ラジオ BBS@10ch掲示板
BBSローカルルール

新規スレッド作成を実行する前に
・スレッド一覧を検索して,類似・重複スレッドがないか確認
・Windowsの方は【Ctrl + F】で、Macの方は【Command + F】で検索
・スレッドタイトルは分かりやすく検索しやすい名前で
・スレッドタイトルには検索可能なスレッド内容に関わるキーワードを必ず挿入して下さい
諸注意
利用規約お知らせを熟読した上でご利用下さい
・トリップ機能等,掲示板の詳しい使い方はBBSの使い方を読んで下さい
連絡
原則他サイトへ誘導は禁止です
HP宣伝等の宣伝行為及びメル友募集は禁止です
チェーンレスは禁止です
・本サイト全域におきまして,18禁(性的描写)は禁止です

最後のページ 次のページ スレッド一覧  i-mode  リロード

1: (取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産) (45)  2: 日本の童謡と日本童謡学会の創設 (40)  3: ちんちんラジオ (1)  4: 日本の歌こころの歌 (120)  5: ラジオ番組について (43)  6: 昭和SPレコード歌謡番組を待望する。 (75)  7: なつかしのメロディ (27)  8: ラジオ放送について (79)  9: 童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動 (71)  10: 乙葉の乙葉っする (7)  11: 飯田理穂ミュージックサプリ (4)  12: McDonald’s SOUND IN MY LIFEについて (5)  13: 王様ラジオキッズ(ハァ? (6)  14: 北野誠のズバリ (5)  15: 関ジャニ∞の横山裕と村上信五の〜レコメン!! (29)  16: 【声優・歌手】〜アニメ系ラジオ雑談〜【アニメ・ゲーム】 (7)  17: SPR48 (6)  18: KAT-TUNスタイル聴いてるリスナー来て!! (22)  19: SCHOOL OF LOCK! (38)  20: よろしくおねがいします (5)  21: TBSラジオのjunk枠最高だぜ! (9)  22: ぱるぷんてらじお (3)  23: 小山慶一郎の慶ちゃんNEWS聴いてる人!! (9) 
スレッド一覧はこちら

【1:45】  (取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 18:28
今、テレビには、その歌番組は、我流自己流本位のグループサウンズや、シンガーソングライターや、ロックなど、ほとんど楽譜さえ満足に読めない、
楽譜もない、すべて自分流、我流でしか存在できない若者文化に占領されてしまっています。
いつのまにこんなになってしまったのか!?。

日本には、もっと素晴らしい日本の歌、心の歌、日本の文化遺産がたくさんあります。
テレビに。お茶の間に取り戻そうではありませんか!。



36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/21(Sun) 22:18
生誕100年記念・霧島昇と松原操(ミス・コロムビア)大全集
日本コロムビア/新聞・雑誌記事の頁
解説:「霧島昇・松原操の鴛鴦歌手」・音楽文化研究家 長田暁二/「思い出の記」・東京音楽大学名誉教授 坂本紀男[長男]/「二代目松原操襲名の思い」・大滝てる子改め二代目松原操[三女]

2014.6.25発売 コロムビアファミリークラブ CD5枚組 10,800円(送料別648円) ■:ステレオ録音/★:初CD化音源
h ttp://matubaramisao.com/kirisimanoboru&matubaramisao-cd-index.html


37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/22(Mon) 07:57
2012年7月20日 (金)・・ いちうた

影を慕いて
h ttp://music1930.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-469a.html


38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/22(Mon) 08:08
最近の歌番組は、これまでとはまるで異なる、似て非なる「ライブ」そのものになってしまっている。

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/25(Thu) 14:24
■朝ドラ『エール』野田洋次郎さん配役のモデル・古賀政男とは?
 2020/05/14

h ttps://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/05/04/147322/3


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/25(Thu) 19:54
戦前の流行歌 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt



41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/20(Mon) 06:53
最近の歌事情は、歌というより「音楽」、それが「ライブ」になってしまっているということだ。
殆ど、歌としては素人、だから「シンガーソングライターといって、ヘタクソな歌唱を自分流勝手に叫ぶだけ。

昔は、淡谷のり子などが「歌屋」といって批判していた。
昔は古賀政男とか「大御所」が居て、黙っていても、いるだけで、それだけで重石(おもし)になっていて、歌とはこういうものだという、生きた規範・規準になっていたのだ。

今、そういう生きたルールになる「大御所」がいない。

42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 09:09
古賀メロディ、それは昨日、今日できたものではなく、散発的なものではなく、もうすぐ90年、か終えきれないほど多くの名曲で知られる日本の文化遺産です。

43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 09:10
もうすぐ90年、数えきれないほど多くの名曲で知られる名曲の宝庫・日本の文化遺産です。

44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/31(Fri) 22:50
CD「古賀メロディ誕生70周年記念 古賀政男大全集〜20世紀の遺産〜」
ディスク枚数: 16   (1998/07/18)
昭和の大衆歌謡を象徴する作曲家・古賀政男の作品を,彼が活躍したビクター,
コロムビア,テイチクから集めた文字通りの大全集。
h ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EMS9/diarynote-22/249-1303985-9970766?dev-t=DWVY610Y8Y49Z%26camp=2025%26link_code=xm2&ref=nosim


45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/08/05(Wed) 23:17
十五夜お月さん

 作詞:野口雨情
 作曲:本居長世

雨情は一見暗そうだけど、人の痛みを理解し生きる人。
雨情は有情にもつながる。
生きとし生けるものへの人一倍の優しさを感じる。

真の童謡その背景には人がいる、人の想いが隠れている。
童謡には人の深い情愛が込められている。


このたった二行の詩に、こんなにも悲しさと切なさを表現できた野口雨情には、自分との境遇がきっと重なっていたのではないのでしょうか!
「十五夜お月さん」この唄はいろんな方が歌唱されてますが、今更ながらですが、本居長世のこのメロディは本当に琴線に触れてくるものがあります!

本居長世:生後1年で母と死別。養子であった父が家を出たため、やはり国学者であった祖父、本居豊穎に育てられる。祖父の期待に反して音楽家を志すようになり、1908年(明治41年)東京音楽学校本科を首席で卒業、日本の伝統音楽の調査員補助として母校に残る。なお、同期にやはり作曲家となる山田耕筰がいる。1909年(明治42年)器楽部のピアノ授業補助、翌1910年(明治43年)にはピアノ科助教授となり、ピアニストを志すが、指の怪我で断念。このときの教え子に中山晋平や弘田龍太郎がいる。1918年(大正7年)「如月社」を結成。この如月社で本居長世の作品を独唱したのが美しいテノールの音色を持つバリトン歌手、藤山一郎(東京音楽学校声楽科出身で、慶應義塾普通部のころから本居長世のところに出入りしていた)である。また、本居長世は宮城道雄や吉田晴風らの新日本音楽運動に参加、洋楽と邦楽の融合を模索した。


名前:

【2:40】  日本の童謡と日本童謡学会の創設
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/01(Mon) 20:57

2018年は童謡が生まれて100周年。

日本童謡学会が設立されました。




31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/02(Thu) 23:35
1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。1969年に設立された日本童謡協会がサトウハチローによって派閥分裂すると、のちに会長となって童謡を排斥。対立ジャンルとして立ち上げた「新しい子どもの歌」を推して、最盛期にあった童謡を衰退に導いた。

32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/02(Thu) 23:50

61.童謡の聖人・中田喜直
h ttps://2ch.vet/re_awabi_doyo_1173482862_a_0

 >100−116


33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/02(Thu) 23:52
1955年に大中恩、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。この会は中田が亡くなる2000年まで活動を続け、数多くの童謡のレコード・楽譜を世に送った。また、1956年には「蜂の会」に参加し、ここで歌曲「サルビア」「おかあさん」などを発表。1969年に設立された日本童謡協会がサトウハチローによって派閥分裂すると、のちに会長となって童謡を排斥。対立ジャンルとして立ち上げた「新しい子どもの歌」を推して、最盛期にあった童謡を衰退に導いた。

34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 00:02
「ろばの会」の結成

 大中恩というと童謡のイメージが強いかも知れませんが、東京音楽学校を卒業してしばらくは、歌曲や合唱曲が中心で、子ども向けの歌なんて作ったことがありませんでした。30歳を過ぎた頃でしょうか、学級が2つ上だった作曲家の中田喜直さんらが中心となって、童謡に新しい風を吹かせることを目的に「ろばの会」という作曲家の集まりを結成しました。当時の童謡の歌詩は、父親や母親を「お父様、お母様」と表現するなど、あまり子どもに向けられたものではありませんでした。そこで、「おやじ、おふくろ」だとか、遊び心があって、子どもたちに受け入れられやすい歌詩の童謡をつくっていきたいということで、詩人に呼びかけるために作られたのです。
 中田喜直さんから「子どもの歌をつくらないか」と誘っていただいて、面白そうだと思ったのですぐに参加することを決めました。メンバーは、私のほかに中田喜直さん、宇賀神光利さん、磯部俶さん、中田一次さんがいらっしゃいました。僕と童謡との出会いは、「ろばの会」になりますね。

「サッちゃん」のモデルはチンパンジー?

 1949年から、NHKラジオで子ども向け音楽番組「うたのおばさん」が放送されていました。その番組の放送10周年を記念して、番組で歌っていた松田トシさんのリサイタルが開かれることとなりました。その時に、「ろばの会」の5人のメンバーから、それぞれ2曲ずつ童謡を贈ったのです。僕が贈ったうちの1曲が、「サッちゃん」でした。
 「サッちゃん」は僕から阪田に作詩を依頼しました。他の方と童謡をつくるときは事前に「こういう子ども心の詩をつくってよ」などと依頼するのですが、このときは阪田に何の注文もつけませんでした。彼の書いた詩を見てすぐにイメージが湧き、あまり深く考えることなく曲が出来上がりましたね。「サッちゃんはこういう性格だったのかな」なんて一生懸命考えていたら、あの曲は生まれてこなかったかも知れません。
 阪田に“サッちゃん”のモデルについて聞いたことがあるのですが、彼は「大阪の天王寺動物園のチンパンジーの名前だよ」と言っていました(笑)。後に、彼の幼稚園の二級くらい上のお嬢さんが本当のモデルだったことがわかりました。モデルの方は、「先生のイメージを壊してはいけないから」と、僕とは絶対にお会いになりたくないそうです。

長すぎた「いぬのおまわりさん」
 1960年のことです。「チャイルドブック」という子ども向けの絵本雑誌を出版する出版社から、「いぬのおまわりさん」の歌詩が送られてきて、曲を付けてほしいと頼まれました。しかし、最初はその話を断ったんです。「迷子の迷子の子猫ちゃん あなたのおうちは・・・」「にゃんにゃんにゃにゃん・・・」長いでしょう?子どもたちには長すぎて受け入れられない歌詩だと思ったのですが、何度も頼み込まれたこともあり結局曲を書くことにしました。
 断らなくて本当に良かったと思っています。このことを「ろばの会」の中田喜直さんに話すと、「また君はそうやって音楽をお金の話にする」と怒られました。冗談で「中田さんはいくつもヒットした曲があるから良いじゃないですか、僕は1曲しかないんですよ」と言って笑うと、「自分の作品をお金に結び付けて笑って誤魔化すのはだめだよ」なんてまた怒られてしまいましたね(笑)。
 でも、今改めて見ると、やっぱり「いぬのおまわりさん」は歌詩が長いですよね。どれだけ歌詩が長くても、良い作品に仕上がると子どもはちゃんと覚えてくれるものなのですね(笑)。

大仲恩
h ttps://www.jasrac.or.jp/sakka/vol_37/inner2.htm



「サッちゃん」のモデルはチンパンジー?・・だって!!??
「あたらしい子供の歌」って「人」がいないんだ!!




35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 00:10
☆サトウハチローと「童謡」・・ 童謡排斥運動とサトウハチロー

童謡を書きたいと希望して、15歳の時、詩人・西条八十に入門したハチローだったが、童謡で生活は出来ない。父・紅緑の書いた小説の映画化で主題歌を書き、そのヒットによって、歌謡曲の世界を歩いてきたハチローは、敗戦という大きな社会の変化の中で、本来希望していた童謡の道への手がかりを得た。しかし、それはこれまでの「童謡」とはだいぶ違ったものだった。

戦後のサトウハチローの作品に「ちいさい秋みつけた」 「かわいいかくれんぼ」「わらいかわせみに話すなよ」 「とんとんともだち」などある。
しかし、詩としてはいいが、今でも広く歌われ続けているのは、こうしたもの(「あたらしいしいこどものうた」というらしい。)ではなく、この、90年以上前に作られた童謡・「うれしいひなまつり」(1936年、山野三郎名義)だった。




36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 11:47
☆日本の童謡と日本童謡学会の創設

http//:www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561982228&ls=50


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 11:50
童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561794206&ls=50

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/03(Wed) 19:21
「甦える 童謡歌手大全集」(CD10枚組)全200曲
 ビクター WT-0305(CD10枚組)2005
 東京カルチャーセンター JDMA会員
 SPオリジナル盤 
 
「お山の大将」「青い目の人形」から「ひょっこりひょうたん島」まで
 本居みどり、平井英子、本多信子、平山美代子、中山梶子、河村順子、川田正子、孝子、
 古賀さと子、秋田貴美子、岩田佐智子、伴久美子、久保木幸子、田端典子、桑名貞子、井上裕子、波崎共子、近藤圭子、安田章子、安田祥子、中根庸子、松島とも子、岡田孝、小鳩くるみなど
 図書館等で、、カセットもあり

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/03(Wed) 21:21
あした
作詞:清水 かつら、 作曲: 弘田 龍太郎

お母さま
泣かずにねんね いたしましょう
赤いお船で 父さまの
かえるあひたを たのしみに


お母さま
泣かずにねんね いたしましょう
あしたの朝は 浜に出て
かえるお船を 待ちましょう


お母さま
泣かずにねんね いたしましょう
赤いお船の おみやげは
あの父さまの わらい顔


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/08/05(Wed) 22:51
>>24

童謡歌手川田孝子の「叱られて」や「雨」「あした」絶品!

今の若手クラッシック歌手でもこれほどまでに歌えるものは知らない。


名前:

【3:1】  ちんちんラジオ
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/08/05(Wed) 02:59
ちんちんちんちん


名前:

【4:120】  日本の歌こころの歌
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/17(Tue) 23:54
NHK[日本の歌こころの歌」をよく聞きます。
藤山一郎、オカハチロウはなど戦中、戦後直後はやめてほしいです。私は70歳ですが、
ビートルズ、プレスリー世代なんですよ。もちろんそれを聞きたいと言う人もいるでしょうが、平均的聴取者層として、今やかなり特異な層ではないでしょうか。ネタが尽きると言う事もありましょうが、他に方法はあると思います。童謡や、唱歌に幅を広げるとか、外国人が歌う日本の歌曲や唱歌、歌謡曲、また民踊とか。また国内、国外の楽団が演奏するインストゥルメンタルでも良いと思います。
返信


111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/15(Fri) 21:15
>>101
「青い山脈」は、歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。
戦後民主主義というのは自由奔放に過ぎなかった。詞にするには引けてしまうもの。
ほとんどすべてが、あまり関係ない情景と美辞麗句で構成されただけ。
それほど元気の出る歌でもないという評価。
西条八十にしては、あるいは西条八十の作詞だが、ただ、若く明るい・・だけでは軽い感じは否めない。

石坂洋二郎の作品は、戦後民主主義の象徴みたいに読まれていたが、「青い山脈」を含め、当時は読まれていたが今絶版。見向きもされない。





112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/15(Fri) 21:19
石坂洋二郎の作品は、戦後民主主義の象徴みたいに読まれていたが、「青い山脈」を含め、当時は読まれていたが、現在振り向きもされず、絶版。

113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 22:03
「青い山脈」は「若く明るい」とか、一般的、素人的には、それなりの人気はあるのはわかるものの、青春の苦悩とか情感を聞きたい。
情景・景色だけでは一般の請けは良いとしても、それだけでは軽さは否めないもの。

また、それほど明るい曲でもない。


114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 22:11
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


115 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 18:20
《大日本音楽著作権協会設立》 昭和14年11月

昭和14年11月18日午後1時、現在の一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC))の前進、社団法人大日本音楽著作権協会 の創立総会が内務省で開催された。
対象は邦楽と洋楽の作詞家、作曲家である。
洋楽と邦楽で、作詞家、作曲家併せて出席者は、発起人68人中48人だった。

協会設立時における主な会員出席者は洋楽では

作曲家(25人):

本居長世、弘田龍太郎、中山晋平、梁田貞、橋本国彦、堀内敬三、山根銀二、松平頼則、 藤井清水、古賀政男、小松耕輔、佐々木すぐる、諸井三郎、杉山長谷夫、井上武士、飯田信夫、服部正、他


なお、作詞家(15人)は、
林柳波、大木惇夫、與田準一、 高野辰之、長田幹彦、久保田宵二、葛原しげる、西条八十、佐藤惣之助、時雨音羽、清水桂ほか。






116 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 22:54
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50


117 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/26(Sun) 17:56
昭和53年−日本の歌謡曲の父・古賀政男逝去
 
 昭和五三(一九七八)年、歌謡界の父、巨星古賀政男が逝去した。享年七三歳だった。古賀政男の人生は昭和の歴史そのものである。そして波瀾に満ちていた。五度にわたる黄金時代がそれを物語っている。古賀政男は明治三七(一九〇四)年一一月一八日、福岡県三潴郡田口村に生まれた。その故郷は詩人北原白秋の詩情豊かな柳川の近くで、その原風景は《誰か故郷を想わざる》という名曲を生み出した。古賀政男は村の鎮守にかかったサーカス小屋から聞こえてくるクラリネットの音や旅芸人が奏でる月琴の音などによって早くから音楽体験を育んだ。
 古賀政男は七歳のとき父を失い、思い出深き田口村を後にし朝鮮半島に渡った。このときの故郷喪失の悲しみが《人生の並木路》(佐藤惣之助・作詞/古賀政男/一九三七・一)となった。故郷を捨て渡った朝鮮半島の生活は古賀政男にとっては苦闘の時代であった。だが、善隣商業三年のとき、マンドリンとの出会いが後年の古賀政男の人生を決定づけた。長兄の命令で四兄の大阪の支店に勤務させられたが、音楽への情熱が止み難く上京を決意し出奔した。
 大正一二(一九二三)年の春、古賀政男は明治大学に入学しマンドリン倶楽部の創設に参画した。マンドリン・ギター、いわゆるプレクトラム音楽を独学で勉強した。明大マンドリン倶楽部のリーダーとなり当時の人気歌手佐藤千夜子に見いだされた。昭和五年から六年にかけて、佐藤千夜子の歌唱にマンドリン演奏・ギター演奏を加えた自作品をビクターから発売した。昭和六(一九三一)年、コロムビア入社。古賀は最初流行歌の作曲に自信がなく、社員を希望した。だが、藤山一郎との出会いで人生は大きく好転した。藤山一郎の歌唱で《酒は涙か溜息か》《丘を越えて》《影を慕いて》が次々とヒットしそのメロディーは一世風靡した。これが古賀メロディー第一期黄金時代である。その後、古賀政男はテイチクへ作曲家兼重役待遇で迎えられた。 
 テイチク時代の古賀政男は、「創作芸術」と「事業経営」に手腕を発揮した。作品の創作においては《二人は若い》《緑の地平線》《東京ラプソディー》《男の純情》《ああそれなのに》《青い背広で》《人生の並木路》などつぎつぎとヒットし、テイチク時代に古賀メロディー第二期黄金時代を形成した。歌手陣には、藤山一郎、ディック・ミネ、楠木繁夫、美ち奴らを揃え、他社を圧倒した。また、テイチクの重役として経営陣の一翼を担い会社の発展に大きな功績を果たした。殊に文芸部において制作を一切任され手腕を発揮した。その後、外務省の音楽親善使節として、ハワイ、アメリカ、南米を外遊。NBC放送で《緑の月》《ああそれなのに》《男の純情》《酒は涙か溜息か》《丘を越えて》が流れた。
 





118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/26(Sun) 18:09
古賀政男は、コロムビア復帰後もつぎつぎと《誰か故郷を想わざる》《目ン無い千鳥》《新妻鏡》などのヒットを放ち、流行歌王としての地位を確立した。歌手もコロムビアに復帰した藤山一郎、霧島昇、伊藤久男、二葉あき子、松原操らがいて充実し、第三期黄金時代を現出したのである。日中戦争以後、軍国歌謡が盛んになるが、古賀政男もテイチクからコロムビア時代にかけて多数の作品を生み出している。だが、戦意昂揚となるような作品が少ない。軍国主義を強力に推進する軍部からは軟弱な歌として徹底的に嫌われたようである。
 戦後の古賀政男は旺盛な創作活動を展開した。近江俊郎が熱唱した《湯の町エレジー》を始め、戦後の復興を背景に《トンコ節》《芸者ワルツ》などのヒットによって第四期黄金時代を形成したのである。昭和三〇年代、吉田正、船村徹、遠藤実、中村八大など戦後派の作曲家が歌謡界を席巻すると、古賀政男も新たなスタンスを構築しなければならなくなった。そこに美空ひばりへの接近が見られた。古賀政男は美空ひばりを得て《柔》《悲しい酒》をヒットさせるなど五度目の黄金時代を形成し歌謡界の巨匠として君臨した。  古賀政男の作品は、古賀メロディーと言われ、初期作品においてはマンドリン・ギターのクラシック作品の影響が強かった。この分野はプレクトラム音楽と言われているが、古賀政男のこの分野における造詣はかなり深いものがある。歌手には藤山一郎、関種子ら声楽家や、淡谷のり子、二葉あき子、松平晃、楠木繁夫らの音楽学校出身者が古賀メロディーを彩った。昭和恐慌、満州事変などの暗い世相を背景にしたセンチメンタルなメロディーに加え、昭和モダンを高らかに歌う作品などその音楽は豊饒なものであった。そして、テイチク時代の後半から日本情緒を基調にした邦楽的技巧表現に重点を置き、戦後の円熟期にかけては演歌の源流となるような作品を生み出した。
 古賀政男は日本人の哀しみによって流す涙や怨恨の根源を仏教に求めていた。つまり、演歌・艶歌の心情を声明にその源流を遡及したのである。仏教の典令音楽である声明から、平曲や謡曲、浄瑠璃、説教節、浪花節への流れと、和讚(国産声明)や御詠歌、子守唄、民謡、江戸小唄へという二つの系脈となり日本人の内面世界に浸透していった。その音楽は旋律型をつなぐことによって構成された。古賀は最後の黄金時代を迎えた後、敢えて自らの音楽遺産を矮小化することを覚悟して演歌の源流というスタンスを明確にし演歌系歌手である美空ひばり、島倉千代子、村田英雄、北島三郎、森進一、五木ひろし、都はるみらにそれぞれの個性をもって自由自在に古賀メロディーを崩させながらを歌わせたのである。多くの日本人を感動させた音楽人生だった。 




119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/08/01(Sat) 21:48
CD[七つの子~野口雨情作品集]

「七つの子」「赤い靴」など、数多くの童謡で知られる、詩人・野口雨情。生誕120周年を記念して、
昭和初期の音源を集大成した作品集。童謡だけでなく、民謡や流行歌も収録。歌手は平井英子ほか。
不滅の詩人、野口雨情の生誕120周年記念として、SP時代(=昭和初期)の音源をはじめて集大成した
2枚組アルバムをリリース!! 没後50周年を迎えた中山晋平(作曲)との名コンビによる民謡や流行歌等、
童謡以外の代表曲も網羅。歌唱は平井英子、佐藤千夜子、本多信子、藤原義江、渡辺光子他。
企画/監修は長田暁二、矢沢寛。詳細な解説書付。小沢昭一によるエッセイも掲載。
 h ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006BH1L/249-1303985-9970766
 h ttp://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=VICG-60536

曲目リスト
ディスク: 1
1.南京言葉
2.鶯の夢
3.白頭鳥(ペタコ)
4.あの町この町
5.こがねむし
6.證城寺の狸囃子
7.蛙の夜回り
8.雨降りお月
9.兎のダンス
10.手の鳴る方へ
11.キューピーピーちゃん
12.チンドンヤ
13.七つの子
14.赤い靴
15.十五夜お月さん
16.青い目の人形
17.俵はごろごろ
18.木の葉のお舟
19.シャボン玉
20.信田の薮

ディスク: 2
2.波浮の港
3.須坂小唄
7.旅人の歌
8.中野小唄
13.三朝小唄
17.紅屋の娘
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

120 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/08/01(Sat) 21:56
>>119

佐藤千夜子の「信田の薮」(しのだのやぶ)絶品です!!。これを聞くと日本の歌の魅力すばらしいと思います!。


昔のレコードをきくと、大人の歌手はもちろん、童謡歌手までみな言葉をたいせつにして、心をこめて丁寧に歌ってるのが、伝わってきます。
ここにまず癒されます。



信田の藪  (野口雨情作詞 藤井清水作曲)佐藤千夜子歌
 
 お背戸のお背戸の 赤とんぼ
 狐のお話聞かせましょう
 聞かましょう

 糸機(はた)七年 織りました
 信田の狐は 親きつね
 親きつね

 信田のお背戸の ふるさとで
 子供に こがれた 親きつね
 親きつね

 お背戸のお背戸の 赤とんぼ
 明日のお藪に 来てとまれ
 来てとまれ


旅人の唄 (野口雨情作詞 中山晋平作曲 佐藤千夜子歌)

 山は高いし 野はただ広し
 一人とぼとぼ 旅路の長さ

 乾く暇なく 涙は落ちて
 恋しきものは 故郷の空よ

 今日も夕陽の 落ちゆく先は
 何処の国やら 果てさえ知れず

 水の流れよ 浮き寝の鳥よ
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

名前:

【5:43】  ラジオ番組について
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/10/25(Thu) 18:11
ラジオ番組に要望や意見をどうぞ。


34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/26(Sun) 12:55
h ttps://columbia.jp/shinyabin/
NHK CD ラジオ深夜便 にっぽんの歌 こころの歌 好評 発売中
 

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/28(Sat) 11:58
「ラジオ深夜便」というのがあるが、深夜ではなく、遅くとも11時ごろからにしてほしい。

36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/13(Wed) 21:31
歌の世界も戦後、昭和23年あたりを境に大きく変わることとなってしまった。石坂洋二郎の「青い山脈」とは、昭和22年から新聞に連載された小説で、学園における若者の奔放な男女交際をめぐる騒動を描いた、これまでにない、たわいもないもの。これまでの、淑やかな恋愛や「価値観」が「民主主義」の名のもとに覆されてゆく。
「恋愛」というより、学園における奔放な「騒動」。
戦後の典型的な作品は「青い山脈」(1947年、石坂洋次郎)で、「自由恋愛」のもとに、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。

ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は良くも悪くも、「戦後民主主義」を流布させる思想小説となる。そんな作品で強調されたのが「自由恋愛」だった。
『愛染かつら』三部作など、これまで数知れない沢山の名作の歌を書いてきた西条八十も困ってしまったことでしょう。
情景にすり替えられて、昭和23年の」「三百六十五夜」のように、中身,情感の部分に、あまり触れていない。

中身の情感の部分が貴いのであって、小説を知れば「若く明るい」だけでは軽い。真の大人の歌になるためには苦悩とか心の襞もないとと、西条八十もおもったはず。



37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 21:29
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/23(Tue) 10:50
古賀メロディ聴き比べ1:丘を越えて
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/8ed3a9f99c90d4294ec6882de1949766
古賀メロディ聴き比べ2:酒は涙か溜息か
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/9eb94e8aa083b715cd0ddc4a7d1e9081
古賀メロディ聴き比べ3:影を慕いて
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/065121c295ca6c187abe5e08f4423d7f
古賀メロディ聴き比べ4:サーカスの唄
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/c9ad0608abb2e2a016bd2e5430ae7731
古賀メロディ聴き比べ5:緑の地平線
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/55b76a13d4f15418859b8d83c8b949c0
古賀メロディ聴き比べ6:東京ラプソディ
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/6e9f4682bd9e5919a5be8e1c1f821962
古賀メロディ聴き比べ7:男の純情
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/f7dd0ba877f4ffaec5240aa4d32bf00f
古賀メロディ聴き比べ8:青い背広で
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/bb54c218f7739569544bd059c3b5afcb
古賀メロディ聴き比べ9:人生の並木路
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/16745f28866b72afbbcd81751939b574
古賀メロディ聴き比べ10:青春日記
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/917da75e0ff60c3305bc90af89c56643
古賀メロディ聴き比べ11:人生劇場
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/6083a962af3744e3d671f51316f0e06e
古賀メロディ聴き比べ12:誰か故郷を想わざる
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/681bfe28f1e849421cb7b0beb707c050
古賀メロディ聴き比べ13:なつかしの歌声
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/46fc9fdfe38a89430deb8d13f6793782
古賀メロディ聴き比べ14:新妻鏡
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/380991fc3af9773e556d0a447abed38a
古賀メロディ聴き比べ15:湯の町エレジー
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/07d51fac59e6721aa9999cc96d8e0709
古賀メロディ聴き比べ16:あの夢この歌
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/f16e19d47310de22abfd845fa93b1c03
古賀メロディ聴き比べ17:三百六十五夜
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/752cc96327d550c1947400216ada267e
古賀メロディ聴き比べ18:りんどう峠
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/4707e486d063830e8da1888010fe9e63
古賀メロディ聴き比べ19:無法松の一生
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/42b33e523a765fafca50999d370bccc3
古賀メロディ聴き比べ20:思い出の記
h ttps://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/5cd47e01f76e5f9f088093096eae0f42

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/23(Tue) 10:58
私のメモ帳・・佐藤千夜子
h ttps://blog.goo.ne.jp/utaski1930/e/7f00ff9c622da2ee8c89bbc06f9f74ad
私のメモ帳・・作曲家・古賀政男
h ttps://blog.goo.ne.jp/utaski1930/e/7bd753198c8ed63170acf84f11b45741
私のメモ帳・・古賀政男作詞・作曲 『影を慕いて』
h ttps://blog.goo.ne.jp/utaski1930/e/a970188ea452eb3a6a5a1a239997f577
いちうた 影を慕いて 2012年7月20日 (金)
h ttp://music1930.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-469a.html


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/24(Wed) 20:32
戦後の日本は食糧不足、電力不足の時代だが、急速に民主化と、アメリカナイズが進んだ。歌の世界も戦後、昭和23年あたりを境に大きく変わることとなってしまった。昭和24年ごろから、服部良一の「東京ブギウギ」など意味不明な音楽が大流行する。石坂洋二郎の「青い山脈」とは、昭和22年から新聞に連載された小説で、学園における若者の奔放な男女交際をめぐる騒動を描いた、これまでにない、たわいもないもの。これまでの、淑やかな恋愛や「価値観」が「民主主義」の名のもとに覆されてゆく。

「恋愛」というより、学園における奔放な集団恋愛「騒動」。
戦後の典型的な作品は「青い山脈」(1947年、石坂洋次郎)で、「自由恋愛」のもとに、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。

ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は良くも悪くも、「戦後民主主義」を流布させる思想小説となる。そんな作品で強調されたのが「自由恋愛」だった。

『愛染かつら』三部作など、これまで数知れない沢山の名作の歌を書いてきた西条八十も困ってしまったことでしょう。
情景にすり替えられて、昭和23年の「三百六十五夜」のように、中身,情感の部分に、あまり割かれているわけでない。

中身の情感の部分が貴いのであって、小説を知れば「若く明るい」だけではなんとも軽い。真の大人の歌になるためには苦悩とか心の襞もないとと、西条八十もおもったはず。

[青い山脈」・・、「若く明るい」=自由奔放・恋愛騒動・だけでは軽い!。

この部分が雪崩だとか映画にもない情景に置き換えられる。


41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:04
藤山が歌うとなんでも名曲みたいになってしまうようだが、歌謡曲(詩を歌う歌曲)で一番大切なものは、なんといっても詩。
詩は歌になるが、「歌う」ではなく「謳う」短歌というものは、いくら誰がどう歌おうと、「歌」にしてしまうことそのものが間違った中途半端なものでしかない。


42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/25(Sat) 09:33
歌というものは何といっても普遍的なものがないといけない。

特定の部門、スポーツだとか、応援歌では小さい。
歌というものは、何といっても癒し、心の慰めになるものであるべきで、
闘争心を煽るようなものはだめ!。

43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/26(Sun) 07:19
短歌は「短歌」として「謳う」もので、これを歌謡化してしまうというのに、どういう意味があるか知らないが、中途半端で、
どっちつかず、意図不明!。
童謡排斥運動など、戦後のラジオ番組からは。こうしたおかしなことが
ある。


名前:

【6:75】  昭和SPレコード歌謡番組を待望する。
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/12(Sun) 20:30
昭和は60年を超える世界で一番長い年号。まだ日本が貧しかった、貧しくも心豊かだった時代。まだテレビもなく、どんな小さな街にも小さな映画館があったころ、日本映画黄金時代、昭和戦前の「古賀メロディ」などSP歌謡番組をぜひ期待。



66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:21
・流浪の民Zigeunerleben (Schumann)  日本発売:昭和11年1936)1月
石倉小三郎作詩、奥山貞吉編曲 独唱:関種子、松原操、内本実、青山薫 コロムビア合唱団、コロムビア・オーケストラ COL28642

・国民歌謡 我が家の唄 松原 操  西條八十作詞 山田耕筰作曲 12年3月 col29241 @黒盤

・赤とんぼ 松原 操 三木露風作詞 山田耕筰作曲 13年12月 COL29981 @ 黒盤13241

・この道  松原 操  北原白秋作詞 山田耕筰作曲 14年07月 COL30253 @ 黒盤14715

霧島昇・松原操の世界
h ttp://matubaramisao.com/kirisimanoboru&matubaramisao-cd-index.html
h ttps://www.youtube.com/watch?v=MUrkuBt0NoI





67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:30
h ttps://ameblo.jp/attentialgatto/entry-11542899735.html

代々木上原へ二代目松原操を聴きに行く
2013-06-01 23:28:36
テーマ:音楽
二代目松原操こと大滝てる子を聴きに代々木上原の古賀政男音楽博物館へ行って来た。会場はリアル満席。いちばん後ろにパイプ椅子を出すほど。
二代目というからには初代がいる訳で…ミス・コロムビアの名前でも知られた松原操は1948年に引退してしまっているので、その全盛期を知る人というのは80年配だろうなあ。二代目松原操こと大滝てる子は、この松原操、霧島昇夫妻の三女だそう。長男にあたる坂本紀男は東京音大の先生をしていて、過去にテレビ出演もしていたし、そのステージも実見したことがあるので知っていたけれど、三女も声楽家だったというのは、つい最近知ったばかり。
松原と書くと初代だか二代目だか紛らわしいので、以下、大滝と書くと、大滝も東京音大のオペラ科卒で、そもそもが霧島が東洋音楽学校時代の東京音大を出ているので、その影響もあるのだろうか。なお霧島夫人の初代松原操は東京音楽学校時代の東京芸大を出ているので、音楽一家ということになる。
戦前の歌手というのはクラシック畑の人が圧倒的に多数派で、女性歌手だと市丸だとか勝太郎だとか芸者出身の人もいたけれど、そうした例外はともかく、現在の演歌歌手のそれとは歌い方がまるで違っていた。戦前版の「目ン無い千鳥」「人生劇場」などを今様の演歌のイメージで聴くと、曲調は演歌のそれなのに歌い方が朗々とした感じで、慣れていない人は戸惑うんじゃないかと思う。
♪銀座の街、今日も暮れて、の「なつかしの歌声」で幕開け。
以下、演目は記憶があいまい。

「影を慕いて」(平均年齢73歳という合唱団による)
「気まぐれ涙」(初代松原操のレコード音源)
「ああそれなのに」
「二人は若い」
「目ン無い千鳥」
「新妻鏡」
「誰か故郷を想わざる」
「熱砂の誓い」
「リンゴは紅い」(歌なし、エレクトーン)
「青い牧場」
「南の花嫁さん」(古賀政男編曲として)
「そうだその意気」
「勝利の日まで」
「想い出の記」(古賀の台詞、歌唱のレコード音源)
〜幕間〜
「丘を越えて」
「悲しき竹笛」
「三百六十五夜」
「トンコ節」
「赤い靴のタンゴ」
「ゲイシャワルツ」
「柔」(歌なし、尺八、普通の太鼓)
「白虎隊」
「無法松の一生」(歌なし、尺八、巨大な太鼓)
「青春サイクリング」
ラストはグランドフィナーレで「東京ラプソディ」。



(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/27(Sat) 12:57
当たり前だけど客席は年寄りが多いので、長丁場でダレてしまわないように、大滝が歌の合間に共演者いじりをして笑いを取ったり、客席に降りていって、「さあ、みなさんもご一緒に」のノリでマイクを向けたり、はたまた巨大な太鼓をステージに持ち込んでみたり、いろいろ工夫を凝らしたためか、最後まで2時間超、みんな集中力を切らすことなく、「東京ラプソディ」を満場の手拍子で終えた。

大滝は七変化のごとく、次々と衣装を替えていくのだけれど、何と1着を除いて初代の松原操の着ていたものを仕立て直したもののよう。そもそも初代の松原操は60年以上前に引退しているので、そのステージ衣装だとしたら、随分とカラフルな。

ステージは一応、古賀政男の人生をたどるという面持ちで、岡本妙子のナレーションが入り、その合間に大滝が出て来て歌うという内容。なので古賀政男縛りとなり、万城目正作曲の「旅の夜風」とかは歌わない。共演としてエレクトーンの長谷川幹人、尺八の岩田卓也、和太鼓の壱太郎、トランペットの岩尾浩史、マンドリンの宮田蝶子、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団。

「影を慕いて」は大滝は出て来ず、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団のコーラスだったのだけど、楽唱団の人たちがステージに出て来ず、舞台袖から姿を見せずに声だけという演出だったので、なんだか御詠歌のようだった。

大滝いわく、古賀メロディは歌いづらく、わけても「新妻鏡」は難曲だとのこと。古賀メロディが歌いにくいというのは藤山一郎も言っていたので、クラシック畑の人たちの共通認識なのだろうか。この辺の事情はいたく関心がある。

「誰か故郷を想わざる」は私が大好きな霧島昇の代表曲で、伯父が出征する時の写真に「花摘む野辺に日は落ちて」の歌詞の焼き込みがある。当時、写真に文字を焼き込んでくれるというサービスがあり、他の人は「武運長久」とか勇ましい文言にしたのに、なぜか伯父は流行歌の文句にした由。

「熱砂の誓い」はトランペットから入ったのだけど、岩尾浩史は嵐のツアーなどにも同行している由。トランペットを意識して聴くのって、ニニ・ロッソのレコードを昔に聴いた時以来だ。「リンゴは紅い」は長谷川幹人によるエレクトーン独奏だったのだけど、今日びのエレクトーンって、「二十四の瞳」に出てくるオルガンみたいなイメージでいたら、全然違うシロモノで、エレクトーン1つあればフルバンドはいらないという位だった。

戦時歌謡は「そうだその意気」のような悲壮な曲が好みなので、明るい曲調で歌詞も芸が無い「勝利の日まで」は以前は余り好きではなかったのだけど、津島恵子の「ひめゆりの塔」で歌われていたのを聴いて、世の中にこんな悲しい歌があるのかといっぺんで好きになった。

幕間に入る前に大滝が会場に来ている古賀政男ゆかりの人たちを紹介。古賀の養子の通人の奥さんと息子さん、古賀の兄の久次郎の息子さん、古関裕而、丘灯至夫、江口浩司の家族の人や長田暁二さんとか。

「丘を越えて」はマンドリンの曲なのだけど、宮田蝶子はハーモニカの宮田東峰の兄の孫にあたる。宮田っていうから何となくあやしいと思っていたのだけど、やっぱり一族だった。「悲しき竹笛」の前奏は本来は尺八の音域ではないのだけど、大滝の教え子にあたるらしい岩田卓也が熱演。「赤い靴のタンゴ」は真紅のライトを浴びて歌う大滝の背後に、巨大な和太鼓があって何ともシュールな感じ。大滝の声は奈良光枝の歌と相性がよさそう。「秋草の歌」とか歌ったらいいんじゃないか。

大滝が物心ついた時、霧島が「白虎隊」ばかり練習していたので、大滝の子供のころに慣れ親しんだ最初の曲というのが「白虎隊」だそう。霧島は詩吟の部分も含めて練習していたらしい。自分は霧島昇が好きなので、こうしたエピソードはいたく面白い。霧島はコスモスが好きだったとか。

後半戦でずっとステージに鎮座ましましていた巨大な和太鼓は、想像はついたのだけど「無法松の一生」用で、壱太郎が松五郎ばりの撥さばきを見せた。思うのだけど巨大な和太鼓を連打する音というのは、クラブに共通するものがあるような気がする。音が波動のように身体にズンと来るという部分で、目の前で巨大な和太鼓の音を浴びるのと、道玄坂とかのクラブのハコでエレクトロとかの音を浴びるのと、生理的には同じ快楽であるような気が。

とにもかくにも、命の洗濯という表現が似つかわしい2時間超であった。


69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/29(Mon) 13:28
流行歌の世紀-近代日本の大衆音楽( 菊池清麿 )    
中山晋平・鳥取春陽・古賀政男・藤山一郎 古関裕而
《近代日本流行歌の成立-昭和歌謡の源流》
h ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub7.html



70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/30(Tue) 11:45
2014年02月05日00:29
佐藤千夜子の『影を慕いて』
ディレクター・伊藤正憲記述に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。

『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。

71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/13(Mon) 15:51
歌にもブランドというものがあって、西条八十作詞や古賀政男作曲というのは歌謡界に生きる者、作詞家、作曲家、歌手にとっては
一度は得たい最高の憧れだったようである。

昭和36年11 月に出た村田英雄の「王将」(西城八十作詞、 船村徹作曲)もそうである、

西条八十に作詞してもらいたい船村に、西城はなかなかOKしなかったのだが、船村のお百度参りに、やっと書いてくれたのは有名。

なお、西城八十で一番多い名曲は古賀政男作曲(西条八十作詞、古賀政男作曲)である。

古賀政男といえば、どの作詞家、作曲家、歌手も「古賀先生」と呼んだのだが、その古賀が終生、「先生・・西条先生」と呼んだのが西条八十その人。、



72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 10:33
>>63-69
参考

松原操 写真

h ttps://www.bing.com/images/search?q=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%93%8D+%E5%86%99%E7%9C%9F&qpvt=%e6%9d%be%e5%8e%9f%e6%93%8d+%e5%86%99%e7%9c%9f&form=IGRE&first=1&cw=1117&ch=383&scenario=ImageBasicHover


73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 19:56
愛染かつら三部作

愛染かつら         (西條八十作詞万城目正作曲)
    主題歌 旅の夜風    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄  ミス・コロムビア
続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月    ミス・コロムビア
愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙    霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風   ミス・コロムビア、二葉あき子

 

74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 20:04

        十九の春

   (西條八十作詞 江口夜詩作曲)
    歌:ミス・コロムビア(松原操)

 ながす涙も   輝きみちし
 あわれ十九の  春よ春
 すみれつみつつ 散る白露に
 泣きし十九の  春よ春

 君はやさしく 涙は甘く
 唄をうたえば 花散りぬ
 乙女振袖   ゆく白雲も
 われを眺めて 流れゆく

 我世さみしと 嘆くな小鳥
 春はまだ来る 花も咲く
 愛の光に   夜はほのぼのと
 明けて十九の 春よ春

75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/21(Tue) 22:30
>>73

■愛染かつら三部作

愛染かつら         
    主題歌 旅の夜風 (西條八十作詞,万城目正作曲)  霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞,竹岡信幸作曲)   ミス・コロムビア

続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月   (西條八十作詞,竹岡信幸作曲) ミス・コロムビア

愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風 (西條八十作詞,早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子

名前:

【7:27】  なつかしのメロディ
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/05(Tue) 19:21
懐メロが死語になってしまったようです。日本の文化遺産、日本の古き良き時代の
思い出のメロディを語りましょう。
あなたのなつかしのメロディはなんですか!?。


18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 22:53
今年、令和2年(2020)は、作曲家本居長世、没後75年でもあります。
作曲家本居長世(1885−1945)は、終戦直後の昭和20年10月14日、成城の自宅で亡くなりました。61歳でした。

本居長世は、「童謡の祖」ともいわれるが、「童謡」だけでなく生涯に800曲近い歌曲も作っています。
本居長世は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)を首席で卒業し、日本の音楽と西洋音楽の融合を図り、「新日本音楽」など多数の歌曲を生んでいます。
また、中山晋平、弘田竜太郎などの師でもあります。
本居長世は、文学者から始まった童話・童謡運動を、自ら作曲し、かつ広めることによって、「童謡」という分野を確立し根付かせた人だと言えますが、また同時に中山晋平の師でもあるという点では、単なる「童謡の祖」というだけでなく、「日本の大衆音楽」に大きな影響を与えた人ではないかと思います。
 
古賀政男〈正男)は、昭和3年、学生時代作曲した「影を慕いて」を歌ってもらった人・・中山晋平の歌(晋平節)を世に広めた歌手・佐藤千夜子の力添えで作曲家になった人で、長世が出なかったら、多分日本の大衆音楽は違ったものになっていたかもしれません。

古賀政男自伝「我が心の唄」(展望社1965)に、「昭和12年ごろの第一線の作曲家が一堂に会した珍しい写真」として、古賀政男、中山晋平、弘田竜太郎、本居長世、小松耕輔の写真が載っています。当時から、分野は違うが、日本のこれらの音楽家と肩を並べる作曲家であり、それなりの交流があったものと思われます。
昭和13年に発売された、古賀の半生の作品集に、萩原朔太郎、佐藤惣之助、三浦環と並んで、中山晋平、小松耕輔らが序文を寄せています。

19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 23:08
作曲家・古賀政男は昭和6年(1931)3月に、コロムビアと専属契約を結んだのだのだが、彗星のように登場し華々しい活躍をし、僅か5年後の昭和13年11月には、半生物語と、作品104編を収録した、宮本旅人によるB5判393頁と浩瀚な『古賀政男藝術大観』(シンフォニー楽譜社)が刊行された。

序文には、萩原朔太郎、中山晋平、奥田良三、藤陰静枝、小松耕輔、三浦環、サトウ・ハチロー。跋文には佐藤惣之助、など錚々たるメンバーが寄稿しているのだ。

詩人の萩原朔太郎は、「古賀政男と石川啄木」と題する序文を寄せ、二人に共通する情想について、次のように記した。

「現代日本の社会が実想しているところの、民衆の真の悩み、真の情緒、真の生活を、その生きた現実の吐息に於て、正しくレアールに体感しているロマンチシズムである。それ故にこそ彼等の藝術は、共に大衆によって広く愛好され、最もポピュラアの普遍性を有するのである 」。
 
そして、古賀を、西洋音楽の形式を日本音楽のモチーフによってアレンジし、現代日本人の血肉に同質血液化させたと評した。 文部省唱歌に始まる近代民衆歌謡は、時代状況を色濃く反映し変遷して来たが、古賀は、歌謡曲・流行歌を大衆性をもった新しい潮流として完成させ、昭和という時代を象徴する文化に発展させた。

なお、萩原朔太郎の長女、葉子によるエッセイ集 『父・萩原朔太郎』 には、「流行歌では、「丘を越えて」「影を慕いて」「酒は涙か」など古賀政男のものが特に好きだった。

「影を築いて」の前奏曲は、文の得意中の得意で、まるで指をギターに打ちつけるほどの感情をこめて弾いた。」という。また、マンドリンとギターによる〈朔太郎と葉子父娘で〉、古賀メロディの家庭合奏をよくしていたそうだ。

参考までに、古賀政男の自伝「歌はわが友わが心」(日本図書センター)には、詩人の萩原朔太郎が古賀政男の家によく遊びに来たそうです。

小田急線の代々木上原駅から3つ目「世田谷代田駅」を出て、 南へすこし歩いたところにある、一本の鉄塔。

この鉄塔の下には、詩人の萩原朔太郎が、1933年(昭和8 年)から、 1942年(昭和17年)に亡くなるまで住んでいた。

大正14年8月詩集『純情小曲』刊行集 (新潮社)。11月号から「日本詩人」の編集を佐藤惣之助と担当。

ここ代田1丁目42に、「代田の丘61号鉄塔由来碑」(萩原朔太郎文学顕彰碑)が立っている。

代々木上原駅前の3000坪の古賀政男邸、古賀政男自伝「我が心の歌」には、この古賀邸に萩原朔太郎、惣之助さんが集まって三人でよく詩の談義をしたとあり、朔太郎の娘・萩原葉子の「父・萩原朔太郎」にも同じ記述がある。


20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 23:10
>>19

「現代日本の社会が実想しているところの、民衆の真の悩み、真の情緒、真の生活を、その生きた現実の吐息に於て、正しくレアールに体感しているロマンチシズムである。それ故にこそ彼等の藝術は、共に大衆によって広く愛好され、最もポピュラアの普遍性を有するのである 」。
 
そして、古賀を、西洋音楽の形式を日本音楽のモチーフによってアレンジし、現代日本人の血肉に同質血液化させたと評した。 文部省唱歌に始まる近代民衆歌謡は、時代状況を色濃く反映し変遷して来たが、古賀は、歌謡曲・流行歌を大衆性をもった新しい潮流として完成させ、昭和という時代を象徴する文化に発展させた。

21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 23:28
・古賀政男と石川啄木(『古賀政男芸術大観』)…… 314pp
「萩原朔太郎全集 第14巻 雑纂」筑摩書房 1978.2.25

・宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻 昭和53年10月)

・萩原葉子 『父・萩原朔太郎』 (中公文庫 A 109-2、1979) 1959年筑摩書房、1961
 角川文庫

・流行歌曲について  萩原朔太郎
   (「日本の名随筆 別巻82 演歌」作品社。:「萩原朔太郎全集」筑摩書房 1975)

22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/14(Thu) 23:47
流行歌曲について
萩原朔太郎



 現代の日本に於ける、唯一の民衆芸術は何かと聞かれたら、僕は即座に町の小唄と答へるだらう。現代の日本は、実に「詩」を失つてゐる時代である。そして此所に詩といふのは、魂の渇きに水をあたへ、生活の枯燥を救つてくれる文学芸術を言ふのである。然るに今の日本には、さうした芸術といふものが全くないのだ。文壇の文学である詩や小説は、民衆の現実生活から遊離して、単なるインテリのデレツタンチズムになつて居るし、政府の官営してゐる学校音楽といふものも、同じやうに民衆の生活感情と縁がないのだ。真に今日、日本の現実する社会相と接触し、民衆のリアルな喜怒哀楽を表現してゐる芸術は、蓄音機のレコード等によつて唄はれてる、町の流行唄以外にないのである。

 僕は町を歩く毎に、いつもこの町の音楽の前に聴き惚れて居る。そして酒に酔つた時は、いつも大衆と一所にそれを合唱したくなるのである。音楽といふものは、本来皆その精神に「合唱性」を持つてるものだ。なぜなら音楽は詩と同じく、普遍に通ずるカメラードへの呼びかけであるからである。町の音楽をきいて、僕がそれを大衆と一所に唄ひたくなるといふのは、つまりその音楽の中に、僕等の時代に生きてるところの、社会人一般の情操を代表してゐるものがあるからである。この点から言へば、僕等のインテリ階級者と一般社会大衆人との間に、何の生活的劃線があるわけではない。一般社会人の悲しみは、常にそれ自ら僕等の心に反映してゐる悲しみなのだ。しかも僕等のインテリ文学は、この現実の社会感情から遊離して居り、却つて無智の大衆芸術である町の小唄が、僕等の求めてる真のリリツクを正直によく歌つてくれるのである。僕等の時代の文学者が、文壇の詩に退屈して、町の小唄音楽に却つて心の渇きを充たして居るといふのは、現代日本文化の畸型的な発育を反証するところの、一つのイロニカルな現像にちがひない。

 町の流行唄を聞いてゐると、時代の変遷する推移が実によく解るのである。人心が少しでも明るくなり、景気が活気づいて来た時には、音楽の調子がすぐ明朗になつてくるし、その反対の場合には、音楽がまたすぐ憂鬱になつてくる。町の流行歌曲ほど、感度の鋭敏な時代のテレビジヨンはないのである。
 そこでこの十年来、僕はこのテレビジヨンの感度機を廻しながら、目に見えない社会人心の変動を触覚して来た。そして一つの結論を得た。それはこの十年以来、日本の社会が日々に益々憂鬱になり、人心が絶望的に呻吟して、文化がその目的性と希望とを失ひ、年々歳々益々低落の度を深めて来て居るといふ事実である。例へば少し昔には、古賀政男の名曲「酒は涙か溜息か」や「幻の影をしたひて」等が流行した。これらの歌曲は、そのもつと前、欧洲大戦前後の好況時代に流行した、外国オペラの明朗な翻訳曲に比すれば、遥かに憂鬱で哀傷的のものであつたが、音楽として尚甚だ上品のものであり、その精神には健全で浪漫的な青春のリリシズムが情操して居た。・・(略)

・・

23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/16(Sat) 12:36
>>16

(参考)

早稲田大学 第二校歌「人生劇場」 2001年1月29日
h ttp://www2.fukuicanon.co.jp/tamaki/waseda/w010129B.html

『早稲田大学と文学』NO.886 Nov.18,1999
h ttps://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok886-2.html




24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 19:32
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 18:21
《大日本音楽著作権協会設立》 昭和14年11月

昭和14年11月18日午後1時、現在の一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC))の前進、社団法人大日本音楽著作権協会 の創立総会が内務省で開催された。
対象は邦楽と洋楽の作詞家、作曲家である。
洋楽と邦楽で、作詞家、作曲家併せて出席者は、発起人68人中48人だった。

協会設立時における主な会員出席者は洋楽では

作曲家(25人):

本居長世、弘田龍太郎、中山晋平、梁田貞、橋本国彦、堀内敬三、山根銀二、松平頼則、 藤井清水、古賀政男、小松耕輔、佐々木すぐる、諸井三郎、杉山長谷夫、井上武士、飯田信夫、服部正、他


なお、作詞家(15人)は、
林柳波、大木惇夫、與田準一、 高野辰之、長田幹彦、久保田宵二、葛原しげる、西条八十、佐藤惣之助、時雨音羽、清水桂ほか。






26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/23(Tue) 12:33
誰も知らない ミス・コロムビア
昭和14年(1939年) コロムビア新譜 叙情歌
作詞:サトウ・ハチロー 作曲:古賀政男 編曲:奥山貞吉 歌唱:ミス・コロムビア
伴奏:コロムビア・オーケストラ 30123(1205107)P-154

(一)
この丘も この草も
ここでまどろむ 昼の夢
誰も知らない 知らない 知らない
(二)
この鳥も この空も
遠い昔と 同じ色
誰も知らない 知らない 知らない
(三)
この花も この風も
胸に涙を  さそうもの
誰も知らない 知らない 知らない
(四)
この思い この嘆き
あわれ  小指の 細き影
誰も知らない 知らない 知らない

叙情歌(じょじょうか)とは抒情歌とも書き、日本の歌曲のジャンルの一つ。 「抒情詩」の派生語で、作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、これらの童謡や唱歌をはじめ、歌謡曲のスタンダードなバラードといったものを一つのジャンルにまとめたものである。


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/07/14(Tue) 15:19
(参考)
h ttps://item.rakuten.co.jp/cfc-co/d6160/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_102_1_10001643

<古賀政男名曲大全集>
2010年、コロムビアミュージックエンタテインメントは創立100周年を迎えます。その記念企画の一つとして今回ご案内いたしますのが、コロムビアの“顔”であり、昭和歌謡史上最大の巨人、古賀政男の作品全集です。5000曲ともいわれる“古賀メロディー”の膨大な作品の中から、コロムビア音源を中心に選びに選び抜かれた究極の名曲・全200曲。出演者も、藤山一郎を初め、淡谷のり子、霧島 昇、二葉あき子、李 香蘭、近江俊郎、神楽坂はん子、村田英雄、美空ひばりなど、まさに綺羅星のごとき大スターたちによる夢の饗宴盤となっています。
過ぎ去りし昭和を振り返りながら、もう二度と現れないであろう大作曲家の音楽の真髄に触れていただく、まさにコロムビア創立記念に相応しいBOXセットです。
CD10枚組
全200曲収録
別冊歌詞集付
専用ケース入り
古賀政男 名曲大全集
(1件)22,000円(税込)送料660円

商品番号 D6160 コロムビア創立100周年記念特別企画!
選びに選び抜かれた「古賀メロディー」の名曲200曲!!
【演歌・歌謡曲 CD】
古賀政男 名曲大全集 商品番号D6160



名前:

【8:79】  ラジオ放送について
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/07(Fri) 14:24
ラジオ放送について、番組や放送について、
取り上げてほしいことや、やめてほしいこと、その他なんでも
どうぞ!!。


70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 15:54
>>68-69

2013-07-12 03:37:07

エッセイ:『青い山脈』を考える@西條八十と懺悔としての『青い山脈』其の1
h ttps://ameblo.jp/metyagojira/entry-11570970839.html

●なぜ『青い山脈』なのか

先日、軽く今井正監督の映画『青い山脈』を民衆蜂起の 映画として捉えた小文を書こうと思った。そのために原作である石坂洋次郎の小説『青い山脈』を確認したい部分が出てきたため、持っていた文庫を探そうと考 えた。膨大な蔵書の中から探し出す労苦を惜しんで総合書店へ買いに行ったが、文庫どころか全集の単行本もない。調べると版元の新潮社では石坂洋次郎の文庫 は全て廃刊になっている。
30年前なら石坂洋次郎の代表作はどんな小さな書店にでも置いていたものだ。
戦後民主主義の歴史に おいて民主主義大衆文学として金字塔であった『青い山脈』が廃刊になっているという事実は筆者にとって大きな驚きであった。『青い山脈』は原節子と吉永小 百合という戦前戦後の永遠の美貌と輝きを持った女優の人気にのみ後押しされて、DVDで初作の東宝版と日活版が映画が視聴できるのみ。主題歌『青い山脈』 は藤山一郎のCDアルバムや日本コロムビアの日本映画主題歌集などで聴けるのみである。(廃盤になってないものでは東宝の1979年のリメイク版主題歌 だった、石川さゆりと潮哲也歌唱のものが『石川さゆり・アーリーアルバム』で聴くことができる)
肝心の原作である石坂洋次郎の『青い山脈』はあれ程までに多くの人に読まれたのにも関わらず、現状では廃刊、古書で探してもなかなか入手が難しいのだ。この事には筆者にとって大きなショックだった。

2.永遠の青春歌謡としての『青い山脈』

い つだったか、NHKが歌謡オールタイムベストテンを募集したところ、『青い山脈』がベストワンであったという調査結果が出たという事を聞いたことがある。 残念ながらその際、記録しておかなかったので、いつの調査でどんな番組だったかは筆者は記憶していない。今世紀に入ってからだと思う。いずれにしても西條 八十作詞、服部良一作曲のこの映画主題歌は1949年に国内で大ヒットしてからというもの日本人の心の中に刻み込まれている名曲であることは確かだ。毎年 の夏に放映されているNHKの『思い出のメロディー』でも、1970年代後半頃、最後の取りは藤山一郎を中心に参加歌手全員が歌う『青い山脈』や『丘は花 ざかり』だった。最初にレコードが発売されたのは1949年。東宝が石坂洋次郎の新聞連載小説『青い山脈』を映画化した折、その主題歌として作られたもの で、映画では合唱のみだがレコードでは藤山一郎と奈良光枝のデュエット形式。映画は都合1988年まで初作も含めて5作品作られたが、全ての作品の主題歌 がこの服部良一作曲、西條八十作詞による『青い山脈』が使用された。現在では原作小説や映画がほとんど影を潜めてしまったのに対して、この歌は今も日本人 の心の中に青春歌謡の代表作として生き続けている。

歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。
レ コードは映画封切りよりも3ヶ月前に先行発売されており、映画よりも早く全国でヒットしていた。この曲は服部良一お得意のジャズ調ブギウギものとは違い、 戦前から戦時下に流行した映画主題歌同様のマイナー音階で、例えば『愛染かつら』や『純情二重奏』などに近い、日本人にとって馴染みやすくヒットし易い要 素を持ったものだった。主題歌を先行発売して映画を盛り上げようと考えたのは東宝の名プロデューサー藤本澄一の商戦法だった。予想通りのこの歌のヒットは 主題歌が映画宣伝とその観客動員への役割も果たしたのである。
明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡とし


71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 16:06
明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡としての『青い山脈』。

ただ、一見明るい内容の歌の歌詞と今井正監督による映画化作品とは多少の不協和音が響てくる。
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。筆者自身は西條八十の『青い山脈』は新しく始まる戦後民主主義文化の始まりを封切るものではなく、過去との決別を意味しているのではないかと思えてな らないのだ。

『青い山脈』 西条八十作詞 服部良一作曲

1.
若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

2.
古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの旅の乙女に 鳥も啼く

3.
雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の
なつかしさ見れば涙が またにじむ

4.
父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく若いわれらに 鐘が鳴る



72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 16:12
>>69-71

・先日、軽く今井正監督の映画『青い山脈』を民衆蜂起の 映画として捉えた小文を書こうと思った。そのために原作である石坂洋次郎の小説『青い山脈』を確認したい部分が出てきたため、持っていた文庫を探そうと考 えた。膨大な蔵書の中から探し出す労苦を惜しんで総合書店へ買いに行ったが、文庫どころか全集の単行本もない。調べると版元の新潮社では石坂洋次郎の文庫 は全て廃刊になっている。
30年前なら石坂洋次郎の代表作はどんな小さな書店にでも置いていたものだ。
戦後民主主義の歴史に おいて民主主義大衆文学として金字塔であった『青い山脈』が廃刊になっているという事実は筆者にとって大きな驚きであった。

・肝心の原作である石坂洋次郎の『青い山脈』はあれ程までに多くの人に読まれたのにも関わらず、現状では廃刊、古書で探してもなかなか入手が難しいのだ。この事には筆者にとって大きなショックだった。

・ 歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。

・明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡としての『青い山脈』。

・ただ、一見明るい内容の歌の歌詞と今井正監督による映画化作品とは多少の不協和音が響てくる。
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。

73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 17:48
11.石坂洋次郎 『青い山脈』 2006年3月

往年のベストセラー作家、石坂洋次郎の作品が読まれなくなって久しい。かつては本屋の書棚 を埋め尽くしていたものだが、今ではそれが懐かしい。『青い山脈』も、せいぜいその映画主題歌 がしばしば思い出のメロディーとして歌われることで記憶に残っている人が多いのではないか。 この作品が発表されたのは昭和22年。女学校で起きたにせラブレター事件を解決しようと動い た女性教師島崎雪子は、まさに戦後民主主義の申し子といった存在である。 彼女は、この事件の背後に女学生たちの野卑な精神を嗅ぎ取り、それを教室での問題として糾 弾しようとした。教室で首謀者を特定し、その非を諭すというのは彼女の論理からすれば「間違い のない」やり方であったはずだ。ましてや、首謀者が自分の行為を「学校のため」と言い逃れした のであれば、雪子にとってこれは看過できない事柄だったのである。 この事件を教室で問題として取り上げようとしたとき、これに反対したのは校医の沼田であった。 この環境で暮らす女学生たちの背景を踏まえない、直接的な方法は反感を招くばかりであること を、彼は土地の人間として十分すぎるほど知っていたのである。 『青い山脈』は戦後まもない時代の中、民主主義を謳歌した作品として受け取られがちだが、事 情はそう単純ではない。作者は戦前『若い人』を発表した際、右翼団体から不敬罪の被疑者とし て睨まれ、一時期沈黙を余儀なくされた経験がある。彼はむしろ多くの人々が「民主主義万歳」を 叫ぶ当時の風潮に違和感を覚え、読者に警鐘を鳴らそうとしていたフシがうかがえる。それは、 作品中の女学生が実に安易な形で「民主主義」を唱え、その言葉が一人歩きして島崎雪子の進 退問題にまで発展していった経緯からも明らかだ。あるいは、寺崎新子が家の窮乏を救うべく、リ ンゴの密移出を企てる場面が描かれているのも、日本版の『桜の園』とも言える太宰治の『斜陽』 とは明らかに対極的な生き方が志向されている。人間はとりあえず生きなくてはならない。欲望 や嫉妬、あるいは競争心をもった個人が混乱した時代状況の中でいかにして他者と共存し、本当 の意味での民主主義国家を築いていけるのか。作者はそのことを問いかけている。 『青い山脈』は、ヒロイン島崎雪子がこの土地の風土を理解していく物語でもある。その点で彼 女がこの土地の人間である沼田のプロポーズを受け入れるのは、いかにもこの作品の結末にふ さわしい。 しかし、当時の読者はこの作品をどの程度まで理解しえていたのであろうか。この作品が空前 の大ブームとなったことが、長い目で見ると逆に不幸だったと言えるかもしれないのだ。


74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 18:36
>>69-72

「青い山脈」・・「自由奔放」!!   自由奔放/騒動=若く明るい

石坂洋次郎によって書かれた学園の集団男女交際を主題とした長編小説である。戦後間もない田舎町での、偽のラブレターに端を発した恋愛騒動を描く。物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる自由奔放な学園騒動をさわやかに描いた青春小説である。

東北地方の高等女学校で起こった偽ラブレター事件をきっかけに、男女交際について、古い慣習に捉われる旧派と自由を主張する新派の町をあげた騒動に発展していく物語で、若さ、恋愛、自由などがユーモラスを交えて描かれた代表的青春映画。

「青い山脈」・・その代表とする言葉、それは「自由奔放・騒動・戦後民主主義」でしょう。

これまでたくさんの名曲を残してきた詩人・西条八十・・困り果てた西条八十は「自由奔放、騒動」を「若く明るい」という言葉で・・言い換えているのです。

それ以外で「青い山脈」に関係する言葉は「青い山脈」という言葉しか出てきません・

「若く明るい」とは戦後民主主義の「自由奔放」ということと理解すればいいでしょう。

霧島昇・松原操の歌った昭和23年の「三百六十五夜」(西条八十作詞・古賀政男作曲)を最後に、世の中は大きく変わって、歌の世界も飲み込まれて、大きく変わってゆく、、その転換点の歌なのです。

一方、《 「若く明るい」だけでは軽い! 》>とも言われるのも事実!。

それが「青春歌謡」であるならば、そこに「青春の苦悩」が込められていないと・・

それほど明るい歌というわけでもないし。

なお、松原操は、時代の変化を感じ取ったのか、この「三百六十五夜」を最後に、歌手生活を離れ、二度と歌うことはなかった。

藤山一郎も昭和29年にレコード歌手を引退。

歌は真に真心がこもったものでない限り、真に名曲として長く愛されることは決してないでしょう。

昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)、同じ年には、同じ服部良一の「東京ブギウギ」が出ている。

しかし、それも年月とともに変わってしまうのです。



75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 19:24
>>71

この「青い山脈」の歌詞には、「青い山脈」、という言葉以外、小説や映画についての
関係する言葉は認められていません。

つまり、不可欠な情緒・情感に関することは一切なく、情景に、情景だけで逃げてしまっているのです。

自由奔放では八十でも書きようがないはずです。

美辞麗句をうまく並べて使っているので、それだけに、一般受けは決して悪いわけではないようだが、誠に残念ながら、これまでの八十の重厚さというものが見られない、軽い!。

それ故、「青い山脈」が名曲とは言い難い!。





76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 21:45
>>72
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。

77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 22:01
三百六十五夜

作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島昇・松原操


 みどりの風に おくれ毛が
 やさしくゆれた 恋の夜
 初めて逢(お)うた あの夜の君が
 今は生命(いのち)を 賭ける君


 たそがれ窓に 浮かぶのは
 いとしき人の 旅すがた
 我ゆえ歩む 道頓堀の
 水の夕陽が 悲しかろ


 鈴蘭匂う 春の夜
 灯(ともしび)うるむ 秋の夜
 泣いた 三百六十五夜の
 愛の二人に 朝が来る

昭和23年、三百六十五夜

《蛇足》 昭和23年(1948)に公開された新東宝の同名映画の主題歌。映画は雑誌『ロマンス』に連載された小島政二郎の恋愛小説の映画化で、出演は上原謙、山根寿子、高峰秀子、堀雄二など。
 古賀メロディーの傑作の1つなのに、最近では知る人も少なくなりました。
 霧島昇と松原操は、『旅の夜風』をいっしょに歌ったのが縁となって結婚、多くのヒットを飛ばしました。松原操は子育てをするため、この歌を最後に引退して、専業主婦となりました。
 
翌年、昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)を比べてみると、もの。美辞麗句を並べただけの「青い山脈」はただけの味もそっけもない女学生の合唱コンクールのようなもの。

同じ西条八十の詩とは思えない!。

78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 22:04
翌年、昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)を比べてみると、美辞麗句を並べただけの「青い山脈」は同じ西条八十の詩とは思えない味もそっけもない女学生の合唱コンクールのようなもの。



79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/23(Sat) 21:10
>>68-78
>>74-78

歌の世界も戦後、昭和23年あたりを境に大きく変わることとなってしまった。石坂洋二郎の「青い山脈」とは、昭和22年から新聞に連載された小説で、学園における若者の奔放な男女交際をめぐる騒動を描いた、これまでにない、たわいもないもの。これまでの、淑やかな恋愛や「価値観」が「民主主義」の名のもとに覆されてゆく。
「恋愛」というより、学園における奔放な「騒動」。
戦後の典型的な作品は「青い山脈」(1947年、石坂洋次郎)で、「自由恋愛」のもとに、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。

ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は良くも悪くも、「戦後民主主義」を流布させる思想小説となる。そんな作品で強調されたのが「自由恋愛」だった。
『愛染かつら』三部作など、これまで数知れない沢山の名作の歌を書いてきた西条八十も困ってしまったことでしょう。
情景にすり替えられて、昭和23年の」「三百六十五夜」のように、中身,情感の部分に、あまり触れていない。

中身の情感の部分が貴いのであって、小説を知れば「若く明るい」だけでは軽い。

真の大人の歌になるためには苦悩とか心の襞もないと、西条八十もおもったはず。

確かに。自由奔放な戦後若者の恋愛騒動じゃ、若く明るいと書くくらいしかなかったのだろう。

[青い山脈」・・詩がありきたり、「若く明るい」だけでは軽い!。

曲は詩を超えることが出きない・・


名前:

【9:71】  童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/29(Sat) 16:43
大正8年の起こった童話童謡運動、多くの文学者、詩人、作曲家によって
多くの名作童謡を生んだ童話童謡運動。

しかし、それは戦後新しい若手勢力「ロバの会」による自らの利益を図る「童謡排斥運動」によって
終焉を迎えた。

その歴史に残る汚点は決して忘られるべきでない。


62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 11:42
童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561794206&ls=50

63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 18:15
「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、[あたらしいこどもの歌」というのは。
、NHKラジオ放送で昭和24年「歌のおばさん」が主体となっている。

当時は童謡黄金時代であったがこれはレコードであなくラジオである。
磯部俶、宇賀神光利、大中恩、中田一次、中田喜直ら若手二世五人の作曲家グループは、
昭和三十年「ろばの会」を作って、(レコードでなく)新しいラジオ番組「歌のおばさん」で
「あたらしいこどものうた」をつくろうとした。

そしてこれまでの(レコード)「童謡」の「排斥運動」を展開したのだ。
自らと競合する『童謡』を排斥したのだ。(「童謡排斥運動」という。)

昭和30年代後半から40年代にかけて、大中恩らの「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、
[あたらしいこどもの歌」がテレビの子供歌番組などでよく歌われた。

しかし、今から考えればそれは、あくまでちいさなこどものたわいもない歌でしかなかった。
現在保育園とか幼稚園位で歌われる位。

子供は大きくなる。童謡と言うのは大きくなって再び蘇る、しかし、この
さっちゃんなどは所詮幼児の歌、大きくなれば顧みられることは無い。


「ぞうさん」「サッちゃん」「おなかのへるうた」。。こうしたたあいないへんな歌は童謡黄金時代、「童謡」に対抗して、昭和30年に作られた「ロバの会」による「新しいこどものうた」というものです。対象就学期前の幼児でした。

そしてなんと、「童謡排斥運動」を起こしたのです。「ロバの会」自体が童謡排斥のためで、5人の若手二世音楽家によって作られたものでした。

「子どもに媚びない、新しい芸術的な“こどものうた”を作って行こう」ということで、“童謡”を“こどものうた”と言いあらためたと言うのだが、結局こどものうたにすぎなかった。そして排斥に依って自分たちの世はこなかった。

名もなきたった4人の若手二世で、大正時代からの『童謡』を変えるなどとても無理な事だった。 宇賀神光利、中田喜直らが相次いで亡くなり、2000年には解散となった。


<「ろばの会」について>
磯部俶(いそべとし)の提案で、“こどものうた”の作曲家グループとして、昭和三十年(1955年)に 中田喜直、磯部俶、中田一次(、宇賀神光利(昭和42年(1967年)に死亡)、大中恩の5人で結成。 まどみちおなど詩に加わる。

童謡をさんざん排斥した中田喜直は、その後、その「童謡」をそのままかすめ取って
『童謡協会』を作り、会長に収まった。

動機不純そのもので、さすがに最初から会長では露骨すぎとかんがえたのだろうか、初代はサトウハチロー、仲田は二代目として入った。
これいったいどういうこと。

日本童謡史における最大の汚点として、中田喜直ら、ロバの会の悪行は記録されるでしょう。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/04(Sat) 22:43
[世界大百科事典]内の歌のおばさんの言及

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

この中に「童謡排斥運動」の背景がよく表れていて、童謡排斥運動、そのもので、非常に参考になる。


【童謡】より

…しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。〈赤い鳥〉の流れをくむ詩人サトウハチロー(1903‐73)や新進作曲家団伊玖磨(1924‐ ),芥川也寸志(1925‐89),中田喜直(1923‐ )らによるもので,NHKのラジオ番組〈歌のおばさん〉を媒介とし,ここから《めだかの学校》《ぞうさん》など,簡単な旋律でありながら,芸術味のある歌が誕生した。ついで中田喜直,磯部俶(1917‐ )らによる〈ろばの会〉が結成され,彼らは〈レコード童謡〉のイメージから脱皮すべく童謡の名称を用いず,〈こどものうた〉とよんだ。…
※「歌のおばさん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。



65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/04(Sat) 22:49
>>53

h ttps://kotobank.jp/word/歌のおばさん-1274062

出典|株式会社平凡社
世界大百科事典 第2版について

66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/04(Sat) 22:54
上記訂正
>>64

h ttps://kotobank.jp/word/歌のおばさん-1274062

出典|株式会社平凡社
世界大百科事典 第2版について

67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/04(Sat) 23:09
うたのおばさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『うたのおばさん』は、1949年8月1日から1964年4月4日までNHKラジオ第1放送で放送されていた幼児向けの歌番組である。平日の8時45分から9時まで放送されていた。


概要
終戦直後の貧しい時代に、「歌」は最も重要な娯楽の一つだったが、いわゆる流行歌には、子どもの歌唱にふさわしくないものも多く、健全な子どものための音楽文化育成のために、番組が制作された。[要出典]
安西愛子と松田トシがピアノ伴奏で歌唱し、歌遊びや歌唱指導もあった[1]。この番組ができた当時、安西・松田の2人はまだ30代前半で、「おばさん」呼ばわりされるには抵抗があったようだが、「長寿番組にしたいし、そうすればおばさんのほうが親しみやすい」というNHK担当者の説得で納得したという。[要出典]
まど・みちお作詞、團伊玖磨作曲の『ぞうさん』[2]など、この番組のために作られた歌もある。他に、サトウハチロー、小林純一、中田喜直、團伊玖磨、芥川也寸志、佐藤義美らが番組に協力した[3][4]。
当時は、幼稚園や保育園に通う子どもはまだ少なく、団塊の世代とその前後の、多くの人たちが当番組を聞いていた。戦後の童謡の黄金期を作った[5]。月1 - 2回の外出録音を実施し、幼児と密接になるようにつとめていた[6]。
一方、1953年にテレビ(NHK総合)にて本放送が開始される。そのような中で、当番組のテレビ版を作ろうという話があり、1961年に当番組の編成にたいそうを加えた『うたのえほん』が開始された[7]。やはり1960年代になると、テレビが普及してラジオの聴取者が激減したため、[要出典]15年続いた番組も1964年に終了した。
当番組で誕生した歌
おかあさん  作詞:田中ナナ、作曲:中田喜直
お星さま   作詞:都築益世、作曲:團伊玖磨
1948年5月に放送、発表[9]。
こおろぎ   作詞:関根栄一、作曲:芥川也寸志
サッちゃん  作詞:阪田寛夫、作曲:大中恩
1959年に開催されたNHKラジオ「うたのおばさん」放送開始10周年記念の祝賀音楽会にて発表された[10]。
ぞうさん   作詞:まど・みちお、作曲:團伊玖磨
詩は1948年春頃に、曲は1953年に作られた[2]。
みつばちぶんぶん 作詞:小林純一、作曲:細谷一郎
めだかの学校   作詞:茶木滋、作曲:中田喜直
数曲が日本の歌百選に選定された。


68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/09(Thu) 23:27
ほとんどが動物、人間には関心ないようだ、
さっちゃんとかもチンパンジーなんだそうだ!・。

69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/11(Sat) 07:48
「こどものうた」といいながら、子供がいない。
結局、自分のため。

何の実績もない自分たちのため、対抗する実績のある「童謡」を排斥したもの。

したがって、今、子供も、誰も見向きもしない。
児童合唱団さえ、今や見向きもしない。

排斥によって何も生まれなかった。

会員は詩人と作曲家となっているが、誰も知る人もない名前ばかり。
典型的、会員の職能擁護団体に成り下がってしまっている。

70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/08(Fri) 22:14
【16 戦後の童謡】
(昭和22年)NHK連続放送劇「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」。
海沼実「みかんの花咲く丘」「おさるのかごや」「からすの赤ちゃん」「かえるの笛」「ちんから峠」、山口保治「かわいい魚やさん」「ないしょ話」、山本雅之「もりのこびと」など、放送、レコードによる、童謡作家、童謡歌手によって紹介され好まれた。
サトーハチロー等はこれらの童謡は幼稚で低俗だと批評し、芸術的な新童謡が作られるようになった。
NHKの(歌のおばさん)等に團伊玖磨「ぞうさん」「おつかいありさん」、中田喜直「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」「小さい秋見つけた」、大中恩「バスのうた」「サッちゃん」「ぞうさん」など多くがラジオなどで紹介され広く親しまれてきた。
近年はテレビの子供番組などから「山口さんちのツトムくん」「およげたいやきくん」等が出たが、CMソングなど音楽が多様化し、童謡としての曲はヒットしなくなった。

71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/19(Tue) 21:32
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


名前:

【10:7】  乙葉の乙葉っする
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/01(Sun) 06:18
↑の番組について語りましょう
暴言・喧嘩・荒らし禁止


2 名前:名無しさん 投稿日:2006/10/01(Sun) 20:29
面白いよね。
この頃は聴くのを忘れちゃってますがまた聴こうと思います。
乙葉ちゃんが特別好きって訳じゃないケドこのラジオのトーク好きです^^

3 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/08/31(Sun) 18:15
ああ

5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/09/13(Sat) 13:56
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=question&key=410527680&ls=50

おまえら今日は岡崎祭りならぬゆっきー祭りだぞ


6 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/11/27(Wed) 18:25
何とも

名前:

次のページ