日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/03/19(Mon) 23:51)]
何でも有り余る飽食の時代と言われて久しい今、歌もありあまり、そしてなんでも「名曲」となって本当の名曲を知らない人が多くなった今、
明治以降の長い歴史の中で、優れた日本の文化遺産としての真の名曲を振り返り、
つつ、真の【日本の名曲】について語ろう!。
[30:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/16(Tue) 22:19)]
メロディパタンのクラスタ分析 : 古賀メロディパタンの特徴
Cluster analysis of melody pattern : A characteristics of KOGA melody style
秋山、松田 日本音響学会誌 53(12), 915-921, 1997
[31:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/12/10(Tue) 22:59)]
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110&ls=50
[32:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/20(Mon) 12:17)]
■■NHKTV「日本の名曲10曲」■■
1990 NHK TV (1年間毎週放送)
「荒城の月」 土井晩翠作詞、 滝廉太郎作曲 1901
「波浮の港」 野口雨情作詞、 中山晋平作曲 1928
「叱られて」 清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲 1920
「この道」 北原白秋作詞、 山田耕作作曲 1927
「浜千鳥」 鹿島鳴秋作詞、 弘田竜太郎作曲 1919
「影を慕いて」 古賀政男作詞、 古賀政男作曲 1931.1932
「出船」 勝田香月作詞, 杉山長谷夫作曲 1928
「宵待草」 竹久夢二作詞、 多 忠亮作曲 1918
「花」 武島羽衣作詞、 滝廉太郎作曲 1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、 山田耕作作曲 1925
日本がまだ貧しかった80年以上前から、第一級の詩人が、第一級の作曲家がその抒情を、心を込めて、歌いこみ、そして藤原義江、三浦環、関屋敏子・・、日本を愛する知る人ぞ知る歴史に残る、第一級大歌手・声楽家が好んで
歌った歌、世に広めた名歌、それが今に歌い継ぐ日本の名曲でした。
[33:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/26(Sun) 13:12)]
h ttps://columbia.jp/shinyabin/
NHK CD「ラジオ深夜便 にっぽんの歌 こころの歌」
好評 発売中!
オリジナル原盤を使っているので良い!。
[34:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/31(Fri) 16:50)]
レコード草創期
h ttps://idol.ne.jp/record-creation-period
藤原義江など
[35:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/11(Sat) 21:57)]
<「日本の名曲」影を慕いて >
「影を慕いて」は 『日本の名曲』で、現在でもクラッシックコンサートで演奏されています。
h ttp://www.geocities.jp/jose_yacopi1977/2007_12_07malgorzata.htm
PROGRAM
1 「春の海」 作曲:宮城道雄(尺八:森川友博、ピアノ:吉野りん子)
Spring Sea music by MIYAGI Michio
syakuhachi:MORIKAWA Tomohiro,piano:YOSHINO Rinko
2 「アランブラ宮殿の思い出」 作曲:F.タレガ(ギター:中子祐二)
Recuerdos de la Alhambra music by Francisco Tárrega (guitar:NAKAKO Yuji)
3 「バルカローレ」 作曲:A.タンスマン(ギター:中子祐二)
Barcarole music by Alexandre Tansman(guitar:NAKAKO Yuji)
4 「影を慕いて」 作曲:古賀 政男(ギター:中子祐二)
KAGE WO SHITAI TE music by KOGA Masao(guitar:NAKAKO Yuji)
5 「ダニー・ボーイ」 作曲:アイルランド民謡
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ギター:中子祐二)
Danny Boy Irish traditional (soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko,guitar:NAKAKO Yuji)
6 「エーデルワイス」 作曲:R.ロジャース 作詞:O. ハマースタイン2世
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ウクレレ:中子祐二)
Edelweiss music by Richard Rodgers & words by Oscar Hammerstein II
(soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko, ukulele :NAKAKO Yuji)
【曲目解説】
4 影を慕いて (ギター:中子祐二)
KAGE WO SHITAITE(guitar:NAKAKO Yuji)
『影を慕いて』 (かげをしたいて) は歌謡曲の一つ。古賀政男作。藤山一郎の歌でヒットした。歌謡曲としては1931年発表。藤山一郎のヒット曲。作曲者古賀政男の人生の苦悩から生れた昭和流行歌の最高傑作である。
この歌には古賀の人生の苦悩・絶望からの魂の叫びが込められており、古賀政男の人生の歌ともいえよう。
[36:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/03(Sun) 20:44)]
★♪ 第4回ダブルレインボー音楽会 ♪
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html
2.山本 英子 歌唱
「千曲川旅情の歌」(広田 龍太郎作曲)
ピアノ伴奏 宇佐見 幸子
4.宇佐見 幸子 ピアノ演奏
「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)
「ワルツ 69の1」(ショパン作曲)
5.伊藤 勲 ギター演奏
「荒城の月変奏曲」(瀧 錬太郎作曲)
「我が心のアランフェス」(ロドリーゴ作曲)
12.伊藤 和子 琴演奏
「六段の調べ」(八橋 検校作曲)
「千鳥の曲」(吉澤 検校作曲)
13.中野 早苗 歌唱
「影を慕いて」(古賀 政男作曲)
ギター伴奏 伊藤 勲
[37:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/10/06(Tue) 20:31)]
佐藤千夜子の『影を慕いて』
コロムビアのディレクター・伊藤正憲記述に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。
『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。
[38:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/10/18(Sun) 19:07)]
昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで[影を慕いて」「日本橋から」を吹き込み。その一週間後佐藤は日本を後にするが、翌昭和6年(1931)1月に発売された。
来年令和2年(2021)は、昭和96年。「影を慕いて」が世に出て、もうすぐ90年。
藤山一郎のコロムビア盤は昭和7年3月。
90年の「古賀メロディ」の歴史。
「日本のクラッシック 古賀メロディ」・・半世紀にわたる古賀メロディの歴史、それは、日本がまだ貧しかった昭和の初めから、戦前、戦中、戦後の日本の歴史の中でも最も苦難の歴史、大衆歌曲・歌謡曲というものが日本に出来て根ずいて隆盛の歴史そのものである。
[39:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/11/14(Sat) 18:16)]
訂正
来年令和3年(2021)は、昭和96年。「影を慕いて」が世に出て90年。
藤山一郎のコロムビア盤は昭和7年3月。
read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)