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維新政治塾二次選考不合格の皆さんへ

88 名前:茶人見習い 投稿日:2012/08/04(Sat) 00:08
>>83
国民から広く献金を集められれば、それに越したことはないのですが、政治家が信頼を失っている現状では、すぐには難しいでしょうね…
個人的には、政党助成金で賄えない分は、政治家が身銭を切ればいいと思っています。
蓄財や安泰な生活が欲しい人は、公に奉仕する政治家なぞ辞めて去ればいいと考えています。
かつて明治期の民権運動が盛んなりし時代、政治家を志すと家族・親戚に猛反対されました。
政治家になれば家が潰れる、蔵が空になる、私財を投じなければならなかったからです。
現代の政治家には彼ら民主主義の先人たちが当然のように持っていた、そのような覚悟が感じられません。
それでは裕福な人だけが政治家になると批判されるかもしれませんが、本当に国民のための政治しているのならば、国民からカンパや献金を集めるのも容易い筈です。
先述の明治期の民権政治家にも、多くの人々がその志に感化されて、様々な支援を行ったという先例があります。

教育の内容については、塾生の議論の中でも、意見の分かれる課題でしたね。
私は、国民を守るために犠牲になった人々(例えば、特攻隊や殉職者)を、国際社会で当たり前のこととして、自然に敬えるような教育環境が必要だと思います。
ただ、児童生徒に「国の為に犠牲になるのは素晴らしいことだから、君たちも将来は国の為に犠牲に成るべきだ」と教育することにはどうしても抵抗があります。
反対に、政治家や役人に対しては、「国の為に犠牲になれ」と教育しても良いと思っています。
彼らは自らの意思で、その道を選んだのですから。
しかし私は、国民一般に、「国の為に犠牲になることは良いことだ」と教育し、国民がそのようになることが素晴らしいとは思えないのです。
有事の際に自分は安全なシェルターにいて、危険を共有しない政治家や官僚にとってはそのような国民のほうが都合が良いかもしれませんが。
うまく言えませんが、「国の為に国民が犠牲になることは避けるべきものであり、そのような事態は政治家と役人にとって恥ずべきもの、しかし、犠牲になった人の志は決して貶めてはならず、その魂は敬うべきもの」と考えています。

少し話題がそれますが、最近、政治家が国のため、国民のため、政治のために「命を捨てる」「命を懸ける」というフレーズをよく言葉でだけ叫んでいますが、私はこれがどうしても癪に障ります。
命は自分の意志でそんなに簡単に、捨てたり、懸けたりするような、そんな軽いものではありません…震災以降特にそう思います。
もちろん高い志ゆえに既得権者の標的にされ、道半ばで他者の牙にかかり心ならずも失ったり、他者の凶弾によって奪われたりはするかもしれません。
これもうまく書けませんが、自分のものとはいえ、命を大切にできない者が、他人の命を、国民の命を大切にできるでしょうか。

もっとも、国会でちょっと強い表現で罵倒されたり、脅迫文が届いただけで、政治的圧迫だ!威圧だ!委縮する!民主主義の危機だ!などと騒ぐ今の政治家は言葉だけ勇ましいだけで、本当に命を差し出す覚悟などないんでしょうね。
本当に命がけなら、言葉だけの罵倒や脅迫文など、なんでもないでしょうに…。
私自身、かつて絶望から自決を試みて痛みで恐怖して失敗した情けない経験や、児童虐待から生き残った児童と関わる仕事をした経験があるので、今の政治家の言葉の軽さと、覚悟の意味の理解のなさに本当に辟易します。

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