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歌番組、歌謡番組に物申す!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/24(Sat) 00:11
ド下手な歌手の繰り返し出てくる最近の歌中心の歌謡番組はひどいですね!、
聞く人も、歌手も,テレビ局の制作者も勉強してないようです。
歌謡史の番組も、戦後中心でものたりない。

日本の歌謡の歴史は、80以上前の日本がまだ貧しかった昭和の初めに遡る、戦後ではない。
日本の文化遺産である日本の歌謡を、その歴史を守りつぎたいものです。
今の歌謡番組に言いたいこと書きましょう。


13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/21(Tue) 23:12
戦争中、国民の士気を高めたのは「露営の歌」「愛国行進曲」など勇ましい曲だと一般的には言われてるが、実際は貧しく戦争後期には空襲に脅える生活の中で、国民が励まされた曲は「勝利の日まで」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)です。

14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/14(Fri) 12:35
【昭和歌謡】『東京大衆歌謡楽団』で、「日本の文化遺産」昭和SP歌謡を聞こう!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=581636883&ls=50


15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/16(Sun) 08:40
60年を超える昭和も末期ごろから平成、令和と時代がどんどんかわってしまった。
最近の歌の世界を一言で言い表せば、ド素人天下ではないだろうか。
歌もロックとかJ-POPとか、みなアチラ系のものばかり。
そのうえ、素人歌手たちの、グループサウンズ、シンガーソングライター、・・もう聞くに堪えない!.

上記歌謡楽団の活躍を期待します!。


16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/16(Sun) 09:07
最近消えた言葉に「ヘタクソ」がある。
最近の歌は歌唱も曲もドヘタクソの限り!
その代わり「名曲」という言葉がはやっている。

思わず耳をふさぎたくなるドヘタクソな歌が、曲が何んでもかんでも・・「名曲」とは世も末・・・!!

なんとかならないのだろうか、早く淘汰され変わるべきである・・

・・へんな【名曲】はやめてもらいたい!!。・・

17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 18:17
霧島昇と松原操「愛染かつら」で一世風靡
霧島昇(本名・坂本栄吾)さんは、大正3年、福島県―現在のいわき市大久町に生まれた。ボクサーを志し上京。その夢は実現しなかったが、苦学しながら東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に学んだ。昭和11年、コロムビアから「赤城しぐれ」でデビュー。
一方の松原操さんは明治44年、北海道小樽市で生まれた。東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中、コロムビアにスカウトされた。しかし、当時はそれが発覚すると退学処分になるので、顔と身分を秘し、ミス・コロムビア(覆面歌手)として昭和8年、「浮草の唄」でデビュー。同年、松竹映画「十九の春」の主題歌が大ヒット。美貌と美声を兼ね備えたコロムビアの看板娘として不動の人気を得た。


▲霧島昇・松原操夫妻(松原操引退の翌年)
昭和13年、お二人は松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」でデュエットし、これが空前の大ヒットとなり、〈愛染コンビ〉とも呼ばれ、昭和14年12月17日、音楽界の大御所である作曲家・山田耕筰夫妻の媒酌により、帝国ホテルで結婚式を挙げた。巷(ちまた)では、人気歌手、霧島さんとミス・コロさんの結婚を円盤(レコード)上の恋と呼んで、大きな話題となった。
「愛染かつら」は日本映画史上空前の大ヒットとなり、前・後・続・完結篇と合計4本も作られ、その主題歌も各篇毎に前述の「旅の夜風」に始まり「愛染夜曲」「愛染草紙」…とお二人のデュエット曲は一世を風靡し、その他映画の中で歌われたミス・コロさんの「悲しき子守唄」、同じく「朝月夕月」(「続・愛染かつら」)、ミス・コロさんと二葉あき子さんの「荒野の夜風」(完結篇)と「愛染かつら」関係の歌は各々記録的なヒットとなった。
その他お二人のコンビによる「一杯のコーヒーから」の大ヒット。「新妻鏡」は霧島さんと二葉あき子さんで、これも大ヒットしたが、同映画の「目ン無い千鳥」は愛染コンビお二人のこれまた大ヒット曲となっている。
霧島さんはミス・コロさん以外の女性歌手とのデュエット曲も多く、晩年は冗談でそれを自慢していたという話も、てる子さんから伺ったが、たしかに「純情二重奏」(高峰三枝子)、「蘇州夜曲」(渡辺はま子)、「相呼ぶ歌」(菊池章子)、「リンゴの唄」(並木路子)…等々書ききれない程のヒット曲がある。代表曲のひとつ「誰か故郷を想わざる」は今もって多くの人に愛唱されている。
一方のミス・コロこと松原操さんもヒット曲を挙げだしたらきりがない。「気まぐれ涙」(昭8)、「秋の銀座」(同)、「並木の雨」(昭9)、「光の王座」(昭10)、「おもかげの歌」(昭14・伊藤久男)、「兵隊さんよありがとう」(昭14)、「愛馬花嫁」(昭15・菊池、渡辺)、「大空に祈る」(昭18・菊池、三原純子)…等々大げさでなくヒット曲の題名だけで紙数が尽きてしまう。
戦後も復興したレコード界で霧島さんは、前述の「リンゴの唄」(昭21)を皮切りに、「麗人の唄」(同)、「旅役者の唄」(同)、「胸の振り子」(昭22)…とヒットを飛ばし、戦後の苦しい生活にあえぐ人々の心を慰めた。

▲霧島昇(右)と松原操

昭和23年、お二人のデュエットで大ヒットした「三百六十五夜」のレコーディングを最後に、生来身体が丈夫でなかったことと、子育てのため松原さんは歌手生活にきっぱりと別れを告げた。そして、松原さんは家庭人として4人のお子さんを育てた。霧島さんの歌手生活は続き、「サムサンデー・モーニング」(昭25)、「赤い椿の港町」(昭26)、「石狩エレジー」(昭28)、「湖畔のギター」(昭29)他ヒット曲を続いて送り出したが、昭和56年の「夕月慕情」が最後のレコードとなった。同じ年、霧島昇歌手生活45周年を記念して発売された「妻よ」に松原さんは台詞を吹き込んだ。実に30数年振りのレコーディングだった。健康には人一倍気をつけていた霧島さんだったが、病魔には勝てず、昭和59年4月24日、胃癌により不帰の人となった。天籟院秀峰淨霧居士。享年69歳だった。昭和54年に紫授褒章。同59年に勲四等旭日小授章を受章している。


その頃、他の病院に入院していた松原さんは霧島さんの入院先に駆けつけ、「パパ置いていかないで。私も連れてって!」と白い割烹着姿で少女のように泣きじゃくって遺体に取りすがっていたと、てる子さんから伺っている。病身の身をおして葬儀を執り行った松原さんは、夫の七七日の法要を終えた一週間後の6月19日、夫の後を追うかのように天国へ旅立った。桂月院雅心淨操大姉。享年73歳。松原さんは娘のてる子さんに「お前は絶対に歌をやめてはいけない」と、そう言い続けていたという。
父母の心を歌い継ぐ
母の遺志を継ぎ、大滝てる子さんは、声楽家として数々の演奏活動に追われている。





18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 19:07
>>17
h ttp://matubaramisao.com/

19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 19:12
h ttps://www.bing.com/images/search?q=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%93%8D+%E5%86%99%E7%9C%9F&qpvt=%e6%9d%be%e5%8e%9f%e6%93%8d+%e5%86%99%e7%9c%9f&form=IGRE&first=1&cw=1117&ch=383


20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 19:24
h ttp://memory-jp.com/pc_memory/pc_container/memory_etc/data_243.html


21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 21:28
関種子
h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/関種子


22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 21:33
二葉あき子
h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/二葉あき子

23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 23:44
楠木?夫
h ttps://www.weblio.jp/wkpja/content/楠木繁夫_楠木繁夫の概要


24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 23:45
楠木繁夫
h ttps://www.weblio.jp/wkpja/content/楠木繁夫_楠木繁夫の概要


25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/05(Sun) 16:46
基本的の詩と短歌は別物。歌謡詩は言葉の言外を含めて、先がある。

短歌というものは、それで完結してしまうもの。
だから、詩は歌(歌謡・歌曲)になるが、短歌では歌にならない。

「白鳥は かなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」は短歌は短歌で、

 詩と違って、言外の、一番肝心の・・<で、どうなるの・・・・という部分が・・見えない。

『人生』というのは、まさにその部分!。、

かなしからずや・・で終わってしまって先が見えない。
で、どうなるのという部分(人生)がない。

歌というのは、その先が大事。
名曲と!となるためには、その先が必要!。

古関裕而の作品に、「白鳥の歌」と
いうのがあるが、人生が見えなくて無理がある
ように思える。

26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/05(Sun) 17:48
昭和前半の昔の歌(歌謡・歌曲)には、その3分間の中に「ドラマ」があって、歌詞と曲は一体のものでした。
当代随一と言われた詩人、作詞家、作曲家たちが心をこめて作った歌、そのさりげない短い言葉、そのメロデーの中に行間のドラマ、・喜びと哀しみを共有したのです。

27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/06(Mon) 12:45
歌は詩が大切、曲は詩を超えられない!。
歌は詩で決まってしまうもの!。

28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/06(Mon) 14:04
古賀政男はこのことを「詩はお姉さん、曲は弟」と言っていた。

29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/08(Wed) 11:54
やはり、、悲しみは、悲しみで完結してしまっては歌にならない。

30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/08(Wed) 12:33
和歌・短歌は、「詠む」といって、歌会始のように、「声を長く引く。また、声を長く引いてといって、和歌などを、曲なくそれだけで人が詠むもの。
いわゆる歌手が曲に合わせて「歌う」ためのものではない。
詞も「詩」と違うもので完結しているので、曲をつけて歌うためのものと違うもの。ちぐはぐになってしまう。


31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/08(Wed) 12:54
詠み人が詠む短い短歌を歌にするというのは間違いで無理がある!。


32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/11(Sat) 00:34
歌というものは、詩が、詩であることが大切!


33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/09(Sat) 23:41
短歌と歌謡曲の違い、それは歌謡曲は人生において糧となるもの、
悲しいだけでは短歌で謡えばいい。

34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 10:04
大切なのは、その紛別!があるかどうか!。

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 10:16
中途半端な形で歌(歌謡)にしてしまうのは間違い!。
してはいけないことのはず!。

36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 20:47
名曲とは・・

名曲とは、何といっても、詩が一番大切でしょう。

詩の内容が、誰でも、簡単にできない詩、短くも、簡潔なな中に、詩が重厚で凄みがあり、内容が薄っぺらで、ありきたりで一般的で、ただ受けの良いだけの、幸せだけの、美辞麗句を並べただけのものでなくて、青春の苦悩を秘めた、軽いものでないもの。
やはり、「叱られて」とか「影を慕いて」のような歴史の重みを、歴史を凝縮したような曲、「青い山脈」みたいなものでないもの、すばらしい!!。

37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 12:49
「白鳥の歌」というのはのに、そもそも、それ自身がば完結した「歌」(短歌)であり、短歌自体が完結した歌であるのに、それを別の「歌」(歌謡曲)にしてしまう意味が分からない歌。(「白鳥の歌」はれっきとした「歌謡曲」です。)
短いので、他の同じ短歌を二つ持ってきて、長さはかせいだものの、まだ寂しさで完結してしまっていて、肝心の知りたい、その先が見えない。
だったら、短歌のまま詠めば、もっといいのではと思ってしまう!。

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 16:01
歌の世界も戦後、昭和23年あたりを境に大きく変わることとなってしまった。石坂洋二郎の「青い山脈」とは、昭和22年から新聞に連載された小説で、学園における若者の奔放な男女交際をめぐる騒動を描いた、これまでにない、たわいもないもの。これまでの、淑やかな恋愛や「価値観」が「民主主義」の名のもとに覆されてゆく。
「恋愛」というより、学園における奔放な「騒動」。
戦後の典型的な作品は「青い山脈」(1947年、石坂洋次郎)で、「自由恋愛」のもとに、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。

ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は良くも悪くも、「戦後民主主義」を流布させる思想小説となる。そんな作品で強調されたのが「自由恋愛」だった。
『愛染かつら』三部作など、これまで数知れない沢山の名作の歌を書いてきた西条八十も困ってしまったことでしょう。
情景にすり替えられて、昭和23年の」「三百六十五夜」のように、中身,情感の部分に、あまり触れていない。

中身の情感の部分が貴いのであって、小説を知れば「若く明るい」だけでは軽い。真の大人の歌になるためには苦悩とか心の襞もないとと、西条八十もおもったはず。


[青い山脈」・・、「若く明るい」だけでは軽い!。


戦後とともにもてはやされた「戦後民主主義」というものの実態は自由奔放だった、
民主主義は普遍的なものだが、一時的なはやりにすぎず、混乱のみをもたらした「戦後民主主義」は、それは
普遍的とは言えず、その急先鋒だった「青い山脈」などの石坂洋二郎の作品は、現在では見向きもされず、
本も絶版のままになっている。

西条八十も書きようがなく困ったはずではずで、ほとんど情景(景色)、それも関係のないもの。
請け合いは悪くはないが中身のない、西条八十作品にしては、それはとても名曲とはいえないもの。



39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 21:12
短歌は「短歌」として「謳う」もので、これを歌謡化してしまうというのに、どういう意味があるか知らないが、中途半端で、
どっちつかず、意図不明!。

40 名前:fuumgcgdah 投稿日:2021/03/27(Sat) 18:16
Muchas gracias. ?Como puedo iniciar sesion?

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