掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

僕は天理教信者だけど何か質問ある?

1 名前: 投稿日:2012/08/28(Tue) 09:14
どうも。>>1です。
質問あったら言ってください。
無かったらほかの宗教の事でも構いませんよ。天理教と絡めて返事しますので。
ではいきなりですが始めましょう←

407 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/18(Wed) 16:31
50年後の天理教を想う(昭和42年2月10日刊)
この小書を贈呈するに当たって-3
ただ私は、ここでもし道の指導者である教会長級が、あの姿そのままが現在の道の教勢の実力と誤り信じた場合、それこそ最も恐ろしい危険さがひそんでいることを憂える。
 仏教の衰微した当初の原因が、当時の仏教幹部たちが、その当時の形の上だけの盛大さに囚われて、そのままを本山自体の信仰の実状と思いあがった誤りからはじまっている。
 東京にある一流教会の婦人会と青年会の共同主催の座談会が開かれた時のことである。某教会所属の最も熱心な婦人教会長の質問であったが、
「先生、われわれは天理教貴族をつくるための信仰であるならば、私は道の信仰を直ちに止めます……」
 と熱烈な口調であった。
 私は貴族的とは、その人の人間としての価値が、その人の生活以下であった場合に起こる現象だと思うのであるが、教祖様ほど民主的に徹底された方はないのではあるまいか。
 物貰いに来た一乞食の赤児を抱きとって、御自身の乳房を含ませられたあの御態度こそ、教祖から示された本教としての全人類に対する行き方である。
 もちろん、つくし運びは本教信仰上の真理であるが、それはあくまで陽気さの上に立ってのつくし運びでなければならない。どんな身上事情の苦しみの中でも、あくまで陽気さだけは失わない指導こそ、用木の使命だと思う。そこにこそ天理教の魅力が生まれる。
 最近のある仏教関係の雑誌に、最近における本教の批判記事が載っていた。もちろん仏教関係の雑誌だけに、天理教的の記述ではないが、私はこれを読んで、本教の指導者階級にも読んで貰いたいと思った。是非一読しておく必要があるとさえ思った。
 これが、「50年後の天理教を想う」と題してこれを転載し、この小書を全国の指導者の立場にある皆さまに贈呈させて頂く所以である。

408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/18(Wed) 16:32
50年後の天理教を想う(昭和42年2月10日刊)ー1
昭和20年の敗戦とともに、天理教は、他動的に国家の宗教政策の制限から脱して、立教以来、はじめて自由な天地に出た。多くの人がなお混迷と虚脱の境にある時、中山真柱は直ちに「復元」を打ち出し、これを教団最高の方針と定めるとともに、原典のみにもとづく天理教教典の編纂に着手した。
「復元」とは、要するに、教祖の教えの本来にかえれということである。これはまず教理面からはじまり、現在の教典が24年に公布、つづいて31年には、本部の正式の編纂にかかる「稿本天理教教祖伝」が完成、これで、教理の基本コースは確定した。
 だが教団の組織、実態の復元はどのようにすすめられているだろうか。
 これに関する構想は、具体的に明らかにされていない。私の推測によれば、組織を一挙に改変することなく、まず組織の内容を形成する信仰を統一し、向上させ、その成人を待って、次第に理想に近づこうという、現実的な方法論がとられているかに見える。まず破壊してまったく新しい組織をつくろうというのではなく、漸進的で、あいまいな面が強い。新しいものはほとんどないといってもよいかもしれない。
 この復元の実行は、教祖60年祭、70年祭、そして昭和41年の80年祭を軸としてすすめられたが、この歩みの中で、教理的には「ぢば」中心主義、組織的には「ぢば」にある教会、すなわち教会本部絶対主義の方向がすすめられた。こうして、真柱の絶対権威は高まり、施設はいよいよ本部に集中した。
 そして教団の動きは、本部の方針が打ち出されてのち、それが地方に伝わり、時をおいて次第に実行されるという、上から下へ理を流すという姿が強化された。
 この本部中心の権威と統制力は強固なものであって、かつての茨木事件のように、大教会が本部に異を唱えて離反するという事態はもはや想像もされない。大西愛治郎のように、天啓によって自分が「かんろだい」であると称するような人間も出て来ないであろうし、かつての大平良平のように、教理の純粋化を求める運動も、その存在理由がなくなってしまった。

409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/18(Wed) 16:33
50年後の天理教を想う(昭和42年2月10日刊)ー2
では天理教は、もはや、異端を生むべき条件も必然性も皆無であろうか。それほど天理教の方向は安定し、完成しているのであろうか。私には、そうは思われない。
 教理的にも、組織的にも、整然として統制がとれているかに見えるが、燃え上がる信仰情熱、内的エネルギーは、衰弱しつつあるのではないかと思われる。
 この内的エネルギーの衰弱は、異端が出ることよりはるかに危険な徴候であると見なければならない。
 復元は教祖の理想に照らしてみて正しく、その努力が20年以上にわたって行われているにもかかわらず、その実が思うようにあがらないというところに、現在の教団の最大の悩みがある。
 教理面では、神一条の信仰が事あるごとに下部組織へ向かって流され、講習会も大規模に、かつ根気よく開催されているけれども、その浸透は、まだ本当の心の深い部分へとどかない。そして、多くの人の信仰の実態は、あいもかわらぬ病気たすけ、御利益信仰の域にとどまっている。それだけではない。復元の教理を説くべき立場の人の間に、早くも教理の固定化、ドグマ化という現象が生じている。これでは、造花のようにととのっていて美しいけれども、悩んでいる人を救う本当の力を欠くことになる。
 戦後、天理教信仰の目的は、陽気ぐらしであると宣明された。これはたしかに教団の隅々まで知れわたったが、それは言葉の空転で、実際は陽気ぐらしと相去ることはるかに遠いものがある。
 組織面では、世襲制によって主な人事は固定化し、明朗で公正な競争がなく、20年先の構成が大体わかるという具合である。
 これを動脈硬化症と呼ぶ人もあるが、青年にとっては、これは甚だ意欲をそぐ原因となるために、多くの有為な若人が、自分の能力をフルに発揮できる新天地を求めて教会の門を出てゆく。天理教は、かくして人物経済上、大変な損失を重ねている。(注:このことは将来の天理教にとって、何ものにも代えがたい一大損失である)それほどの能力も気力もないものは、安易なプチブル生活の地を求めたり、漫然と教団の中に生きているだけで、教祖の精神を喪失している。教会の後継者が少なくなりつつあるという現実は、前途の楽観を許さぬ事実である。
 極言すれば、天理教は、理想は高く、本部は壮大なのに逆比例して、信仰のエネルギーが低下し、人間は卑小となり、求めるものが物質的、形而下的になっているのが現状である。
 私は異端を待望する人間ではない。けれども、空洞をもつ大木になりつつある現状を放置する時、おそらく天理教は立教の宣言にふさわしい世界宗教として脱皮することは不可能であると思われてならない。ここに思いきった信仰と行動力を持つ異端的人物の登場を待望するのであるが、この種の人間は果たして出て来るであろうか。出て来るとしたら、どこから出て来るであろうか、本部からそういうラディカルな人間は現れないであろう。

410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/18(Wed) 16:34
50年後の天理教を想う(昭和42年2月10日刊)ー3
青年会にしても、その本部は、失敗を恐れぬ不屈の精神に欠けているから、これも期待薄である。最も有望で有効であるべき文書の面ではどうかというに、溌剌とした昭和初期の個性と自己主張の時代は去り、自由な批判精神は失われ、真柱の亜流ばかり増えている。それも真柱の打ち出す復元の教理を完全にマスターした上、自分の独創を出してゆくならよいが、顔色をうかがって書いているような感がする。書く姿勢がおかしい。これでは真に世に訴え、人の心を揺り動かす大文章は生まれてこない。本来ならば、何がなんでも訴えねばならぬ問題が山積しているのに、筆を執ることをなるべくなら避けようという傾向が強い。この面でも退潮と衰微の感はまぬがれない。
 このように見てくると、天理教は深刻な危機に立っている。人類全体が危機に立っている以上、天理教だけが安泰であるべき道理はないが、この二つの危機を認識する度合の深いものこそ、現代と次の時代をになう人間像である。
 天理教は、短いとはいえ、教祖没後80年の歴史を持っている。この80年祭は、生命も財産も名もいらぬという強い信念の持主によって築かれて来たものである。この種の人は今も数多い。こうした行為を天理教では伏せ込みといっているが、これある限り、教団は容易なことではビクともしない。けれども、教団がビクともしないことが理想なのではない。真に人類の苦悩に応え、それを救済するために、教団はどんな犠牲をも辞さないというのが、本当の伏せ込みである。私が待望するのは、この種の大勇に生きる人間であり、これは、教団の保守的な側から見れば、異端と映るであろう。けれども、社会はその異端を望んでいるのではあるまいか。

411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/18(Wed) 16:35
50年後の天理教を想う(昭和42年2月10日刊)ー4
大正の末頃、増野道興は、天理教の海外伝道の可能性について、次のような演説をした。
 日本中に布教を終え、その余勢をもって海外伝道をすべしという論は、正論に似てその実きわめて皮相的である。そんな甘い考えで事が成るものではない。天理教が日本で大いに圧迫され、禁止され、食って行けぬ時代になって、やむなく新天地を求めて海外へ大挙して出て行く。こういう時、海外伝道の道は開けるであろう。天理教は神の道であり、神の道は人間の欲を徹底的に排する道である。しかるに世人は欲の世界で生きている。天理教徒が欲を離れ、人にも欲を離れさせる生活を徹底して行った時、神の道と人の道は必ず矛盾すべきものである。その場合、世間と政府は己れを是とし、神の道に生きるものを非として圧迫するに至るであろう。私は何をいわんとするか。どこまでも神の道に撤し、ために世人の非難攻撃を受けるに価する天理教を待望するのである。欲のある世人からほめられる天理教は、畢竟神の道とは無縁のものである。これでは日本の人心改造も、海外布教も成るものではない。
 筆者のいわんとするところは、この演説の中に尽きている。天理教は、現代、社会にいい子になろうとしており、また多くの人々は、組織の中でいい子になろうとしている。ここに問題がある。
 明治20年の1月、教祖が姿をかくされる直前、政府の弾圧をおそれて、お勤めをすることをためらっている側近者に対して、教祖は「律がこわいか、神がこわいか」とせまり、さらに「律ありても心定めが第一やで」と明示された。これが天理教最大の指針の一つである。
 現在天理教は、新憲法のもと信仰の自由を保障されている。一切の弾圧はもはやない。律と神とは鋭角的に矛盾はしない。けれども、律そのものがなくなったのではない。今や律は教団の中に存在している。それは、明らかに人間の心のつくりあげたものであって、天理教の中に、一般社会の常識や約束事、すなわち人間思案が多くなっているのである。何はさしおいても、この教団の中の律を打破するのが物事のはじめである。
 ソクラテスはにくまれ役を一手に引き受けた。アテネを愛する彼は、アテネを巨大な牛に譬え、それが眠りこけないように、自分がアブとなってうるさく耳元で音を立てるのだと自負した。彼は不幸にして、牛の尻尾で叩きつぶされる羽目になったが、現在、私のもっとも待望するのは、このアブ的人間である。これが、差し当たって出現の可能性があり、しかもきわめて重要である。
 大なる異端像が現れるほど天理教は成熟していない。けれども、天理教は自己にとじこもって眠っていてよい時ではない。眠りこけていたら、社会はさっさと天理教を見捨てて行くであろう。
 差し当たって、アブ的人間が多く現れること。そこから一人のソクラテス的人間が出現することを私は期待する。         
 (終)

412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/19(Thu) 22:44
『おやさま130年祭』に向けて今の私達は何をするべき?

413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/20(Fri) 01:33
50年後の天理教 と言う小書を引用されているけれど…貴方はこの年祭活動に何を実行されるのか?

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/20(Fri) 09:53
特にないっすわ

415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/20(Fri) 13:40
>>405>>411さん貴方はこの『年祭活動に向けて今何を実行されますか?』

416 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

417 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

418 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

419 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

420 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

421 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

422 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

423 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

424 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/20(Fri) 22:43
>>422-424
通報しますね

426 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 00:28
荒らしレスは削除されました

427 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

428 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

429 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

430 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

431 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 01:10
>>428>>432 貴方は天理教に何か悪意でも有るんですか?

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 01:15
天理教は宗教抗争も原油価格も金価格高騰も一切関係ないですから…根も葉も無い難癖付けないで欲しいですね.

434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 01:50
悪意があったらこんなスレには最初から来ない

435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 01:52
全世界レベルでグローバル化が進んでいるというのに
全く関係ないと言う事は無いだろうよ
宗教活動を繰り広げる中で信者や組織が資金繰りなどで
何処か少しでも繋がりを持つ
経世済民とは一夜に仕上がる物ではないのでね
末端であれ何であれ、微量ながら繋がる部分はある
直接的ではなくとも

436 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 02:04
天理教は宗教抗争も原油価格も金価格高騰も一切関係ないですから…

437 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 02:06
>>436.根も葉も無い難癖付けないで下さい…大変迷惑です

438 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 02:08
難癖というか
世界は、人は、全て繋がってると言うお話

439 名前: 投稿日:2014/06/21(Sat) 05:51
>>430-439
人類一列みな兄弟、広い目で見れば随分とバカバカしい兄弟喧嘩をしているものです。
天理教の親神“天理王命”は大事な我が子の喧嘩(戦争)を悲しんでいますし、
天理教信者は積極的に宗教抗争に身を投じてるほど馬鹿ではないにしろ
お道の話をちゃんとできていない、においがけが足りないのは確かに天理教のせいとも言えます。
また、このスレで幾度か話をしましたが、
御供えに関しても「仕方ないから払うもの」であり心次第であることを失念されがちであります。
故に、ご指摘はごもっともです。
確かに根も葉もないとは、言い難いですよね。
それに、
「いつも笑われそしられて、珍し助けをするほどに」ですよ。
悪意があろうがなかろうが、こんなスレに来てお道の話を聞いてくれる。意見をしてくれる。
結構なことじゃあないですか。嬉しいことですよ、ありがたいありがたい。ね?

440 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 13:16
>>440
スレ主さんですね
よくぞ意図を理解してくれました
一党独裁政権ではこの世界は成り立たないのです
繋がりを持って理解し合える関係
それを築ける天理教だったら素晴らしい事じゃありませんか

441 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/21(Sat) 20:59
ここは天理教に勧誘するスレですか?

442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/22(Sun) 12:41
>>441さん スレッドをよ〜く読んで下さいね

443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/23(Mon) 17:22
>>365
金が何の為に使われるか気にしてたらお供えとは言わん。
我が身可愛さに自分身内の為に資金確保もよろしくない。
身を粉にしなければ親神様は受け取って下さらない。

この意味、お前ならわかるよな?

わからん輩は自教会長に聞け

感謝・慎み・たすけあい
これ自己都合解釈奴大杉ワロタ

444 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/06/24(Tue) 05:24
どっちが自己解釈しているのやら。

445 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/07/02(Wed) 09:31
ゴミ宗教を掃除しろよ

446 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/07/02(Wed) 11:21
教会本部の幹部に聞けばよくわかる

天理教の終焉がな

447 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/07/03(Thu) 01:21
>>1
宗教の存在意義を性善説に基づいて解説して

448 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/07/11(Fri) 18:18
クズ宗教を廃止しろ

449 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/07/30(Wed) 22:15

私の知り合いで、山梨に天理教の会長がいる。

新製品の事業が得意らしい。でも、グーグルの宣伝のDMが、しつこいと言ってた。

別な知り合いからは、無視したら、検索で、○○社 詐欺 と表示された。

これて、違法でないかと思う。 皆さんは、どう思いますか?

意見をお聞かせ下さい。 

450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/08/25(Mon) 19:32
宗教法人の建物に人を住まわせて家賃をとる事は違法だとおもうのですが
どうですか?

451 名前:あたし 投稿日:2014/08/27(Wed) 13:47
最初天理教すごいなーって思ってました。
しかもあたし天理教だいすきだし。
でも勉強していくと結構、あたりまえのことが多いんですよね。
例えばなんだろー、神さんは陽気ぐらししなさーい
って教えて下さっていますが、
そもそも人間の体は、全て相手、人様の方に向いていて
自分1人の事をするには不向きで、助け合わなきゃだし
笑って、感謝して、喜ぶことで、
Bエンドルフィン ドーパミン てゆー脳内物質が
どんどん作られるんやって。
つまりは、人間は陽気にくらすようにって
神さんが作ってくださったもんやって
科学的に証明されてるもんちゃう?
よーわからんけど。
まだまだよーわからんから
勉強します

452 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/08/27(Wed) 17:34
 ∧ ∧
(゜∀゜*) ズリィー♪
⊂   つ≡=-
 と,, )〜≡=-
   ヽ)≡=-

453 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/09/09(Tue) 11:57
一応天理教の人間てわすが、なぜ信仰していない人たちは普通に生活できるのですか?
信仰を知らない人たちにもそれなりに、病気や悩みもあるかと思いますが
それなりに人生を全うして亡くなるかたが大半だと思います。
信仰しないと生きていけないわけではないですよね?

454 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/10/28(Tue) 22:48
近所の支部の子供が大迷惑。
勝手に人の内に玄関を開けて入ってくる。
うちの子の家の引き出しを勝手に開けて気に入ったものを盗んでいく。
取り返しに行ったけど。
天理教って、子供に気に入ったものは他人の家に上がりこんで、窃盗しろと教えているの?
注意したら良い訳ばかり。
年下の子供から身に着けているものを貸してと言って取り上げ、身につけたまま返さない横暴さ。
取り返しに言ったら、そこでも言い訳ばかり。意味不明。
何様?親も叱りもしない。何様???
窃盗が盗みが犯罪だって教えないの?
許可無く、人の家に入り込むのが不法侵入だとは教えないの?
うちは支部でもなんでもないのに?
それとも被害届出して、少年院にでも送って欲しいの?
わざと今度うちに呼んで窃盗させて警察に被害届出してやろう。

455 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/11/06(Thu) 02:16
私が思うに、貧に落ちきれ、と言う言葉は中山家だけに言った言葉ではないと思う。
全人類にそういっているのではないか?と最近思うようになった。
水を飲めば水の味がする、そういう時代がこれからくるのではないかと、
それでなければ雛形いらん、と思う。


456 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/11/17(Mon) 10:26
信者必読
ttp://ameblo.jp/sayao/entry-11613945138.html

掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)