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昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

293 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/15(Sun) 20:02
誰か故郷を想わざる

作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌 :霧島昇


(一)
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を くみながら
唄をうたった 帰り道
幼馴染の あの友この友
ああ 誰か故郷を想わざる

(二)
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ 誰か故郷を想わざる

(三)
都に雨の 降る夜は
涙に胸も しめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああ 誰か故郷を想わざる
     
80年前、太平洋戦争直前昭和15年(1940)発売、西條八十作詞・古賀政男作曲、そのたくさんある名曲のひとつ。


294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:17
昭和とは大正15年(1926)から、昭和64年(1989)まで、60年を越える。

詞というものは、長くなればなるほど、言ってることは狭くなるもの。
逆に簡潔であればあるほど、自分で思い描ける部分が広く、共通部分が広くなり、味わい深くなるもの。
年末の特集番組でもやっていたが、最近の歌はみな歌詞が長く、テンポが早く、しゃべってしまっている。
ほとんどその中に重ね合わさることはすくない。

「泣くな妹よ妹よ泣くな・・・生きて行こうよ、希望にもえて・・」(人生の並木路)

 ・・まずしくとも、まじめにいきていればきっといいことがある・・

豊かさとともに失ってはいけない大切なものがある。

日本がまだ貧しかった時代、「兄弟の絆・兄弟愛」を適切に歌いあげている。

「人生の並木路」、それは味わえば味わうほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。
今の豊かな世ではありえない詩人・佐藤惣之助の傑作だと思います。

日活映画 渡辺邦夫監督1937.1「検事とその妹」(武田敏彦原作「検事の妹」)主題歌

人生の並木路
(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 ) 昭和12年(1937)

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない

2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか

3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る

4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。





295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:26
「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない詩です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。


296 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:33
昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。

「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。
以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。


297 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:40
別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。

古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。


298 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:47
>>294

訂正

正  竹田敏彦原作

299 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/01(Wed) 20:45
>>294

日活映画 渡辺邦夫監督1937.1.8「検事とその妹」(竹田敏彦原作「検事の妹」)主題歌

300 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/02(Thu) 14:59
情景が目に浮かぶ。

301 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/07(Tue) 09:48
「人生の並木路」(佐藤惣之助作詩,古賀政男作曲、ディックミネ)


もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があったが、内容は『神田川』などだった。“四畳半フォーク”が゛“人生の苦悩”じゃ、世も末だなと寂しくなりました。

『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」)の主題歌です。

日本はいつの間にか豊かになりましたが、長く貧しい時代が続きました。昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。

まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。

昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。

今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。

昔は昭和戦前まで、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだす、そんな時代であったことでしょう。このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。

日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、だんだん失われてゆくのは大変残念なことです。
家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。

支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。

そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。
どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。

この歌は、日本人が忘れかけていたことを思い出させてくれます。





302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/07(Tue) 09:55

「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない誌です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。

心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。

・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html



昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。

「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。


以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。

別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。

古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。



古賀政男は、映画会社と提携し多くの映画主題歌を世に送り出した。
特にテイチクでは日活と提携し、「緑の地平線「」や」「人生の並木路」など多くの名曲を送り出した。

初期の、「酒は涙か溜息か」「鳩笛を吹く女の唄」などはまだ無声映画だった。

303 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 08:40
☆藤山一郎と古賀メロディ

藤山一郎がラジオに登場したのは、昭和3年の慶応普通部時代で、それ以来、音楽放送の歴史とともに歩んできた。
『日本放送史』(日本放送協会編)には、「藤山は、《丘を越えて》《影を慕いて》などの古賀政男のいわゆる古賀メロディーで流行歌手としての地位を確立、音楽学校卒業後、増永丈夫の名でクラシック曲を、藤山一郎の名で流行歌曲を歌いのち、指揮者として活躍し、戦前、戦後を通じて放送音楽に重要な役割を果した。」とある。

「藤山一郎」とは、昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」をはじめとする古賀作品をレコード吹き込みにあたっての名前で、これが昭和歌謡史に残る「藤山一郎」の実質的レコードデビュー。

「歌う昭和史・藤山一郎」の原点は昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」「酒は涙か溜息か」・・。

平成四年、国民栄誉賞受賞。愛宕山のNHK放送博物館には彼のコーナーがあり、業績や記念物の展示があり、ビデオが見れる。

ビクター時代の藤山は『燃える御神火』、『僕の青春』などがヒットしたが音楽学校在校中に吹込んだ『古賀メロディー』ほどの大ヒット曲には恵まれなかった。

藤山はこの時期を振り返り、「私の出る幕はなかった」、「レコードの売り上げ枚数をもって至上命題とするプロ歌手の壁は厚かった」と述べている。

ビクターのライバルコロムビアでかつて放ったヒットをしのぐことはできなかった。

ビクターとの契約期間は3年で満了を迎えた。ビクターは藤山との再契約を望んだが、当時コロムビアからテイチクに移籍して重役作曲家になっていた古賀政男はテイチクへの移籍を促した。契約金は1万円であった(ちなみに、同時期の内閣総理大臣の月給は800円)。

1936年(昭和11年)、古賀が作曲した『東京ラプソディ』が販売枚数35万枚のヒットとなった。これにより藤山はB面の『東京娘』とあわせて2万1000円の歌唱印税を手にし、学生時代から抱えていた生家の借金を完済することができた。

PCLによって『東京ラプソディ』を主題歌にした同じタイトルの映画も制作され、藤山が主演した。『東京ラプソディ』と同じく古賀が作曲し1936年に発売された『男の純情』、翌年の『青い背広で』『青春日記』もヒットした。

藤山はこの時期に歌った曲の中から印象に残る曲として、『東京ラプソディ』とともに『夜明けの唄』(大阪中央放送局が1936年に企画した、有名な詩人の作品に歌をつける企画、国民歌謡、国民合唱と呼ばれた)を挙げている。

1933年(昭和8年)3月、藤山は東京音楽学校を首席で卒業した。卒業直後にビクターに入社し、同社の専属歌手となった。ビクターは前年の春から藤山に接触し、毎月100円の学費援助を行っていた。『酒は涙か溜息か』などのヒット曲がコロムビアから発売された曲であったことから藤山はコロムビア入社も考えたが、停学となって以来長らく接触が途絶えた上、ようやく交渉を開始してからも藤山が求めた月給制を拒絶したため、月給100円に加え2%のレコード印税支払いを約束したビクター入社を決めた。

藤山は1931年から1932年にかけておよそ40の曲を吹込んだ。代表曲は古賀政男が作曲し1931年9月に発売された『酒は涙か溜息か』で、100万枚を超える売り上げを記録した。塩沢実信によると、当時の日本にあった蓄音機は植民地であった台湾や朝鮮を含めおよそ20万台で、「狂乱に近い大ヒット」であった。

デビュ−以来、ほぼ古賀政男と多くの「古賀メロディ」」の名曲を歌いあげてきた事で知られる、「古賀メロディ」の最大の功労者・「藤山一郎」の代表的な曲を次にあげる。





304 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 08:53
☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
*コロムビア
キャンプ小唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931年 7月
酒は涙か溜息か (高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲)  1931年10月
丘を越えて   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年12月
スキーの唄  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932年1月
鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1932年2月(井上静雄名)
影を慕いて   (古賀政男作詞、 古賀政男作曲)  1932年3月
*テイチク
東京ラプソディ (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)  1936年7月
東京娘    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
さらば青春  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
男の純情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年8月
大洋の寵児  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
旅の鴎(かもめ)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
回想譜(今城靖児作詞、古賀政男作曲) 映画「女の階級」挿入歌1936.12   加寿子のうたえる…
青春の謝肉祭  (島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936年12月
聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1937.1(日活「検事とその妹」挿入歌)
青い背広で  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
青春日記   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年5月
青春旅情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1938年3月
歓喜の丘   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1938年3月
白虎隊    (鈴木吟亮 詩吟)(島田磐也作詞、古賀政男作曲) 1937.11
*コロムビア
なつかしの歌声 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
春よいづこ   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
働こうぜ友よ  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1941.3
歌えば天国  (西條八十作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、二葉あき子)1941,7
崑崙(こんろん)越えて(大木惇夫作詞、古賀政男作曲)       1941,7
リンゴが紅い (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、松原 操)1941.8
青い牧場 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(奈良光枝)  1943.2
(これ以降、藤山一郎は南方慰問に駆り出され、終戦を迎え抑留となる。日本帰任後,最初にNHKラジオ番組に出たことから主にラジオとの付き合いになってゆく。)

(戦後)
嘆きの小鳩   (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
友情の歌   (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲 1948
愛のカレンダー (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1951
夜の湖     (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲) 1952






305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 09:05
八十と惣之助

大正期の詩人として、西条八十(1892〜1968)と佐藤惣之助(1890〜1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもある。ひとつは、詩のうまさ。もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあらず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家として名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:14
大女優原節子(1920年6月生まれ))の映画初演は昭和10年、15歳の時で、
『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲 監督、1935年)節子 をはじめに戦後まで多くの映画に出演。

その中で、「古賀メロディ」を主題歌とする作品が多い。

『緑の地平線』前篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『白衣の佳人』(阿部豊 監督、( 1936年)由紀子
『検事とその妹』(渡辺邦男 監督、1937年)明子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助 監督、1940年)琴姫
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男 監督、1945年)(冒頭の15分のみ現存、原はクレジットされているが出演場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品)
『麗人』    (渡辺邦男 監督、 1946年)菊小路圭子


307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:29
日活映画1937 渡辺邦男監督「検事とその妹」

 原作 竹田敏彦「検事の妹」


竹田敏彦「検事の妹」;大衆文学大系20 (講談社 1972.)

308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:36
人生の並木路


雪も降れ降れ 夜路のはても
 やがてかがやく あけぼのに
 わが世の春は きっと来る

3番目の詞と4番目の

 生きて行こうよ 希望に燃えて
 愛の口笛 高らかに
 この人生の 並木路

〜この詞に救われる思いがします。
 だれもがそう励まされて人生のたどって来た道すがら、人という物は道の末にあると思う我が世の春を、今も夢見て歩くようです。
 厳しい世は世の中や出逢う人々が辛くあたり意地悪をするわけではないのですね。
 『世の総ての厳しさこそ、幸福の手がかり』
 と、く二人の背にやがては登る太陽の暖かさに励まされて我が人生の並木道を行く姿の中に「常楽我浄」があると聖者は説いた。すなわち・・・
 諸行無常 是生滅法 消滅滅己 寂滅為楽
 『常楽我浄偈』(じょうらくがじょうげ)として世の人々の火灯りとして智慧の灯りを点されていますね。
 この歌を聞くとき何時も、このように思うのですよ。
 これは、私の心の師「盲目の賢者」様から教え諭された事です。


309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:44
「人生の並木路」は、―日活映画「検事とその妹」(1937.1.14)・・竹田敏彦原作の『検事の妹』の映画化・の主題歌で、戦前、戦後2回にわたって映画化されている。
  1937.1.14 日活多摩川 渡辺邦男監督 岡譲二、原節子
  1956.5 新東宝 古賀聖人監督 丹波哲郎,日比野恵子
映画は知らなくとも、「人生の並木路」は、映画を離れて広く時代を超えて愛されています。
日本はいつの間にか豊かになりましたが、昔日本がまだ農村主体の貧しかった時代、
貧乏人の子沢山・・長男とか兄は、弟・妹の面倒を一身にみる、それがあたりまえだったそうです。

「検事とその妹」(昭和12年)という映画は、昭和12年1月、もうすぐ70年ですが、「法の裁きのなかにも人間の情がある」こと
をテーマとしたもので、両親を早々と失い,唯一の妹と貧しい生活を支え合う
という経験をしてきた、被告を裁く検事は、そのため同じような立場にある被告に対して同情の念を禁じ得なかった・・のです。
最近はこのような「人間の情」が余り語られることが無く、こうした人間の情をテーマとしたドラマや映画も、昭和30年代以降、
日本が豊かになるにつれて、めっきりなくなってきたのは残念なことです。
この歌は日本にもそういう時代があったことを教えてくれます。


310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:50
『泣くな妹よ 妹よ泣くな・・』(佐藤惣之助)・・この歌は聴けば聴くほどに味のあるメロディーのすばらしさが存分に味わえる名曲です。
戦時中には「誰か故郷を想わざる」とともに兵士たちの間で最もよく歌われたといわれ,「この歌のおかげで,ぜひ妹の顔をもう一度見ようと
思って,つらい間も生き抜くことができた.」という便りも作曲者のもとに寄せられたそうです。最後に『生きてゆこうよ 希望に燃えて・・』
で結ばれる、簡潔な中に今失われつつある「兄弟の絆」を歌った説得力のあるすばらしい歌だと思います。

h ttp://homepage1.nifty.com/muneuchi/enka/ch13.htm
h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/jinseinonamikimichi.htm

311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:55
愛染かつら


昭和13年〈1938)作品、松竹大船三部作。 ...-

『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎原作の同名小説の映画化、川口松太郎のたっての希望で西條八十に作詞のすべてを依頼。

全編を通じて「子守歌」というい歌詞がいたるところにでてくる。
生みの親、育ての親、この親子の情をテーマとしている。

♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道♪、と歌う「旅の夜風」が有名な戦前の松竹メロドラマの傑作。子持ちの未亡人看護婦・高石かつ枝と、院長の息子で青年医師の津村が恋に落ち、身分の違いや子供の病気など様々なすれちがいを経てついに結ばれる・・・。同時に霧島昇とミス・コロムビアの二人も、この三部作の最後の「愛染夜曲」の最後で、歌詞そのままに結ばれる。


312 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:05
愛染かつら完結篇の主題歌「愛染夜曲」の最後四番目にこうある。

はろばろと はろばろと
愛の山河 今日旅終えて
結ぶ縁(えにし)の 愛染かつら
花よ降れ降れ より添う肩に


「愛染かつら」と共に結ばれる、霧島昇とミス・コロムビア(松原操)に対するはなむけの言葉であると、西條八十は自伝『唄の自叙伝』にかいている。
h ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-aizenzoshi.html

・愛染かつら 1938年(昭和13年)9月10日       
  主題歌 旅の夜風(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞、竹岡信行作曲)ミス・コロムビア

・続・愛染かつら 1939.5.5
  主題歌 愛染夜曲(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 朝月夕月(西條八十作詞、竹岡信行作曲) ミス・コロムビア

・愛染かつら・完結編 1939.11.16
  主題歌 愛染草紙(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
 挿入歌 荒野(あれの)の夜風(西條八十作詞、早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子



313 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:15
新妻鏡

1940東宝映画 小島正二郎原作「新妻鏡』主題歌
作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男

僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(くらし)なら
清いふたりの 人生を
熱い涙で 謳おうよ


314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:34
物が有り余る時代、最近の歌には、感動できる歌がめっきりすくない。一方昔の歌も歌われる機会が少なくなりつつある。

「新妻鏡」・・昭和15年、太平洋戦争開戦直前、東宝映画『新妻鏡』は、目の見えない薄幸の新妻が苦労の果てに結ばれると言う話(小島政二郎原作)で、霧島昇、二葉あき子(戦後、島倉千代子)歌。

まだテレビも無かった時代、昭和は「日本映画黄金時代」。どんな小さな街にも小さな映画館があって、人々は続編を心待ちにしていたのでした。

実は録音されていないが2番と3番の間にもうひとつあって、

  強くなろうよ 強くなれ
  母となる身は 幼児(おさなご)の
  愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
  なんで嵐に あてらりょう

この歌は、すごい重みのある。


男女年齢を問わず勇気ずけられる人生の応援歌です。

これを歌えば、今流行の育児放棄虐待などありえないことでしょう。

簡潔な詞のなかにわすれかけている大切なことが、さりげなくちりばめられた惣之助の詩。

時代を超えて、味わいのある歌だと思います。
ぜひ、オリジナルで聞いてください。

なお、挿入歌に「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (霧島昇、ミス・コロムビア歌) がある。男女年齢を問わず勇気ずけられる人生の応援歌です。






315 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:41
とてもいい曲だと思います。いつまでも残しておきたいですね!。。
現代ではいろんな人が作詞、作曲されていますがこのように心に残る曲がないのが残念でなりません。  
このようなきれいで心に残る曲を後世に
これからも数少ない名曲を大切にみんなで歌い継がれるようにしたいですね!。


316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:00
関種子(1907〜1990)
昭和期のソプラノ歌手。府立第二高女から東京音楽学校に進学。ドイツリートをレーヴェに師事。在学中に結婚し、本科を首席で卒業後、坪内逍遥原作・山田耕筰作曲の歌劇「堕ちたる天女」で楽壇デビュー。クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。
「堕ちたる天女」の抜粋をコロムビアレコードに吹込んだのが縁となり、1931年(昭和6年)同社からデビュー。「窓に凭れて」、「嘆きの夜曲」、「あけみの唄」、「日本橋から」など、主に初期の古賀メロディーをヒットさせている。
一方、武蔵野音楽学校や東洋音楽学校で講師を務め、戦時中は軍需工場への慰問にも参加した。
戦後は、藤原歌劇団、東京オペラ協会などの公演に出演。グルリット・オペラ協会にも参加し、1956年(昭和31年)には、長門美保、佐藤美子、四家文子らとコンセールFを結成した。また、国立音楽大学、名古屋音楽大学の教授、東京藝術大学講師などを務め、門下生も多数輩出している。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%A8%AE%E5%AD%90



317 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:07
あけみの唄 昭和7年(1932年)

作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ


318 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:38
☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。
映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。


昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。




☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。
昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。
映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、90年近くたった今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。
初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。
子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。






319 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:57
☆関 種子と「古賀メロディ」

初期の「古賀メロディ」を支えた歌手・関 種子、ドイツリートのソプラノ歌手のかたわら「古賀メロディ」を中心に、数多くの名曲を 残している。

乙女心    (鹿山鶯村作詞, 古賀政男作曲) 1931.6
青春図絵の唄(貞子の唄)(菊池寛作詩、古賀政男作曲)1931.11
窓に凭れて  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931.12
美わしの宵   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932.1,
金色夜叉(お宮の唄) (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.2
日本橋から  (浜田広介作詩、 古賀政男作曲) 1932.3
秘めたる恋  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.3
さらば上海  (時雨音羽作詞、 古賀政男作曲) 1932.4
あけみの歌   (原阿佐緒作詞、 古賀政男作曲) 1932.5
朝顔の唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.6
笛は冴ゆれど  (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.7
嘆きの夜曲   (西岡水朗作詩、 古賀政男作曲) 1932.7
愛は紅い    (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.9
去りゆく影  (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.1
初恋の唄   (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.3
旭川小唄(新民謡)(波多野勝作詞 古賀政男作曲) 1933.3

乳姉妹の唄 (佐藤惣之助作詩、佐々江華作曲) 1932.6

320 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:05
☆霧島昇の代表曲(古賀メロディ)

誰か故郷を想わざる(西條八十作詞、古賀政男作曲)        1940.2
新妻模様      (久保田省二作詞、古賀政男作曲)(松原操)   1940.3
新妻鏡 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子)1940.6
目ン無い千鳥 (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)(ミス・コロムビア)1940.6
相呼ぶ歌 (西條八十作詞、古賀政男作曲) (菊池章子) 1940.9
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(松原操、李香蘭)1941.7
山の凱歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲)(伊藤久男)   1941.6
思い出の記    (大木惇夫作詞、古賀政男作曲)   1941.12
素晴らしき首途 (西條八十作詞、古賀政男作曲)    1942.5
花の生命     (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲)(李香蘭) 1942.8
故郷の白百合   (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)(松原操) 1943.2
なつかしの蕃社  (西條八十作詞、 古賀政男曲)(菊池章子) 1943.5
勝利の日まで(NHK版) (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)   1944.6

麗人の歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1946
旅役者の唄    (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1946
裏町セレナーデ  (野村俊夫作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1946
旅の舞姫     (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子〉 1947
高原の乙女     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
あの夢この歌   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子〉 1948
三百六十五夜    〈西條八十作詞、古賀政男作曲)(松原操)   1948.9
母を呼ぶ歌 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(高峰三枝子) 1949
希望に燃えて   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(伊藤久男他)  1949
ギタ‐月夜     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1952
白虎隊(詩吟 荒国誠)(島田磬也作詞、 古賀政男作曲)    1952



321 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:18
☆楠木繁夫の代表曲

国境を越えて  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1934.8
男ごころ    (西岡水朗作詞、 古賀政男作曲) 1934.8
白い椿の唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.3
希望の花束 (不詳、古賀政男作曲)      1935.4
ハイキングの唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1935.5
山は微笑む (小西民治作詞、 古賀政男作曲) 1935,8
男のまごころ (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
緑の地平線   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11
啄木の歌    (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1936.4
慈悲心鳥の唄  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.7
護れ国境    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.11
女の階段    (村瀬まゆみ=島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936.12
丹下左膳の唄  (佐藤惣之助作詞、 楠木繁夫歌) 1937.1
スキ‐の唄   (島田芳文作詞 、 古賀政男作曲) 1937.3
やすらいの唄 (百田宗治作詞、 古賀政男作曲)1937.3(1947.12 NHKラジオ歌謡)
嬉しい仲    (テイチク文芸部作詞、古賀政男作曲)(美ち奴)    1937.5
のばせばのびる (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)        1937.7
真実一路の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1937.8
時代の霧   (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)        1937.12
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、古賀政男作曲)(ディックミネ) 1938.1
人生劇場   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1938.6
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲)(李香蘭)    1942.8
どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)        1942.12
歌う狸御殿   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(三原純子)1942.12
月の小島 (西條八十作詞、古賀政男作曲)         1942.12
戦いの街に春が来る(西條八十作詞、古賀政男作曲)(菊池章子) 1943.3
明けゆく蒙古  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1943.3
夏子の歌    (西條八十作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1943.10
いさおを胸に (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲)(松原操)1944.11
カボチャの歌  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1944.11
どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)        1942.12
歌う狸御殿   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(三原純子)1942.12
月の小島 (西條八十作詞、古賀政男作曲)         1942.12
戦いの街に春が来る(西條八十作詞、古賀政男作曲)(菊池章子) 1943.3
明けゆく蒙古  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1943.3
夏子の歌    (西條八十作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1943.10
いさおを胸に (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲)(松原操)1944.11
カボチャの歌  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1944.11




322 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:26
☆ディックミネの代表曲(古賀メロディ)

恋は荷物と同じよ (瀬川与志=サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(川畑文子)1935.6
望郷の唄    (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1935.7
二人は若い (玉川英二作詞、 古賀政男作曲) 1935.10(星玲子)
波止場がらす (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
夕べ仄かに   (島田芳文作詩、 古賀政男作曲) 1935.11
ゆかりの唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11(台詞:星玲子)
白衣の佳人の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.3
愛の小窓    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.10
人生の並木路 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937.1(テイチク1200)
ギターに寄せて (星野貞志作詞、 古賀政男作曲) 1937.5
恋のハワイ   (吉本英夫作詞、 古賀政男作曲) 1937.12
黄河の月 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(三根耕一名)1938.7
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲) (楠木繁夫)  1938


323 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:34
☆李香蘭の歌う古賀メロディ

さらば上海 (時雨音羽作詞、古賀政男作曲)李香蘭1939.9(初唱1932関種子)
紅い睡蓮     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1940.11
興亜三人娘 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)奥山彩子、李香蘭,白光1940.12
黒き宝       (西条八十作詞、古賀政男作曲) 李 香蘭 1941.6
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(霧島昇、松原操、李香蘭)1941.7
夜霧の馬車 (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
北京の子守唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
迎春花(インチュンホワ)(西條八十作詞 古賀政男作曲)李香蘭 1942
夕月乙女   (西條八十作詞、古賀政男作曲)   李香蘭 1942.7
花の生命      (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲) 霧島昇、李香蘭 1942.8
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲) 楠木繁夫、李香蘭 1942.8

荒城の月(土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲、古賀政男編曲)、明大マンドリンクラブ伴奏、李香蘭 1942.9 COL100542

宵待草  (竹久夢二作詞、多忠亮作曲、古賀政男編曲)李香蘭、明大マンドリンクラブ伴奏1942.9 COL100542

若き日の夢    (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1943.3
サヨンの歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1943.5


324 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:52
☆佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品

童謡、新民謡、歌謡歌曲、新日本音楽を含めて、100曲を超えるレコード歌手第一号・佐藤千夜子歌唱のレコード作品,その代表的なもの。

青い芒(すすき)1924(野口雨情作詩・中山晋平作曲)   大正13年(内外蓄音機)
紅薔薇   (林愛雄作詞、宮城道雄作曲)ビクター50698 新日本音楽
こすもす      (与謝野晶子作詞、宮城道雄作曲)  同
ひばり  1929.4(西條八十作詞、 宮城道雄作曲)   同
鶯の夢 1928.5(野口雨情作詞、 中山晋平作曲)  ビクター50313
波浮の港 1928.5 (野口雨情作詞、 中山晋平作曲) ビクター50313
マノン・レスコオの唄1928 .5  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50321
旅人の歌 1928.12 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50502
信田の藪  1936吹込(野口雨情作詞、藤井清水作曲1922) ビクター53876
当世銀座節   1928.7  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター-50371
須坂小唄 1928.8  (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50385
出船の港 1928.12 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲) ビクター50502
毬と殿様   1929 ,2 (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50624
東京行進曲  1929.6  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50755
君恋し    1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲) ビクター50881
青い芒    1929.9 (野口雨情作詩, 中山晋平作曲) (再吹込)ビクター50901
鎮西小唄 1929 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
上州小唄   1929 .5 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
鉾をおさめて 1929.7 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲)   ビクター50776
港おどり  1929.8 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
愛して頂戴  1929.8 (西條八十作詞、松竹蒲田音楽部(中山晋平)作曲)50901
黒百合の花  1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50881
紅屋の娘   1929,6 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクタ‐50755
摩天楼 1929.9 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50936
文のかをり  1929 (古賀正男作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
娘心も    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
青い小鳥   1929 (不詳 、  古賀正男編曲)ビクター51464 (1930.12 発売) *
風の鈴蘭   1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51698B(1931.6発売)
片想い    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51688A (1931.6発売)
母の歌    1930.1(鶴見祐輔作詞、 中山晋平作曲) ビクター51027@
唐人お吉の唄(黒船篇)1930.2(西條八十作詞、中山晋平作曲)  ビクター51093
この太陽   1930.6  (西條八十作詞、  中山晋平作曲) ビクター51240
琵琶湖シャンソン1930 (西条八十作詩・中山晋平作曲)
影を慕いて  1930 (古賀正男作詞、古賀正男作曲)ビクター51519B(1931.1発売)
日本橋から  1930 (浜田広介作詞、古賀正男作曲)ビクター51519A(1931.1発売)


325 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 08:13
>>303-304,>>311-319-324

改めて藤山一郎のさんの歌う[古賀メロディ]は、今のクラッシック歌手でも歌えない。
もちろん素人には簡単に歌えない歌だと痛感します。
歌詞も一流の詩人・文学者とも言うべき人が作詞してたりしましたね。
そう考えると、最近はチンピラ作曲家にチンピラ作詞家にチンピラ歌手、
レコード会社も芸能事務所もヤクザな稼業…。


昭和前半の歌は現在のプロでも簡単に歌えない歌、とても素人歌手には無理です・。
・。よく分かります。


ステレオ再録音は編曲も悪いし旧録音には到底及ばない


326 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 09:11
<古賀メロデーの抒情歌>

ほかにもたくさんあるが・・

影を慕いて(古賀政男)
丘を越えて(島田芳文)
月の浜辺 (島田芳文)
ハイキングの唄(島田芳文)
夕べ仄かに(島田芳文)
人生の並木路(佐藤惣之助)
白い椿の唄(佐藤惣之助)
さらば青春(佐藤惣之助)
誰か故郷を想わざる(西条八十)
あの花この花(西条八十)
青い牧場(サトウハチロー)
故郷の白百合(サトウハチロー)
雲のふるさと(大木敦夫) 国民歌謡
やすらいの歌(百田宗冶)  国民歌謡、ラジオ歌謡
ピレネーの山の男(西条八十)
りんどう峠(西条八十)


327 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 09:16
<古賀メロデー 青春・叙情歌>  藤山一郎歌

東京ラプソデイー (門田ゆたか)1936年6月(映画「東京ラプソデー」主題歌)
 ♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で・・
東京娘 (佐藤惣之助)1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
 ♪東京娘の 東京娘の初恋は・・
さらば青春(佐藤惣之助)1936年7月 (日活「慈悲心鳥」挿入歌)
 ♪愛と希望に身はきずつきて・・
男の純情(佐藤惣之助)(映画「魂」主題歌)1936年8月
 ♪男いのちの純情は 燃えて輝く金の星・・
愛の小窓(佐藤惣之助)(映画「魂」挿入歌)1936年8月 (デイックミネ)
 ♪花の都に身をすねて 若きいのちを散らすやら・・
回想譜(今城請児)1936年10月  (日活「女の階級」挿入歌)
 ♪星みれば はろかに遠く 雲見れば つきせぬ思い
青春カーニバル(青春の謝肉祭)(島田欣也・野村俊夫)  1936年11月
 ♪若き日の憧れを胸に抱き・・
青春日記(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪初恋の涙にひそむ花びらを 水に流して泣きくらす あわれ一九の春の夢・
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助)1937年5月(西條八十原作、東宝映画「白薔薇は咲けど」主題歌)
 ♪若き日に 溢るる胸の せつなさは 夢の空の 紅の色 野薔薇に虹は 消ゆるとも
  涙は消えぬ スーベニル
青い背広で(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪青い背広で心も軽く・・
青春旅情 (佐藤惣之助)1938年3月
 ♪たそがれの波止場に一人泣きに行く ああ青春の・・
歓喜の丘 (島田芳文)1938年3月
 ♪あこがれの丘にきて 萌ゆる瞳に仰ぎ見る 空は青空 日はうらら・・
春よいずこ(西条八十)
 ♪おもいでは おもいでは 青い背広の・・


328 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 15:22
白 い 椿 の 唄
(作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 )  (昭和10年) 
1 雪もかがやけ 青春の
  花は涙の おくりもの
  風にきびしく 泣きぬれし
  あわれ乙女の 白つばき


2 宵の酒場に 咲く花は
  燃えてほのぼの 誰を待つ
  ながきまつ毛の 横顔も
  夢にやつれし 白つばき


3 呼べど返らぬ 面影は
  きえてはるかな 山の上
  月にささげて ひとり泣く
  あわれ涙の 白つばき

呼べど返らぬ 面影は・・これは、古賀政男が母を亡くしたその思いと重なる。
この歌は菊池寛原作「貞操問答」主題歌、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にあたるようなうた。



329 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 15:41
◇戦後の主な古賀メロディ・・
圧倒的に西條八十が多い!。
麗人の歌     1946(〈西條八十作詞 霧島 昇歌〉
悲しき竹笛    1946(〈西條八十作詞 近江敏郎、奈良光枝歌〉
こころ月の如く  1947〈西條八十作詞 二葉あき子歌〉
旅の舞姫     1947(〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌
嘆きの小鳩    1947 (西條八十作詞、藤山一郎歌)
あの夢この歌   1948〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌〉
三百六十五夜   1948〈西條八十作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
恋の曼珠沙華   1948〈西條八十作詞 二葉あき子歌)
湯の町エレジー  1948(野村俊夫作詩 近江俊郎歌)
雨の夜汽車    1948(西條八十作詞、奈良光枝歌)
待ちましょう   1948(西條八十作詞、松田トシ歌)
トンコ節     1948(西條八十作詞、久保幸江歌)
誰に恋せん    1948(藤浦洸作詞、 高峰三枝子歌)(大映映画「誰に恋せん」主題歌)
友情の歌     1948(藤浦洸作詞、藤山一郎歌)  (大映映画 『誰に恋せん』挿入歌)
なつかしのヴエノスアイレス1948(藤浦洸作詞、二葉あき子歌)
シベリヤエレジー 1948(野村俊夫作詞、伊藤久男歌)
愛の灯かげ    1949(西條八十作詩 近江俊郎、奈良光枝歌)
夢よもう一度   1949(西條八十作詩 二葉あき子歌)
希望に燃えて   1949 NHKラジオ「希望音楽会」テーマソング/新東宝映画「影を慕いて」より)(*)
(サトウハチロー作詞、伊藤久男、霧島昇、近江俊郎、二葉あき子、奈良光枝、高倉敏歌)
湯の町夜曲    1949(野村俊夫作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』主題歌)
たそがれの湖   1949(西條八十作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』挿入歌)
赤い靴のタンゴ  1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)
嘆きの孔雀    1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)(新東宝映画「処女宝」主題歌)
愛のカレンダー  1951(西條八十作詞、藤山一郎歌)
青いガス燈    1951(野村俊夫作詞、岡本敦郎歌)
夜の湖      1952(藤浦洸 作詞、藤山一郎歌)
ギター月夜    1952(西條八十作詞、霧島昇歌)
富士エレジー   1952(西條八十作詞、青木光一歌)
ゲイシャワルツ  1952(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
ザビエルの鐘   1953(西條八十作詞、青木光一歌)
見ないで頂戴お月様1953(野村俊夫作詞、神楽坂はん子歌)
長崎ブルース   1954(藤浦洸 作詞、山一郎歌)
湖畔のギター   1954(野村俊夫作詞、霧島昇歌)
おらんだ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよこ歌) (映画「春色お伝の方」挿入歌)
湯の町椿     1954(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
渚の子守歌    1954(西條八十作詞、織井茂子歌)
浪花ばやし    1954(西条八十作詞、青木光一神楽坂歌)
オランダ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよ子歌)
ピレネエの山の男 1955(西條八十作詞、岡本敦郎歌)
娘船頭さん    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌)(松竹キネマ「娘船頭」主題歌)
シクラメン咲けど 1955(西條八十作詞、奈良光枝歌) (映画「暁の合唱」主題歌)
りんどう峠    1955(西條八十作詞、島倉千代子歌)


330 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 15:48
花のゆくえ    1955(門田ゆたか作詩、及川由子歌)(ラジオ東京『花のゆくえ』主題歌)
怒涛の男     1955(野村俊夫作詞、美空ひばり歌)  (映画「力道山物語」主題歌)(原曲「櫛巻きくずし」)
都に花の散る夜は 1955(丘灯至夫作詞、青木光一歌) (原曲は「さらば青春」)
逢わないで      (西條八十作詞、山本富士子歌)
恋の曽根崎    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌) (『曽根崎心中』より)
お染久松     1955(西条八十作詞、空ひばり歌)
乙女心の十三夜  1956(西條八十作詩、島倉千代子歌) (映画「乙女心の十三夜」主題歌)
青春サイクリング 1956(田中喜久子作詞、小坂一也歌)
馬喰一代     1957(野村俊夫作詞、村田英雄歌)
思い出さん今日は 1958(星野哲郎作詞、島倉千代子歌)
無法松の一生   1958(吉野夫二郎作詞、村田英雄歌)
夜の酒場     1958(西條八十作詞、宝田明歌)
白い小ゆびの歌  1960(関沢新一作詞、島倉千代子歌)
雪之丞変化    1963(西條八十作詞、美空ひばり歌)
遊侠街道     1964(西條八十作詞、美空ひばり歌)
東京五輪音頭   1964(宮田隆作詞、 三波春夫歌)
柔        1964(関沢新一作詞、美空ひばり歌)
悲しい酒     1966(石本美由起作詞、美空ひばり歌)
我が心の歌    1968(古賀政男作詞、アントニオ古賀歌)
銀座音頭     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
若い銀座     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
(明治百年大銀座祭記念作品、「銀座音頭」とともに西條八十最晩年の作品でもある。)
浜昼顔      1974(寺山修司作詞、五木ひろし歌)(原曲は「さらば青春」)
ひろしまの母   1977(石本美由起作詞、島倉千代子歌)





331 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 22:45
関種子さんは、1931年にコロムビア専属。古賀政男氏コロムビア専属第1回作品『乙女心(鹿山鶯村作詩)』から次々に古賀メロディのヒット曲をレコーディング。1932年の『朝顔の唄(佐藤惣之助作詩・古賀政男作曲編曲・関種子歌唱)』は、古賀氏が「ヒットにならないかもしれないが、良い歌を作ってみたい」と佐藤氏に伝え発表された曲。1934年に古賀氏がコロムビアからテイチクへ移籍。1935年『雨に咲く花(高橋掬太郎作詩・池田不二男作曲編曲)』ヒット直後、歌詩内容が「感傷的すぎる」とプレス中止。関さんはコロムビアでの歌手活動に消極的となったようです。当時、東京音
楽学校出身の方々が歌謡曲を歌うことにはかなりの批判があったようで、例えば伊庭孝氏は「四家文子も関種子も、アルトでもなければソプラノでもない」。伊庭氏は音楽評論家でもあり、幅広い分野のエンターテイメント・アーティストを応援なさった方。伊庭氏のコメント内容は、かつて「浅草オペラ」に音楽学校関係者の大きな批判があったことも元となってるんではないでしょうか。また、四家さんは西条八十氏の作品をビクターで多数レコーディング。伊庭氏「『東京行進曲』のような唄が流行るから、大衆の音楽が荒れる」。西条氏「はやりうたは、大衆が支持するから流行る。私の作品を批判するなら、大衆を批判するべきだ」。伊庭氏と西条氏は仲が良くなかった。関種子さんは、東洋音楽学校声楽科教授だった1937年に日本ポリドール専属。『じゃがたら文(大木惇夫作詩・阿部武雄作詩作曲・関種子歌唱)』は独特な雰囲気です。また、クラシック曲カヴァーも意欲的にレコーディング。

332 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/09(Thu) 22:57
古賀政男は大正から昭和の初めにかけて中山晋平の歌(晋平節といった)を世に広めた歌手・佐藤千夜子の力添えで誕生した、26歳だった。

古賀政男のコロムビア専属第一作は1931年5月『乙女心』(関種子)♪朧月夜のその頃に・・ である。 今有る歌の殆どはまだ存在しなかった。

『乙女心』『窓に凭れて『日本橋から』『あけみの唄』『美わしの宵』『嘆きの夜曲』『青春図絵の唄』『朝顔の唄』『笛は冴ゆれど』『愛は紅い』『秘めたる恋』(関種子)、『キャンプ小唄』『スキーの唄』、『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』(藤山一郎) 、『月の浜辺』(河原喜久恵)、『私此頃憂鬱よ』『アリランの唄』『春の唄』(淡谷のり子)・・

古賀政男は、デビューした最初の1年で記録的なヒットを飛ばし続け、歌謡界の寵児、コロムビアの顔となる。

支える歌手は、関種子、藤山一郎、河原喜久恵(以上、東京音楽学校)、淡谷のり子(東洋音楽学校)など音楽学校出身者。このうち関種子、藤山一郎は主席。そしてコロムビアで地歩を固めた古賀政男は、明大マンドリンクラブの同輩後輩などをコロムビアに呼び寄せます。

古賀政男の音楽は、洋楽を基本に、仏教音楽以来の日本の伝統音楽を含めて、ジプシーの音楽など世界のさまざまな音楽を学んで取り入れたもので、その後の歌にも影響を与えているといえます。

『日本橋から』・・ 和製タンゴ第1号。ハバネラタンゴのリズムが使われている。
『月の浜辺』・・・ セレナーデ風の佳曲。ジプシー音楽(ジプシー短音階)。


333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 10:19
古賀政男は初期の「影を慕いて」と裏表の【日本橋から】(1931)、今「お江戸日本橋」の代わりに日本橋の番組によく使われる日本初のアルゼンチンタンゴ【日本橋から】。

現在では。「お江戸日本橋」に代わり、日本橋の歌としてよく使われている。

「プレクトラム演奏家古賀正男(古賀政男)作曲、明治大学マンドリン倶楽部演奏、佐藤千夜子歌唱による「日本橋から」「影を慕いて」です。レコーディングは昭和5(1930)年10月20日。
この「影を慕いて」の演奏は明治大学マンドリン倶楽部から選抜された複数のギター奏者によるもので、メンバには「古賀正男」に後輩の竹岡信幸が加わっています。

日本橋から 佐藤千夜子 1930(浜田広介作詞、古賀正男作曲)ビクター51519A(1931.1発売)
日本橋から 関 種子  1932(濱田広介作詞・古賀政男作曲・井田一郎編曲)  コロムビアオーケストラ  コロムビアレコード26748-B
 
1 お江戸日本橋 師走も暮れる
  橋の上から あちらを見たりゃ
  あちら葭(よし)町 人形町で
  ヤレサ 鳴るのは 三味太鼓


2 お江戸日本橋 今年も暮れる
  橋の上から こちらを見たりゃ
  ならぶ建物 ほこりの雲で
  ヤレサ 悲しい 入日空(いりひぞら)


3 お江戸日本橋 さいふが空で
  橋の上から 遠くを見ても
  どこえ行こうか ゆく手が見えぬ
  ヤレサ お江戸の 思案橋





334 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 10:30
緑の地平線

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、
唄:楠木繁夫

1 なぜか忘れぬ人ゆえに
  涙かくして踊る夜は
  濡れし瞳にすすり泣く
  リラの花さえなつかしや

2 わざと気強くふりすてて
  無理に注がして飲む酒も
  霧の都の夜は更けて
  夢もはかなく散りて行く

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線

緑の地平線は、 昭和10年(1935)に日活多摩川撮影所で制作された同名の映画の主題歌。
古賀メロディーの傑作の1つ。
映画は3人の女性が紆余曲折の末、真の愛に目覚めるといったストーリーで、ゆかり役の原節子、岡譲二などが出演しました。


335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 10:47
ゆかりの唄

作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
歌 :ディック・ミネ (台詞;星玲子)

都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は
露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命

(台詞)
あゝ傷つきぬわが胸は、真白きリラの花のごと、
一人さびしく夕月に、すすり泣きつつしのびつつ、
あわれ今宵も散りて行く、ああ美わしの花よ、
なれの名は乙女、はかなくも消え行く雪よ、
なれの名も乙女、紅そめし頬も、
みどりのくろ髪も、束の間の秋の嵐にちりゆく。

高嶺の白雲 ほのかになびけど
わが夢は
さびし浅間の煙の影
嘆けどうつつに 消えゆきて
あゝ短きは 乙女の命



1935年日活映画『緑の地平線』の挿入歌。(「緑の地平線」のB面)いずれも佐藤惣之助の詩、星玲子の朗読があり、日本最高のジャズシンガーの称号を持つディック・ミネが歌唱しました。戦後、藤山一郎も歌っている。

「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲,楠木繁夫歌)とは前奏から対照的に、繊細な乙女の心情を描く物静かな名曲。

第1級の詩人の」すばらしい名詩を存分に味わえる「古賀メロディ」の魅力。古賀は「詩はお姉さん.曲は弟」と言って詩を大切にした。

詩人・佐藤惣之助の詩になる古賀メロディの名曲たる「緑の地平線」の挿入歌「ゆかりの唄」・・、その名詩と名曲を存分味存分わってください。


336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 10:52
>>333

3番訂正

日 本 橋 か ら
作詩 浜田広介  作曲 古賀政男
昭和6年

1 お江戸日本橋 師走も暮れる
  橋の上から あちらを見たりゃ
  あちら葭(よし)町 人形町で
  ヤレサ 鳴るのは 三味太鼓

2 お江戸日本橋 今年も暮れる
  橋の上から こちらを見たりゃ
  ならぶ建物 ほこりの雲で
  ヤレサ 悲しい 入日空(いりひぞら)

3 お江戸日本橋 さいふが空で
  橋の上から 遠くを見ても
  どこえ行こうか ゆく手が見えぬ
  ヤレサ お江戸の 思案橋

337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 10:57
昭和の歌・・・いいですね。
昨日息子が美空ひばりの古賀メロディーのCDを買ってくれました。私が生まれる前の曲と思います。
日本語が奇麗で今では味わえない曲の懐かしさ。
多分両親が口ずさんでたのでしょう。今聞いてるのは 「影を慕いて」 「目ン無い千鳥」 「湯の町エレジー」
知らない曲もあります。「女の階級」「日本橋から」・・・

338 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 11:29
【古賀メロディ】とは、レコード歌謡創世記、昭和6年(1931)頃から戦後に至る昭和の歌謡史を作った哀調を帯びたトップブランド。


昭和のはじめからの長い歌謡曲の歴史の中で実に多くの歌ができ、多くの作曲家もでた。
その中で、トップブランド「古賀メロディ」。

殆どの作曲家が戦後などある時期を中心として断片的で、メジャ―なヒット曲と言われるものも、せいぜい10曲程度であるのに対し圧倒的。

半世紀にわたる古賀政男の歴史は、昭和1桁から昭和53年に亡くなるまで、日本における大衆歌謡の歴史そのもの。

影を慕いて、丘を越えて、東京ラプソディなど、数えきれない名曲、文句なしのたくさんのヒット曲・名曲を世に送り出し、80年を超えた現在でも時代を超えた普遍性をもって歌われ演奏され続け
ているのは驚嘆に値する。

339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/10(Fri) 14:54
関 種子(せき たねこ、1907年(明治40年)9月18日 - 1990年(平成2年)6月6日)は昭和期のソプラノ歌手。本名秋山種子。
h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/関種子

岡山県出身。小学生の頃から琴に親しみ、上京後、府立第二高女から東京音楽学校に進学。ドイツリートをレーヴェに師事。在学中に結婚し、本科を首席で卒業後、坪内逍遥原作・山田耕筰作曲の歌劇「堕ちたる天女」で楽壇デビュー。クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。
「堕ちたる天女」の抜粋をコロムビアレコードに吹込んだのが縁となり、1931年(昭和6年)同社からデビュー。「窓に凭れて」、「嘆きの夜曲」、「あけみの唄」、「日本橋から」など、主に初期の古賀メロディーをヒットさせている。また、1935年(昭和10年)には新興映画「突破無電」の主題歌「雨に咲く花」が約50万枚[1]を売り上げるヒット。この曲は日中戦争開戦後、歌詞が女々しいという理由で発禁処分となった[1]。1936年(昭和11年)、国民歌謡が始まると奥田良三らと共に、しばしば歌唱指導に起用された。1937年(昭和12年)、ポリドールに移籍し、「じゃがたら文」「初恋の丘」「明日なき恋」「千人針」「戦陣訓の歌」などをレコーディングしている。一方、武蔵野音楽学校や東洋音楽学校で講師を務め、戦時中は軍需工場への慰問にも参加した。
戦後は、藤原歌劇団、東京オペラ協会などの公演に出演。グルリット・オペラ協会にも参加し、1956年(昭和31年)には、長門美保、佐藤美子、四家文子らとコンセールFを結成した。また、国立音楽大学、名古屋芸術大学の教授、東京藝術大学講師などを務め、門下生も多数輩出している。
1974年(昭和49年)紫綬褒章を受章。1981年(昭和56年)には勲四等宝冠章を受章した。
1990年(平成2年)6月6日に腎不全で死去。満82歳没。娘は女優の関弘子である。


340 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/11(Sat) 17:45
悲しき子守唄

作詞:西条八十
作曲:竹岡信幸
歌唱:ミス・コロムビア(松原操)
昭和13年(1938年)

(一)
可愛いおまえが あればこそ
つらい浮世も なんのその
世間の口も なんのその
母は楽しく 生きるのよ

(二)
可愛いお目目よ 丸い手よ
見れば撫でれば 悲しみも
忘れていつか 夢の国
母は涙で 笑うのよ

(三)
つらい運命(さだめ)の 親子でも
吾が子は吾が子 母は母
神様だけが 知っている
たまに逢う日の 子守唄


「悲しき子守唄」は昭和13年に大ヒットした松竹映画<愛染かつら>の主題歌の一つ。
川口松太郎原作、生みの親、育ての親、親子の絆をテーマとしたもので、すべて
西条八十作詞、随所に「子守歌」という言葉が出てくる。
80年を超えた今でも普遍性を持って生きて行ける名曲である。、

<愛染かつら>三部作の主題歌

「旅の夜風」(西条八十作詞、万城目正作曲)、
「愛染夜曲」(西条八十作詞、万城目正作曲)、
「愛染草紙」(西条八十作詞、万城目正作曲)

「悲しき子守唄」は昭和13年に大ヒットした松竹映画<愛染かつら>の主題歌の一つです。
「朝月夕月」(西条八十作詞、竹岡信幸作曲)、
「荒野(あれの)の夜風」(西条八十作詞、早乙女光作曲)、



341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/11(Sat) 22:54

   愛染草紙

     
   作詞:西条八十
   作曲:万城目正
   歌唱:霧島 昇  ミス・コロムビア
   

     (一) 
     流れくる 流れくる
     君がやさしの 歌声かなし
     男涙は ながさぬものを
     何で泣く泣く 荒野(あれの)の夜風

     (二) 
     ひとすじの ひとすじの
     愛の燈灯(ともしび) 君ゆえ聖い
     呼ぶな我が子よ 悲しい母を
     遠い故郷 夕日が落ちる

     (三)
おもいでの おもいでの 
加茂の柳よ 比叡の月よ 
離れ離れの ふたりの胸に
返れあの日の 見果てぬ夢よ              
  
 (四)  
はろばろと はろばろと
     愛の山河 今日旅終えて
     結ぶ縁(えにし)の 愛染かつら
     花よ降れ降れ より添う肩に


        

342 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 23:31
昭和SPレコード歌謡番組を待望する。

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=578828634&ls=50

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