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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

172 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/07(Tue) 21:43
コロムビアのディレクター・伊藤正憲に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。

『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。

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