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政治家を判断するには

43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/07/09(Fri) 18:00
■真紀子が「血判状を持っていけ」

 だが、菅と小沢の間柄は険悪になっていた。三月十九日、菅は小沢が打ち出した「政務三役と都道府県連役員の兼務禁止」の方針に従い、民主党東京都連会長を退いた。新方針の表向きの理由は「挙党態勢確立」だが、小沢の真の狙いは、参院選候補者選定をめぐる地方組織の抵抗封じにあった。菅は会長辞任前、小沢と会談し、蓮舫、小川敏夫に続く東京選挙区三人目の候補擁立に異論を唱えた。「蓮舫は大丈夫だが、小川は苦しい。三人目は勘弁してほしい」。だが、小沢は「複数区は、俺が悪者になって小さい県でも二人擁立を決めた。バランスを考えれば、東京が二人というわけにはいかない」と頑なだった。

 同じ頃、菅は周囲に「野党第一党の自民党が消費税率アップを主張している。今がチャンスなんだ」と財政再建への思いを熱っぽく語り、小沢が忌避してきた増税への意欲を見せ始めていた。菅がこのとき既に、小沢と袂を分かつ決意を固めていたのは間違いない。

 小沢の誤算により、一糸乱れぬ行動を取る小沢系中堅・若手の「一新会」は混乱を極めた。勝負どころは九月の代表選と見定めた小沢の動きは鈍く、代わりに側近議員が菅の対抗馬探しに奔走した。有力視されたのは、小沢に取り立てられて閣僚の座を射止めた総務相・原口一博だ。原口が将来の党代表を見据えているのは間違いない。だが、勝負時をもっと先と見ていた原口は、小沢側近の打診にも慎重姿勢を貫いた。

 対抗馬擁立が不調に終われば、小沢は不戦敗のそしりを受け、求心力低下は避けられない。「形作り」の必要に迫られた小沢は六月三日、参院議員会長・輿石東とともに元外相・田中真紀子と会い、出馬を口説いた。だが、田中は「次は選挙管理内閣。私は出ない」の一点張り。逆に「あなたが出なさいよ。それがいちばん分かりやすい」と小沢の出馬を求めた。言葉を濁したまま小沢が帰ると、田中は小沢側近の党総務委員長・奥村展三と一新会会長の鈴木克昌を呼び出し、「血判状を持っていけば小沢は出るのよ。私の父親(元首相・田中角栄)がああして活躍できたのは、派閥が結束していたからなのよ」とまくしたてた。

「やっぱり俺が出た方がいいのかな」

 一瞬ぐらついた小沢を、側近が「勝負は九月の代表選です。それまでは傀儡政権でいい」と押しとどめた。

 一新会が三日夕、国会近くのマンション「パレ・ロワイヤル永田町」で予定していた会合は、約一時間遅れで始まった。開始がずれ込んだのは、小沢側近の衆院議員・松木謙公が元政調会長・海江田万里に出馬を要請していたためだ。海江田に断られ万策尽きた松木は、一新会メンバーに対し、次善の策として温めていた衆院環境委員長・樽床伸二の擁立を提案した。だが、知名度抜群、百戦錬磨の菅を相手に、樽床では勝ち目がない。

「それが本当に小沢先生の考えなのか」

 会場は騒然とし、収拾がつかなくなった。小沢最側近の衆院議員・樋高剛に伴われてパレ・ロワイヤルに到着した樽床は、部屋に入って出馬の挨拶をすることさえ許されなかった。

 一新会は自主投票――。

――(2)に続く



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