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昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 22:31
玉川映二,星野貞志は、サトウハチロ―の別名。
詩人サトウハチロ―(佐藤八郎)は西条八十の弟子で,他に山野三郎、倉中佳人,倉中房雄など多くの別名を持つ。

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 15:43
昭和7年(1932年)

あけみの唄
作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ



「佳人よいずこへ」主題歌、歌人原阿佐緒作詞、関種子は東京音楽学校主席卒業、
初期の古賀メロディを支えた歌手。
もう一つの「佳人よいずこへ」は淡谷のり子歌。





☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。

昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。

映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。


原阿佐緒は、明治40年(1909年)、新詩社に入って与謝野晶子に師事、『スバル』に短歌を発表。『スバル』終刊後は『アララギ』に移り、今井邦子や三ヶ島葭子とともにアララギ女流の新鋭と見なされるようになる。
アララギ派の女流歌人、美貌の持ち主であり若くからさまざまな恋愛問題を引き起こしてきた。
昭和7年( 1932年)、直木三十五の紹介で「大衆文芸映画社」に入社、阿佐緒が原作を書き女優として主演したサイレント映画『佳人よ何処へ』(監督福西譲治)が製作され、同年6月1日に新興キネマが配給して公開された[2]。

同作の公開に先行し、阿佐緒が作詞し古賀政男が作曲・編曲、淡谷のり子が歌った同名の主題歌「佳人よ何処へ」、および美貌のソプラノ歌手関種子が歌った『あけみの唄』を、日本コロムビアが同年5月に発売している。



・原阿佐緒歌集
涙痕 歌集 東雲堂 1913
白木槿 歌集 東雲堂書店 1916
うす雲 歌集 不二書房 1928
原阿佐緒抒情歌集 平凡社 1929
原阿佐緒全歌集 小野勝美編 至芸出版社 1978.6
死をみつめて 歌集 短歌新聞社 1995.9 (短歌新聞社文庫)
原阿佐緒自伝・黒い絵具 西田耕三編・制作 耕風社 1997.8 (みやぎ文学館ライブラリー)



・原阿佐緒作品
『恋人形の唄』: 作曲・編曲堀田公明、歌唱淡谷のり子、ポリドール、1931年3月
『浪花小唄』: 作曲山野芳作、編曲奥山貞吉、歌唱かね本幾松、タイヘイ、1933年12月
『あけみの唄』: 作曲・編曲古賀政男、歌唱関種子、コロムビア、1932年5月
『佳人よ何処へ』作曲・編曲古賀政男、歌唱淡谷のり子、コロムビア、1932年5月
『山の娘』: 作曲・編曲・演奏高倉彰、歌唱三浦環、コロムビア、1940年7月


『原阿佐緒の生涯 その恋と歌』、小野勝美、古川叢書、古川書房、1974年




415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 18:49
昔は、昭和の初めごろは、大方、詩人が詩を作り、作曲家が曲を作り、歌手たちが歌った。
歌手達は、たいてい音楽学校出身者で、オペラとかにも出演していた。

古賀メロディを支えた藤山一郎、関種子など東京音楽学校(現、東京藝術大学音楽学部)の首席であった。

今こうした本格的な歌手・声楽家が歌った歌を歌えるものがいない状況。

416 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 18:57
歌は「童謡」の中に入ったとき、[愛唱歌]になると思うが、「影を慕いて」は、今や「古賀メロデー」を越えて,童謡その他の愛唱歌と渾然一体になって、[日本の愛唱歌][日本の名曲]「人生の主題歌」になっているのではないでしょうか。


寺山修司編「日本童謡集」(光文社1972)という本がある。その前書きには、『優れた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる、一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。』・・と。そして、『映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。』・・として、広い分野の歌を集めてあるのが特徴。『赤い靴』『青い眼の人形』から 、古賀メロデー『影を慕いて』『人生の並木路』・・など優れた童謡としてあげられている。

417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/27(Fri) 21:19
八十と惣之助

  大正期の詩人として、西条八十(1892ー1968)と佐藤惣之助(1890ー1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもあ る。ひとつは、詩のうまさ。もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあ らず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家とし て名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。


418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/29(Sun) 17:45
「浮き草の唄」「十九の春」「気まぐれ涙」「秋の銀座」「並木の雨」「河原ススキ」「ヒュッテの一夜」「月のキャンプ」「峠の雨」「真白き富士の根」「乙女鳥」「「そんなのないわ」「旅の夜風」「悲しき子守唄」「母の歌」「一杯のコーヒーから」「港の歌」「愛染夜曲」「朝月夕月」「乙女七人」「日本よい国」「愛染草紙」「荒野の夜風」「新妻模様」「目ン無い千鳥」「楊柳芽をふく頃」「大空に祈る」「三百六十五夜」 コロンビアAL・5070〜1

ミス・コロンビア・松原 操の歌謡曲のSP録音を復刻したセットである。彼女は昭和6年に東京音楽学校を卒業し、クラシックの声楽家として活動していたが、コロンビアにスカウトされ歌謡曲も歌うようになった。
彼女の歌を聴いていると、かつて存在したが今はもう失われた日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑といった要素をその歌唱の中に昇華し結晶化しているように思われる。大げさな言い方になるかもしれないが、西洋音楽の歌唱において日本らしさ、日本的スタイルがここに確立しているとみることができる。そして彼女以後、これ程、日本的な良さを感じさせる歌手は出なかった。その意味でまことに貴重な記録がここにあるといえよう。
また、彼女のノンヴィヴラートの発声を聴いていると、ヴィヴィラートというのは、あってもいい場合もあるという程度に理解すべきことが痛感される。中世ルネッサンスの宗教曲等でヴィヴラートがあると困る場合はあっても、逆にヴィヴラートがなくてはならないという曲はないのではないかということである。

419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 23:18
月の浜辺    

作詞:島田 芳文 作曲:古賀 政男
唄:河原 喜久惠
昭和6年(1931)

1.月影白き 波の上
  ただひとり聞く 調べ告げよ千鳥
  姿いずこ かの人
  ああ なやましの夏の夜
  こころなの 別れ

2.月 はやかげり 風立ちぬ
  われすすり泣く 浜辺語れ風よ
  姿いずこ かの人
  ああ 狂(くる)おしの夏の夜
  永久(とこしえ)の 別れ

3.月 永遠(とわ)に落ち 波立ちぬ
  胸あやしくも 乱る返れ心
  姿いずこ かの人
  ああ さびしやの夏の夜
  一人泣く 浜辺

島田芳文:作詞、古賀正男:作曲。昭和六年(1931),
古賀の好むジプシー短音階で作曲された。戦後もリバイバル発売され二代目コロムビア・ローズのステレオ盤でも聴くことができる。
この曲の、幻想的で誘うような官能的なメロディが好きです。でも、世間的にあまり知られた曲ではないですね。
89年も前の古い曲ですが、とてもいい曲です。コレ古賀さんの初期の作品だで、音はノイズが多いけどよく聴くと歌謡曲に収まらい格調の高さが見られる!詞も文語体ですね!。
河原喜久恵さんは上野の音楽学校、東京芸大出身、他にザッツ.オッケーなど歌って居られる! 。








420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/02(Thu) 00:12
古賀政男初期のレコード

乙女心         鹿山鶯村 関種子    1931年5月 コロムビア 26275
チャッカリしてるわネ 西岡水朗 天野喜久代 1931年5月 コロムビア 同

月の浜辺    島田芳文 河原喜久恵 1931年6月 コロムビア 26325
キャンプ小唄  島田芳文 藤山一郎  1931年6月 コロムビア 同
 h ttp://www.koga.or.jp/melody/year01.html

河原喜久恵(1902-?)
東京出身。昭和2年に東京音楽学校本科卒業、4年に研究科卒業。「ザッツ・オーケー」「月の浜辺」などでヒット。
聖心女学院や中央音楽学校の講師などもしていたが、7年5月に松竹蒲田入りし、女優業のかたわら声楽指導なども行った。
しかし芸能活動は9年頃に引退、16年にベース歌手の阿部英雄との10年にわたる結婚生活に区切りをつけ、その後は大陸へ渡り実業家に転身、23年に帰国した。
戦後は歌手時代の思い出は「強いて忘れたい」と芸能界とは縁を切り、市井の人として暮らした。
h ttp://www.geocities.jp/showahistory/music/singer03.html


421 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 19:57
新民謡「波浮の港」は1923年(大正12年)に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲 です。 レコードは1928年(昭和3年)5月に「佐藤千夜子」が日本ビクターから、2ヶ月後の7月に「藤原義江」が米国ビクターから発売しています。
日本における商業レコード第一号とされる。


波浮の港
【作詞】野口 雨情
【作曲】中山 晋平

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレホンニサ 凪るやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは
ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船の時にゃ
船のとも綱
ヤレホンニサ 泣いて解く

422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/06(Mon) 14:58
赤とんぼ 松原操 歌/三木露風 作詞/山田耕筰 作曲編曲【レコード】昭和13年11月、コロムビア
YouTube · 213 回の視聴 · 2019/05/15
制作者 童謡・唱歌・流行歌

423 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/10(Fri) 21:37
国民歌謡・日本よい国。

歌手は松原操さん。

作詞・作曲;中央教化団体連合会



一、日本よい国 東の空に

  昇る朝日は

  日の御旗 日の御旗

  大和ごころを一つに染めて

  いつもほのぼの夜があける



二、上は万代 桜は万朶

  繁り栄える

  たみくさは たみくさは

  国の内外満ちたる潮の

  西に東に展びていく



三、晴れて美し みどりの海に

  映す姿も

  雪の富士 雪の富士

  産業日本の矜持を積んで

  船は世界の海を往く



四、鍬を持つ手を劔にかへて

  いざといや起つ

  意気で起つ 意気で起つ

  大和男子のこころを見よと

  今日も桜の花が咲く花が咲く

他に関種子盤、戦後版に西六郷少年少女合唱団がある。

424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/10(Fri) 22:01
歌謡曲の数々 恐ろしい数がある。
h ttp://ahokamone.jugem.jp/?eid=897

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:02
緑の地平線

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫

1 なぜか忘れぬ人ゆえに
  涙かくして踊る夜は
  濡れし瞳にすすり泣く
  リラの花さえなつかしや

2 わざと気強くふりすてて
  無理に注がして飲む酒も
  霧の都の夜は更けて
  夢もはかなく散りて行く

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線


昭和10年(1935)に日活多摩川撮影所で制作された同名の映画の主題歌で、古賀メロディーの傑作の1つ。
 映画は3人の女性が紆余曲折の末、真の愛に目覚めるといったストーリーで、原節子、岡譲二などが出演しました。
子供の頃から知っている歌です。(言うまでもなく、生まれる前の、映画「緑の地平線」は観ておりません。)
最近、カラオケで、たまたま、見知らぬ人がこの歌を謳っているのに出合い、懐かしく感じました。
私自身、古賀メロディが心地よく、調子よく歌えることもあって、ときどき、この歌を口遊んでおります。
歌詞1番の、♪リラの花さえなつかしや♪の、懐かしく思い起こす、リラ(ライラック)が咲いていた地はどこだろうか?ライラック祭りの、北海道みたいですが、
浅間山を望む浅間高原。


426 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:23
東京ラプソディ

作詞:門田ゆたか
作曲:古賀政男
歌 :藤山一郎


1.花咲き花散る宵も
  銀座の柳の下で
  待つは君ひとり 君ひとり
  逢えば行く 喫茶店(ティールーム)
  楽し都 恋の都
  夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

2.うつつに夢見る君の
  神田は想い出の街
  いまもこの胸に この胸に
  ニコライの 鐘も鳴る
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

3.明けても暮れてもうたう
  ジャズの浅草行けば
  恋の踊り子の 踊り子の
  黒子(ほくろ)さえ 忘られぬ
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

4.夜更けにひと時寄せて
  なまめく新宿駅の
  あの娘はダンサーか ダンサーか
  気にかかる あの指輪
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

5.花咲く都に住んで
  変わらぬ誓ひを交わす
  変わる東京の 屋根の下
  咲く花も 赤い薔薇
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京




427 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:30
人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。


428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:45
目 ン 無 い 千 鳥

 サトウハチロー作詩   古賀政男作曲
昭和15年

1 目ン無い千鳥の 高島田
  見えぬ鏡に いたわしや
  曇る今宵の 金屏風
  誰の科(とが)やら 罪じゃやら

2 千々(ちぢ)に乱れる 思い出は
  過ぎし月日の 糸車
  まわす心の 杯に
  紅はさしても 晴れぬ胸

3 雨の夜更けに 弾く琴が
  白い小指に 沁みてゆく
  花が散る散る 春が逝く
  胸の扉が また濡れる

4 目ン無い千鳥の 寂しさは
  切れてはかない 琴の糸
  青春(はる)の盛りの 若い葉に
  咽(むせ)び泣くよな 小糠(こぬか)雨


429 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:41
白 い 椿 の 唄
(作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 )  (昭和10年) 
1 雪もかがやけ 青春の
  花は涙の おくりもの
  風にきびしく 泣きぬれし
  あわれ乙女の 白つばき


2 宵の酒場に 咲く花は
  燃えてほのぼの 誰を待つ
  ながきまつ毛の 横顔も
  夢にやつれし 白つばき


3 呼べど返らぬ 面影は
  きえてはるかな 山の上
  月にささげて ひとり泣く
  あわれ涙の 白つばき

呼べど返らぬ 面影は・・これは、古賀政男が母を亡くしたその思いと重なる。
この歌は菊池寛原作「貞操問答」主題歌、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にあたるようなうた。




430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:51
あけみの唄 昭和7年(1932年)

作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ

431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:59
>>428

目ン無い千鳥(霧島昇・ミスコロムビア)
サトウハチロー作詞 、古賀政男作曲

これは、今からナツメロを聴いてみようかな、という人には絶対オススメの一曲。
あっ、でもリバイバルはだめです。オリジナルの霧島&ミスコロのデュエットで聴くからこその青春歌謡であって、大川栄策では、なんか歌謡曲というよりベタベタの演歌みたいで、私はどうも好きになれない。
「目ン無い千鳥」というのは、もともと子供の「目かくし鬼ごっこ」のことらしいですが、ここではそういう意味ではなく、「新妻鏡」という映画の主人公である、目の見えない妻という設定に関連づけられているのでしょう。
映画の設定はともかくとして、それと切り離して聴いても、この歌は素晴らしい青春回想記です。
    h ttp://www1.neweb.ne.jp/wa/mayu/mennai.html



やはり日本の歌いいですね、特に日本がまだ貧しかった時代の歌は。
今、日本は豊かになり飽食の時代と言われ久しくなりましたが、昭和20
年代頃まで、日本は今では考えられない貧しい時代、貧しいけど心豊か
な時代だったと思います。
 
日本の歌にも、いろいろな分野の歌がありますが、この頃の歌の底流
に共通していえること、それは心温まるやさしさではないでしょうか。
今の日本人が忘れかけようとしている、何か大切なものを思い起こさせ
てくれます。詩も、歌も、歌い手も・・この頃の歌を聞くとなぜか涙が
出てきます。しみじみと聞く、究極の癒しといえないでしょうか。

 h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~Minerva/nipponnouta/nipponnouta_kokoronouta.html

432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 16:18
「女の階級」 (日活『女の階級』主題歌)

作詩 村瀬まゆみ 作曲 古賀政男


1 君に捧げた まごころの 愛が女の 命なら
弱い涙は 今日かぎり 捨てていばらの 径(みち)を行く

2 心砕(くだ)けど ままならぬ 辛い浮世の 小夜嵐
愛の船路を 祈るごと 星もまたたく この夕べ

3 想い乱れて 咲く花は 女心か 月草よ 涙誘うな 秋風に
散るは彼の日の 夢ばかり


4 君を信濃の 高原に 涙かくして 見送れば
靡(なび)く煙りも 一すじに 燃えて火を吐く 浅間山

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 18:25
昭和11年(1936年) TEICHIKU 日活「女の階級」主題歌



作詞:村瀬まゆみ
作編曲:古賀政男
歌唱:楠木繁夫
伴奏:古賀政男オーケストラ


1.君に捧げた 純情の
愛が女の 生命なら
弱い涙は 今日限り
捨てて荊刺の 径を行く

2.心砕けど 侭ならぬ
つらい浮き世の 小夜嵐
愛の船路を 祈る毎
星も瞬く この夕べ

3.想い乱れて 咲く花は
女心か 月草よ
涙誘うな 秋風に
散るは彼の日の 夢ばかり

4.君を信濃の 高原に
涙隠して 見送れば
靡く煙も 一筋に
燃えて火を噴く 浅間山

434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 18:41


「回想譜(加壽子のうたへる)」

・作詞 今城靖児 / 作曲 古賀政男 / 編曲 古賀政男 ・歌 藤山一郎 / 演奏 古賀政男オーケストラ ・


・「回想譜(加壽子のうたへる)」 (日活『女の階級』主題歌)(作詞 今城靖児 作曲 古 賀政男)

1 星みれば はろかに遠く 雲みれば つきせぬ想い 離れゆきし 君は問わねど 御宿(おんじゅく)の ああ 海の恋しさ

2 風ふけば 風もさびしや 虫なけば 虫もわびしや ただひとり ロッジにあれば たえがたく ああ 涙ながるる

3 朝(あした)には あしたの祈り 夕べには 夕べのねがい 嫁(とつ)ぎゆく 妹にのみ いまはただ ああ 幸(さち)を請うのみ

435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 20:16
名曲とは・・

名曲とは、何といっても、詩が一番大切でしょう。

詩の内容が、誰でも、簡単にできない詩、短くも、簡潔なな中に、詩が重厚で凄みがあり、内容が薄っぺらで、ありきたりで一般的で、ただ受けの良いだけの、幸せだけの、美辞麗句を並べただけのものでなくて、青春の苦悩を秘めた、軽いものでないもの。
やはり、「叱られて」とか「影を慕いて」のような歴史の重みを、歴史を凝縮したような曲、「青い山脈」みたいなものでない、すばらしい!!。

436 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 00:13
丘を越えて
 
 作詞:島田芳文
 作曲:古賀政男
 歌唱:藤山一郎
 
 (一)
 丘を越えて行こうよ
 真澄の空は朗らかに
 晴れてたのしいこころ
 鳴るは胸の血潮よ
 讃えよわが青春(はる)を
 いざ行け遥か希望の
 丘を越えて

(二)
 丘を越えて行こうよ
 小春の空は麗らかに
 澄みて嬉しいこころ
 湧くは胸の泉よ
 讃えよわが青春を
 いざ聞け遠く希望の
 鐘は鳴るよ


   

昭和4年、マンドリン合奏曲「ピクニック」として作られ、新興映画「姉」の主題歌として野口雨情門下の詩人島田芳文の詩になる青春賛歌。元祖「青春歌謡」である。
昭和改元(1926年12月)のちょうど5年目、89年前の昭和6年(1931)12月、東京音楽学校の学生だった藤山一郎によってレコード。 藤山一郎とのコンビで9月「酒は涙か溜息か」、昭和7年「影を慕いて」とともに「古賀メロディ−」を確立した。(「写真 昭和30年史」毎日新聞社1956)

戦後75年、昭和95年、「影を慕いて」とともに、童謡と同じく演奏会などで80年を超えて歌われ演奏されている数少ない「日本の名曲」である。
46小節よりなる前奏、歌の部分より前奏・間奏・後奏の方が長い「古賀メロデー」の代表的な曲。
山田耕筰は「明朗性」を表す作品として高く評価、ヨーロッパに行くときはこのレコードを持ち歩いて日本の代表的な作品として自慢していた。





437 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 00:25
影を慕いて
 
  
  佐藤千夜子 (昭和6年1月 ビクター)
  藤山一郎   (昭和7年3月 コロムビア)

 作詞:古賀政男
 作曲:古賀政男
 

 (一)
 まぼろしの
 影を慕いて 雨に日に
 月にやるせぬ 我が想い
 つつめば燃ゆる 胸の火に
 身は焦がれつつ 忍び泣く
 
 (二)
 わびしさよ
 せめて傷心(いたみ)の慰めに
 ギターをとりて 爪びけば
 どこまで時雨 ゆく秋ぞ
 トレモロ淋し 身は悲し

 (三)
 君故に
 永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
 永遠に春見ぬ 我がさだめ
 永ろうべきか 空蝉(うつせみ)の
 儚き影よ 我が恋よ

90年の歴史、青春の苦悩から始まった古賀メロディの歴史、昭和歌謡史に残る最高傑作であるとともに、あちこちのクラッシック演奏会で、「丘を越えて」とともに、よく
演奏され、歌われる日本のクラッシックで、「日本の名曲」である。

昭和が終わった平成元年に、NHKTVで「日本の名曲10曲」として、1年間、1週間ごとに繰り返し放送された。


438 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:04
誰か故郷を想わざる

作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌唱:霧島昇
昭和15年(1940)

(一)
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を くみながら
唄をうたった 帰り道
幼馴染の あの友この友
ああ 誰か故郷を想わざる

(二)
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ 誰か故郷を想わざる

(三)
都に雨の 降る夜は
涙に胸も しめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああ 誰か故郷を想わざる


439 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:11
「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)昭和15年194(1940)

「新妻鏡」・・昭和15年、東宝映画『新妻鏡』(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)は、目の見えない新妻が苦労の果てに結ばれると言う話で、霧島昇、二葉あき子(戦後島倉千代子)歌。
「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞,古賀政男作曲)も挿入歌。

 佐藤惣之助の歌には人生の苦悩を歌った歌が多いですが、人生を歌った詩としては、『人生の並木道』にも匹敵したすばらしい応援歌ではないかと思います。

僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

強くなろうよ強くなれ
母となる身は幼児(おさなご)の
愛の揺籠花の籠
なんで嵐にあてらりょう

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(いのち)なら
清いふたりの人生を
熱い涙で 謳うおうよ

「遠くさびしく離れても」・・と言うと結婚式には不向きかもしれぬが、一語一語味わいに満ちた詩で、「強くなろうよ 強くなれ母となる身は幼児(おさなご)の」
・・今の歌とは決定的に違います。まだ日本が貧しかった時代が生んだ、すごい、人生・青春の応援歌ではないでしょうか!。
この歌は、すごい重みのある歌といえ、男女・年齢を問わず勇気ずける人生の応援歌として、時代を超えて、味わいのある歌だと思います。

三番は歌にはない
強くなろうよ強くなれ ・・
こうした重い歌詞が
簡潔な言葉が
さりげなくちりばめられている
名曲である

戦後、島倉千代子によって歌われた。



440 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:27
ゆかりの唄

作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
歌 :ディック・ミネ (台詞;星玲子)

都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は
露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命

あゝ傷つきぬわが胸は、真白きリラの花のごと、
一人さびしく夕月に、すすり泣きつつしのびつつ、
あわれ今宵も散りて行く、ああ美わしの花よ、
なれの名は乙女、はかなくも消え行く雪よ、
なれの名も乙女、紅そめし頬も、
みどりのくろ髪も、束の間の秋の嵐にちりゆく。

高嶺の白雲 ほのかになびけど
わが夢は
さびし浅間の煙の影
嘆けどうつつに 消えゆきて
あゝ短きは 乙女の命



1935日活映画『緑の地平線』の挿入歌。いずれも佐藤惣之助の詩、星玲子の朗読があり、日本最高のジャズシンガーの称号を持つディック・ミネが歌唱しました。戦後、藤山一郎も歌っている。

「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲,楠木繁夫歌)とは前奏から対照的に、繊細な乙女の心情を描く物静かな名曲。



441 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:31
夕べ仄かに

   作詞:島田芳文
   作曲:古賀政男
   歌唱:ディック・ミネ
   
    (一)
    夕べ仄かに 窓辺に立てば
    山のかなたの 空の色
    遠いあの日の 夢に似て
    かいなき君の 偲ばれる

    (二)
    夕べ彩なす あかねの空よ
    何故に思いを こがすやら
    山の遠さよ 過ぎし日の
    儚なき君の 想い出よ
    

    (三)
    夕べ仄かに またたく光
    星になりたや 一つ星
    黒い瞳に うつる影
    誰故流す わが涙

 
これも昭和10年(1935)、日活映画「緑の地平線」の挿入歌です。松島詩子のもある。




442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:40

「古賀メロディ」というのは、(単に佐曲家の名前の後に「メロディ」という言葉をつけたものでなく)、長い日本の歌謡史の中で生まれ多くの大衆によって育まれ与えられたもので、「メロディ」というのは、古賀作品のみに使われる特別の「称号」ということができるでしょう。

日本人の心の琴線に触れる一種哀調を帯びた優しいメロディ、稀有で卓越した一連のたくさんの古賀作品、それに対する敬意と賞賛の意味が込められているのです。


「古賀メロディ」紛いで、最近なんでもかんでも、いろいろ作曲家、それがリズム系であっても、その名前の後に、「メロディ」をつけて、作曲家の曲を「何とかメロディ」で呼ぶことがあるようで違和感を感じている人もあるのではないでしょうか。
これらは、いつからか戦後昭和40年代前後の頃のテレビ(12チャンネル等)に始まる「ナツメロブーム」の影響でしょうか。
使い方も間違っていると思います。

西條八十、佐藤惣之助、サトウハチローなど、詩人の日本人の琴線に触れるの詩情溢れる「古賀メロディ」・・、昭和の初めから、人は敬意を持って「古賀メロディ」と呼んだのだ。

しかし、最近のはもちろん、「古賀メロディ」以外が、実際SP黄金時代に、そのように「メロディ」をつけて呼ばれてきたわけではないのです。


昭和の長い歌謡の歴史の中で「メロディ」をつけて実際にそう呼ばれてきたのは、たくさんある中で、「古賀メロディ」しかないのです。





443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:49
昭和12年からNHK「国民歌謡」ができ、名前を変えて戦後の「ラジオ歌謡」まで、たくさんの名曲の
宝庫となったのですが、「国民歌謡」の前身は昭和11年4月からのNHK「新歌謡曲」で、その第一曲目が佐藤
惣之助作詞、弘田竜太郎作曲、関種子が歌った「野薔薇の歌」があります。

ほのぼのと夜明けの野ばら
ほろぼろと幼き野ばら
七つの妹がいたならば
水のにおいの野の頬に
花より薄き紅染めて
今朝もなかずに遊ぼうものを

CD「20世紀の奇跡 ラジオの時代1」コロムビア

444 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 15:01
「お蝶夫人」の唄
(昭和8年=1933、西条八十作詞、古賀政男作曲、ミス・コロムビア・歌)

おもうお方は 帰らぬ人か
旅のつばめは また来たに
恋の長崎 港の雨は
お蝶夫人の 涙雨

わたしゃ初恋心(おぼこ)の 日本娘
港育ちの 女郎花(おみなえし)
恋は気まぐれ 降るアメリカの
露に濡れたか 恥ずかしや

ねんねおころり 坊やの父(てて)は
青い目の人 ふねのひと
ねんねおころり 謳(うた)うたとても
声もとどかぬ 波の上

来るか来るかの 便りは来ずに
春の丸山 花が咲く
情け知らずの 入船出船
きょうも散る花 のせてゆく


戦後にいたるまで20曲以上ある「お蝶夫人」の歌のはじめとなる名曲。
同時に、東京音楽学校(研究科)をでたばかりのミス・コロムビア最初の古賀メロディでもある。
ミス・コロムビアの初々しい歌である。


445 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 15:07
日 本 橋 か ら
作詩 浜田広介  作曲 古賀政男
昭和6年(1931)

1 お江戸日本橋 師走も暮れる
  橋の上から あちらを見たりゃ
  あちら葭(よし)町 人形町で
  ヤレサ 鳴るのは 三味太鼓

2 お江戸日本橋 今年も暮れる
  橋の上から こちらを見たりゃ
  ならぶ建物 ほこりの雲で
  ヤレサ 悲しい 入日空(いりひぞら)

3 お江戸日本橋 さいふが空で
  橋の上から 遠くを見ても
  どこえ行こうか ゆく手が見えぬ
  ヤレサ お江戸の 思案橋

テレビで日本橋のことが取り上げられるとき、流される音楽。
それは江戸古謡「お江戸日本橋」に代わって、昭和のはじめ、80年以上前に作られた曲、
浜田広介作詞。古賀政男作曲「日本橋から」。日本におけるタンゴ第一号、タンゴの名曲でもある。
 
昭和6年1月 佐藤千夜子(ビクター)
昭和7年3月 関 種子 (コロムビア)


446 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/12(Tue) 08:41
人生劇場

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫
昭和13年(1938)

1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨

2 あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  わかるものかと 諦めた

3 時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
  吉良の仁吉(きらのにきち)は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界
  
尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表。
早稲田の第二校歌。
田中角栄総理が愛した歌。昭和34年(1959)に村田英雄がリバイバル。


 

447 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 15:47
早稲田大学歌集 第二校歌『人生劇場』

早稲田を舞台に見立てた尾崎士郎の名作「人生劇場」と同じタイトルの歌謡曲です。
早稲田大学の第二校歌ということは恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

『人生劇場』 昭和12年 作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀 政男

一. やると思えば どこまでやるさ
   それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
   なまじとめるな 夜の雨

二. あんな女に 未練はないが
   なぜか涙が 流れてならぬ
   男ごころは 男でなけりゃ
   わかるものかと あきらめた

三. 時よ時節は 変わろとままよ
   吉良の仁吉は 男じゃないか
   おれも生きたや 仁吉のように
   義理と人情の この世界

四. 端役者の 俺ではあるが
   早稲田に学んで 波風受けて
   行くぞ男の この花道を
   人生劇場 いざ序幕

h ttps://www.youtube.com/watch?v=04ZdYSUAW08


(参考)

1.『人生劇場』と尾崎士郎
―『早稲田大学と文学』NO.886 Nov.18,1999
h ttps://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok886-2.html

早稲田大学 第二校歌「人生劇場」 2001年1月29日
h ttp://www2.fukuicanon.co.jp/tamaki/waseda/w010129B.html

448 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 15:51
窓に凭(もた)れて
作詞:島田芳文
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子
新興キネマ「姉」主題歌

(一)
行きて返らぬ 若き日を
窓に凭れて 思いみる
夢多かりし かの頃の
雲のかからぬ 清らかさ
ああ 過ぎにし 過ぎにし春の
思い出よ

(二)
ただやすらけく ありし日の
胸のあこがれ 泡と消え
たけての今日の この胸に
地上の愛の なやましさ
ああ 涙に 涙にくるる
このこころ

昭和6年(1931年)12月に、関種子の歌でレコード発売された。「丘を越えて」(藤山一郎)のB面 いずれも東京音楽学校主席。終戦直後、進駐軍のリクエストNO.1だった曲だとか
「丘を越えて」(藤山一郎)とともに、映画「姉」の主題歌




449 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 16:03
(参考)
ステレオで聴く不滅の古賀メロディー大全集
12,100円(税込)訂正、 5,580円(税込)
作曲家活動90周年の90曲!
「影を慕いて」(昭和3年)を作曲してから90年
そして昭和53年にこの世を去るまで、半世紀にわたって第一線の作曲家として活躍した古賀政男。
「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディ 」「人生劇場」「湯の町エレジー」など戦前SP時代の大ヒット曲も名歌手によるステレオ録音で、また「柔」「悲しい酒」など後期の代表曲も収録。
日本人の心のメロディーとなった名曲の数々をぜひご堪能ください。


●発売日 2018年05月18日
●CD5枚組(全90曲)
●別冊歌詞・解説書つき
●ボックスケース入り
h ttps://www.eroaniment.shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1349
会社名:株式会社toto・noel
-->店舗連絡先:free@emorimoto.com


450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 20:05
青い背広で

  作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男
  唄 藤山一郎 (昭和12年)

 1 青い背広で 心も軽く
   街へあの娘と 行こうじゃないか
   紅い椿で ひとみも濡れる
   若い僕らの 生命の春よ
 
 2 お茶を飲んでも ニュースを見ても
   純なあの娘は フランス人形
   夢を見るよな 泣きたいような
   長いまつげの 可愛い乙女
 
 3 今夜言おうか 打明けようか
   いっそこのまま 諦めましょか
   甘い夜風が とろりと吹いて
   月も青春 泣きたい心
 
 4 駅で別れて ひとりになって
   あとは僕らの 自由な天地
   涙ぐみつつ 朗らにうたう
   愛と恋との ひとよの愛か


451 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 06:47
 三百六十五夜

  作詩 西条八十 作曲 古賀政男

 1 みどりの風に おくれ毛が
   やさしくゆれた 恋の夜
   初めて逢(お)うた あの夜の君が
   今は生命(いのち)を 賭ける君

 2 たそがれ窓に 浮かぶのは
   いとしき人の 旅すがた
   我ゆえ歩む 道頓堀の
   水の夕陽が 悲しかろ

 3 鈴蘭匂う 春の夜
   灯(ともしび)うるむ 秋の夜
   泣いた 三百六十五夜の
   愛の二人に 朝が来る



452 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 07:17
*【三百六十五夜】・・ 際立つ日本語の美しさ、奥ゆかしさ、しとやかさ!

昭和23年小島政二郎原作、新東宝「三百六十五夜」(1948年9月2日公開) 、雑誌「ロマンス」連載。

小島正二郎は慶応大卒業後、鈴木三重吉が主宰していた『赤い鳥』の編纂に携わる。1919年に慶大文学部講師となり、最終的には同学部教授へ昇格、1931年まで勤め、また1920年には『三田文学』編集委員となった。

1927年の『緑の騎士』で大衆的人気を得る。以後多くの大衆小説を書き『花咲く樹』『人妻椿』『新妻鏡』など人気作を次々執筆。

戦後の社会が大きく変わってゆく中、男女関係にも奥ゆかしさがあった恋愛事情も大きく様変わりする…

「三百六十五夜」は、歌手も含め、歌におしとやかさがあった古き良き時代を象徴すを最後のすばらしい日本の歌、日本の名曲、日本の文化遺産である…。.

みどりの風におくれ毛が
 やさしくゆれた恋の夜
・・・・
こんな 素晴らしい 恋の詩があるんだ!といつも
思います。

何と素晴らしい名曲・・・日本語の美しさが際立つ名曲です、日本人に生まれて良 かったと実感させてくれます。

古賀先生が遠い昔テレビで言っていました。作詞家と
作曲家は武士の一騎打ちと同じ これでもか これでもか
と 討ちこんでくる


正に この歌はその代表だと思っています。
ほのぼのと、そして切なく感じるのは何故だろうか?、この日本の女性や男性に、まだ奥ゆかしさと慎みがあって、恋の道でも節度があったころの歌で聞いていて風格があります。

西條八十の名詩が古賀政男の曲と出会うことによって、日本語の美しさが際立つ、表情豊かで心の襞に滲みわたる不朽の名曲、日本人に生まれて良かったと実感させてくれる名曲となった。

ところが、昭和24年になると世の中の事情が急速に変化する、石坂洋二郎の登場は、恋愛小説も大きく変わってゆくはきっかけに。

川口松太郎原作「愛染かつら」、小島政二郎原作「三百六十五夜」、・・西條八十の作詞による作品が、同じ男女間二人の間の深い恋愛なのに対し、石坂洋二郎作品「青い山脈」は学園内の奔放な男女交際の話。。

東北の田舎の港町を舞台に、偽のラブレターに右往左往する人々をユーモラスに描いた青春映画。

「封建的」とされる田舎町における奔放な男女交際をめぐる騒動と、それと戦う若い女教師の姿を描いたたわいもないもの!。

「古い上着をさようなら」の「古い上着」の中身が、昔からの男女間の「しきたり」(貞俶)。

請けは良いけど、若く明るいだけでは軽い。

【愛染かつら】では・・すれ違いともう一つの大きなテーマは、『親子の絆』・・生みの親・育ての親・・時を超えて普遍のテーマ。

数ある西條八十の作品の中でも、日本人らしさ、奥ゆかしさ、恥じらいという普遍的な美徳が有った時代の数々の名作。

日本が急速に豊かになっていく中で、アメリカナイズが進む中で、「三百六十五夜」以後、こうした昔からの美徳とされたことが音を立てて崩れてゆくのは残念なことではある・・。

日本がまだ貧し勝った時代、貧しくも心豊かだった時代が生んだ、日本人が忘れかけてる大切なものを思い起こさせてくれる、今では決してできない不朽の名曲、それが「三百六十五夜」。

「三百六十五夜」とともに、歌手松原操はこの歌を最後に歌手を引退、家庭の人となり再び歌うことはなかった。

彼女は昭和8年(1933)に東京音楽学校を卒業、クラシックの声楽家として活動していたが、コロンビアにスカウトされ歌謡曲も歌うようになった。

彼女の引退後、日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑、これ程までに、日本的な良さ美しさを感じさせる歌手は出なかった。




453 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 07:30
・流浪の民Zigeunerleben (Schumann)  日本発売:昭和11年1936)1月
石倉小三郎作詩、奥山貞吉編曲 独唱:関種子、松原操、内本実、青山薫 コロムビア合唱団、コロムビア・オーケストラ COL28642

・国民歌謡 我が家の唄 松原 操  西條八十作詞 山田耕筰作曲 12年3月 col29241 @黒盤

・赤とんぼ 松原 操 三木露風作詞 山田耕筰作曲 13年12月 COL29981 @ 黒盤13241

・この道  松原 操  北原白秋作詞 山田耕筰作曲 14年07月 COL30253 @ 黒盤14715



454 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 21:34
>>450

☆惣之助「青い背広で」と朔太郎『純情小曲集』とは☆


「青い背広で」作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男。テイチク1280-A「青い背広で」 -B「青春日記」藤山一郎

昭和12年3月、青春の哀歓を歌って若い人たちに愛唱され後、日活によって同名の映画が作られた。

『青い背広で』 : 清瀬英次郎監督、日活多摩川、1937年4月8日公開

ビクターからテイチク専属となった昭和11年、5月新譜「東京ラプソディー」が大ヒットする。

翌年には「青い背広で」「青春日記」などがヒットし古賀政男と共にテイチクを大手に押し上げた。

しかし昭和14年後期には先にテイチクを退社した古賀政男の後を追ってコロムビアへ移籍してしまう。 

藤山一郎の「青い背広で」という歌。♪青い背広で心も軽く、街へあの娘と行こうじゃないか・・

その歌で歌われているのは、それはまさしく当時からの銀座の一流企業、数寄屋橋にビルを建てているT社に勤務するサラリーマンそのものだというのがその社内の一応の都市伝説になっているそうだ。

藤山一郎が歌ってヒットした「青い背広で」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)。

「青い背広で 心も軽く まちへあの娘と 行こうじゃないか」という歌詞、青い背広に心も軽くと流行歌のモデルになった可能性がような会社。

当時から憧れの一流企業の青春を謳歌する若きサラリーマン、憧れの銀座の街を心も軽く、まだ自由を謳歌し、

さっそうと歩く姿可能性は簡潔な言葉の中に見事にイメージされるような素晴らしさ。

藤山一郎が歌唱する「東京ラプソディー」「青い背広で」、昭和モダンを高らかに歌いあげます。

戦前の都市文化の象徴する流行歌としてヒット。

「東京ラプソディー」は原曲が「スペインの花」。

ビクターから藤山一郎を迎えるために古賀政男が作曲し門田ゆたかが作詞。「青い背広」は佐藤惣之助がダーググリーンの背広を見て「青い背広」を思いつく。・・

失業者が巷に溢れた昭和初期の時代から、ようやく景気も回復しサラリーマンの時代になった「ああそれなのに」(星野貞志=サトウハチロー 作詞、 古賀政男作曲 1937年1月発売)うちの女房にゃひげがある・・空にゃ今日も アドバルーンさぞかし会社で 今頃はおいそがしいと 思うたに)

大正期は、モダニズム・リベラリズムの勃興期であり、都市労働者の増大とともに、
この「青い背広で」が出来た。

その直後,盧溝橋事件(昭和12年7月7日)で中国との全面戦争(支那事変)、そして太平洋戦争へと日本は暗い時代へ坂道を転げおちていく。

なぜ背広なのか、それには朔太郎の若き日の詩を読むと浮かんでくる。

 朔太郎の「旅上」(『純情小曲集』)が出来た大正14年から、惣之助の「青い背広で」が歌われた昭和12年頃は

丁度、大正期勃興したモダニズム、リベラリズムが線香花火のごとく最後の輝きを放つよう
な時期でもある。


ようやくサラリーマンの時代が始まったばかりの昭和12年、背広を着るサラリーマン姿は、まだ珍しく憧れがあったでしょう。

地方では、勤め人自体がまだ多くなかったと思います。

背広を着る職業、新しい背広を着て外に出たい憧れ(旅情)があったとしてもおかしくない。

そんなあこがれで見られる新しき「背広」を着て・・・は文人ならずとも,あこがれの背広がまだ一般的でなかった時代、特別な思いもあったとしてもおかしくないようなのだ。

石川啄木 → 萩原朔太郎 → 佐藤惣之助

詩人であり、作詞家である佐藤惣之助は長年住み慣れた川崎から雪ヶ谷〈馬込文士村〉
に越してきた。

これは昭和十二年五月のことだ。場所は呑川左岸崖線の背尾根筋であった。

この年、彼が作詞してヒットした曲が「青い背広で」作曲は古賀政男。「青い背広で 心も軽く 街へあの娘と 行こうじゃないか」で始まる。
 


455 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 21:40
佐藤惣之助は、「馬込文士村の住人」の一人としてレリーフに刻まれている。

大正15年頃、南馬込の広津和カ邸に居候をしていた。雪ヶ谷には昭和12年から亡くなる17年まで居住した。

解説などでは「自宅がある馬込文学圏(雪谷)で、脳溢血を起こして急逝」したと説明している。雪谷は馬込文学圏に入るらしい。

参考までに、古賀政男の自伝「歌はわが友わが心」(日本図書センター)には、詩人の萩原朔太郎が古賀政男の家によく遊びに来たそうです。

小田急線の代々木上原駅から3つ目「世田谷代田駅」を出て、 南へすこし歩いたところにある、一本の鉄塔。 この鉄塔の下には、詩人の萩原朔太郎が、1933年(昭和8 年)から、 1942年(昭和17年)に亡くなるまで住んでいた。

大正14年8月詩集『純情小曲』刊行集 (新潮社)。11月号から「日本詩人」の編集を佐藤惣之助と担当。

ここ代田1丁目42に、「代田の丘61号鉄塔由来碑」(萩原朔太郎文学顕彰碑)が立っている。

代々木上原駅前の3000坪の古賀政男邸、古賀政男自伝「我が心の歌」には、この古賀邸に萩原朔太郎、惣之助さんが集まって三人でよく詩の談義をしたとあり、朔太郎の娘・萩原葉子の「父・萩原朔太郎」にも同じ記述がある。

馬込の文士村・雪が谷に住んでいた詩人・佐藤惣之助、佐藤惣之助の義兄が萩原朔太郎、二人は惣之助の主宰する「詩の家」の同人でもある。

大正14年(1925)8月詩集『純情小曲集』刊行(新潮社)。

11月号から「日本詩人」の編集を朔太郎と佐藤惣之助で担当。

佐藤惣之助はしょっちゅう代田の朔太郎宅を訪問していた。

この三人は詩を通して日常的に親密な関係を持っていた。


詩のモチーフの基底に朔太郎の『純情小曲集』にある「旅上ーの背広」が沈殿していた,かなり奥深いものがあるのではないか?と考えてもおかしくない。

456 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 22:48
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50


457 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/03(Wed) 12:10
「女の階級」

・『女の階級』は、吉屋信子(1896〜1973)原作による昭和 11(1936)年 10 月封切 の日活映画であり、楠木繁夫(1905~1956)の歌った同名の主題歌である。

・歌「女の階級」は、同年 12 月新譜で、上記吉屋信子原作『女の階級』の映画 主題歌であり、楠木繁夫の情感溢れる歌唱でヒットした。B 面は、「回想譜」で、 藤山一郎(1911~1993)が歌った。

小説『女の階級』
・昭和 11(1936)年 4 月 11 日~9 月 19 日『読売新聞』連載新聞小説 〈h ttp://sanpo-e.hp.infoseek.co.jp/retro/books/yoshiya/list-long2.htm〉
・昭和 12(1937)年 春陽堂(日本小説文庫)刊
・昭和 23 年 2 月 29 日 隆文堂刊
『吉屋信子全集』(朝日新聞社、昭和 50~51 年刊)には未収録

歌「女の階級」及び「回想譜(加壽子のうたへる。)」

「女の階級」
・作詞 島田磐也(きんや、1909〜1978、「村瀬まゆみ」名義で公表) / 作曲 古賀 政男(1904~1978) / 編曲 古賀政男 / 歌 楠木繁夫 / 演奏 古賀政男オーケスト ラ

「回想譜(加壽子のうたへる)」〈h ttp://www.tei3roh.com/kaisoufu.htm〉

・作詞 今城靖児 / 作曲 古賀政男 / 編曲 古賀政男 ・歌 藤山一郎 / 演奏 古賀政男オーケストラ
1 星みれば はろかに遠く 雲みれば つきせぬ想い 離れゆきし 君は問わねど 御宿(おんじゅく)の ああ 海の恋しさ
2 風ふけば 風もさびしや 虫なけば 虫もわびしや ただひとり ロッジにあれば たえがたく ああ 涙ながるる
3 朝(あした)には あしたの祈り 夕べには 夕べのねがい 嫁(とつ)ぎゆく 妹にのみ いまはただ ああ 幸(さち)を請うのみ




458 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/03(Wed) 15:34


2 風ふけば 風もさびしや 虫なけば 虫もわびしや ただひとり ロッジにあれば たえがたく ああ 涙ながるる
3 朝(あした)には あしたの祈り 夕べには 夕べのねがい 嫁(とつ)ぎゆく 妹にのみ いまはただ ああ 幸(さち)を請うのみ


「短歌」は「寂しさ」で完結してもいいものだが、「歌(詩)」というものは寂しさだけではダメで、この詩のように寂しさを超えたその先が大切。

459 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/04(Thu) 11:20
白 い 椿 の 唄
(作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 )楠木繁夫歌  (昭和10年) 

1 雪もかがやけ 青春の
  花は涙の おくりもの
  風にきびしく 泣きぬれし
  あわれ乙女の 白つばき


2 宵の酒場に 咲く花は
  燃えてほのぼの 誰を待つ
  ながきまつ毛の 横顔も
  夢にやつれし 白つばき


3 呼べど返らぬ 面影は
  きえてはるかな 山の上
  月にささげて ひとり泣く
  あわれ涙の 白つばき

呼べど返らぬ 面影は・・これは、古賀政男が母を亡くしたその思いと重なる。
この歌は菊池寛原作「貞操問答」主題歌、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にあたるようなうた。



460 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/04(Thu) 11:32
古賀政男の自伝などによると、仏教の「声明」(しょうみょう)や、義太夫など江戸文化の研究や自らも歌っていたとあります。

西洋の音楽にはクラッシックを含め、基本的に『こぶし(小節)』はないので、古賀政男の音楽はクラッシックを基本として、その上に洋楽と、千年以上前に渡来した仏教の声明(しょうみょう)や民謡、その中には朝鮮の民謡も含めて融合が根本にあると考えてもよさそうです。

西洋音楽も教会音楽から生まれたという歴史がありますから、古賀音楽も正しい音楽の歴史のうえに存在するわけです。

古賀政男の音楽には、日本の伝統音楽にジプシーの音楽など世界のさまざまな音楽を学んで取り入れたあとがあるから、世界的なレベルだといえるでしょう

1200年の伝統を持ち、西洋のグレゴリオ聖歌とともに、世界で最も古いと言われる日本の仏教声明。
声明とは、仏さまの教えを讃歎する仏教の聖歌で、仏教とともにインドで生 まれ、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わったもの。
日本に仏教が伝来したのは. 6世紀ですが、声明 については、752年に東大寺大仏開眼供養の大法要が行なわれた。1200年の伝統を持ち、西洋のグレゴリオ聖歌とともに、世界で最も古いと言われる日本の仏教声明。

仏教声明も立派な音楽で、「声明コンサート」もあります。
h ttp://www.youtube.com/watch?v=kbHbpf8NoSY

古賀政男は、小唄・端唄、長唄、義太夫、琵琶歌、謡曲などの江戸の歌謡にも造詣深く、
たくさんの洋楽を多く取り入れただけでなく、音楽としての仏教声明など幅広い音楽を取り入れたことで知られる。

ジャズ、クラッシック、J−POP、歌謡曲・・
これまで色々な分野の作曲家が沢山出た、しかし古賀政男ほど日本を含め幅広く世界の多くの音楽をとりいれた
作曲家を知らない。

しかし、古賀氏の音楽は基本的に「洋楽」だと思います。
あくまで洋楽がベースにあって、そこに彼のオリジナル部分が加わってるのだと思います。


古賀氏の音楽は基本的に「洋楽」だと思います。
あくまで洋楽がベースにあって、そこに彼のオリジナル部分が加わってるのだと思います。

古賀政男の音楽は、洋楽に、日本の伝統音楽を含めて、ジプシーの音楽など世界のさまざまな音楽を学んで取り入れたものだと思います。

461 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/05(Fri) 09:01
最近、歌番組で「名曲」という言葉が頻繁に飛ぶ。「昭和の名曲」というのは、今や昭和最末期、昭和50年代以降のをさすらしい。 テレビ「思い出のメロデー」は、今や昭和30年頃のロカビリーあたりから始る。日本が貧しくとも心豊かだったころ/昭和前半の歌はやはりいい。

人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 ) 昭和12年(1937)ディックミネ

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

渡辺邦夫監督日活『検事とその妹』(竹田敏彦原作『検事の妹』)主題歌




萩原朔太郎は、佐藤惣之助の義兄で、マンドリンをやっていた。萩原朔太郎は、古賀政男のファンであるとともに、古賀メロデーを高く評価していたことで知られている。



462 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/05(Fri) 11:36
数え切れないほど多くのヒット曲を持つ「古賀メロディ」。「古賀メロディ」ほど多くのヒット曲を持つものもありません。
そして、その多くは「映画主題歌」でもあります。    

「古賀メロディ」ほど、多くの映画主題歌を持つものもないのです。

「古賀メロディ」は、まだ無声映画の時代から多くの映画主題歌を世に送り出しています。
その多くは、今流に言えば「青春」を歌ったもの(青春歌謡)です。「古賀メロディ」というは、元祖青春歌謡ともいえるものでしょう。
その主題歌の多くは佐藤惣之助、西條八十、サトウハチローなどの珠玉の名詞によるものです。

酒は涙か溜息か(想い出多き女)、丘を越えて(姉)、あけみの唄(佳人よ何処へ)、さらば上海(上海)、緑の地平線(緑の地平線)、東京ラプソディー(東京ラプソディー)、
男の純情(魂)、二人は若い(のぞかれた花嫁)、ああそれなのに(うちの女房にゃ髭がある)、人生の並木路(検事とその妹)、
新妻鏡(新妻鏡)、目ン無い千鳥(新妻鏡)、熱砂の誓い(熱砂の誓い)、紅い睡蓮(熱砂の誓い)、・・麗人の歌(麗人)

昭和SP歌謡の時代、日本がまだ草深く、そして貧しかった時代、まだテレビも無かった時代、昭和の初めから30年代にかけては「日本映画黄金時代」。どんなちいさな街にも、小さな映画館があって、その映画を心待ちにしたことでしょう。
ヒット曲、それは、それだけ多くの人々に支持され愛され歌われたということです。


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

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