掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

274 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:22
月の浜辺

   作詞 島田 芳文
   作曲 古賀 政男
   唄  河原喜久恵

 1.月影白き 波の上
   ただひとり 聞く調べ
   告げよ千鳥
   姿いずこ かの人
   ああ 悩ましの夏の夜
   こころなの 別れ

 2.月早やかげり 風立ちぬ
   われ啜り泣く 浜辺
   語れ風よ
   姿いずこ かの人
   ああ狂おしの夏の夜
   とこしえの 別れ

 1931年(昭和6年)5月、コロンビアから河原喜久恵の歌で
 発売されたもので、A面が藤山一郎の『キャンプ小唄』でした。
 青白い月の光に、わけもなく瞼がうるむ、淡く、なつかしい
 センチメントに溢れている曲です。
作詞の島田芳文は、古賀政男がコロンビア専属初期のコンビですが、
『丘を越えて』『キャンプ小唄』と主に、古賀の明朗な曲でヒットが多かった人です。
オリジナルのレコードは古賀のギターだけの伴奏で河原が歌ったセレナーデ
 風の佳曲で、古賀が好んだジプシーの短音階で作曲されています。


275 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 19:03
age

276 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 21:47
古賀政男は李香蘭のために「荒城の月」「宵待草」の編曲を行った。山田耕筰、本居長世、橋本国彦に次ぐ編曲です。

「荒城の月/宵待草」(古賀政男編曲 明治大学マンドリン倶楽部演奏 李香蘭 1942コロムビア100542)

戦後5年を経たない1950年1月、山口淑子主演の東宝映画「暁の脱走」が公開された。

李香蘭として戦地慰問の姿を自ら再現したような映画です。

この中で、李香蘭が兵隊を前に「荒城の月」を歌うシーンが You Tubeで見られる。(検索;山口淑子・荒城の月)

澄んだソプラノ、歌唱のすばらしさ、繊細に、心を込めて、言葉をひとつひとつ大切に、兵隊さんを前に切々と歌う李香蘭・・


李香蘭には、「宵待草」盤もあります。

「宵待草」の最初のレコードは昭和3年(1928)、藤原義江によって日本ビクター蓄音機から出されました。

SP盤では、関屋敏子盤など、この昭和17年の李香蘭盤まで、戦前だけで15年間に少なくとも18枚のレコードが出されています。


現在のクラッシック歌手で、これほどまでに歌えるものを知りません。

《李香蘭・宵待草》で検索。

『私の半生』によると、李香蘭は元来、体が丈夫でなく、肺浸潤を患って半年休学し、自宅静養する彼女を励ましてくれた、リューバ・モノソファ・グリーネッツという、ユダヤ系の白系ロシア人少女が同級にいた。

そのリューバが、病弱の李香蘭に呼吸器をきたえる健康法として、「クラシック歌曲」を習うことをすすめ、知り合いのマダム・ポドレソフを紹介してくれたおかげで、のちの彼女があるといっている。

マダム・ポドレソフは、ミラノ音楽学校教授を父にもつイタリア人で、ロシア貴族のポドレソフと結婚し、オペラ歌手として帝政ロシア時代のオペラ座で活躍しました。

ドラマチック・ソプラノの世界的な名手だったので、指導者としては申し分なしだったと思います。

『私の半生』には、李香蘭が、日本の歌曲「荒城の月」を祖国への郷愁そのものととらえ、シューベルトの「セレナーデ」、ベートーベンの「イッヒ・リーベ・ディッヒ」、グリークの「ソルベージュの歌」をうたい、中国の哀歌「漁光曲」や民謡の「鳳陽歌」のメロディを好んだことが出てきます。

また、李香蘭は三浦環に師事した事でも知られる。

こうしたことが、李香蘭の歌をクラシックを基盤にしながらも、より幅広いものにしていたのではないでしょうか。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったのが「荒城の月」というのもわかります。

そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが、昭和17年9月(発売)、古賀政男編曲になる。(COL100542 荒城の月/宵待草 李香蘭 )


ソプラノで哀しみを歌うことができるーそんなクラッシック歌手はそういるものではない。

そんな繊細な歌唱、それができるのはドイツリートの傍ら、多くの初期の古賀メロディを支えた本格的クラッシックソプラノ歌手・関種子とかクラス。

なぜ李香蘭なのか、その優しい歌声を聞けばわかる。

映画「暁の脱走」それは、なぜ李香蘭なのか、その問いに、一つの解答を与えるものでもある。


「暁の脱走」
李香蘭が戦後、山口淑子と名を変えて出演した『暁の脱走』。昭和20年の中国戦線、上官にひたすら従順な兵士と、慰問歌手との禁じられた恋の行方。 昭和25年に製作された反戦映画の傑作。

「国立近代美術館フィルムセンター」で保管されており,同アートライブラリ(竹橋)、フィルムセンタ―図書室(京橋)で見ることができるほか、時々鑑賞会が開かれている。

またDVDも出ている。
DVD[暁の脱走」(東宝TDV−2926D)
谷口千吉監督作品、1950李香蘭、池辺良

荒城の月荒城の月、宵待ち草、両曲とも古賀政男編曲。





277 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 21:53
主な李香蘭の作品29曲のうち、古賀作品が15曲で半数以上で一番多い。

この中には、「荒城の月」や「宵待草」(いずれも古賀政男編曲)があります。

三浦環に師事するなどクラッシックの修業を本格的に積んだ李香蘭、単なる美貌のスター、歌姫というだけでない、李香蘭の歌声が本格的なものであることは、この心に染み入る、心の琴線に触れるこの二曲を聞けばよくわかる。

今のクラッシック歌手でさえも、これほどのものは見当たらない。



伊藤久男盤であまり世間に受け入れらることができなかった名曲「雲のふるさと」への思い入れが強かっただろう古賀政男にとって、それは満たされないものがあったことででしょう。

そして、李香蘭の登場となるのでしょう。

上記二曲もはいってるようだが、李香蘭の「雲のふるさと」ぜひ聞きたいものです。



そういえば、李香蘭がテイチクでデビュー曲として吹き込んだ『さらば上海』は、もともとコロムビア時代に古賀政男が作曲した映画主題歌で関種子が吹き込んだ作品でしたね。

主要29曲のうち15曲が古賀作品…ですか。

『夜霧の馬車』などは流行歌テイストの曲調ですが、作り手と歌い手がとても息の合っている作品だと感じます。古賀は声楽の修業をしている魅惑の歌手・李香蘭に歌曲系メロディの『雲のふるさと』をうたわせたかったのではないかと思います。



278 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 21:58
「夜霧の馬車」は、代々木上原の古賀邸の応接間に西條八十、古賀政男、李香蘭が集まって歌いながら作曲を組み立てた傑作と言われます。

279 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 21:59
古賀政男には、「熱砂の誓い(建設の歌)」(西條八十作詞、李香蘭出演「熱砂の誓い」主題歌)、「馬」(佐藤惣之助作詞)など、いずれも伊藤久男歌唱の優れた作品があります。

「建設の歌」など朗々と歌いあげるのもいいけど、李香蘭の歌う「雲のふるさと」、それがあまりにも「真摯」で、「真実」で、そこに嘘が無かったのではないでしょうか。

そこに嘘偽りがないとき、聞く人の心に響いて思わず涙が溢れる。

そのため、かえって戦時下で公にできなかった・・のではないかなとも思います。

戦地を多く慰問した李香蘭、慰問先で明日をも知れぬ兵隊さんを前にして必ず最初に歌ったという「荒城の月」や「宵待草」、それはいいかげんなものではなかったはず。

それを聞いて、そうおもわずにいられませんでした。


話は少々ずれますが、李香蘭出演映画の主題歌『熱砂の誓い(建設の歌)」』は個人的に結構好きな歌です。メロディも古賀政男らしい感じが致します。
それにしても、李香蘭(山口淑子)、人気がありますねぇ。

そうですね、「熱砂の誓い」いい歌ですね。

もう一つの主題歌・挿入歌に「赤い睡蓮」があって李香蘭ですがこちらも名曲ですね。




280 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 22:08
「雲のふるさと」は伊藤久男が既に歌ってらしたんですねぇ。
SP盤を収集したての頃はこの時代前後にとくに関心がありました。
『雲のふるさと』は自分の持っている盤を含め何度か古物市場で目にしており、珍しくはないように思っていました。しかし後に李香蘭でテスト盤を吹き込んでいたということは、伊藤盤がヒットせず埋もれた状態だったのでしょうね。李香蘭盤発見の報道でオリジナルの伊藤盤について言及がなかったのは意外でした。


281 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 22:17
雲のふるさと
作詞 大木惇夫
作曲 古賀政男

常夏の椰子の木陰に
戎衣を解きて憩いつ
返り見る雲の遥けさ
ますらおの我と言うとも
ゆえ知らず涙落つるを

誰ぞ叱る我も人の子
胸熱く思い出ずるは
旗薄靡く信濃路
河鹿鳴く清き河部に
あの雲は今も翳らん

皇国に捧げたる身の
死にてよと汝は言わずや
幻に見ゆる故郷
我強し汝のあればぞ
弾丸の中行かんと思え


海軍礼式歌で戦後、NHKラジオ歌謡にもなっている。
伊藤久男歌で、最近古賀政男音楽文化振興財団で李香蘭盤が発見された。

282 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 22:27
「西条八十作詞・古賀政男作曲」の沢山ある名曲の一つに、松竹映画「サヨンの鐘」(清水宏監督、1943年7月)の主題歌で格調高い「サヨンの鐘」(1941)他がある。
今ほとんど知られてないが、日台の架け橋のような歌で、現在も台湾で知らない人は無い歌だそうで参考までに、中国名「月光小夜曲」。

「サヨン」というのは、この台湾奥地に住む少数民族・高砂族の娘で、昭和13年、日本人警官の出征に際し、嵐の中、荷物を持って決死で送ってくれるんですが、
自分は丸太の橋で足を踏みはずして転落してしまう、そして日本の台湾総督府は、少女の兄に鐘を送る。それを聞いた渡辺はま子が
、太平洋戦争直前にこの歌を歌う。後昭和18年に映画が作られる。

平成10年9月7日NHK 特集で放送された。日本人の高校生の女の子が台湾に行き、「サヨン」のお姉さんや知り合いに、当時の様子を 取材して歩くというもの。
「サヨンの鐘」は、中国語では「月光小夜曲」というタイトルで歌われていますが、 サヨンの村では、日本の歌詞をそのまま中国語に訳して歌われてる。
台湾原住民(かつての高砂族)の小学生達が学校で合唱していました。




「サヨンの鐘」(西条八十)渡辺はま子・・中国名「月光小夜曲」
  ♪あらし吹き巻く 峯ふもと  流れあやふき 丸木橋・・

「サヨンの歌」(西條八十) 李香蘭(山口淑子)
  ♪花を摘み摘み 山から山を 歌いくらして 夜露に濡れる・・

283 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 14:50
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50

284 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/30(Sun) 23:43
04/12 07:11 NHK総合 【おはよう日本】
“李香蘭”未発表の歌・2曲見つかる

戦時中日本人であることを伏せて李香蘭の名前で女優として活躍し去年亡くなった山口淑子が、戦時中に録音したとみられる未発表の歌2曲(「月のしずく」「雲のふるさと」)があることがわかった。
戦地に赴いた兵士の涙を描いたとみられる歌詞もあり、レコード会社は“戦時中にはそぐわない”として発売を自粛した可能性もあるとしている。
古賀政男音楽文化振興財団に言及。
この歌は今月29日に発売されるCDに収録されるという。
日本コロムビア・男性のコメント。
♪未発表の歌「月のしずく」、「雲のふるさと」/山口淑子(作詞・大木惇夫、作曲・古賀政男)。


285 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/30(Sun) 23:50
荒城の月
作詩 土井晩翠  作曲 滝廉太郎

藤原義江 0302 VIC1175 赤盤
藤原義江  0310 ORI30012
ブカナン  0511 COL26015
荻野綾子  0601 VIC13109 赤盤
奥田良三  0602 POL631
黒田 進  0606 TAI3034
牧 嗣人  0701 COL35221
内本 実   0801 COL35336
四家文子 0805 VIC52673
藤山一郎 0800 VIC52756
藤山一郎 0907 VIC53108
関屋敏子 1101 VIC13452 赤盤
奥田良三 1104 POL2268@
永田絃次郎 1110 KIN10002
藤原義江 1210 VIC J54098
藤原義江 1211 VIC13527 赤盤
藤山一郎、女声合唱団1501 COL30467@
井口小夜子 1704 KIN67025
李 香蘭 1709 COL100542@
帝国合唱団 1803 TEI T3418




286 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/12(Fri) 10:25
目ン無い千鳥(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)

「目ン無い千鳥」は、昭和15年(1940))4月10日にコロムビアレコードから発売された東宝映画「新妻鏡」の主題歌「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞)の裏面で、霧島昇、ミス・コロムビア夫妻が歌っている。

今は使えないと思うが、古賀政男が感動で打ち震えたという「新妻鏡」(霧島昇、二葉あき子)の佐藤惣之助の名詞とともに、それを一言も使わずに、目の見えない新妻の心情を、哀しくも美しい物語を歌い上げているところはこの詩人ならではの事。

いろいろな人が歌っているが、やはりオリジナルの霧島昇、ミス・コロムビア夫妻のデュエットだからこそ引き立つ素晴らしい青春歌謡といえる。


目 ン 無 い 千 鳥

 作詩  サトウハチロー
 作曲  古賀政男   
昭和15年

1 目ン無い千鳥の 高島田
  見えぬ鏡に いたわしや
  曇る今宵の 金屏風
  誰の科(とが)やら 罪じゃやら

2 千々(ちぢ)に乱れる 思い出は
  過ぎし月日の 糸車
  まわす心の 杯に
  紅はさしても 晴れぬ胸

3 雨の夜更けに 弾く琴が
  白い小指に 沁みてゆく
  花が散る散る 春が逝く
  胸の扉が また濡れる

4 目ン無い千鳥の 寂しさは
  切れてはかない 琴の糸
  青春(はる)の盛りの 若い葉に
  咽(むせ)び泣くよな 小糠(こぬか)雨

目ン無い千鳥とは「目隠し鬼ごっこ」の意。
「目ン無い千鳥の 高島田」とは、目の見えない薄幸の花嫁の晴れ姿、
目が見えないということを一言も使わずに、それを短い言葉で表現している。






287 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/08/15(Thu) 16:43
age

288 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/10(Tue) 23:10
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110&ls=50

289 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/10(Tue) 23:30
新妻鏡、目ン無い千鳥・・昭和15年、太平洋戦争直前80年前に作られた歌、
簡潔な言葉に凝縮された詩人ならではのやさしい詩、やさしいメロディ、やさしい歌声、いま聴いても情景が浮かんでくる新鮮な名曲。



290 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/11(Wed) 15:14
「酒は涙か溜息か」・・「古賀メロディ」の確立

☆「酒は涙か溜息か」・・「古賀メロディ」の確立

この「酒は涙か溜息か」で、「古賀メロディー」の時代を決定ずけ、SPレコード歌謡の幕開け、昭和流行歌、歌謡曲の誕生の記念すべき曲である。

昭和一桁、初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」という意味の記事が大きく載った。

古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。

そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」と逆に励まされたという。

これが、「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」を決定ずけ、かつ『古賀メロディ』の名を普遍的なものとした。

なお、晋平は後年「宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』(昭和13年11月)」に萩原朔太郎などとともに序文を寄せていて、古賀政男の芸術を「感傷性と平易(大衆)」と特徴づけ高く評価。

中山晋平は島村抱月・須磨子の死のあと藝術座を離れ、野口雨情、西條八十らと大正デモクラシーの中ではじまり、発展した童謡運動に加わりました。晋平の童謡は子どもたちに歓迎され、その歌は今でも歌い継がれています。

その他、大正から昭和のはじめに掛け、佐藤千代子などと新民謡(中野小唄、船頭小唄、波浮の港など)や歌曲など幅広い作曲活動を続けてきた。昭和に入ってからは『東京行進曲』「銀座の柳」など作曲しました。

しかしその後、流行歌(レコード歌謡)の世界は、古賀政男の登場でビクターから『古賀メロディ』のコロムビアに移っていきます。

大正期には、唱歌調、新民謡調を脱しきれなかった日本の大衆歌謡が、[古賀メロディ]の時代を迎えて初めて歌謡曲(歌謡歌曲)として確立されたと言える。

中山晋平は昭和一桁時代、昭和9年1月の童謡「皇太子さまお生れなつた」(北原白秋作詞 中山晉平作曲)を最後に、ほぼ空ろな悠々自適生活を送っています。

【古賀 “メロディ” 】とは、当時の主流だった中山晋平の【晋平 “節” 】に対する言葉である。(上山恵三)

上山敬三著「歌でつづる大正・昭和 日本の流行歌 上」 東京 早川書房  昭40 (1965)
「影を慕いて」 昭 7 作詞・作曲古賀政男 歌手藤山一郎
昭和 7 年は、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」の連続ヒットで一躍スターダムに登り詰めた古賀政男作曲のこの曲が流行した。
古賀の曲はそれまで主流であった中山晋平の「晋平節」に対し、「古賀メロディー」と呼ばれた。
(注)上山 敬三(1911-1976)は音楽評論家、ビクター文芸部長、ディレクタ-を歴任。

昭和10年には熱海、西山町に別荘を建て、ピアノ も送ってしまいます。晋平の後のビクタ―の顔は佐々木俊一に、以後はほとんど作曲はしていない。

西條八十はビクタ―に談判、昭和8年の1年間、社を越えてコロムビアの古賀政男と提携、「サーカスの歌」など、その後もたくさんの名曲を送り出すことになる「西條八十・古賀政男」黄金コンビがこの時確立。

昭和14年にはその西條八十もビクターからコロムビアへ。西條八十の代わりは、弟子の佐伯孝夫。
[西條八十・古賀政男] 、コロムビアにおけるこの昭和歌謡史に残る圧倒的な黄金コンビは戦後に至るまで、昭和45年、八十が亡くなるまで続いた。

昭和17年「日本音楽文化協会理事長」、そして戦後昭和23年「日本音楽著作権協会長」等の要職を歴任します。

(参考)
・毎日新聞社社会部編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社1956.3)

・「週刊日録20世紀1931(昭和6年)―「満州事変」勃発!」」講談社1997
人物クローズアップ 古賀政男、「酒は涙か溜息か」大ヒット
銀座で東北の惨状を訴える学生たち

・畑守人編著『晋平節考 うるわしき調べ』(北信ローカル社 1987)

・上山敬三著「歌でつづる大正・昭和 日本の流行歌 上」 早川書房 ハヤカワライブラリー 昭40 (1965)  



291 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/11(Wed) 15:19
☆酒は涙か溜息か

酒は涙か溜息か(高橋掬太郎作詞 古賀政男作曲)
昭和6年(1931)9月、満州事変の勃発と東北大凶作、世界恐慌、不安な歴史の背景の中で生まれた昭和の歴史に残る出来事である。

これが洋楽の形式をもった、「晋平節」中山晋平の時代から「古賀政男」の時代へ、これをもって本格的昭和SPレコード歌謡の幕開け、昭和流行歌、歌謡曲の誕生の記念すべき曲である。
この型破りの二行詩の「酒は涙か溜息か」の発表で、
「古賀メロディー」の時代を決定ずけた、同時に歌手「藤山一郎」を誕生させた記念碑となる曲である。

人々は、主流だった【晋平“節”】に対し、【古賀“メロディ”】と呼んだ、ここにメロディを大切にした「古賀メロディ」が確立した。

「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」・・こうした優しい、あの前奏・間奏?後奏がそれぞれ独立した一曲にも値するような、音のキャンバスいっぱいにつかったような、これまでにない新鮮でしかも哀調を帯びた「古賀メロディ」の登場、「酒は涙か溜息か」と「古賀メロディ」の登場・・それは昭和の歴史上で、社会的、歴史的にも大きな出来事だった。

戦後10年、昭和31年(1961)3月に出た、毎日新聞社「写真 昭和30年史」がある。

ここには、多くの貴重な写真が。昭和6年の扉は、有名な古賀春江の『酒は涙か溜息か』(昭和6年9月新譜)の楽譜の絵と東北大凶作での娘身売り相談所の写真、世相、それに「古賀メロデー」登場を、こう伝えている ・・

「9月18日未明、満州事変勃発。」・・
「東北出身の兵隊が満蒙の戦野で戦っているとき、その留守の東北は冷害が田や畑を、村を荒廃させてしまった。稲作は平年作の三分の一と言われ、人々は蕨の根を掘り、松の甘皮を剥いて飢えをしのぐ惨状だった。
 岩手の詩人・宮沢賢治は『雨にも負けず、風にも負けず、・・寒さの夏はおろおろ歩き・・』とうたったが、 都市の学生たちがその惨状を訴えているとき、巷では「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」
 など青白きインテリ層の中に「古賀メロディ」が氾乱していった。」・・
 毎日新聞社会部編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社 1956.3)




292 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/14(Sat) 23:06
大正から昭和の初めにかけて、大衆が誰でも歌える歌というものが
民謡など除いて存在しなかった。

誰でもが歌える歌ずくり、それを一貫して目指した者、それが中山晋平。

晋平の歌は【晋平節】と言われた。劇中歌から、童謡、新民謡、歌謡歌曲。

中山晋平は野口雨情、佐藤千夜子と組んで、大正から昭和の初めにかけて「新民謡・新童謡コンサート」(全国歌の旅)を行っていた。

まだ新幹線も飛行機もない時代に全国行脚を行い民謡採譜や普及運動を行っていた。

この中から生まれたのが新民謡「波浮の港」で、この『波浮の港」がビクタ―発足に伴いレコード第一号となり、レコード歌謡(流行歌といった)第一号。

これを歌った佐藤千夜子は『レコード歌手第一号』と言われた。

このレコード歌手第一号佐藤千夜子の力添えで誕生するのが古賀政男。

昭和6年(1931)1月佐藤千夜子の歌で「影を慕いて」「日本橋から」が世に出た。(後に昭和7年3月藤山一郎)

そして、晋平の【晋平節】の次に世の流れになっていくのが古賀政男の【古賀メロディ】。

「古賀メロディ」の「メロディ」とは、「晋平節」の「節」のに対するもので、古賀政男が「メロディ」を大切にその重要性を主張していたそことによる。

令和2年(2020)は昭和95年、『古賀メロディ 89年』

影を慕いて、丘を越えて、酒は涙か溜息か、窓に凭れて、月の浜辺・・

もうすぐ90年!

昨日今日できたものではない・

80年を超える多くの戦前の「古賀メロディ」の名曲の重み!。

名前: E-mail:

全部 最新 50 1 - 50 掲示板のトップへ リロード スレッド一覧

■▲▼
【2:291】  昭和歌謡が好きな人集まれ!
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!


282 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 22:27
「西条八十作詞・古賀政男作曲」の沢山ある名曲の一つに、松竹映画「サヨンの鐘」(清水宏監督、1943年7月)の主題歌で格調高い「サヨンの鐘」(1941)他がある。
今ほとんど知られてないが、日台の架け橋のような歌で、現在も台湾で知らない人は無い歌だそうで参考までに、中国名「月光小夜曲」。

「サヨン」というのは、この台湾奥地に住む少数民族・高砂族の娘で、昭和13年、日本人警官の出征に際し、嵐の中、荷物を持って決死で送ってくれるんですが、
自分は丸太の橋で足を踏みはずして転落してしまう、そして日本の台湾総督府は、少女の兄に鐘を送る。それを聞いた渡辺は

293 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/15(Sun) 20:02
誰か故郷を想わざる

作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌 :霧島昇


(一)
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を くみながら
唄をうたった 帰り道
幼馴染の あの友この友
ああ 誰か故郷を想わざる

(二)
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ 誰か故郷を想わざる

(三)
都に雨の 降る夜は
涙に胸も しめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああ 誰か故郷を想わざる
     
80年前、太平洋戦争直前昭和15年(1940)発売、西條八十作詞・古賀政男作曲、そのたくさんある名曲のひとつ。


294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:17
昭和とは大正15年(1926)から、昭和64年(1989)まで、60年を越える。

詞というものは、長くなればなるほど、言ってることは狭くなるもの。
逆に簡潔であればあるほど、自分で思い描ける部分が広く、共通部分が広くなり、味わい深くなるもの。
年末の特集番組でもやっていたが、最近の歌はみな歌詞が長く、テンポが早く、しゃべってしまっている。
ほとんどその中に重ね合わさることはすくない。

「泣くな妹よ妹よ泣くな・・・生きて行こうよ、希望にもえて・・」(人生の並木路)

 ・・まずしくとも、まじめにいきていればきっといいことがある・・

豊かさとともに失ってはいけない大切なものがある。

日本がまだ貧しかった時代、「兄弟の絆・兄弟愛」を適切に歌いあげている。

「人生の並木路」、それは味わえば味わうほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。
今の豊かな世ではありえない詩人・佐藤惣之助の傑作だと思います。

日活映画 渡辺邦夫監督1937.1「検事とその妹」(武田敏彦原作「検事の妹」)主題歌

人生の並木路
(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 ) 昭和12年(1937)

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない

2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか

3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る

4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。





295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:26
「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない詩です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。


296 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:33
昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。

「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。
以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。


297 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:40
別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。

古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。


298 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/29(Sun) 22:47
>>294

訂正

正  竹田敏彦原作

299 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/01(Wed) 20:45
>>294

日活映画 渡辺邦夫監督1937.1.8「検事とその妹」(竹田敏彦原作「検事の妹」)主題歌

300 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/02(Thu) 14:59
情景が目に浮かぶ。

301 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/07(Tue) 09:48
「人生の並木路」(佐藤惣之助作詩,古賀政男作曲、ディックミネ)


もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があったが、内容は『神田川』などだった。“四畳半フォーク”が゛“人生の苦悩”じゃ、世も末だなと寂しくなりました。

『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」)の主題歌です。

日本はいつの間にか豊かになりましたが、長く貧しい時代が続きました。昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。

まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。

昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。

今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。

昔は昭和戦前まで、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだす、そんな時代であったことでしょう。このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。

日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、だんだん失われてゆくのは大変残念なことです。
家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。

支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。

そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。
どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。

この歌は、日本人が忘れかけていたことを思い出させてくれます。





302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/07(Tue) 09:55

「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない誌です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。

心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。

・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html



昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。

「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。


以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。

別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。

古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。



古賀政男は、映画会社と提携し多くの映画主題歌を世に送り出した。
特にテイチクでは日活と提携し、「緑の地平線「」や」「人生の並木路」など多くの名曲を送り出した。

初期の、「酒は涙か溜息か」「鳩笛を吹く女の唄」などはまだ無声映画だった。

303 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 08:40
☆藤山一郎と古賀メロディ

藤山一郎がラジオに登場したのは、昭和3年の慶応普通部時代で、それ以来、音楽放送の歴史とともに歩んできた。
『日本放送史』(日本放送協会編)には、「藤山は、《丘を越えて》《影を慕いて》などの古賀政男のいわゆる古賀メロディーで流行歌手としての地位を確立、音楽学校卒業後、増永丈夫の名でクラシック曲を、藤山一郎の名で流行歌曲を歌いのち、指揮者として活躍し、戦前、戦後を通じて放送音楽に重要な役割を果した。」とある。

「藤山一郎」とは、昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」をはじめとする古賀作品をレコード吹き込みにあたっての名前で、これが昭和歌謡史に残る「藤山一郎」の実質的レコードデビュー。

「歌う昭和史・藤山一郎」の原点は昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」「酒は涙か溜息か」・・。

平成四年、国民栄誉賞受賞。愛宕山のNHK放送博物館には彼のコーナーがあり、業績や記念物の展示があり、ビデオが見れる。

ビクター時代の藤山は『燃える御神火』、『僕の青春』などがヒットしたが音楽学校在校中に吹込んだ『古賀メロディー』ほどの大ヒット曲には恵まれなかった。

藤山はこの時期を振り返り、「私の出る幕はなかった」、「レコードの売り上げ枚数をもって至上命題とするプロ歌手の壁は厚かった」と述べている。

ビクターのライバルコロムビアでかつて放ったヒットをしのぐことはできなかった。

ビクターとの契約期間は3年で満了を迎えた。ビクターは藤山との再契約を望んだが、当時コロムビアからテイチクに移籍して重役作曲家になっていた古賀政男はテイチクへの移籍を促した。契約金は1万円であった(ちなみに、同時期の内閣総理大臣の月給は800円)。

1936年(昭和11年)、古賀が作曲した『東京ラプソディ』が販売枚数35万枚のヒットとなった。これにより藤山はB面の『東京娘』とあわせて2万1000円の歌唱印税を手にし、学生時代から抱えていた生家の借金を完済することができた。

PCLによって『東京ラプソディ』を主題歌にした同じタイトルの映画も制作され、藤山が主演した。『東京ラプソディ』と同じく古賀が作曲し1936年に発売された『男の純情』、翌年の『青い背広で』『青春日記』もヒットした。

藤山はこの時期に歌った曲の中から印象に残る曲として、『東京ラプソディ』とともに『夜明けの唄』(大阪中央放送局が1936年に企画した、有名な詩人の作品に歌をつける企画、国民歌謡、国民合唱と呼ばれた)を挙げている。

1933年(昭和8年)3月、藤山は東京音楽学校を首席で卒業した。卒業直後にビクターに入社し、同社の専属歌手となった。ビクターは前年の春から藤山に接触し、毎月100円の学費援助を行っていた。『酒は涙か溜息か』などのヒット曲がコロムビアから発売された曲であったことから藤山はコロムビア入社も考えたが、停学となって以来長らく接触が途絶えた上、ようやく交渉を開始してからも藤山が求めた月給制を拒絶したため、月給100円に加え2%のレコード印税支払いを約束したビクター入社を決めた。

藤山は1931年から1932年にかけておよそ40の曲を吹込んだ。代表曲は古賀政男が作曲し1931年9月に発売された『酒は涙か溜息か』で、100万枚を超える売り上げを記録した。塩沢実信によると、当時の日本にあった蓄音機は植民地であった台湾や朝鮮を含めおよそ20万台で、「狂乱に近い大ヒット」であった。

デビュ−以来、ほぼ古賀政男と多くの「古賀メロディ」」の名曲を歌いあげてきた事で知られる、「古賀メロディ」の最大の功労者・「藤山一郎」の代表的な曲を次にあげる。





304 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 08:53
☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
*コロムビア
キャンプ小唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931年 7月
酒は涙か溜息か (高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲)  1931年10月
丘を越えて   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年12月
スキーの唄  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932年1月
鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1932年2月(井上静雄名)
影を慕いて   (古賀政男作詞、 古賀政男作曲)  1932年3月
*テイチク
東京ラプソディ (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)  1936年7月
東京娘    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
さらば青春  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
男の純情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年8月
大洋の寵児  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
旅の鴎(かもめ)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
回想譜(今城靖児作詞、古賀政男作曲) 映画「女の階級」挿入歌1936.12   加寿子のうたえる…
青春の謝肉祭  (島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936年12月
聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1937.1(日活「検事とその妹」挿入歌)
青い背広で  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
青春日記   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年5月
青春旅情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1938年3月
歓喜の丘   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1938年3月
白虎隊    (鈴木吟亮 詩吟)(島田磐也作詞、古賀政男作曲) 1937.11
*コロムビア
なつかしの歌声 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
春よいづこ   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
働こうぜ友よ  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1941.3
歌えば天国  (西條八十作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、二葉あき子)1941,7
崑崙(こんろん)越えて(大木惇夫作詞、古賀政男作曲)       1941,7
リンゴが紅い (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、松原 操)1941.8
青い牧場 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(奈良光枝)  1943.2
(これ以降、藤山一郎は南方慰問に駆り出され、終戦を迎え抑留となる。日本帰任後,最初にNHKラジオ番組に出たことから主にラジオとの付き合いになってゆく。)

(戦後)
嘆きの小鳩   (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
友情の歌   (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲 1948
愛のカレンダー (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1951
夜の湖     (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲) 1952






305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 09:05
八十と惣之助

大正期の詩人として、西条八十(1892〜1968)と佐藤惣之助(1890〜1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもある。ひとつは、詩のうまさ。もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあらず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家として名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:14
大女優原節子(1920年6月生まれ))の映画初演は昭和10年、15歳の時で、
『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲 監督、1935年)節子 をはじめに戦後まで多くの映画に出演。

その中で、「古賀メロディ」を主題歌とする作品が多い。

『緑の地平線』前篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『白衣の佳人』(阿部豊 監督、( 1936年)由紀子
『検事とその妹』(渡辺邦男 監督、1937年)明子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助 監督、1940年)琴姫
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男 監督、1945年)(冒頭の15分のみ現存、原はクレジットされているが出演場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品)
『麗人』    (渡辺邦男 監督、 1946年)菊小路圭子


307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:29
日活映画1937 渡辺邦男監督「検事とその妹」

 原作 竹田敏彦「検事の妹」


竹田敏彦「検事の妹」;大衆文学大系20 (講談社 1972.)

308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:36
人生の並木路


雪も降れ降れ 夜路のはても
 やがてかがやく あけぼのに
 わが世の春は きっと来る

3番目の詞と4番目の

 生きて行こうよ 希望に燃えて
 愛の口笛 高らかに
 この人生の 並木路

〜この詞に救われる思いがします。
 だれもがそう励まされて人生のたどって来た道すがら、人という物は道の末にあると思う我が世の春を、今も夢見て歩くようです。
 厳しい世は世の中や出逢う人々が辛くあたり意地悪をするわけではないのですね。
 『世の総ての厳しさこそ、幸福の手がかり』
 と、く二人の背にやがては登る太陽の暖かさに励まされて我が人生の並木道を行く姿の中に「常楽我浄」があると聖者は説いた。すなわち・・・
 諸行無常 是生滅法 消滅滅己 寂滅為楽
 『常楽我浄偈』(じょうらくがじょうげ)として世の人々の火灯りとして智慧の灯りを点されていますね。
 この歌を聞くとき何時も、このように思うのですよ。
 これは、私の心の師「盲目の賢者」様から教え諭された事です。


309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:44
「人生の並木路」は、―日活映画「検事とその妹」(1937.1.14)・・竹田敏彦原作の『検事の妹』の映画化・の主題歌で、戦前、戦後2回にわたって映画化されている。
  1937.1.14 日活多摩川 渡辺邦男監督 岡譲二、原節子
  1956.5 新東宝 古賀聖人監督 丹波哲郎,日比野恵子
映画は知らなくとも、「人生の並木路」は、映画を離れて広く時代を超えて愛されています。
日本はいつの間にか豊かになりましたが、昔日本がまだ農村主体の貧しかった時代、
貧乏人の子沢山・・長男とか兄は、弟・妹の面倒を一身にみる、それがあたりまえだったそうです。

「検事とその妹」(昭和12年)という映画は、昭和12年1月、もうすぐ70年ですが、「法の裁きのなかにも人間の情がある」こと
をテーマとしたもので、両親を早々と失い,唯一の妹と貧しい生活を支え合う
という経験をしてきた、被告を裁く検事は、そのため同じような立場にある被告に対して同情の念を禁じ得なかった・・のです。
最近はこのような「人間の情」が余り語られることが無く、こうした人間の情をテーマとしたドラマや映画も、昭和30年代以降、
日本が豊かになるにつれて、めっきりなくなってきたのは残念なことです。
この歌は日本にもそういう時代があったことを教えてくれます。


310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:50
『泣くな妹よ 妹よ泣くな・・』(佐藤惣之助)・・この歌は聴けば聴くほどに味のあるメロディーのすばらしさが存分に味わえる名曲です。
戦時中には「誰か故郷を想わざる」とともに兵士たちの間で最もよく歌われたといわれ,「この歌のおかげで,ぜひ妹の顔をもう一度見ようと
思って,つらい間も生き抜くことができた.」という便りも作曲者のもとに寄せられたそうです。最後に『生きてゆこうよ 希望に燃えて・・』
で結ばれる、簡潔な中に今失われつつある「兄弟の絆」を歌った説得力のあるすばらしい歌だと思います。

h ttp://homepage1.nifty.com/muneuchi/enka/ch13.htm
h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/jinseinonamikimichi.htm

311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 19:55
愛染かつら


昭和13年〈1938)作品、松竹大船三部作。 ...-

『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎原作の同名小説の映画化、川口松太郎のたっての希望で西條八十に作詞のすべてを依頼。

全編を通じて「子守歌」というい歌詞がいたるところにでてくる。
生みの親、育ての親、この親子の情をテーマとしている。

♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道♪、と歌う「旅の夜風」が有名な戦前の松竹メロドラマの傑作。子持ちの未亡人看護婦・高石かつ枝と、院長の息子で青年医師の津村が恋に落ち、身分の違いや子供の病気など様々なすれちがいを経てついに結ばれる・・・。同時に霧島昇とミス・コロムビアの二人も、この三部作の最後の「愛染夜曲」の最後で、歌詞そのままに結ばれる。


312 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:05
愛染かつら完結篇の主題歌「愛染夜曲」の最後四番目にこうある。

はろばろと はろばろと
愛の山河 今日旅終えて
結ぶ縁(えにし)の 愛染かつら
花よ降れ降れ より添う肩に


「愛染かつら」と共に結ばれる、霧島昇とミス・コロムビア(松原操)に対するはなむけの言葉であると、西條八十は自伝『唄の自叙伝』にかいている。
h ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-aizenzoshi.html

・愛染かつら 1938年(昭和13年)9月10日       
  主題歌 旅の夜風(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞、竹岡信行作曲)ミス・コロムビア

・続・愛染かつら 1939.5.5
  主題歌 愛染夜曲(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
  挿入歌 朝月夕月(西條八十作詞、竹岡信行作曲) ミス・コロムビア

・愛染かつら・完結編 1939.11.16
  主題歌 愛染草紙(西條八十作詞、万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
 挿入歌 荒野(あれの)の夜風(西條八十作詞、早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子



313 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:15
新妻鏡

1940東宝映画 小島正二郎原作「新妻鏡』主題歌
作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男

僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(くらし)なら
清いふたりの 人生を
熱い涙で 謳おうよ


314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:34
物が有り余る時代、最近の歌には、感動できる歌がめっきりすくない。一方昔の歌も歌われる機会が少なくなりつつある。

「新妻鏡」・・昭和15年、太平洋戦争開戦直前、東宝映画『新妻鏡』は、目の見えない薄幸の新妻が苦労の果てに結ばれると言う話(小島政二郎原作)で、霧島昇、二葉あき子(戦後、島倉千代子)歌。

まだテレビも無かった時代、昭和は「日本映画黄金時代」。どんな小さな街にも小さな映画館があって、人々は続編を心待ちにしていたのでした。

実は録音されていないが2番と3番の間にもうひとつあって、

  強くなろうよ 強くなれ
  母となる身は 幼児(おさなご)の
  愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
  なんで嵐に あてらりょう

この歌は、すごい重みのある。


男女年齢を問わず勇気ずけられる人生の応援歌です。

これを歌えば、今流行の育児放棄虐待などありえないことでしょう。

簡潔な詞のなかにわすれかけている大切なことが、さりげなくちりばめられた惣之助の詩。

時代を超えて、味わいのある歌だと思います。
ぜひ、オリジナルで聞いてください。

なお、挿入歌に「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (霧島昇、ミス・コロムビア歌) がある。男女年齢を問わず勇気ずけられる人生の応援歌です。






315 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 20:41
とてもいい曲だと思います。いつまでも残しておきたいですね!。。
現代ではいろんな人が作詞、作曲されていますがこのように心に残る曲がないのが残念でなりません。  
このようなきれいで心に残る曲を後世に
これからも数少ない名曲を大切にみんなで歌い継がれるようにしたいですね!。


316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:00
関種子(1907〜1990)
昭和期のソプラノ歌手。府立第二高女から東京音楽学校に進学。ドイツリートをレーヴェに師事。在学中に結婚し、本科を首席で卒業後、坪内逍遥原作・山田耕筰作曲の歌劇「堕ちたる天女」で楽壇デビュー。クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。
「堕ちたる天女」の抜粋をコロムビアレコードに吹込んだのが縁となり、1931年(昭和6年)同社からデビュー。「窓に凭れて」、「嘆きの夜曲」、「あけみの唄」、「日本橋から」など、主に初期の古賀メロディーをヒットさせている。
一方、武蔵野音楽学校や東洋音楽学校で講師を務め、戦時中は軍需工場への慰問にも参加した。
戦後は、藤原歌劇団、東京オペラ協会などの公演に出演。グルリット・オペラ協会にも参加し、1956年(昭和31年)には、長門美保、佐藤美子、四家文子らとコンセールFを結成した。また、国立音楽大学、名古屋音楽大学の教授、東京藝術大学講師などを務め、門下生も多数輩出している。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%A8%AE%E5%AD%90



317 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:07
あけみの唄 昭和7年(1932年)

作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ


318 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:38
☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。
映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。


昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。




☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。
昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。
映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、90年近くたった今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。
初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。
子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。






319 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 21:57
☆関 種子と「古賀メロディ」

初期の「古賀メロディ」を支えた歌手・関 種子、ドイツリートのソプラノ歌手のかたわら「古賀メロディ」を中心に、数多くの名曲を 残している。

乙女心    (鹿山鶯村作詞, 古賀政男作曲) 1931.6
青春図絵の唄(貞子の唄)(菊池寛作詩、古賀政男作曲)1931.11
窓に凭れて  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931.12
美わしの宵   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932.1,
金色夜叉(お宮の唄) (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.2
日本橋から  (浜田広介作詩、 古賀政男作曲) 1932.3
秘めたる恋  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.3
さらば上海  (時雨音羽作詞、 古賀政男作曲) 1932.4
あけみの歌   (原阿佐緒作詞、 古賀政男作曲) 1932.5
朝顔の唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.6
笛は冴ゆれど  (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.7
嘆きの夜曲   (西岡水朗作詩、 古賀政男作曲) 1932.7
愛は紅い    (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.9
去りゆく影  (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.1
初恋の唄   (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.3
旭川小唄(新民謡)(波多野勝作詞 古賀政男作曲) 1933.3

乳姉妹の唄 (佐藤惣之助作詩、佐々江華作曲) 1932.6

320 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:05
☆霧島昇の代表曲(古賀メロディ)

誰か故郷を想わざる(西條八十作詞、古賀政男作曲)        1940.2
新妻模様      (久保田省二作詞、古賀政男作曲)(松原操)   1940.3
新妻鏡 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子)1940.6
目ン無い千鳥 (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)(ミス・コロムビア)1940.6
相呼ぶ歌 (西條八十作詞、古賀政男作曲) (菊池章子) 1940.9
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(松原操、李香蘭)1941.7
山の凱歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲)(伊藤久男)   1941.6
思い出の記    (大木惇夫作詞、古賀政男作曲)   1941.12
素晴らしき首途 (西條八十作詞、古賀政男作曲)    1942.5
花の生命     (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲)(李香蘭) 1942.8
故郷の白百合   (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)(松原操) 1943.2
なつかしの蕃社  (西條八十作詞、 古賀政男曲)(菊池章子) 1943.5
勝利の日まで(NHK版) (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)   1944.6

麗人の歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1946
旅役者の唄    (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1946
裏町セレナーデ  (野村俊夫作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1946
旅の舞姫     (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子〉 1947
高原の乙女     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
あの夢この歌   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子〉 1948
三百六十五夜    〈西條八十作詞、古賀政男作曲)(松原操)   1948.9
母を呼ぶ歌 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(高峰三枝子) 1949
希望に燃えて   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(伊藤久男他)  1949
ギタ‐月夜     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1952
白虎隊(詩吟 荒国誠)(島田磬也作詞、 古賀政男作曲)    1952



321 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:18
☆楠木繁夫の代表曲

国境を越えて  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1934.8
男ごころ    (西岡水朗作詞、 古賀政男作曲) 1934.8
白い椿の唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.3
希望の花束 (不詳、古賀政男作曲)      1935.4
ハイキングの唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1935.5
山は微笑む (小西民治作詞、 古賀政男作曲) 1935,8
男のまごころ (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
緑の地平線   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11
啄木の歌    (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1936.4
慈悲心鳥の唄  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.7
護れ国境    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.11
女の階段    (村瀬まゆみ=島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936.12
丹下左膳の唄  (佐藤惣之助作詞、 楠木繁夫歌) 1937.1
スキ‐の唄   (島田芳文作詞 、 古賀政男作曲) 1937.3
やすらいの唄 (百田宗治作詞、 古賀政男作曲)1937.3(1947.12 NHKラジオ歌謡)
嬉しい仲    (テイチク文芸部作詞、古賀政男作曲)(美ち奴)    1937.5
のばせばのびる (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)        1937.7
真実一路の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1937.8
時代の霧   (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)        1937.12
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、古賀政男作曲)(ディックミネ) 1938.1
人生劇場   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1938.6
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲)(李香蘭)    1942.8
どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)        1942.12
歌う狸御殿   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(三原純子)1942.12
月の小島 (西條八十作詞、古賀政男作曲)         1942.12
戦いの街に春が来る(西條八十作詞、古賀政男作曲)(菊池章子) 1943.3
明けゆく蒙古  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1943.3
夏子の歌    (西條八十作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1943.10
いさおを胸に (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲)(松原操)1944.11
カボチャの歌  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1944.11
どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)        1942.12
歌う狸御殿   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(三原純子)1942.12
月の小島 (西條八十作詞、古賀政男作曲)         1942.12
戦いの街に春が来る(西條八十作詞、古賀政男作曲)(菊池章子) 1943.3
明けゆく蒙古  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)        1943.3
夏子の歌    (西條八十作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1943.10
いさおを胸に (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲)(松原操)1944.11
カボチャの歌  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1944.11




322 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:26
☆ディックミネの代表曲(古賀メロディ)

恋は荷物と同じよ (瀬川与志=サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(川畑文子)1935.6
望郷の唄    (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1935.7
二人は若い (玉川英二作詞、 古賀政男作曲) 1935.10(星玲子)
波止場がらす (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
夕べ仄かに   (島田芳文作詩、 古賀政男作曲) 1935.11
ゆかりの唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11(台詞:星玲子)
白衣の佳人の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.3
愛の小窓    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.10
人生の並木路 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937.1(テイチク1200)
ギターに寄せて (星野貞志作詞、 古賀政男作曲) 1937.5
恋のハワイ   (吉本英夫作詞、 古賀政男作曲) 1937.12
黄河の月 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(三根耕一名)1938.7
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲) (楠木繁夫)  1938


323 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/08(Wed) 22:34
☆李香蘭の歌う古賀メロディ

さらば上海 (時雨音羽作詞、古賀政男作曲)李香蘭1939.9(初唱1932関種子)
紅い睡蓮     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1940.11
興亜三人娘 (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)奥山彩子、李香蘭,白光1940.12
黒き宝       (西条八十作詞、古賀政男作曲) 李 香蘭 1941.6
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(霧島昇、松原操、李香蘭)1941.7
夜霧の馬車 (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
北京の子守唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
迎春花(インチュンホワ)(西條八十作詞 古賀政男作曲)李香蘭 1942
夕月乙女   (西條八十作詞、古賀政男作曲)   李香蘭 1942.7
花の生命      (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲) 霧島昇、李香蘭 1942.8
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲) 楠木繁夫、李香蘭 1942.8

荒城の月(土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲、古賀政男編曲)、明大マンドリンクラブ伴奏、李香蘭 1942.9 COL100542

宵待草  (竹久夢二作詞、多忠亮作曲、古賀政男編曲)李香蘭、明大マンドリンクラブ伴奏1942.9 COL100542

若き日の夢    (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1943.3
サヨンの歌     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1943.5


掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)