03/10 に公開
不世出の国民的名歌手藤山一郎が独唱するギター歌曲・「影を慕いて」・美しき日本の歌です。昭和モダンの陰影を象徴する古賀メロディーの傑作といえるでしょう。藤山一郎の声楽技術を解釈したクルーン唱法によって古賀政男のギター曲の魅力が伝わりました。昭和4年6月 明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会初演(ギター合奏)昭和5年10月佐藤千夜子ビクターで吹込み(昭和6年1月新譜)昭和7年1月藤山一郎再吹込み(昭和7年3月新譜発売)以上『評伝古賀政男 青春よ永遠に』(菊池清麿・著)参照。クラシック系歌謡曲の藤山一郎は現在の東京芸術大学首席卒業であり、美空ひばり、森進一ら感情を濃く小節を回す演歌系歌謡曲の艶歌唱法とは対極にあるリートのベルカントによる歌唱芸術です。

121 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/12(Sun) 16:44
5000曲とも言われる古賀政男の、昭和3年から53年に亡くなるまでの半世紀にわたる作品群には、実にたくさんの作品が有り驚かされます。

その中に、昭和17年の「荒城の月」編曲があり、李香蘭のSPレコードが、You Tube やCD[古賀政男大全集〜20世紀の遺産]〈CD16枚〉などで聴くことができます。

「荒城の月」といえば、藤原義江や三浦環、山田耕筰。古賀政男自伝『わが心の歌』〈展望社1965初版〉には、藤原義江は古賀政男が昭和13年11月、外務省音楽親善文化使節としてアメリカに派遣されるにあたって見送るなど、三浦環や藤原義江と古賀政男とは信頼と親交が有ったことが、写真とともにあります。

また、山田耕筰は外国人に日本の音楽を紹介するのに、よく古賀政男の「丘を越えて」を紹介していたといいます。

以下一見関係がなさそうで深い関係が有る、古賀政男と「荒城の月」について参考に。


※古賀政男と「荒城の月」

「荒城の月」(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)という歌は、現在の東京芸術大学〈音楽学部〉の前身である「東京音楽学校」主導で中学の音楽教科書のためにつくられた。

明治34年「中学唱歌」の懸賞応募作品として作曲し、入選となった作品だが、メロディーだけで伴奏が無く、後に三浦環に頼まれた山田耕筰がピアノ伴奏を付けたものが今日歌われているものとされる。

明治44年、師である瀧廉太郎が日本最初にドイツに留学するにあたって、門下生である三浦環は、送別演奏会で「荒城の月」(『荒城月』)を歌った。

当時は「歌曲」と言えば外国曲(でなければばらない)とうのが一般的風潮だった中で、昭和3年、藤原義江によってビクターで吹き込まれたのが「荒城の月」レコードの最初。

哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

世界で活躍していた我等のテナー「藤原義江」は、どこの国に行っても自分の生れた国の歌も歌えないようでは相手にされないとして、率先して日本の歌曲を歌い広めた事でしたれる。

三浦環の「歌姫は強き愛国心をもたざれは」に通ずることだ。

他に、藤原義江は山田耕筰の「この道」その他や、弘田龍太郎の「叱られて」「浜千鳥」などをレコードにしている。

『荒城の月』は、特定の史実・史話に基づいたというものではないが、つい30年前「明治維新」 における日本の内戦である戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜- 明治2年(1868年 - 1869年))と無関係ではないのだ。

武家の「栄枯盛衰」とそれに伴う「無常感」が滲んだ詩は、お寺の「講話」にも使われている。
「荒城の月」は、1898(明治31)年、土井晩翠は会津の「鶴ヶ城」をイメージして造られたものだと土井晩翠自身が語っている。(※)

※土井晩翠が1927年6月29日滝廉太郎45年祭で語り、放送された。

幼い頃から父と祖父から戊辰戦争における会津の悲劇と仙台から見た会津の英雄伝をたくさん聞かされて育った晩翠。

そして二高の時、明治維新後、落城したまま、ほったらかされていた「鶴ヶ城」に行き、悲惨な戦争の跡地から月を見て、なんとも儚い想いを詩にした晩翠の詩、それに子供のころを過ごした・大分県竹田の「岡城」から曲を着想した滝廉太郎の作曲がおりなす「荒城の月」。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったというのもわかります。そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが昭和17年古賀政男編曲になる。

戦乱の世の栄華と哀愁とがないまぜになった名曲・・しっとりしていい歌いで、風格、品格を保ちつつ、ひとつひとつの言葉が心に深く沁みてきます。

「荒城の月」をオペラでも歌うつもりか、頭の芯に突き刺さるような高い声を張り上げて歌うクラッシックを標榜する若手歌手が今、少なくないが、戦時中慰問先で「李香蘭」の歌う「荒城の月」は何と美しいことか。どれほど多くの兵士を勇気ずけたことか。

この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見れる他、国立近代美術館フィルムセンター、歌は以下に含まれる。

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる映画である。



122 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/12(Sun) 16:52

「荒城の月」;土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 古賀政男編曲 明大マンドリンクラブ演奏


なお、滝廉太郎作曲「荒城の月」の原曲は無伴奏で、以下「山田耕筰編曲版」、「本居長世編曲版」、「橋本国彦編曲版」、それに、李香蘭が戦地で歌った「古賀政男編曲版」がある。





☆「荒城の月」について

『荒城月』 (土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲)  明治34年発表(無伴奏)

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/山田耕筰・編曲) 大正6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/本居長世・編曲) 昭和5年発表

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/橋本国彦・編曲) 昭和6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/古賀政男・編曲)昭和17年編曲(歌李香蘭)


☆(参考)「荒城の月」 SP時代の主な名盤

 1928.02 藤原義江 VIC1175赤盤

 1931,01 萩野綾子 VIC13109赤盤         (橋本国彦編曲版)

 1931,02 奥田良三 POL631631

 1933.05 四家文子 VIC52673

 1933.07 増永丈夫(藤山一郎)VIC52756      (橋本国彦編曲版)

 1936.01 関屋敏子 VIC13452赤盤

 1937.10 藤原義江 VIC13527赤盤

 1942.09 李香蘭  COL100542 @赤盤(スダレ)   (古賀政男編曲版)


(参考)古賀政男編曲「荒城の月」CD

・CD[古賀政男大全集〜20世紀の遺産]日本コロムビア
 発売日:1998年7月18日  CD16枚、
(荒城の月 ;No,16−14)
ttp://joshinweb.jp/dp/4988001187691.html
  tp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA349020/

・CD「夜霧の馬車 山口淑子 (李香蘭) 」1990 COCA-71089
 15.宵待草   李香蘭 古賀政男編曲、 明大マンドリンクラブ演奏
 16. 荒城の月 山口淑子 (李香蘭)(歌); 作詞 土井晩翠; 作曲 滝廉太郎; 編曲 古賀政男 明大マ ンドリンクラブ演奏
ttp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA318749/



123 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:39
荒城の月 山口淑子


2010/05/19 にアップロード

映画「暁の脱走」より
(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる場面である。

「荒城の月」土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 

 春高楼の花の宴
 巡る盃かげさして
 千代の松が枝わけ出でし
 昔の光いまいずこ

 天上影は替らねど
 栄枯は移る世の姿
 写さんとてか今もなお
 嗚呼荒城の夜半の月
カテゴリ
映画とアニメ

124 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:42
荒城の月 李香蘭


2010/01/15 にアップロード
荒城の月 李香蘭 古賀政男編曲、明大マンドリンクラブ伴奏 彼女の本格クラシック的歌唱力はロシアのオペラ歌手及び三浦環に師事した証と言えるモノで、とてもアイドルスターとしての美貌だけではなくしっかりとした素質と教育の賜物だと感心させられた一曲です。ただ、ブログ連動企画なもので、試作のサウンドボックスによる録音ですので音量不足で雑音及び鮮明度の点で非常に残念です。機会を見つけて再度良い音でアップしたいと思います。ブログ
h ttp://blogs.yahoo.co.jp/fnmdn239/691...
との連動企画です。


125 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:47
荒城の月 李香蘭(何故こんなに感情が)


2014/09/01 に公開
女性歌手でこれほどまでにこの歌を歌える方はいない、などと当たり前のことを言ってしまうがポルタメントでも高音の細くなるところの声の出し方は誰にもできない天から与えられたものなんでしょうな。
このお方が日本人で良かったよ、オペラ歌手で日本の歌を歌う方は聴きたくないだろうな、自信無くなるからね。今の若い歌手
で出ないものかね、出るわけがありません、聴き手がいませんのと一人で勝負できないので大勢で出ますから、何人かがかりでもかないませんな、美貌も声も段違いよくそんなに味もそっけもなく歌えるもんだと感心しますよ。
だけどこの歌キーが高いな男でもやっとだよ。そういえば小鳩クルミは歌謡曲ではないがピカ1だよ。

126 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 07:26
荒城の月 山口淑子

映画「暁の脱走」1950年作
 慰問地で李香蘭(山口淑子)が歌った曲が「荒城の月」でした。
 李香蘭(山口淑子)2014年9月7日、死去(満94歳)
 戦後の古い映画で見たことはありませんが、山口淑子は映画俳優でありながら素晴らし  い歌手だったことを知りました。歌唱力が凄い。お上手なのでびっくりです。
 この「荒城の月」を聴くと、心の底に残り悲しくなってきます。「暁の脱走」に出てくる映画のように、
 本当の慰問先でもきっとこんな光景だったんでしよう。
 若い兵士たち、彼女の「荒城の月」を聴いて家族や故郷の思いに耽ったことでしょう。
 皆な戦争で死んでしまったのかと思うと可哀そうで涙が出てきます。shunon。


この歌を聴いての声
●山口淑子さんの歌唱力に聞き入ってしまいました。音程が発音の最後の最後までぶれないでいますね。アコーデオンのみの伴奏がそれを引き立てている様に思います。今、スポーツ大会のセレモニー等で独唱をされる歌手がいますが、声量の無さと音程のオンチさにうんざりする事が多くありましたが、この歌を聴いてすっきり致しました。実際に聴いている兵隊さん達の胸中を想うと私も胸が熱くなります。戦争が一握りのリーダーによって引き起こされた時代がありましたが、これからは 一人ひとりが主体的な判断をして二度と戦争をしない様にしますと画面の兵隊さんに誓いたいと思います。少しセンチメンタルになってしまいました
●李香蘭、美貌とその歌声で中国で絶大な人気を博し、絶対に中国人だといっていたが 日本人山口淑子と分かり、日本に帰国された時は全中国人が相当落胆したそうな。それほどの美しい人だったですね。
●戦前、戦中、戦後の日中間で悩み抜かれた94年間・・・。このフィルムに描かれた情景は戦後撮影ながら当時のありようを彷彿とさせます。これを見るたびに号泣します。昭和が日に日に遠くになっていきます。彼女は日中の行く末を案じて御亡くなりになられた事でしょう。さらば李香蘭。永久に!
________________________________________



127 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 07:39
宵待草 李香蘭


2010/02/19 にアップロード
宵待草 李香蘭 古賀政男編曲、明大マンドリンクラブ伴奏 試作の扁形サウンドボックスの音がほぼ完成したので前出の荒城の月と思ったのですが、片面のこの曲にしました。レコードに割れがありますが彼女の初々しい中にもしっかりとした歌唱力が窺える作品。自作のサウンドボックスで録音しました。また、ブログ h ttp://blogs.yahoo.co.jp/fnmdn239/910...
との連動企画です。

128 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 07:46
山口淑子 宵待草 1942年 Cm


2016/04/04 に公開
説明  古賀政男が音楽運動の重要な拠点とした明大マンクラの伴奏による、定番の日本歌曲、李香蘭の安定した歌唱

129 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/14(Tue) 22:21
【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50

130 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/16(Thu) 21:51
思い出の記
霧島 昇、マンドロンオーケストラ
大木惇夫作詞、古賀政男作曲 昭和16年12月、COL100374@、赤盤(スダレ)17575
14.359

131 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/16(Thu) 22:12
思い出の記 



2013/06/01 に公開

作詞.作曲 古賀政男(S43年版)
S16 発売の[想い出の記]>>130 は徳富蘆花の自伝的小説をもとに大木惇夫が歌詞を書き、ジプシー短音階で作曲された。


その後、S43に出された古賀の作曲生活40周年記念[古賀政男大全集]の際に、特典盤として作曲者自らこの曲に新しい詞をつけて吹き込んだ。

1.ああ思い出は 懐かしく
  ふるさと恋いて 訪ぬれば
  親同朋は すでに逝き
  誓いし友の 面影も
  今は虚しき 菜の花よ

2.ああ人生は 夢の夢
  幾年変わらぬ 山川も
  流れる雲か 風に散る
  人の心は 山吹の
  花はほろほろ 散るばかり

132 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/16(Thu) 22:17
☆古賀政男 二つの「思い出の記」

古賀政男には「思い出の記」という人生そのものを歌った自伝的作品ともいえる作品がある。

自らの愛唱歌であり誰にも歌わせなかったもので、葬儀の際もくりかえり流れた。

「思い出の記」は、作曲は古賀政男だが、作詩は古賀政男作詩と、大木惇夫作詩の二つがあります。

大木惇夫作詞は徳富蘆花の自伝的小説 『思出の記』の歌謡化作品。昭和16年12月新譜、重厚な曲は陸海軍の礼式歌ともなった。


・古賀政男作詞  今、古賀政男歌と大川栄作歌もある。(昭和42年)

ああ思い出は 懐かしくふるさと恋て 訪ぬれば親同胞は すでに逝き誓いし友の 面影も今は虚しき 菜の花よああ人生は 夢の夢幾年変わらぬ 山川も流れる雲か 風に散る人の心は 山吹の花はほろほろ 散るばかり


・大木惇夫作詩(徳富蘆花 『思出の記』の歌謡化)霧島昇歌(コロムビア100374@)


ああ馬の背に 涙してふるさと出でて 幾歳ぞ高倉山の 白雲にちかいし言葉 あだならず飾る錦は 誰ゆえにああ山河は 変わらねど人の心は 今いかに思い出の谷 夢の丘幼な馴染みの おもかげも今は虚しき 菜の花よ






133 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/03(Mon) 22:52
>>123-126
昭和十六年十二月八日、日本はマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争に突入した。昭和十七年五月には、李香蘭の歌唱によって《荒城の月》が古賀政男指揮、明大マンドリン倶楽部の演奏で吹込まれた。編曲は古賀政男が担当した。前奏はマンドリンのカデンツァで始まり、悲愴なマンドリンオーケストラの演奏で、李香蘭が哀感を込めて独唱している。 

134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/03(Mon) 22:56
太平洋戦争直前の明大マンドリン倶楽部第三十七回定期演奏会(昭和十六年十一月三日・明治大学記念館講堂)では、テノール奥田良三がシューベルト歌曲集、三浦環が《ホフマンの舟歌》(オッヘンバック・作曲)、ハバネラのリズムで恋する気持ちを鳩に託して歌う《ラ・パロマ》(イラディエル・作曲)を独唱した。
 古賀は三浦環についてつぎのようにのべている。

「定劇で日本最初のオペラを上演した彼女。欧州各国に幾度も渡り『マダム・バタフライ』の名プリマドンナとして、日本人では異例の堂々たる歌手の座に築いた彼女だが、カルーソーと共演したこの大ソプラノ歌手も、軍国主義と封建色の強かった戦前の国内では、決して幸福ではなかった」(『自傳わが心の歌』)

135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/19(Wed) 23:59
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/history/index2.html#2



136 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/20(Thu) 09:49
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50


☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50


☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50

☆【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50





137 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/25(Tue) 13:32
>>7

日本の名曲 「影を慕いて」


影を慕いて(古賀正男作詞、古賀正男作曲)佐藤千夜子 ビクタ― 黒盤 51519@  昭和6年1月


影を慕いて(古賀政男作詞、古賀政男作曲)藤山一郎  コロムビア黒盤 26748@  昭和7年3月




かって平成の初め頃、NHKTVで、「日本の名曲10曲」(歌謡曲の名曲で無く)の一つとして、「影を慕いて」(古賀政男作詞・作曲)が1年間ずっと流されていました。

「荒城の月」「波浮の港」「影を慕いて」・・など日本の名曲10曲が「日本の名曲10」として、毎夜8時の番組の後の時間を使って1週間ずつ、交代で1年間ずっと流され続けました。


<「影を慕いて」の曲碑>
 古賀メロデーの原点といえば、「影を慕いて」・・朝鮮のメロデーと同じ三拍子・・で、この曲碑は宮城県の蔵王に近い「青根温泉」(自然の森公園内)と、「古賀政男記念館・生家」のある家具の町、福岡県・大川市・大川公園内にもあります。
 この歌が作られた、昭和3年には、演歌や「さすらいの歌」などを除けば、「出船」「波浮の港」「出船の港」や、「青空」「アラビアの歌」などあちらの歌を除いて現在ある歌はまだ存在しなかった。

青根温泉「影を慕いて」曲碑   h ttp://ww5.et.tiki.ne.jp/~kawsaki2/koga.htm
古賀政男記念館    h ttp://www.city.okawa.fukuoka.jp/kogakinen/hall.html


138 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/25(Tue) 18:07
>>137
河口湖畔 古賀政男記念公園「影を慕いて」音楽碑

作曲家古賀政男が疎開していた富士五湖の一つ河口湖畔 古賀政男記念公園にも「影を慕いて」音楽碑があります。 

「影を慕ひて」の歌詞と楽譜が刻まれていて、実際にセンサーで音楽が流れるようにもなっています。
外国人の方も多く訪れていて、ガイドさんが熱心に日本の有名な音楽家であることを解説されていた光景が印象的でした。


139 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/13(Wed) 12:56
昭和歌謡が好きな人集まれ!

140 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:33
昭和歌謡が好きな人集まれ

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50

141 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/01/01(Mon) 12:24
我が家の唄  (国民歌謡・陸海軍礼式歌)

作詞 西條八十
作曲 山田耕作
歌  松原操


朝となれば群雀
軒端に吾児を呼ばうなり
起きよ起きよと呼ばうなり
炊の煙かそけくも
児等は手足の太やかに
三坪の庭にいじらしく
カンナの花も咲き出でぬ
楽し楽しああ我が家

夕べとなれば靴の音
優しく夫は帰るなり
襷外して迎うなり
ほれ土産ぞと投げ給う
空には白し天の川
笑まう我等の肩越えて歌唱嬉し嬉しああ我が家


松原操(ミス・コロムビア)のすばらしい歌唱。
昭和12年3月、国民歌謡。陸海軍礼式歌 コロムビア

142 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/04(Sun) 23:27
ミス・コロムビア(松原操)は、クラシックをレコーディングする時は本名の松原操を使っていた。

143 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/04(Sun) 23:37
ミス・コロンビア(松原 操)、彼女は昭和6年に東京音楽学校を卒業し、クラシックの声楽家として活動していたが、コロンビアにスカウトされ歌謡曲も歌うようになった。
彼女の歌を聴いていると、かつて存在したが今はもう失われた日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑といった要素をその歌唱の中に昇華し結晶化しているように思われる。
西洋音楽の歌唱において日本らしさ、日本的スタイルがここに確立しているとみることができる。
そして彼女以後、これ程、日本的な良さを感じさせる歌手は出なかった。

144 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/04(Sun) 23:43
松原操(まつばらみさお)=ミス・コロムビア

 明治44年北海道小樽市生まれ。本名同じ。

 幼い頃両親と共に上京。12才の時父親が病死するが、

 音楽に理解のある母親の手で育てられ、

 青山学院女学部から東京音楽学校(現在の東京芸術大学)へ。

 卒業式で代表で独唱するほどの優秀な成績を修め、さらに研究科へ。

 在学中にコロムビアでアルバイトで歌を吹き込むが、

 当時は、それが禁じられていたため「ミス・コロムビア」の名で、

 歌詞カードの写真も眉と目を隠した「覆面歌手」で登場。

 世間の興味をひく結果となった。

 デビュー曲は、昭和8年発売の「浮草の唄」。

 後に発売された「十九の春」が大ヒット。

 「秋の銀座」「並木の雨」と続くヒットにより人気を不動のものとする。

 昭和13年霧島昇とのデュエット曲

 「旅の夜風」(松竹大船映画「愛染かつら」主題歌)での共演が縁となり、

 昭和14年12月17日結婚。

 「世紀のロマンス」と話題になり、「鴛鴦夫婦」としても有名に。

 戦後、子育てのため、昭和23年「三百六十五夜」を最後に引退。

 昭和59年6月19日、

 4月に亡くなった夫霧島の後を追うように腎不全で死去。73才。

 この他「朝月夕月」「悲しき子守唄」「真白き富士の嶺」などがヒット。

 

145 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/10(Sat) 22:25
コガミュージアムコンサート 

三代目 海沼実の唱歌・童謡にんげん史
第22回 童謡誕生100年記念 西條八十


2018年は児童雑誌「赤い鳥」創刊100年の年で、童謡誕生100年記念の年とされます。
第22回は「赤い鳥」にも多数の作品を発表した、詩人西條八十さんを取り上げます。
懐かしのレコードと、ゲストの音羽ゆりかご会の歌唱で「カナリヤ」や「肩たたき」などの作品を
お楽しみいただきながら、人物像と魅力に迫ります。


2018年2月18日(日)

開演 14:00  (13:30開場)

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
入場料 指定席制 2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団

小田急線、東京メトロ代々木上原駅
南口1 井之頭通り 駅前交番前



146 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/07(Wed) 13:40
>>137

NHK「日本の名曲10曲」


>かって平成の初め頃、NHKTVで、「日本の名曲10曲」(歌謡曲の名曲で無く)の一つとして、「影を慕いて」(古賀政男作詞・作曲)が1年間ずっと流されていました。

「荒城の月」「波浮の港」「影を慕いて」・・など日本の名曲10曲が「日本の名曲10」として、毎夜8時の番組の後の時間を使って1週間ずつ、交代で1年間ずっと流され続けました。

「荒城の月」
「波浮の港」
「叱られて」
「この道」
「浜千鳥」
「影を慕いて」
「出船」
「宵待ち草」
 ・・



147 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/07(Wed) 16:26
NHKTV「日本の名曲10曲」



「荒城の月」
「波浮の港」
「叱られて」
「この道」
「浜千鳥」
「影を慕いて」
「出船」
「宵待ち草」
「花」
「からたちの花」


名前:

148 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/09(Fri) 18:12
日本の歌こころの歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50


149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 12:10
■■コガ・ミュージアムコンサート 案内 ■■

  (近日の予定)

◇平成30年5月26日(土)
 永遠の古賀メロディコンサート 東京大衆歌謡劇団

開場13:30  開演14:00 終了予定16:00

◇平成30年6月23日(土)
 古賀政男没後40年 心を込めて古賀メロディを歌う!

昼の部 12:00開場 開演12:30
夕の部 15:30開場 開演16:00

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール

入場料 指定席制 2000円(税込) (要電話予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051

主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団

小田急線、東京メトロ代々木上原駅
南口1を出て右側音楽村通りを進み、突き当り井之頭通り、 代々木上原駅南交差点駅前交番すぐ目の前
下りホームすぐ下に見えます。南口1出口を出て2,3分です。


▼渋谷駅ハチ公口から循環バス(丘を越えてルート)がでています。

入場券で博物館をご覧いただけます、開場前にご見学ください。>>42-44,>>45-46

他の企画・演奏もあります、古賀政男音楽博物館ホームページ参照。
登録または電話すると、定期的に案内を送ってくれます。



■無料開館日のご案内 (通常入館料 500円)
 
 毎年5月18日 (国際博物館の日)

  7月21日 古賀政男命日(命日は7月25日)


150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 12:15
■■NHKTV 「日本の名曲10曲」■■ 

「荒城の月」   土井晩翠作詞、  滝廉太郎作曲    1901
「波浮の港」   野口雨情作詞、  中山晋平作曲    1928
「叱られて」   清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲   1920
「この道」    北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1927
「浜千鳥」    鹿島鳴秋作詞、  弘田竜太郎作曲   1919
「影を慕いて」  古賀政男作詞、  古賀政男作曲    1931.1932
「出船」     勝田香月作詞,   杉山長谷夫作曲   1928
「宵待草」    竹久夢二作詞、  多 忠亮作曲    1918
「花」      武島羽衣作詞、  滝廉太郎作曲    1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1925

日本の名曲、それは日本がまだ貧しかった時代、明治から大正、昭和の初めにかけて、多くの当代随一・第一級の大歌手・声楽家が歌い継いできた、80年を超える歴史を持つ。



151 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 22:42
NHKが「日本のうたふるさとのうた」と題し、童謡とか愛唱歌などを主に100曲を選んでいて(1989年11月4日放送)、このなかに「赤い靴」などとともに、「影を慕いて」が同じようにはいってる。これを「童謡新聞」という童謡を主としたHPで紹介してます。「明日に残す心に残る歌」として、「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」など幾つかで、『唱歌童謡の中に「影を慕いて」が含まれる』とあります。明日に残す心に残る歌・・「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」他
 h ttp://www.scn-net.ne.jp/~douyou/shinbun/shinbun.html
温かい家庭の和と憩いを夢見た古賀政男
養女に「おとうちゃん」と呼ばれて嬉しくて涙を流した
「明日に残す心に残るうた」唱歌童謡の中に「影を慕いて」含まれる
(童謡新聞 「心の故郷」)

歌は「童謡」の中に入ったとき、[愛唱歌]になると思うが、「影を慕いて」は、今や「古賀メロデー」を越えて,童謡その他の愛唱歌と渾然一体になって、[日本の愛唱歌][日本の名曲]「人生の主題歌」になっているのではないでしょうか。


152 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 23:19
寺山修司編「日本童謡集」(光文社1972)という本があって、その前書きには、『優れた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる、一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。』・・と。そして、『映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。』・・として、広い分野の歌を集めてあるのが特徴。
『赤い靴』『青い眼の人形』から 、古賀メロデー『影を慕いて』『人生の並木路』・・など優れた童謡としてあげられている。

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