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童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/06/29(Sat) 16:43)]
大正8年の起こった童話童謡運動、多くの文学者、詩人、作曲家によって
多くの名作童謡を生んだ童話童謡運動。

しかし、それは戦後新しい若手勢力「ロバの会」による自らの利益を図る「童謡排斥運動」によって
終焉を迎えた。

その歴史に残る汚点は決して忘られるべきでない。


[62:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/03(Fri) 11:42)]
童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561794206&ls=50


[63:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/03(Fri) 18:15)]
「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、[あたらしいこどもの歌」というのは。
、NHKラジオ放送で昭和24年「歌のおばさん」が主体となっている。

当時は童謡黄金時代であったがこれはレコードであなくラジオである。
磯部俶、宇賀神光利、大中恩、中田一次、中田喜直ら若手二世五人の作曲家グループは、
昭和三十年「ろばの会」を作って、(レコードでなく)新しいラジオ番組「歌のおばさん」で
「あたらしいこどものうた」をつくろうとした。

そしてこれまでの(レコード)「童謡」の「排斥運動」を展開したのだ。
自らと競合する『童謡』を排斥したのだ。(「童謡排斥運動」という。)

昭和30年代後半から40年代にかけて、大中恩らの「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、
[あたらしいこどもの歌」がテレビの子供歌番組などでよく歌われた。

しかし、今から考えればそれは、あくまでちいさなこどものたわいもない歌でしかなかった。
現在保育園とか幼稚園位で歌われる位。

子供は大きくなる。童謡と言うのは大きくなって再び蘇る、しかし、この
さっちゃんなどは所詮幼児の歌、大きくなれば顧みられることは無い。


「ぞうさん」「サッちゃん」「おなかのへるうた」。。こうしたたあいないへんな歌は童謡黄金時代、「童謡」に対抗して、昭和30年に作られた「ロバの会」による「新しいこどものうた」というものです。対象就学期前の幼児でした。

そしてなんと、「童謡排斥運動」を起こしたのです。「ロバの会」自体が童謡排斥のためで、5人の若手二世音楽家によって作られたものでした。

「子どもに媚びない、新しい芸術的な“こどものうた”を作って行こう」ということで、“童謡”を“こどものうた”と言いあらためたと言うのだが、結局こどものうたにすぎなかった。そして排斥に依って自分たちの世はこなかった。

名もなきたった4人の若手二世で、大正時代からの『童謡』を変えるなどとても無理な事だった。 宇賀神光利、中田喜直らが相次いで亡くなり、2000年には解散となった。


<「ろばの会」について>
磯部俶(いそべとし)の提案で、“こどものうた”の作曲家グループとして、昭和三十年(1955年)に 中田喜直、磯部俶、中田一次(、宇賀神光利(昭和42年(1967年)に死亡)、大中恩の5人で結成。 まどみちおなど詩に加わる。

童謡をさんざん排斥した中田喜直は、その後、その「童謡」をそのままかすめ取って
『童謡協会』を作り、会長に収まった。

動機不純そのもので、さすがに最初から会長では露骨すぎとかんがえたのだろうか、初代はサトウハチロー、仲田は二代目として入った。
これいったいどういうこと。

日本童謡史における最大の汚点として、中田喜直ら、ロバの会の悪行は記録されるでしょう。

従って『童謡協会』に童謡を語る資格は無い。

また『童謡協会』は、『童謡』には関心がなさそうだ。

童謡を語れる人材も入っていないし、童謡を実際歌っている児童合唱団なども見向きもしていない。

ロバの会と同様、いずれ解散となるでしょう。

昭和44年(1969年)に童謡の再興を期して「日本童謡協会」が設立され海沼は常任理事に、加藤は事務局長に就任した。
しかし、役員の人選をめぐってもめた。初代会長サトウハチロー、二代目中田喜直)

2年後の総会の翌日、海沼は過労から心筋梗塞で倒れ、そのまま息を引き取った。「憤死」に近い。
加藤は代表作「みかんの花咲く丘」が酷評されたことに、生涯を通じて心を痛めた。
死の1ヵ月前、美知子さんの運転で故郷の富士市に行く途中、助手席でふと「あのとき、あの歌を作って良かったんだよな」とつぶやいた。
「自分に問いかけ、自分を納得させるような口ぶりでした」と美知子さんは思い起こす。「父も海沼さんも川田さんも、みんな純粋で一途でした」と続けた。

彼らは、「あたらしいこどもの歌」を排斥した「童謡」といいかえた。

「童謡」が「童謡」を排斥した「ロバの会」の延長メンバーによる「童謡協会」に乗っ取られたのだ!・

ここに童謡運動は終焉を迎えた。

しかし、その「あたらしいこどもの歌」も今歌われていない。知る人もいない。

真に心がこもったものでない限り、時代を超え、世代を越えて受け容れられることは無い。
このことを、これはものがたっている。

(「童謡の聖人・中田喜直」)


[64:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/04(Sat) 22:43)]
[世界大百科事典]内の歌のおばさんの言及

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

この中に「童謡排斥運動」の背景がよく表れていて、童謡排斥運動、そのもので、非常に参考になる。


【童謡】より

…しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。〈赤い鳥〉の流れをくむ詩人サトウハチロー(1903‐73)や新進作曲家団伊玖磨(1924‐ ),芥川也寸志(1925‐89),中田喜直(1923‐ )らによるもので,NHKのラジオ番組〈歌のおばさん〉を媒介とし,ここから《めだかの学校》《ぞうさん》など,簡単な旋律でありながら,芸術味のある歌が誕生した。ついで中田喜直,磯部俶(1917‐ )らによる〈ろばの会〉が結成され,彼らは〈レコード童謡〉のイメージから脱皮すべく童謡の名称を用いず,〈こどものうた〉とよんだ。…
※「歌のおばさん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。


[65:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/04(Sat) 22:49)]
>>53

h ttps://kotobank.jp/word/歌のおばさん-1274062

出典|株式会社平凡社
世界大百科事典 第2版について


[66:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/04(Sat) 22:54)]
上記訂正
>>64

h ttps://kotobank.jp/word/歌のおばさん-1274062

出典|株式会社平凡社
世界大百科事典 第2版について


[67:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/04(Sat) 23:09)]
うたのおばさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『うたのおばさん』は、1949年8月1日から1964年4月4日までNHKラジオ第1放送で放送されていた幼児向けの歌番組である。平日の8時45分から9時まで放送されていた。


概要
終戦直後の貧しい時代に、「歌」は最も重要な娯楽の一つだったが、いわゆる流行歌には、子どもの歌唱にふさわしくないものも多く、健全な子どものための音楽文化育成のために、番組が制作された。[要出典]
安西愛子と松田トシがピアノ伴奏で歌唱し、歌遊びや歌唱指導もあった[1]。この番組ができた当時、安西・松田の2人はまだ30代前半で、「おばさん」呼ばわりされるには抵抗があったようだが、「長寿番組にしたいし、そうすればおばさんのほうが親しみやすい」というNHK担当者の説得で納得したという。[要出典]
まど・みちお作詞、團伊玖磨作曲の『ぞうさん』[2]など、この番組のために作られた歌もある。他に、サトウハチロー、小林純一、中田喜直、團伊玖磨、芥川也寸志、佐藤義美らが番組に協力した[3][4]。
当時は、幼稚園や保育園に通う子どもはまだ少なく、団塊の世代とその前後の、多くの人たちが当番組を聞いていた。戦後の童謡の黄金期を作った[5]。月1 - 2回の外出録音を実施し、幼児と密接になるようにつとめていた[6]。
一方、1953年にテレビ(NHK総合)にて本放送が開始される。そのような中で、当番組のテレビ版を作ろうという話があり、1961年に当番組の編成にたいそうを加えた『うたのえほん』が開始された[7]。やはり1960年代になると、テレビが普及してラジオの聴取者が激減したため、[要出典]15年続いた番組も1964年に終了した。
当番組で誕生した歌
おかあさん  作詞:田中ナナ、作曲:中田喜直
お星さま   作詞:都築益世、作曲:團伊玖磨
1948年5月に放送、発表[9]。
こおろぎ   作詞:関根栄一、作曲:芥川也寸志
サッちゃん  作詞:阪田寛夫、作曲:大中恩
1959年に開催されたNHKラジオ「うたのおばさん」放送開始10周年記念の祝賀音楽会にて発表された[10]。
ぞうさん   作詞:まど・みちお、作曲:團伊玖磨
詩は1948年春頃に、曲は1953年に作られた[2]。
みつばちぶんぶん 作詞:小林純一、作曲:細谷一郎
めだかの学校   作詞:茶木滋、作曲:中田喜直
数曲が日本の歌百選に選定された。


[68:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/09(Thu) 23:27)]
ほとんどが動物、人間には関心ないようだ、
さっちゃんとかもチンパンジーなんだそうだ!・。


[69:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/04/11(Sat) 07:48)]
「こどものうた」といいながら、子供がいない。
結局、自分のため。

何の実績もない自分たちのため、対抗する実績のある「童謡」を排斥したもの。

したがって、今、子供も、誰も見向きもしない。
児童合唱団さえ、今や見向きもしない。

排斥によって何も生まれなかった。

会員は詩人と作曲家となっているが、誰も知る人もない名前ばかり。
典型的、会員の職能擁護団体に成り下がってしまっている。


[70:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/08(Fri) 22:14)]
【16 戦後の童謡】
(昭和22年)NHK連続放送劇「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」。
海沼実「みかんの花咲く丘」「おさるのかごや」「からすの赤ちゃん」「かえるの笛」「ちんから峠」、山口保治「かわいい魚やさん」「ないしょ話」、山本雅之「もりのこびと」など、放送、レコードによる、童謡作家、童謡歌手によって紹介され好まれた。
サトーハチロー等はこれらの童謡は幼稚で低俗だと批評し、芸術的な新童謡が作られるようになった。
NHKの(歌のおばさん)等に團伊玖磨「ぞうさん」「おつかいありさん」、中田喜直「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」「小さい秋見つけた」、大中恩「バスのうた」「サッちゃん」「ぞうさん」など多くがラジオなどで紹介され広く親しまれてきた。
近年はテレビの子供番組などから「山口さんちのツトムくん」「およげたいやきくん」等が出たが、CMソングなど音楽が多様化し、童謡としての曲はヒットしなくなった。


[71:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 21:32)]
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


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