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ラジオ放送について

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/07(Fri) 14:24
ラジオ放送について、番組や放送について、
取り上げてほしいことや、やめてほしいこと、その他なんでも
どうぞ!!。

45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/04(Mon) 23:16
>>34
>>11-13
>>31

(参考)

>>34

>たとえば福島コンビで、古関の代表曲とされる戦後の、「高原列車は行く」(丘灯至夫作詞・古関裕而作曲)など、戦後を含めマイナ−なごくごくありきたりの普通の「歌謡曲」でしかないのに「クラッシック」(クラッシックの香り)とかいう一語をつけて格上げされるべきでない。

「クラッシック」とは基本的意味において、そんないいかげんなものでは決してないはずなのだが!?。

「クラッシックの香り」だとか、「クラッシック紛い」はいらない!。

なんでも、紛い物(似非・エセという)などはいらない!。


>洋楽の殆どはクラッシック音楽を基本としてるのは常識。
したがって、クラッシック音楽そのものが、なんらの特長、利点になるためには、何らかの明確で顕著な特長を兼ね備えなければならないだろう。

世の中には、「クラッシック音楽」そのものでもなく、かといって格段何らかの明快な特長を持つわけでもないものも少なくない(クラシック紛い)。

音楽家たちに求められるものは、そうした一般的・表面的なものではなく、心に染み入る一歩突き進んだものではないだろうか。

一般的に「クラッシックの香り漂う」とか、「格調高い」とかだけのものもある。


古関裕而は福島出身だが、福島は東北ということもあるのか、郷土意識が高く、郷土の結束は、信じられない位、強固で緊密なものがあるようなのだ。
今回のNHK『連続テレビ小説 エール』というのも、震災後の郷土福島へのエールの意味が濃く、そのために何があるか探して、古関裕而に白羽がたてられたのだという。

そして豊橋市とともに、NHKに強力に働きかけた結果だそうだ。

因みに、古関裕而と一緒にやってきた福島関係の郷土の人の名を集めると、野村俊夫、菊田一夫、丘灯至夫、伊藤久男・・がでてくる。

古関裕而の歌でクラッシックでもないのに、ことさら「クラッシックの香り」、「クラシック系」などと評されるものが多く違和感を覚える歌の特徴は;

明らかに、誰が見ても一目で「クラッシック」というほどのものではなさそうということは明らかで、歌の作詞家に注目すると特徴がある。「詩人」でなく、「詩人・西条八十」ではなく、どこかの国の総理大臣みたいに、作詞者が福島系「お友達」を集めたようなものと決まっているようだ。これを見ると、ああ、なるほど郷土意識の表れ・・その程度のものかということが分かった‥。どう思いますか!?。

例:

高原列車は行く (丘灯至夫)岡本敦郎歌
ばら咲く小路  (野村俊夫)藤山一郎
雨のオランダ坂 (菊田一夫)渡辺はま子
イヨマンテの夜 (菊田一夫)伊藤久男








46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/04(Mon) 23:40
古関先生は生来の詩人ではなく、古賀政男みたいに詩に曲をつけるのは得意ではなさそうだ。

だから、古賀政男の場合、西条八十作詞のメジャ‐な名曲は余すほどあるが、古関裕而の場合は詩人・西条八十の曲でもメジャ―な曲になってるのが軍歌以外に殆どない。

だから、在郷のでも「お友達」のがいつの間にかクラッシック?になってしまうのだろう。

「影を慕いて」は誰もクラッシックどうのこうのなどと言わないが、あちこちのクラッシックの演奏会で、クラッシックとして演奏され歌われるが、古関さんの「クラッシックの香り」のするそうな曲が演奏されたのは聞かない。

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