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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

167 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/06(Mon) 17:27
佐藤千夜子が、「文のかおり」「影を慕いて」など、古賀の曲を全7曲をビクターでレコードィングした。

しかし、無名な一青年演奏家にすぎなかった若き「古賀正男」の作曲作品を、天下のビクターの、それも中山晋平作品を広める歌手、佐藤千夜子がレコードィングするなどということは、ビクターにすれば考えられないことだったはずです。

佐藤千夜子のすごいところ、その功績、それは古賀政男の才能を発掘し、ビクターの反対を押し切ってでも、その作品をレコードィングでき、世に送りだしたということです。

もし、これがなかったら、今の『古賀メロディ』の隆盛も、大衆歌謡たる『歌謡曲』の歴史も違ったものとなっていたことでしょう。

ただ、佐藤千夜子は、レコードィングの7日後には、日本を発っています。
ですから、宣伝も何もされていないのです。

宣伝もないのだから、佐藤の『影を慕いて』がはやらなかったというのは、しかたないことだったはずです。

しかしそれをコロムビアがほっておくはずがありません。

今から89年前、佐藤千夜子の「影を慕いて」が発売された昭和6年(1931)が明けてまもなく、明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長米山正から古賀政男(正男)に面会の申し入れがあった。

コロムビアの専属作曲家となって、『影を慕いて』のような作曲をしてほしいとのことであった。このとき古賀に破格な『印税』が支払われると言う条件でである。しかもまだ印税制度が一般的でなかった時代である。
 
昭和4年から昭和5年末にかけて、佐藤千代子によって『文のかをり』(1930年3月発売)をはじめとして、『影を慕いて』(1931年1月発売)など7曲が吹き込まれた。

栄えあるレコード歌手第一号で、晋平の歌を世に広めた歌手、佐藤千代子(ビクター)の力添えで、古賀は作曲家になったといえる。この辺りのことは、NHK朝の連続テレビ小説、「いちばん星」(1977年(昭和52年)4月4日から10月1日)に描かれている。
h ttp://www.youtube.com/watch?v=Vz_pa0HGiwU

古賀政男は、自伝【我が心の歌】で、佐藤千夜子について、私に作曲家の道を開いてくださった【終生の恩人】と書いている。

昭和4年、明治大学を卒業した古賀政男がコロムビアの専属作曲家となったのは、89年前の昭和6年(1931)3月20日9だった。

「影を慕いて」「日本橋から」などは、藤山一郎、関種子など東京音楽学校主席卒業のクラッシック歌手によって、再び脚光を浴びることとなった。


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