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タンゴ100年、日本におけるアルゼンチンタンゴの歴史と古賀政男

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 20:42)]
日本におけるアルゼンチンタンゴの歴史と古賀政男、2014年は日本にアルゼンチンタンゴが伝えられて100年。
80年以上の歴史、日本のクラッシック・古賀メロディ。昭和の初め「影を慕いて」を始めとして、日本の古典音楽を含め広く世界の音楽を取り入れたことで知られる古賀政男の音楽。
その名は日本におけるタンゴの権威、日本タンゴ・アカデミーにも取り上げられる、思えば古賀政男とは日本におけるラテン系音楽の創始者みたいな人だとも言えるだろう。

参考
私のタンゴ年表
h ttp://members.optusnet.com.au/~yhosaka/mytangohistory.html


昭和6年、「月の浜辺」はジプシー短音階、「日本橋から」はタンゴ。
日本におけるアルゼンチンタンゴ第一号、タンゴの名曲でもある。


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 20:52)]
思えば古賀政男とは日本におけるラテン系音楽の創始者みたいな人だとも言えるだろう。
南欧起源の文化である大学マンドリン・オーケストラ(スペイン語でestudiantina)に身を置き、民謡・都市大衆音楽・クラシック音楽の境界領域にある西欧近代音楽のスタイルを吸収し、
ギターとマンドリンが奏でるラテン趣味を日本的叙情歌謡と融合させた。
それが古賀の仕事の一側面ともいえる。

「影を慕いて」「悲しい酒」なども、日本流バルス・クリオージョ((南米風もしくは土地っ子のワルツ)と呼べなくもない。
弟子筋には、アントニオ古賀や鶴岡雅義など、「ラテン畑」の音楽家として日本ポピュラー音楽史に貢献した人びともいる。


[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 20:59)]
古賀政男によって育てられ、テイチクで力を発揮して行くディックミネ、昭和10年(1935)10月発売の「君いずこ」では、ディック本人が訳詞と編曲を担当。
原曲は'SOMEBODY STOLE MY GAL' といい、ビックス・バイダーベックやベニー・グッドマンの楽団の演奏で知られる軽快なナンバー。
「ジーラ・ジーラ」は、フロリダなど日本のダンス・ホールでよく演奏されたアルゼンティン・タンゴで、昭和10年(1935)9月(10月とも)の発売は淡谷のり子とならんでもっとも古い日本語カヴァー。
ディックはこの直後、古賀政男が書いた和製タンゴ「夕べ仄かに」(島田芳文作詞、古賀政男作曲、トーマス・ミスマン編曲)を歌っている他、数多くのタンゴ曲をとりあげている。


[5:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:05)]
「古賀政男にまつわるタンゴ」と して、池田光夫が大事に思っていた古賀政男が、文化交流の一環として藤原義江の斡旋で、昭和の初 めに船でアルゼンチンに渡った時に、ふる里を想う曲として「たれか故郷を想わざる」のような本場 アルゼンチンのタンゴを取り上げて構成。1曲目は、アスセナ・マイサニの故郷を想う曲「ブエノス・ アイレスの詩」LA CANCIÓN DE BS.AS.( A.Maizani- O.Cúfaro-M.Romero合作)2曲目は「メルセ 寺院の鐘」CARILLÓN DE LA MERCED(E.S.Discépolo)古賀政男がディセポロに会ってセンティ ミエントについて、日本の音楽のせつなさとタンゴの持っているせつなさを語り合ったという。来年 の横浜の開港記念会館100周年に寄せて、この曲をピアニストの齋藤晶が日本語で作詞。「山手、丘 の上CARILLÓN DE LA MERCED」歌は若い藤田翔。3曲目は「愛しき故郷」TIERRA QUERIDA (Julio de Caro)フリオ・デ・カロがブラジルなどに演奏旅行した時に、故郷を想って作曲した曲。
2016年5月5日 横浜市開港記念会館 2016年5月5日 横浜市開港記念会館 宮本 政樹
春の芸術祭2016 オルケスタYOKOHAMA 春の芸術祭2016 オルケスタYOKOHAMA
34
TANGUEANDO EN JAPÓN No.38 (2016)
ダンスがAraki & Mayumi。4曲目の「たれか故郷を想わざる」は「バイア・ブランカ」BAHÍA BLANCA (Carlos Di Sarli)。望郷の念にあふれた美しいメロディーはオルケスタ横浜が最も得意とし ている曲。ダンスが若手のAKITO & aia。5曲目は「タンゲーラ」TANGUERA(Mariano Mores)。 古賀政男はマリアノ・モーレスに会った。モーレスは荒城の月をイメージしてタンゲ−ラを作曲。こ の後池田光夫の奥様が紹介され壇上に登場し、花束の贈呈。「池田光夫のタンゴを聴いて、あらため て惚れ直した」と。(日本タンゴ・アカデミー機関誌)


[6:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:14)]
タンゴ日本渡来100年特別講演    (日本タンゴ・アカデミー機関誌 抜粋)

2014年10月25日(土) 18:50開始(18:20開場)
第1部 特別講演(西村秀人)
第2部 アルゼンチン・タンゴ・ミニ・コンサートご紹介予定の音源(一部)
武蔵野管弦楽団「ラ・ベラ・アルゼンチナ」(大正期の日本人の演奏)
モンパルナス・タンゴ・アンサンブル「天国に結ぶ恋」(日本第1号のタンゴバンド)
巴里ムーランルージュ楽員「ラ・クンパルシータ」(戦前来日したフランスのタンゴバンド)
オルケスタ・ロサ「S.O.S.」(日本最初のオルケスタ・ティピカ)
マリアーノ・モーレス楽団「女の嘆き」(古賀政男「青い背広で」のアレンジ)
早川真平とオルケスタティピカ東京「赤い靴のタンゴ」(ティピカ東京の最初のレコード)
坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ「さらば草原よ」(ラジオ放送より)
フェルナンド・テル・トリオ「若者たちが踊るために」(お別れコンサートより)
坂本政一とオクテート・ポルテニヤ「ラ・シルエタ」(平吉毅州作曲のモダンタンゴ)
など


[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:22)]

ダンス:歓喜の歌
作詞・作曲・編曲・
古賀 政男[作曲]. Dufour[編曲]
フロリダ・アルゼンチン・タンゴ・バンド
コロムビア 1934-01


[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:30)]
☆古賀政男とタンゴ

古賀政男は、クラッシック音楽を土台に世界の音楽を広く取り入れた作曲家で知られる。

特にタンゴで古賀政男の世界における存在は大きなものが有る。
佐藤千夜子が歌った「日本橋から」(昭和6年1月 ビクタ―)は日本最初の和声タンゴとして知られる。

昭和14年秋、古賀政男は,外務省の音楽文化親善使節として渡米。ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問。
1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、15分間放送された。
古賀政男アルゼンチンを訪問。Mariano Moresと親交を結び、Moresの楽団演奏で古賀の
「青い背広で」「東京ラプソディ」「望郷の歌」を録音。

古賀の提供した「荒城の月」の楽譜を元に、Tangueraを作曲。 古賀は、アルゼンチンのタンゴのテンポの速さに驚く。

タンゲーラ(Tanguera)とは、マリアーノ・モーレスが作曲したタンゴである。
タンゲーラは、「タンゴ的なもの」という意味である。タンゲーラ(Tanguera)とは、マリアーノ・モーレスが作曲したタンゴである。
「荒城の月」と似たようなメロディーが出てくることでも知られているが、このとき古賀政男の提供したもの。
古賀政男には「荒城の月」の編曲もある。

タンゴダンスにもよく用いられ、よく聴かれる曲である。
マリアーノ・モーレス楽団の演奏が最もよく聞かれるが、他の楽団の演奏もある。

(参考)私のタンゴ年表(保坂)
ttp://members.optusnet.com.au/~yhosaka/mytangohistory.html




[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:37)]
(参考)古賀政男と日本タンゴの歴史


(保坂「私のタンゴ年表」 から参考抜粋)

明治20年 1888
Tangoをタイトルにした楽譜・span class=SpellE>Baltoro・/span>が出版され、これをタンゴ発祥の起源とする。
明治22年  1890
日本最初の音楽学校として1890年5月12日に開校された。


ヤマハオルガン製作所が学校向けオルガンの大量生産を行う。

1904
古賀 政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)
大正14年 1925
日本初のラジオ放送は1925年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(JOAK)より発信。
昭和2年 1926
目賀田綱美男爵、6年に及ぶパリ遊学より帰国。アルゼンチン・タンゴを日本に伝える。


Bianco/Bachicha, Manuel Pizaro、O.T.Victorなどのレコード。


Caminito・・・Fuan De Dios Filiberto 作曲
昭和4年  1929
影を慕いて・・・古賀政男作曲


和製タンゴ「君恋し」大ヒット。作曲・佐々紅華 /作詞・時雨音羽 ,


戦後フランク永井がリバイバル。
昭和5 1930
「アルゼンチンタンゴの踊り方」森潤三郎著発行。上流階級にダンス流行。

タンゴも踊られる。
昭和6年 1931
チェロ奏者の松原興輔、日本初のタンゴ楽団を結成、京橋の日米ダンスホールで出演。

昭和7年 1932
東京音楽学校に作曲科が開設。
昭和8年
1933.5.19 保坂佳秀誕生
伴薫(ピアニスト)正統派のタンゴ楽団として結成。NHKラジオ、国華ダンスホールで活躍。


早川真平、池田光夫、見砂直照を輩出。


桜井潔(バイオリン)タンゴ楽団結成。赤坂フロリダで活躍。
昭和11年 1936
東京ラプソディ・・・古賀政男作曲
昭和12年 1937
高橋忠雄、アルゼンチン訪問。
昭和13年 1938
淡谷のり子Poemaを録音。藤原義江Alma de Bandoneon を録音。藤山一郎、ディックミネ

昭和14年  1939
秋、古賀政男,外務省の音楽文化親善使節として渡米。ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問。

昭和14年秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、15分間放送された。


古賀政男アルゼンチンを訪問。Mariano Moresと親交を結び、Moresの楽団演奏で古賀の


「青い背広で」「東京ラプソディ」「望郷の歌」を録音。古賀の提供した「荒城の月」の楽譜


を元に、Tangueraを作曲。 古賀は、アルゼンチンのタンゴのテンポの速さに驚く。


1935年から、アルゼンチンではテンポの早いD'Arienzo楽団が人気を博していた。
14
1939
江戸川らん子La Cumparsitaを録音。


日本ビクターよりタンゴアルバム発売。高橋忠雄の選曲と解説。「Argentine Album」141ページ
昭和15年 1940
皇紀2600年
保坂佳秀青柳尋常小学校い入学。担任三原先生
昭和16年 1941
Malena ・・・Lucio Demare(9 August 1906 - 6 March 1974)作曲。
昭和16−20年
1941-1945
12月8日太平洋戦争


[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:48)]
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
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☆日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
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☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
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☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
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☆【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】
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☆懐かしの銀座を歌った歌
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☆名前を名にした歌
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☆昭和歌謡が好きな人集まれ!
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[11:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/19(Mon) 21:55)]
☆タンゴ100年、日本におけるアルゼンチンタンゴの歴史と古賀政男
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=542627758&ls=50


[12:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/11/20(Tue) 09:35)]
古賀政男は、テイチク退社後、古賀政男は昭和13年11月から昭和14年10月までという長期に渡って、「外務省音楽親善使節」としてアメリカ各地を訪問しています。この間、NBCでの古賀メロディーの放送やアルゼンチンの作曲家たちとの交流など、古賀政男の音楽人生の中でも大きなトピックとなる出来事が起きています。

南米・アルゼンチンにも回っています。これには、自らの意志と、直前に南米各地、アルゼンチンなど48カ所を南米演奏旅行で回った藤原義江の強い勧めもあったと自伝『わが心の唄』にあります。

そして、古賀政男は藤原義江に見送られて横浜港を出港します。



日本のタンゴ界でも、1937年に声楽家の藤原義江がアルゼンチンで、タンゴを録音し、1940年に作曲家古賀政男も『東京ラプソデイ―』等をタンゴのレコードとして出しています。そして往年のファンにはとても懐かしい早川真平率いる“オルケスタ・ティピカ東京”や歌手藤沢嵐子等が日本のタンゴ黄金時代の荷い手でした。



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