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童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/06/29(Sat) 16:43)]
大正8年の起こった童話童謡運動、多くの文学者、詩人、作曲家によって
多くの名作童謡を生んだ童話童謡運動。

しかし、それは戦後新しい若手勢力「ロバの会」による自らの利益を図る「童謡排斥運動」によって
終焉を迎えた。

その歴史に残る汚点は決して忘られるべきでない。


[42:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/20(Sat) 13:24)]
>>1-7
>>8-21

童謡協会の会員(正会員)の要件は、童謡の作詞または作曲をするもの、童謡著作者(詩人・作曲家)とされるが、聞いたこともないような名前ばかり。
「先人のすぐれた童謡を受け継ぎ」となっているのだが、どうもそうとも思えない。
会員の相互連携や職能を擁護する目的で設立された典型的団体(職能団体という)の域をでていないようだ。


[43:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/20(Sat) 13:45)]
国会図書館も職能団体にいれてるね。


[44:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/22(Mon) 11:25)]
「農村へ送る夕べ」の主題歌・農家のみなさんこんばんは・・♪農家の 皆さん今晩は一日お仕事ご苦労さんお疲れ直しのこの時間ラジオのおそばにさあどうぞ ♪ ...

農村へ送る夕べ

♪農家の皆さん今晩は
一日お仕事ご苦労さん
お疲れ直しのこの時間
ラジオのおそばにさあどうぞ♪
 
まだまだ雑音が多く聴きづらいものだったが、夕食後の大きな楽しみが増えた。「戦地へ送る夕べ」、「農家へ送る夕べ」には、多数の有名歌手がでていた。
なかでも「童謡歌手川田正子」が歌うテーマソング「戦地(農家)の皆さん今晩は、今日も一日ごくろうさん、お疲れ直しのこの時間、ラジオのおそばにサァーどうぞ」のメロデーが鮮明に残っている。

敗戦直後のNHKのラジオ番組「農家に送る夕べ」のテーマソング(作詞:山上武夫 作曲:海沼実)でした。
当時は食糧難で、NHKも農家に気をつかって特別番組を用意していたようです。

戦後の食糧難の時代、ラジオで流れてくる ♪農家の皆さん今晩は 一日お仕事ご苦労さん・・の唄声に農家のみなさんは仕事に励めたそうだ。







「農家の皆さん今晩は」

(NHK「農家に送る夕」テーマソング 
     (作詞 山上武夫  作曲 海沼 實)

 1 農家の皆さん 今晩は
  一日お仕事 ごくろうさん
  お疲れ直しの この時間
  ラジオのおそばへ さあどうぞ

 2 ぷかりと一服 お父さま
  赤ちゃんにおっぱい お母さま
  まあまあたんぼの お話は
  ゆっくりお後で なさいませ

 3 おやおや時間に なりました
  おしゃべりお歌は 止めにして
  それではこれから 番組を
  次々お送り いたしましょう

  


「農家に送る夕」は終戦直後のNHKラジオ毎週月曜夜8時からの放送でした。


「東京放送児童合唱団」でした、「東京放送児童合唱団」は昭和18年NHK嘱託として、戦中、戦後早々まで活躍しました。

他に、戦後早々のNHK子供向けラジオドラマの主題歌を歌っていました。

昭和27年まで行われた『桜んぼ大将』や『鐘の鳴る丘』などで、当時録音ではなく、毎日NHKに出向いて生放送していたそうです。

昭和27年からあらたにNHK内に、『NHK東京放送児童合唱団』が作られ、おおくの合唱曲が歌われた。

このあと、『NHK東京放送児童合唱団』が、『NHK東京児童合唱団』になったが、これは、『東京放送児童合唱団』が、

『音羽ゆりかご会』のNHKラジオ放送における別称だったという歴史によるからと言われる。







終戦後の日本は極度の食糧不足と石炭不足に見舞われた。そこでNHKでは,食料とエネルギー源確保のため,「農家へ送る夕」(昭和20年10月より),「炭坑へ送る夕」(昭和21年8月より)といったラジオ番組を定期的に組むようになった。


[45:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/23(Tue) 23:09)]
>>39-44

平成16年、「学童疎開60年」の年、夏には各地で記念展や行事がありました。学童疎開は、今から75年前、ちょうど敗戦の一年前より行われたものです。

昭和19年8月より、20年にかけ、国民学校3年以上の学童は、戦火を避けるため縁故があれば縁故で、無い者は集団疎開をおこないました。映画『少年時代』は、この学童疎開を、体験した藤子不ニ夫原作によって映画化したものです。なお、これとは関係無いが、あの對馬丸の悲劇はこの時、昭和19年8月に起こったものです。
 
 「学童疎開」、それは家族がバラバラになり、空腹といじめ、のみ・しらみなどそれは厳しいものだったようです。当時学童疎開を励まし歌ったものに、NHKから流れた国民合唱・『父母の声』(草川信作曲)、♪太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ・・、同じく国民合唱『勝ち抜く僕等小国民』(橋本国彦作曲)♪勝ちぬく僕等小国民 天皇陛下の御ために・・などがあります。同じ頃、「お山の杉の子」が歌われました。
 
昭和 20 年 2 月に放送された「父母のこえ」という歌があります。 学童疎開をテーマにした曲で、悲哀に満ちあふれる隠れた名曲です。 作詞は童話作家の与田準一、作曲は「夕焼小焼」「揺藍のうた」の草川信です。これも、NHKラジオで放送され、東京放送合唱団、東京放送児童合唱団によって歌われました。

父母の声

太郎は父の故郷へ 花子は母の故郷へ
里で聞いたは何の声 山の頂雲に鳥
希望大きく育てよと 遠く離れた父の声

太郎は父の故郷へ 花子は母の故郷へ
里で聞いたは何の声 浦の松風波の音
生命清しく生い立てと 遠く離れた母の声


[46:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/24(Wed) 07:35)]
からすの赤ちゃん 
海沼實 作詞 作曲
昭和14年(1939年)

1)
からすの赤ちゃん なぜなくの
こけこっこの おばさんに
あかいお帽子 ほしいよ
あかいお靴も ほしいよと
かあかあ なくのね

2)
めえめえ山羊さん なぜなくの
お里の 母さんに
おねむに なったよ
あまいおっぱい 頂戴ねと
めえめえ なくのね

3)
迷子の鳩さん なぜなくの
みみずく おじさんに
夜路は こわいよ
ほおずき提灯 かしとくれと
ほろほろ なくのね

4)
きつねの赤ちゃん なぜなくの
三日月 おばさんに
木の葉でかんざし 買っとくれ
小石で花ぐし 買っとくれと
こんこん なくのね


戦後昭和30年代、童謡黄金時代によく歌われました。
川田正子ほか多くの童謡歌手が歌っています。
音羽ゆりかご会の本拠地、文京区護国寺の境内の隅に記念碑があります。


[47:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/29(Mon) 21:55)]
「お山の杉の子」作詞 吉田テフ子、作曲 佐々木すぐる。歌は安西愛子、加賀美一郎、 寿永恵美子、日蓄児童合唱団。
録音は11月6日に国民合唱。日蓄児童合唱団(音羽ゆりかご会/音羽小国民合唱団)
19年12月 ラジオ放送(国民合唱)東京放送合唱団、東京放送児童合唱団(音羽ゆりかご会/音羽小国民合唱団)

「勝ち抜く僕等小国民」昭和20年1月21日 放送 作詞 上村数馬 作曲 橋本国彦 歌 東京放送合唱団 東京放送 児童合唱団(音羽ゆりかご会/音羽小国民合唱団)

いずれも空襲が激化、国民学校5年生以上は田舎に知人があれば疎開。あければ都内で。何百万人の学童が疎開、このころ歌われた歌。東京放送児童合唱団・・音羽ゆりかご会/音羽小国民合唱団のNHKラジオ放送における別称・・は疎開しないで空襲下の東京に残りライオ放送したという川田正子など。

昭和 20 年 2 月に放送された「父母のこえ」という歌があります。 学童疎開をテーマにした曲で、悲哀に満ちあふれる隠れた名曲です。 作詞は童話作家の与田準一、作曲は「夕焼小焼」「揺藍のうた」の草川信です。

昭和20年2月、日本の歴史で最も厳しい時、敗戦の坂道を転げ落ちるように、2月には硫黄島上陸、陥落、3月10日には一夜にして10万人が亡くなった東京大空襲。

硫黄島陥落、飛行場を作って、戦闘機が護衛したもの。

「父母の声」(作詞 与田準一、作曲 草川信〉

「東京放送合唱団」は空襲の惨蛾の中、疎開もせず放送し続けたという。


[48:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/29(Mon) 22:07)]
訂正
「東京放送児童合唱団」は空襲の惨蛾の中、疎開もせず放送し続けたという。


[49:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 09:16)]
■日本の主な童謡歌手■

大正時代以来の、「童謡」は日本の優れた文化遺産です。

詩人、作曲家とともに、そして作曲家に薫陶された多くの優れた童謡歌手が生まれました。
その歌声は今聞いても新鮮で優しく心温まり癒されます。
いまのクラッシックを標榜する歌手もここまでとてもこれほどまでには歌えない・・そんな素晴らしい歌声は時代を超え、世代を超えて歌われ続けることでしょう。

童謡の中には、藤原義江、三浦環など日本の優れた国際的歌手が好んで歌い広めたものも多い。いい加減なものではない。

昭和30年代は、童謡黄金時代、たくさんの童謡と、たくさんの優れた童謡歌手が生まれました。童謡歌手はあたまに大きなリボンをつけて歌っていました。

この、昭和30年代童謡黄金時代に突然、実績のない一部若手の心ない策動によってか、この童謡と真の童謡運動が突然終焉を迎えることになったのは残念なことではないでしょうか。


(戦前)

本居みどり,貴美子、若葉(本居三姉妹)
平井英子
村山(ダン)道子
平山美代子
中山梶子
本多信子
金子一雄
石井亀次郎
小笠原英夫
佐々川浩子
杉山みち子
宮下礼子
尾村まさ子
大川澄子
加賀美一郎




(戦後)

川田正子
川田孝子
川田美智子
大道真弓
中根庸子
秋田喜美子
持田ヨシ子
安田祥子
安田章子
古賀さと子
田端典子
近藤圭子
岩田佐智子
伴久美子
羽崎共子
久保木幸子
関根敏子
井上裕子
桑名貞子
本間千代子
岡田孝






[50:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 11:36)]
戦前も童謡黄金時代、当時も音羽ゆりかご会(海沼實 昭和8年)、小鳩会(河村光陽)など、多くの児童合唱団があった。

弘田竜太郎は、作曲活動のかたわら、NHKラジオの子供番組の指導や児童合唱団の指導、指揮にあたったことで知られる。
(当時、ラジオ放送はNHKのみ)


「東京放送児童合唱団」の歴史

・1943年(昭和18年) - 当時の社団法人日本放送協会 (NHK)が放送合唱団を公募し、たくさんの児童合唱団の中から、スタジオでの作曲家による審査委員会による厳重審査の結果、「音羽ゆりかご会」を「東京放送児童合唱団」として委嘱。

・同合唱団は戦後早々の、NHK連続放送劇「さくらんぼ大将」「鐘の鳴る丘」など、戦中戦後のNHKラジオ放送に大きく貢献した。

・1951年(昭和26年)6月1日 - 放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散。当合唱団に関する事務は、特殊法人である日本放送協会が承継。

・1952年(昭和27年)3月 - NHK独自の児童合唱団として「NHK東京放送児童合唱団」(通称N児)を編成。
 NHK独自の児童合唱団として再編成され、『みんなのうた』『歌のメリーゴーラウンド』など、同局の音楽番組、教育番組に出演、現在に至る。

・2003年(平成15年)10月 - NHK東京児童合唱団に改称。
 名称変更理由は、同合唱団の前身にあたる「音羽ゆりかご会」や、東京放送(現・東京放送ホールディングス)の関連合唱団と間違われないためとされる。


[51:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 23:04)]
「甦える 童謡歌手大全集」(CD10枚組)全200曲
 ビクター WT-0305(CD10枚組)2005
東京カルチャーセンター(JDMA会員) 
 SPオリジナル盤 
   
「お山の大将」「青い目の人形」から「ひょっこりひょうたん島」まで
 本居みどり、平井英子、本田信子、平山美代子、中山梶子、河村順子、川田正子、孝子、
 古賀さと子、秋田貴美子、岩田佐智子、伴久美子、久保木幸子、田端典子、桑名貞子、井上裕子、波崎共子、近藤圭子、安田章子、安田祥子、中根庸子、松島とも子、岡田孝、小鳩くるみなど
 
図書館等で、、カセットもあり


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