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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史
- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/05/27(Mon) 08:43
- 昭和6年(1931)「酒は涙かため息か」「丘を越えて」「影を慕いて」・・いずれも藤山一郎、
今から88年前、まもなく90年を迎える「古賀メロディ」。
《日本のクラッシック》「古賀メロディ」の歴史を振り返る。
- 147 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 14:20
- >>138
>>141
NHKの連続ドラマ「いちばん星」で紹介されたの覚えておられる方も多いかと思います。日本で最初のレコード・スター歌手・佐藤千夜子は1897年(明治30年)3月13日、山形県天童市で生まれました。
13歳の時、英語の勉強をするため上京。ミッション系の学校に在学中オペラを観たことから音楽を志し、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学。東京音楽学校の社交場でもにもなっていた本郷中央教会で聖歌を歌った、ここで同じクリスチャンの山田耕筰と知り合い、山田から中山晋平を紹介されて、中山に師事することになります。
中山が野口雨情らと一緒におこなっていた「新民謡・新童謡コンサート」(全国歌の旅)に、歌手として参加、この企画の中で生まれた新民謡「波浮の港」が昭和3年(1928年)(ビクターからレコードとして発売。これが日本の商業レコード第一号とされている。
このレコード歌手第一号、晋平の唄(晋平節)そ世に広めた歌手「佐藤千夜子」の力添えで誕生することになるのが、「古賀政男」(正男)でした。
「いちばん星」にはこのあたりのことが描かれています。
- 148 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 14:38
- 佐藤 千夜子(さとう ちやこ、1897年(明治30 年)3月13日 - 1968年(昭和43 年)12月13日)は日本初のレコード歌手。本名は佐藤千代。山形県天童市出身。華々しくかつ浮き沈み激しい人生は、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」のモデルとなった。
子供の頃から天童教会の日曜学校に通い、伝道師のミス・キルバン(Miss.Kirwan)と出会う。天童小学校高等科卒業後、その歌の才能を見抜いたキルバンに連れられて上京。ミッション系である普連土女学校(現普連土学園)に入学。在学中にオペラを鑑賞し強い感銘を受け、音楽を志す。
1920 年(大正9年)、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。在学中に作曲家の山田耕筰、中山晋平、詩人の野口雨情らと知り合う。中山、野口と共に「全国歌の旅」に出る。
1925 年(大正14年)、ラジオ放送が開始され、ラジオを通して歌うようになる。「青い芒(すすき)」でレコードデビュー。発売元は内外蓄音器(後の太平蓄音器)。
1928 年(昭和3年)、中山、野口らと共に行っていた「新民謡・新童話コンサート」から生まれた「波浮の港」を日本ビクターよりリリース。これが日本初の商業レコードとされている。「波浮の港」は10万枚の大ヒットとなる。同年に「当世銀座節」をリリースしヒットする。また、古賀政男の「影を慕いて」を歌う。これにより、古賀はメジャーデビューのきっかけを掴む。
1929 年(昭和4年)、「東京行進曲」を5月 1日にリリース。菊池寛原作の同名小説を映画化した作品(主演夏川静江、入江たか子)の主題歌に用いられ、日本初のタイアップ曲。25万枚以上を売り上げ特大ヒットとなった。全国区のスターとなると共に、自身最大のヒット曲となる。この曲は「歌謡曲」というジャンルを確立した曲でもある。
- 149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 14:41
- 昭和の初頭、日本のレコード歌手第一号として輝かしい脚光を浴びた山形県出身の歌姫・佐藤千夜子の生涯を作品にした舞台です。
その物語は、明治44年3月、山形県天童から13歳で上京した千代は、幼い頃の夢でもあった歌の道に進むべく東京音楽学校に入学します。
ある日、その歌声が中山晋平、山田耕作、野口雨情らの耳にとまり、才能を見いだされた千代は「誰もが歌える簡単な歌、人々が求める大衆の歌」を目指す中山晋平らとともに「全国歌の旅」に参加します。
そして日本ビクターから「波浮の港」を発売し、ここに歌手《佐藤千夜子》が誕生します。
昭和4年、映画「東京行進曲」の主題歌が大ヒットし、佐藤千夜子の名を不動のものとしたのです。
- 150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 14:43
- 佐藤千夜子は生家が5分ばかりの天童教会の日曜学校に通って、
教会伝道師の紹介で、上京、普連士女学校へ入り、
この時期にオペラを見て、感動しのち東京音楽学校を受験する。
歌を通して、山田耕作に中山晋平を紹介され、
その後は、野口雨情が加わり親交を深めます。
佐藤さんは、当時中山晋平の曲を歌い各地を回り、
1925年ラジオが開設されると中山晋平の「青い芒」で歌う。
- 151 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 14:46
- 1924年(大正13年)、歌手・佐藤千夜子の初レコーディング曲と言われています。佐藤は大正時代、野口&中山コンビ主宰「新民謡童謡普及運動」である「新民謡・新童謡コンサート」(「全国歌の旅」)に歌手兼講師で参加。当時「新民謡童謡普及運動」のメンバーは台湾まで出掛けています。巡演先のレコード会社「内外蓄音機」で1924年レコーディング。1929年(昭和4年)にもビクターで再録音されてます。
♪青い芒(すすき)に蛍の虫は・・・。
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