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なつかしのメロディ

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/05(Tue) 19:21
懐メロが死語になってしまったようです。日本の文化遺産、日本の古き良き時代の
思い出のメロディを語りましょう。
あなたのなつかしのメロディはなんですか!?。

45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/06(Tue) 00:33
古賀政男はアルゼンチンの音楽をたっぷり自分のひきだしにつめて帰り「誰か故郷を想わざる」、「春よいずこ」に応用した。

古賀政男は初期の「影を慕いて」と裏表の【日本橋から】(1931)、今「お江戸日本橋」の代わりに日本橋の番組によく使われる日本初のアルゼンチンタンゴ【日本橋から】。

藤原義江の強い勧めで南米アルゼンチン訪問する古賀政男、藤原義江の見送りで東京駅を出発した写真が「自伝わが心の歌」に載っている。

アルゼンチンタンゴについては、アルゼンチンのギターの最高権威者アントニオ・シノポリや、タンゴ黄金時代の巨匠の一人で、わが国タンゴ愛好家のアイドル的存在、フランシスコ・ロムートが率いるオルケスタなどの音楽を吸収したのである。

また、帰国後、古賀政男は明らかにジャズの影響が見られた。昭和16年、太平洋戦争直前に発売された、古賀メロディーにしては珍しいジャズ調の《歌えば天国》(1941)、サトウハチロー作詞、同名の東宝映画主題歌や、『ジャズ忠臣蔵』(サトウハチロー作詞)などである。

古賀政男は、その直前1938年、アルゼンチン訪問した藤原義江に見送られて横浜を発ち、帰国時には三浦環の歓迎を受けた。

昭和10年(1935)年9月、ビクター専属から、コロムビアへと移籍していた西條八十、ここに昭和8年以来のレコード会社を越えての西條八十・古賀政男コンビが復活。

最初の作品である、「あの花この花」(二葉あき子)と「誰か故郷を想わざる」(霧島昇)、いずれも西條八十作詞。

「誰か故郷を想わざる」は、日本を遠く離れたアルゼンチンで構想がほぼできていたようだ。 (「誰か故郷を想わざる」のB面が「あの花この花」)

古賀政男は、「世界の古賀」となって凱旋、自信に満ちて日本的情緒を大切に邦楽傾向を強めてゆくのだが、同時に併せて外国音楽にも広く傾倒してゆく。『世界の古賀』のすごいところであるといえる。

こうして、ここに古賀政男第三期黄金時代が始まる。



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