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昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

164 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/14(Wed) 09:44
>>162

渋谷駅から古賀政男音楽博物館と代々木上原駅〜渋谷駅を結ぶ便利なコミュニティバスです!。

〔渋谷区コミュニティバス〕 (ハチ公バス)

【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
渋谷駅と代々木上原駅を結び、美術館などの区施設を経由します。
h ttp://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/com_bus/

@渋谷駅西口 発
A東急百貨店本店前
B松濤美術館入口
C東大前
D東大裏
E富ヶ谷二丁目
F富ヶ谷交差点
G上原一丁目(富ヶ谷図書館入口)
H上原二丁目(上原出張所入口)
I古賀音楽博物館
J代々木上原駅

S東急百貨店本店前終点

ハチ公バス(丘を越えてルート)は、古賀政男作曲、藤山一郎歌唱の名曲にちなみ、ルート名となった。

h ttp://s-ohtsuki.sakura.ne.jp/privaterailway/odakyu/OdawaraH2403/DaiKukan01_Shinjuku-Shimo_Kitazawa-Shin_Yurigaoka/Kukan01_Shinjuku-Shimo_Kitazawa-Umegaoka/Sub1_Shinjuku-Sanguu_Bashi-Yoyogi_Uehara/newpage06-S.html




165 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/14(Wed) 10:17
『名曲』って!?・・消えてほしい最近の歌 (音楽BBS)


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=347425366&ls=50


懐かしの銀座を歌った歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=510311914&ls=50

名前を名にした歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50

166 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/20(Tue) 22:00
>>158


みどりの風におくれ毛が
 やさしくゆれた恋の夜
・・・・・・・・・・・・・
こんな 素晴らしい 恋の詩があるんだ・・!といつも
思います。
・・・・・・・・・・・・
古賀先生が遠い昔テレビで言っていました。作詞家と
作曲家は武士の一騎打ちと同じ これでもか これでもか
と 討ちこんでくる・・・・・・・・・
正に この歌はその代表だと思っています。

167 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/21(Wed) 01:12
川口松太郎原作「愛染かつら」、小島政二郎原作「三百六十五夜」、・・西條八十の作詞による作品が、同じ男女間がでも二人の間の深い恋愛なのに対し、
石坂洋二郎作品「青い山脈」の場合、学校内の奔放な集団的男女交際の話。

東北の田舎の港町を舞台に、男女間が封建的な田舎町における奔放な男女交際をめぐる騒動と、それと戦う若い女教師の姿を描いたもの。
愛染かつらでは・・すれ違いともう一つの大きなテーマは、親子・・生みの親・育ての親。

石坂作品「青い山脈」ではテーマというものがはっきりしない。
だから、どうしても一般的、全般的で平板にならざるをえない。
愛染かつら、三百六十五夜など西條八十の殊玉の名作品に比べると、、その分どうしても明るいけど軽さは否めない。
多数ある西條八十の作品故、どうしてもそう感じてしまうのは致し方ない。

168 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/21(Wed) 01:21
西條八十の「愛染かつら」三部作6曲がある、すれ違いの映画で、そこには生みの親、育ての親の葛藤、
それを乗り越えて最後で結ばれる二人。
随所に出てくる言葉・・それは「子守歌」、第一部の主題歌「悲しき子守歌」もある。
その全般を通して優しい詩に、優しい歌声。


169 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/22(Thu) 10:13
先日、軽く今井正監督の映画『青い山脈』を民衆蜂起の 映画として捉えた小文を書こうと思った。そのために原作である石坂洋次郎の小説『青い山脈』を確認したい部分が出てきたため、持っていた文庫を探そうと考 えた。膨大な蔵書の中から探し出す労苦を惜しんで総合書店へ買いに行ったが、文庫どころか全集の単行本もない。調べると版元の新潮社では石坂洋次郎の文庫は全て廃刊になっている。
30年前なら石坂洋次郎の代表作はどんな小さな書店にでも置いていたものだ。
戦後民主主義の歴史に おいて民主主義大衆文学として金字塔であった『青い山脈』が廃刊になっているという事実は筆者にとって大きな驚きであった。『青い山脈』は原節子と吉永小百合という戦前戦後の永遠の美貌と輝きを持った女優の人気にのみに後押しされて、DVDで初作の東宝版と日活版が映画が視聴できるのみ。主題歌『青い山脈』 は藤山一郎のCDアルバムや日本コロムビアの日本映画主題歌集などで聴けるのみである。(廃盤になってないものでは東宝の1979年のリメイク版主題歌 だった、石川さゆりと潮哲也歌唱のものが『石川さゆり・アーリーアルバム』で聴くことができる)
「青い山脈」は藤山一郎と奈良光枝が歌った、奈良光枝が亡くなっ、現在藤山一郎の歌のようになってる。藤山一郎はよくこの歌を手拍子をもって歌っている。
肝心の原作である石坂洋次郎の『青い山脈』はあれ程までに多くの人に読まれたのにも関わらず、現状では廃刊となり、古書で探してもなかなか入手が難しいのだ。


170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/24(Sat) 23:03
>>35

丘を越えて 藤山一郎/古賀政男.
視聴回数 24万 回

2012/10/29 に公開

昭和6年発売の「丘を越えて」です。青春をテーマにした藤山一郎・古賀政男の合作芸術の傑作です。演奏は明治大学マンドリン倶楽部(男子部員時代)。藤山一郎は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)在学する将来を嘱望された期待のクラシック音楽生でした。昭和恐慌で破産した生家の借財返済のためにアルバイトの流行歌歌手となりコロムビアからデビューしました。青春を声量豊かに高らかに弾むように歌いあげています。躍動感溢れる歌唱は永遠の名唱です。

171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/01(Thu) 19:14
NHK放送ライブラリ
初めて戦争を知った〔2〕 幻の歌“サヨンの鐘”が聞こえる 台湾「高砂族」と太平洋戦争
テレビ番組
番組ID 007069
放送日  1993.08.03
分数   44
ジャンル ドキュメンタリー
放送局  NHK
製作者  NHK
出演者  山田太一、山口淑子、語り:内藤啓史
概要
戦争を知らない若者たちが、太平洋戦争を体験した人々と出会うことを通して戦争の悲惨さ、戦争の真実を発見し、伝えていくシリーズ。(8月4日終了、全3回)◆第2回は高校2年生の少女が台湾を訪ねる旅を通して、戦争中台湾で歌われていた「サヨンの鐘」(西條八十作詞、古賀政男作曲)に秘められた事実を追い、台湾の人々を戦争に巻き込んでいった日本の植民地政策を明らかにしていく。

NHK放送ライブラリ
横浜市中区日本大通11
横浜情報文化センター内 
TEL.045−222−2828


172 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/01(Thu) 21:07
古賀メロディ代表曲

h ttp://www.jrt.co.jp/radio/natsumero/bangumi/kogamasao.htm

173 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 09:52
■■コガ・ミュージアムコンサート 案内 ■■

  (近日の予定)

◇平成30年5月26日(土)
 永遠の古賀メロディコンサート 東京大衆歌謡劇団

開場13:30  開演14:00 終了予定16:00

◇平成30年6月23日(土)
 古賀政男没後40年 心を込めて古賀メロディを歌う!

昼の部 12:00開場 開演12:30
夕の部 15:30開場 開演16:00

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール

入場料 指定席制 2000円(税込) (要電話予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051

主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団

小田急線、東京メトロ代々木上原駅
南口1を出て右側音楽村通りを進み、突き当り井之頭通り、 代々木上原駅南交差点駅前交番すぐ目の前
下りホームすぐ下に見えます。南口出口を出て2,3分です。

渋谷駅ハチ公口から循環バス(丘を越えてルート)がでています。

入場券で博物館をご覧いただけます、開場前にご見学ください。>>42-44,>>45-46

他の企画・演奏もあります、ホームページ参照。

■無料開館日のご案内 (通常入館料 500円)
 
 毎年5月18日 国際博物館の日

 毎年7月21日 古賀政男命日

 


174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 10:01

渋谷駅から古賀政男音楽博物館と代々木上原駅〜渋谷駅を結ぶ便利なコミュニティバスです!。

〔渋谷区コミュニティバス〕 (ハチ公バス)

【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
渋谷駅と代々木上原駅を結び、美術館などの区施設を経由します。
h ttp://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/com_bus/

@渋谷駅西口 発
A東急百貨店本店前
B松濤美術館入口
C東大前
D東大裏
E富ヶ谷二丁目
F富ヶ谷交差点
G上原一丁目(富ヶ谷図書館入口)
H上原二丁目(上原出張所入口)
I古賀音楽博物館
J代々木上原駅

S東急百貨店本店前終点

ハチ公バス(丘を越えてルート)は、古賀政男作曲、藤山一郎歌唱の名曲にちなみ、ルート名となった。

h ttp://s-ohtsuki.sakura.ne.jp/privaterailway/odakyu/OdawaraH2403/DaiKukan01_Shinjuku-Shimo_Kitazawa-Shin_Yurigaoka/Kukan01_Shinjuku-Shimo_Kitazawa-Umegaoka/Sub1_Shinjuku-Sanguu_Bashi-Yoyogi_Uehara/newpage06-S.html




175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 23:01
>>171

戦前、台湾コロムビアから「乙女の真心」という曲が出されました。通称「サヨンの鐘」です。渡辺はま子さんが唄っておりました。古賀政男作曲、西條八十作詞の名曲です。台湾では今もなお歌い継がれる名曲中の名曲です。


「サヨンの鐘」・・日本と台湾の間で、少数民族が顔を出すところがある。それは、残念ながら蜂起とか鎮圧とかという形だった。昭和5年、台湾総督府に山間で抵抗した高砂族、霧社藩暴動事件というのがあった。
 
 しかしこの話は、そん名歴史を考えると感激せざるを得ない、実際に起った日本と台湾との架け橋のような「美談」なんですね。「サヨン」というのは、この台湾奥地に住む少数民族・高砂族の娘で、昭和13年、日本人警官の出征に際し、嵐の中、荷物を持って決死で送ってくれるんですが、自分は丸太の橋で足を踏みはずして転落してしまうんですね、そして日本の台湾総督府は、少女の兄に鐘を送るんですね。それを聞いた渡辺はま子が、この歌を歌う。これは昭和16年11月だそうで、太平洋戦争直前なんですね。
しかも、昭和18年に「李香蘭」・・山口淑子女史・・が主演、サヨン役で、映画「サヨンの鐘」が公開されるんですね。この話の碑が戦後倒されたり削り取られたりしたが、現在復活して大切にされてるというのはすばらしい話だと思います。


h ttp://home.so-net.net.tw/katakura/kyodo/0105.html

h ttp://urawa.cool.ne.jp/masakim/Taiwan/Trip/Hualien/hualien2.html

h ttp://nwotw.hp.infoseek.co.jp/nihon/iseki.htm#sayon

h ttp://taiwantokuso.hp.infoseek.co.jp/nihon/uta/sayon.htm



176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/15(Thu) 23:13
サヨンの鐘
(西条八十作詞・古賀政男作曲)

 1.あらし吹き巻く 峯ふもと
   流れあやふき 丸木橋
   渡るは誰ぞ うるわし乙女
   紅きくちびる ああサヨン
 
2. 晴れの戦に 出てたまふ
   雄雄しき師の君 なつかしや
   担う荷物に 歌さえほがら
   雨は降る降る ああサヨン
 
3. 散るや嵐に 花ひとえ
   消えて哀しき 水けむり
   蕃社の森に 小鳥は鳴けど
   何故に帰らぬ ああサヨン
 
4. 清き乙女の 真心を
   誰か涙に 偲ばざる
   南の島の たそがれ深く
   鐘は鳴る鳴る ああサヨン

<CD紹介>
松竹映画「サヨンの鐘」(清水宏監督、1943年7月)の挿入歌として次の歌がある。いずれも名曲。
「サヨンの歌」(西條八十)李香蘭、「なつかしの蕃社」(西條八十)霧島昇、菊池章子
CD「渡辺はま子 / シナの夜 (SP盤復刻による懐かしのメロディー)」・・サヨンの鐘
CD「李香蘭 / 蘇州夜曲 (SP盤復刻による懐かしのメロディー)」・・・・サヨンの歌
上記挿入歌2つは、CD「SP原盤復刻による日本映画主題歌集 5」にも入ってます。(「サヨンの鐘」は入ってない。いずれも現在の入手状態不明。)


「サヨンの鐘」の“鐘”と、『組曲 サヨンの鐘』
  h ttp://www1.ocn.ne.jp/~shoji/sayon.html






177 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/16(Fri) 22:00
中途半端な声楽の技術を持った人間が、クラシック系の歌手が歌った曲を歌ってるのを聴くと耳を覆いたくなる。
講演なんかで歌うやつがいるが馬鹿かと。
あほかと。

昭和前半の歌は現在のプロでも簡単に歌えない歌が
たくさんあります。カバーして歌ってるのを聴くと
よく分かります。

改めて藤山さんの歌を色々歌ってみると、素人には簡単に歌えない歌だと痛感します。
歌詞も一流の詩人・文学者とも言うべき人が作詞してたりしましたね。
そう考えると、最近はチンピラ作曲家にチンピラ作詞家にチンピラ歌手、
レコード会社も芸能事務所もヤクザな稼業…。




178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/16(Fri) 22:15
小田急線代々木上原駅前の「古賀政男音楽博物館」は、昭和53年(1978)7月25日、古賀政男没後、古賀政男の意志を引き継いだ「古賀政男音楽文化振興財団」(昭和54年1月18日設立)が設立され、旧古賀邸跡は「古賀政男記念博物館」として公開されていた。

しかし、老朽化のため平成4年旧邸宅を取り壊し、その一部を移築再現することを含め、平成9年5月に新しい博物館としてオープンしたものである。

古賀政男がコロムビアレコードの専属作曲家になったのは、今から82年前の昭和6年(1931)3月。

専属第一作は、「日本橋から」「窓に凭れて」「嘆きの夜曲」「あけみの唄」「朝顔の唄」「さらば上海」「去りゆく影」など、藤山一郎とともに、初期の古賀メロディを支えた歌手、関 種子の「乙女心」」(鹿山鴬村作詩、6年6月)♪朧月夜のその頃に・・だった。

古賀政男が住んでいたのは同じ代々木上原でした。やがて売れっ子となった古賀政男は、その後数年を世田谷区で過ごしますが、音楽の創造に取り組む同志を集めて、音楽村を作りたいという夢を持っていた古賀政男が、ふたたび代々木上原を選んだ、これが旧古賀邸。

この地から「古賀メロディ」と呼ばれる日本人の心の琴線に触れる数多くの歌と、多くの歌手が送り出された。まさに大衆音楽の聖地といってもいいだろう。

音楽博物館としては日本唯一の博物館で講演や演奏もある。なお、この時一部が売却された。右隣の7階建てマンションになっている部分です。

旧古賀邸は昭和13年につくられた和洋折衷様式の建物で、代々木上原駅前の3000坪の広大な屋敷には、庭園や大きな車庫がいくつもあった。かって中二だった滝沢秀明と今井翼 出演のフジTV「木曜の怪談・怪奇倶楽部―小学生編」(DVDあり)のロケはここで行なわれた。この中に古賀邸の内部映像が残っている他、博物館に移設展示されている。

現在の「古賀政男音楽博物館」と、「日本音楽著作権協会」(JASRAC)が入るビルは一体で、旧古賀邸は、これと右隣のマンションが建っている敷地を含む小田急線代々木上原駅前の、井の頭通りに面するブロックすべてです。

駅から旧古賀邸に至る路が「音楽村通り」で、看板が出ているが駅舎に面した通りだけで、2,3分歩いて井の頭通りに面した駅前交番のすぐ目の前に音楽博物館がある。井の頭通りは拡幅され、残念ながら古賀邸が有った頃の、多くの著名な歌手や音楽関係者が通ったという昭和の趣は今そこに無い。

日本の音楽著作権を管轄する団体として長い歴史を持つJASRAC本部は,1994年に港区西新橋から、ここ代々木上原の地に移転。
「古賀政男音楽博物館」に隣接し、それと繋がった「古賀政男音楽振興財団」(古賀財団)のビルに本居を構え現在にいたる。

古賀政男は、昭和30年代に於いて、既に『歌謡界の大御所』というだけでなく、『日本の名士』だった。

昭和33年には自ら日本作曲家協会を設立、会長となった。そして日本レコード大賞など創設、音楽界全体の発展に尽力したことでも知られます。

著作権料は他を圧倒していたことはよく知られたことだった。成りあがりの若い作曲家の遠く及ばないことなのだ、。

この日本の著作を含む音楽分野で、大衆音楽という深く著作権と関係する分野で、自らの歴史が歌謡曲の歴史、昭和の歴史とともに巨大な足跡を築いた古賀政男、その遺志と著作権を引き継ぐ古賀財団。

JASRACを飲み込むかのように、代々木上原の地にそびえ立つ二つの威容は、その音楽遺産の偉大さを象徴しているかのよう。


古賀政男没後すでに35年、新しい大衆音楽が次々に出現している。「飽食の時代」と言う言葉さえ過去のものとなってしまった。この豊かで平和な日本にも、かっては貧しい時代が有ったのだ。その歴史の上に今日があるのだ。音楽についても同じことが言える。

日本人は豊かさとともに大切なものを失おうとしてしまっているのではないか。そうした今、まだテレビもなかった時代、古賀メロディ等に限らず、その時代とその歌の背景等に想いを致し、歌い継いでいくことは、日本人の心の原点を取り戻すことで意義ある事だと思われます。

何でも「名曲!?」の今、その優れた詩人や作曲家たちの心をこめて作った詩や曲のさりげないはしはしに、日本人が忘れかけていた大切なものが隠れている本当の名曲、正に癒しの宝庫というにふさわしいといえるでしょう。







179 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/16(Fri) 22:28
>>173-174,>>178

古賀政男音楽博物館は、小田急線代々木上原駅南口から徒歩3分ほどの場所に位置しております。日本を代表する大作曲家の生前住んでいた所を公開している博物館です。館内には古賀氏が使っていた楽譜が展示されていました。数々の名曲を残した作曲家さんでしたので、凄く感動しました。ぜひ一度足を運んでみてください。

古賀政男が1938年から自邸を構えた渋谷区、小田急線代々木上原駅前3000坪の敷地に一般財団法人古賀政男音楽文化振興財団によって1997年に開設された。建物は日本音楽著作権協会(JASRAC)が本部を構えるオフィスビルと博物館付属のコンサートホール「けやきホール」と一体化している。館内には古賀の来歴紹介や自邸のモックが。


180 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/16(Fri) 23:06
日本の豪邸

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=nandemo&key=500628695&ls=50


181 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/16(Fri) 23:16
世界の名車


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=nandemo&key=410079389&ls=50

182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/17(Sat) 08:43
>>178
訂正
古賀政男がコロムビアレコードの専属作曲家になったのは、今から丁度87年前の昭和6年(1931)3月。


183 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/17(Sat) 10:35
>>173-174

古賀政男音楽博物館

これは、昭和12年、自宅兼「音楽村」を作りたいという、飛ぶ鳥を落とす勢いだった作曲家「古賀政男」
が、小田急線代々木上原駅前の松林3000坪を購入し邸宅を建てて昭和13年から住んだ邸宅。
代々木上原駅から古賀邸までの短い道は今、「音楽村通り」となずけられて表示されている。
現在、邸宅跡は「古賀政男音楽博物館」になっている。
「古賀政男音楽博物館」にはこのほか、東京渋谷区が渋谷区コミュニティバス(上原・富谷ルート循環;「丘を越えてルート」)を運行している。
(運用:京王バスTEL.03−5300−6011)

料金一律100円、8時から20時まで1時間3本循環。本数は多くはないが、東大等経由して博物館ルートなので
渋谷めぐりにはいい。

出発は渋谷駅西口バスターミナル、渋谷駅につながった、渋谷駅西口京王井之頭線渋谷駅5F渋谷マークシティから。

渋谷駅は現在大きく変わっていて、ハチ公口ではないので注意。でJR山手線、埼京線では玉川改札、地下鉄ではハチ公口が便利。

不明な点は運航の京王バスに。


184 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/18(Sun) 18:30
NHKは、NHKTVで「日本の名曲10曲」と題して日本の名曲10曲<<150を1年間にわたり流した。
ちょうどそのころ、NHKは「日本のうたふるさとのうた」を発表、いずれも「影を慕いて」が入っている。


>NHKが「日本のうたふるさとのうた」と題し、童謡とか愛唱歌などを主に100曲を選んでいて(1989年11月4日放送)、このなかに「赤い靴」などとともに、「影を慕いて」が同じようにはいってる。これを「童謡新聞」という童謡を主としたHPで紹介してます。「明日に残す心に残る歌」として、「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」など幾つかで、『唱歌童謡の中に「影を慕いて」が含まれる』とあります。明日に残す心に残る歌・・「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」他 日本のうた・ふるさとのうた(1989)


昭和が終わって平成の時代がはじまった1989(平成元)年に、忘れ去られつつある
「うた」を日本全国の人々とともに掘り起こし、つぎの世代に伝える文化遺産として集
大成して、記録にとどめようという趣旨のもと行なわれた企画で、明治・大正・昭和の
歌の中から次代へ残したい歌を一人一曲選び、ハガキなどで投票した結果が、応募総数
65万7千通あまり、総曲数は5千曲にものぼったという大調査です。

選定基準は得票数のみではなく、全国の十四団体(下記)で構成する全国実行委員会が
組織され、さらに各都道府県には地域実行委員会が設置されて、寄せられたハガキの中
から各地域実行委員会が地域の百曲を選び、これをもとにして全国実行委員会が全国版
をリストアップ、それを代表5名(下記)で構成された選定諮問委員にかけて最終的に
決定したという、大掛かりでものものしい調査でした。
はかなり妥当性の高いものです。

この結果については、全国33都市で発表コンサートが開かれ、その締めくくりとして
平成元年10月にNHKホールで行なわれた全国版の発表コンサートがテレビ放映され
ました。ここではその集計結果から一部をご紹介します。



「日本のうた・ふるさとのうた」全国実行委員会

全国実行委員会役員

委員長 三浦朱門(日本文芸家協会理事長)
副委員長 石本美由起(日本作詩家協会会長)
副委員長 服部良一(日本作曲家協会会長)
副委員長 川越宏樹(日本青年会議所会頭)
監事 星野雅春(日本青年団協議会会長)
監事 日野豊(全国地域婦人団体連絡協議会会長)
事務局長 勅使河原平八(NHK番組制作局次長)


構成団体

(社)日本PTA全国協議会
(社)日本青年会議所
 日本青年団協議会
(社)全国公民館連合会
 全国地域婦人団体連絡協議会
(社)日本作詩家協会
(社)日本作曲家協会
(社)日本作曲家協議会
(社)日本音楽著作権協会
(社)日本レコード協会
(財)地域活性化センター
 日本放送協会
(財)NHKサービスセンター
(財)NHK交響楽団

後援 文化庁、自治省、放送文化基金


選定諮問委員

小山内美江子(脚本家)
金田一春彦(国語学者)
三枝成章(作曲家)
平山郁夫(日本画家)
三国一朗(放送タレント)

(注)肩書き等は当時のまま。

以下の資料を参考にしました。

「日本のうた・ふるさとのうた」実行員会 「NHK日本のうた・ふるさとのうた」(1990 講談社)
「新版日本流行歌史」 古茂田信男、他(1995 社会思想社)


100曲については以下参照;

「NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲」(講談社1990/12)



185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/18(Sun) 18:50
>>184

NHK「日本のうた・ふるさとのうたNHK100曲」

h ttp://www.geocities.jp/fujiskre/ka94.html

186 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/18(Sun) 18:51
NHK「日本のうた・ふるさとのうた100曲」

187 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/18(Sun) 19:58
■■NHKTV 「日本の名曲10曲」■■ 

「荒城の月」   土井晩翠作詞、  滝廉太郎作曲    1901
「波浮の港」   野口雨情作詞、  中山晋平作曲    1928
「叱られて」   清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲   1920
「この道」    北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1927
「浜千鳥」    鹿島鳴秋作詞、  弘田竜太郎作曲   1919
「影を慕いて」  古賀政男作詞、  古賀政男作曲    1931.1932
「出船」     勝田香月作詞,   杉山長谷夫作曲   1928
「宵待草」    竹久夢二作詞、  多 忠亮作曲    1918
「花」      武島羽衣作詞、  滝廉太郎作曲    1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1925

日本の名曲、それは日本がまだ貧しかった時代、明治から大正、昭和の初めにかけて、多くの当代随一・第一級の大歌手・声楽家が歌い継いできた、80年を超える歴史を持つ。



NHKが「日本のうたふるさとのうた」と題し、童謡とか愛唱歌などを主に100曲を選んでいて(1989年11月4日放送)、このなかに「赤い靴」などとともに、「影を慕いて」が同じようにはいってる。これを「童謡新聞」という童謡を主としたHPで紹介してます。「明日に残す心に残る歌」として、「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」など幾つかで、『唱歌童謡の中に「影を慕いて」が含まれる』とあります。明日に残す心に残る歌・・「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」他

温かい家庭の和と憩いを夢見た古賀政男
養女に「おとうちゃん」と呼ばれて嬉しくて涙を流した
「明日に残す心に残るうた」唱歌童謡の中に「影を慕いて」含まれる
(童謡新聞 「心の故郷」)

歌は「童謡」の中に入ったとき、[愛唱歌]になると思うが、「影を慕いて」は、今や「古賀メロデー」を越えて,童謡その他の愛唱歌と渾然一体になって、[日本の愛唱歌][日本の名曲]「人生の主題歌」になっているのではないでしょうか。



寺山修司編「日本童謡集」(光文社1972)という本があって、その前書きには、『優れた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる、一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。』・・と。そして、『映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。』・・として、広い分野の歌を集めてあるのが特徴。
『赤い靴』『青い眼の人形』から 、古賀メロデー『影を慕いて』『人生の並木路』・・など優れた童謡としてあげられている。


188 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/19(Mon) 19:47
■[NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲]1989年 (曲目リスト)■
 h ttp://www.geocities.jp/fujiskre/ka96.html

(年代別曲目リスト)h ttp://www.geocities.jp/fujiskre/ka97.html

■NHKTV 「日本の名曲10曲」■ >>187 

189 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/19(Mon) 21:20
>>184-188

ISBN-10: 4069996621
「日本のうた・ふるさとのうた」実行委員会「NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲」(講談社1990/12)

190 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/20(Tue) 09:16
日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50

191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/27(Tue) 10:45
>>173-174

古賀政男音楽博物館は小田急線代々木上原駅前です。

小田急線代々木上原駅は新宿駅から5分、渋谷区循環コミュニティバス「ハチ公バス」【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)で、始発の渋谷駅西口バスターミナルより古賀音楽博物館停留所まで7分です。料金は大人も子供も一律100円で8時から20時まで、1時間に3循環です。次の渋谷109ビルを右に入った東急百貨店前本店前停留所らものれます。


192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/31(Sat) 23:45
昭和の流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1

193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/01(Sun) 17:24
>>183-191

昔は大衆音楽というのは民謡くらいしかなかった。多くの音楽家のすぐれた才能や、歌にかけたたゆまぬ努力によって、今日ある大衆音楽の名曲は生まれた。
古賀政男音楽博物館では、日本大衆音楽のその歴史を振り返り、その発展に貢献された先人の功績を顕彰する「大衆音楽の殿堂」を設けている。この殿堂ホールには、顕彰者のレリーフが掲げられているほか、その年の顕彰者ゆかりの品々を展示している。
顕彰者の代表曲などは、地下1階「音楽情報室」の検索システムで聞ける。

顕彰者一覧 h ttp://www.koga.or.jp/information/sanctuary/index.html

以下は抜粋につき、上記で確認のこと。SP時代のものはSPオリジナル歌手のオリジナル音源で聴ける。

<大衆音楽の殿堂 顕彰者>  作曲家  (抜粋)
滝廉太郎、岡野貞一、田村虎蔵、下總壯一、井上 武士、本居長世、山田耕作、中山晋平、弘田竜太郎、
成田為三、草川 信、梁田 貞、杉山長谷夫、河村光陽、海沼 實、佐々木すぐる、佐々紅華、古賀政男、江口夜詩、竹岡信行、町田佳声、佐々木俊一、万城目正、仁木田喜雄、池田不二夫、古関裕而、服部良一、大村能章、阿部武雄、長津義司、上原げんと、団 伊久磨、中田義直、飯田三郎、中村八大,大久保徳次郎、いずみたく、倉若春生、吉田矢健治、利根一郎、市川昭介、八州秀章、細川潤一、宮川 泰、田村しげる、富田 勲、米山正夫、吉田正、猪俣公章、船村徹、遠藤実、・・

<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 歌手(抜粋)
松井須磨子、藤原義江、佐藤千夜子、藤山一郎、関 種子、徳山 l(たまき)、田谷力三、淡谷のり子、松平 晃、楠木繁夫、中野忠晴、上原 敏、東海林(しょうじ)太郎、ミス・コロムビア(松原操)、二葉あき子、霧島 昇、ディックミネ、山口淑子(李香蘭)、伊藤久男、高峰三枝子、松島詩子、渡辺はま子、塩まさる,市丸、小唄勝太郎、高田幸吉、川田正子・孝子、河村順子、平井英子、安西愛子、松田トシ、灰田勝彦、岡晴夫,神楽坂はん子、美空ひばり、笠置しず子、小畑実、近江俊郎、竹山逸郎、榎本健一、高 英男、森繁久彌、奈良光枝、並木路子、宮城まり子、織井茂子、菊池章子、宮城まり子、三波春夫、村田英雄、、田端義男、三橋美智也、初代コロムビアローズ、ペギー葉山、橋幸夫、坂本 九、島倉千代子、こまどり姉妹、神戸一郎、菅原洋一、三浦光一、テレサテン、岸 洋子、小坂和也、フランク永井、ザ・ピーナッツ・・・

<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 詩人・作詞家(抜粋)
吉丸 一昌、井上 赳、大和田建樹、高野公男、井上 赳、近藤朔風、林 柳波、武島羽衣、中村雨紅、清水かつら、加藤省吾、久保田宵二、斎藤信夫、加藤省吾,武内俊子、東くめ、
野口雨情、西條 八十、佐藤惣之助、島田芳文、サトウハチロー、藤浦 洸、菊田一夫、高橋 掬太郎、佐伯 孝夫、長田幹彦、門田ゆたか、藤田 まさと、野村俊夫、島田欣也、清水みのる、寺山修司、横井 弘、西沢爽、宮川哲夫、石本美由樹、矢野亮、星野哲郎、やなせたかし・・・
(平成30年4月現在)











194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/01(Sun) 21:24
古賀政男音楽博物館 企画展示情報 

古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史

平成30年4月1日(日)〜7月31日(火)


古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史

「歌は世につれ、世は歌につれ」とはよくいわれる言葉です。歌は世相を映す鏡といえるのではないでしょうか。遠く明治・大正・昭和の時代から現在に至るまで、多くの流行歌や歌謡曲などが時代とともに生まれ、そして時代の移り変わりとともに消えて行きました。心に残るあの歌やこの歌が流行した当時、日本はどのような時代だったのでしょうか。
今回は、平成30年に没後40年を迎える作曲家 古賀政男の作品と生涯を、日本の昭和史とともに追って行きたいと思います。



「影を慕いて」

「湯の町エレジー」

古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史


195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/04(Wed) 22:38
戦前の流行歌

h ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-senzenkayokyoku.html

196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/07(Sat) 22:33
古賀政男没後40年 心を込めて古賀メロディーを歌う!

開催日:平成30年6月23日(土)

昼の部 開場 12:00 開演 12:30
夕の部 開場 15:30 開演 16:00
入場料 2,000円(指定席制)

古賀政男音楽博物館 h ttp://www.koga.or.jp/ >>191,>>194
※昼の部、夕の部ともに、開催日朝10時から、座席指定券を配布します。
※参加をご希望のお客様はご予約下さい。

昭和を代表する作曲家 古賀政男先生は、昭和53年7月25日に73歳で亡くなられました。本年、没後40年を迎えます
古賀政男先生を偲んで、一般社団法人日本歌手協会に所属する名歌手の方々の出演による、古賀メロディーコンサートを開催します。

出演は、田辺靖雄さん、こまどり姉妹さん、アントニオ古賀さん、扇ひろ子さん、水田かおりさん、谷 龍介さんが心を込めて古賀メロディーの名曲を歌い上げます。構成・司会は、合田道人さんです。また、特別ゲストとして、菅原都々子さんを予定しています。ごゆっくりお楽しみください。





197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/09(Mon) 22:19
昭和の流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1

198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/21(Sat) 18:04

古賀政男音楽博物館「国際博物館の日」記念 無料開館日

平成30年5月18日(金)

5月18日はICOM(国際博物館会議)が提唱する「国際博物館の日」です。古賀政男音楽博物館ではこれを記念して平成30年5月18日(金)を無料開館日と致します。
ぜひご来館ください。


199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:17
☆『東京ラプソディ』・・モダン東京のテーマソング

藤山一郎主演、PCL映画『東京ラプソディ』1936.12.1の主題歌(門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)他に「東京娘」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)、「青春の謝肉祭(カーニバル)」がある。「50銭の入場料で藤山一郎の歌を聴きながら東京見物ができます」という宣伝、門田ゆたか作詞は西條八十の弟子。..

映画『東京ラプソディ』の制作には技師として、後にソニーの創業者の一人となる井深大が参加していた。井深と交流を持つようになった藤山は後にソニーに嘱託として勤務し、さらに社友となった。
古賀には音楽監督料として900円が支払われ、古賀は全額を(昭和9年1934)に死去した母親を祀るための仏壇の購入に充てたという。

昭和9年にテイチクに移った古賀政男は、他にも次々とヒット曲を生み出し「テイチク黄金時代」といわれる第二期黄金時代を築く。昭和11年、東京音楽学校を卒業した藤山一郎をテイチクに迎え入れた最初の曲で、《モダン東京のテーマ曲》ともいえるエポック曲。

作曲を担当した古賀政男は『東京ラプソディ』について、自身が「銀座、浅草、新宿という盛り場が見事に歌い込まれて心憎いばかり」と評価する『東京行進曲』(1929年(昭和4年)発売。
作詞・西条八十、作曲・中山晋平)を目標に、「もう少しモダンになった東京を書いてみたい」という考えのもとに制作したと述べている。古賀によるとフォードのクーペの新車に乗って初夏の明治神宮外苑付近を走行中に、自然とメロディーが浮かんできた。

こうして曲が先に完成し、後から古賀と門田ゆたかが共作のような形で詞を作ったという。門田が起用された時点ですでにレコード吹き込みの日程は決まっており、B面の『東京娘』は完成していた。西條八十の弟子でもある門田は重圧と闘いながら、3日間ほとんど寝ずに作業をして詞を完成させた。

歌唱を担当した藤山一郎はこの曲を、「銀座、神田、浅草、新宿と、東京の盛り場を楽しく歌いあげた清潔にして軽快なフォックストロット調の歌」と解説している。吹き込みにあたって門田や古賀から注文をつけられることはなく、自由に歌うことができたという。

東京音楽学校で「声楽の基礎を完全にマスターした」という自負からフォックストロット調の流行歌は容易に歌えるという自信のあった藤山は、声音を明瞭に保ちつつ、曲調に合わせて「ある時は歯切れよく、あるときはシットリと」歌うことに神経を使ったと回顧している。

藤山にとってこの曲は、ビクターからテイチクへの移籍後第1作であった。藤山に移籍の話を持ちかけたのはテイチクの重役を務めていた古賀で、藤山はテイチクをレコード会社としては二流だと感じながら、かつて『酒は涙か溜息か』や『丘を越えて』、『影を慕いて』でヒットを飛ばした古賀とのコンビに魅力を感じて移籍を決断した。
歴史家の今西英造は、『東京ラプソディ』の歌詞には戦時色が濃くなり、権力によって昭和モダンが抑圧され分解しつつあった世相にあっても消えることのなかった、モダニズムを追求する人々の心が表れていると分析し、『東京ラプソディ』を「モダニズムの残響」と評している。



200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:20
昭和の大作曲家・古賀政男。彼は敗戦の虚脱状態から、どう立ち直ったのかを、『自伝 我が心の歌』で、こう綴っている。

「無条件降伏を告げる玉音放送をつたえ聞いたのは、疎開先の山梨県のいなかであった。……終戦とともに、私はこれで自分たちの世代はすべてが終ったのだと思った。私が再び作曲を発表するような時代や、また、すでに発表した歌が、再び唄われる日も決してめぐって来ないのだと覚悟した。故郷に帰って僅かな土地を耕し、暇があればギターを手にする“晴耕雨唱”の生活を送ろうと、心にひそかに決めていたのである。」
「私たちが疎開していた素朴な田舎にも、飢えと貧困、悪徳と混乱の戦後がやってきた。犬畜生にも劣る激しい人間社会の変りようにただ驚きあきれた。心のささえのすべてを失い、絶望の日日が続いた。今後何をたよりになにを求めて生きていけばいいのだろうか。
 
終戦のあのとき、これからの身の処し方を決め、心の整理ができたはずであったが、あまりに激しい世相に再び虚脱状態に陥ってしまった。そんなある日のこと、村役場の女子事務員が私の許に血相を変え、息せききって駆けこんできた。「先生、大変です。アメリカ兵が来ました。先生をさがしているんです。いまのうちに早く裏山にでも逃げて下さい。」というのだ。その頃は、米軍がしきりに戦犯を逮捕して巣鴨に収容している頃であった。

お嬢さんの説明によると、ジープ二台に乗った米兵が村役場にやって来て、「ミスター・コガはどこにいるか」と村長を掴まえてしきりに尋ねているのだという。気をきかした村長が、時間を稼ぎながら、女子事務員をそっと裏口からは知らせて私に連絡してくれたのだった。私には逃げる理由はなかった。軍歌を多少つくったことがあっても、戦時中は被圧迫者の一人だったのだ。説明すればわかるはずである。「いや、ぼくは逃げないよ」と、心配する家人たちに私は答えたが、夜道にジープのヘッドライトがだんだん近づいて来るのを見たときは、さすがに不安であった。

 米軍の将兵たちは、私が探している当人だと知ると「オオ、ミスター・コガ」と、愛想よく、まるで百年の知己であるかのように握手を求めた。逮捕などという気配は全くない。いぶかる私に、一人が流暢な日本語で訪問の目的を説明してくれた。
 彼等は戦争中、日本進駐後の司令部要員として、米陸軍で日本語の教育を受け、テキストとして日本映画を見せられた。ところがそのとき、私がかつて作曲した東京ラプソディなどの歌をきき非常に感動したのだという。そして、日本に行くようなことがあれば、作曲した古賀政男という男に、是非とも会ってみようと相談していたのだったという。彼等は親切にも、食糧難で私も困っているだろうと、ジープに食糧を沢山積んで、私にプレゼントするためはるばる訪ねて来てくれたのだった。
 すでに夜となった。それに河口村は当時は電灯もない僻地の山村である。とにかく皆さん今夜は泊っていったらどうだと私が奨めると、彼等もそうしたいというので、私はなけなしのウイスキーを出して彼等の厚意に報いた。それから私の歌や外国の歌を唄いながら彼等と夜の明けるまで飲み明かし、朝になって私の歌を声一ぱい合唱して別れた。彼等の一人は別れ際に「ミスター・コガ、私たちの日本語が上達したのは、貴男のおかげです。心からお礼を申しあげたい」と、丁寧に頭を下げるのであった。……」
 
「それからしばらく後のこと、私は在日韓国人の代表らしい人たちの訪問を受けた。彼等は「古賀さん、絶対に他言はしませんから、ほんとうの名前を教えてください。そしてこんごわれわれの力になってください」というのだった。・・(略)・・
 この二つのできごとは、私にとって天啓であった。私はこれによって虚脱状態から立ち直る精神的糧を得たのだ。たとえ国はやぶれても、また私の築いた過去の基盤がうたかたのように消え去っても、私の歌は国境を越えて、人の心のなかに生き続けていることを私は改めて確認させられたのであった。私の歌だからということではない。それが歌というものなのだ。私はそのとき改めていのちのあるかぎり作曲を続けようと決意した。」
(古賀政男著『自伝 我が心の歌』(展望社、2001))



201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:21
古賀政男は、昭和20年3月から20年8月まで河口湖畔に疎開。そして、戦後初の作品が「麗人の歌」(西條八十作詞 古賀政男作曲 霧島昇1946) 。
川口湖畔には、昭和20年に疎開のためにこの地を訪れた中で、地元中学校の校歌をはじめ、「河口湖おどり」「河口湖ワルツ」などの楽曲は、地域の音楽文化の礎となった。生誕100年を記念して平成16年に古賀政男記念公園として、「影を慕いて」音楽碑があって、懐かしいメロディーを奏でる。記念碑にはこの辺のことについて書かれている。

藤山一郎歌唱で、銀座を歌った戦後の歌に「夢淡き東京」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)がある。「東京ラプソディ」(1936)に匹敵する、戦後の東京(銀座)の歌をということで、昭和22年(1947)につくられたもので、他にも戦後、銀座を歌った歌は山ほどある。

これらを含めて、あの青春の息吹溢れる、《モダン東京のテーマ曲》ともいえる「東京ラプソディ」(1936テイチク 門田ゆたか作詞)、や「なつかしの歌声」(1940コロムビア 西條八十作詞)。

これを超えるものはまだ出ていない、今後もでないだろう。


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110







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203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 10:26

<コガミュージアムコンサート(案内)> 

古賀政男生誕記念明治大学マンドリン倶楽部演奏会

1904年11月18日、古賀政男先生は誕生いたしました。それを記念して、本年も古賀先生に大変かかわりの深い明治大学マンドリン倶楽部の演奏会を開催します。明治大学マンドリン倶楽部の皆さんの若々しい演奏で、古賀メロディーの世界をたっぷりとお楽しみください。
2018年10月20日(土)
開演 14:00  (13:30開場)
終了予定  16:00

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
h ttp://www.koga.or.jp/
入場料 指定席制 税込2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団
小田急線・東京メトロ代々木上原駅
南口1出口 右折 徒歩3分井之頭通り駅前交番前(代々木上原駅南口交差点駅前交番前)

あお、渋谷駅から〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス)・丘を越えてルート(上原・富ヶ谷ルート)・ I古賀音楽博物館前下車、一律100円、いずれも10数分で可能。

渋谷駅から〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス)
〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス) 一律100円
【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
渋谷駅と代々木上原駅を結び、東大や美術館などの区施設を経由します。
渋谷駅から古賀政男音楽博物館と代々木上原駅〜渋谷駅を結ぶ便利なコミュニティバスです!。
h ttp://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/com_bus/

【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
@渋谷駅西口 バスターミナル発
A東急百貨店本店前 ・・・渋谷109ビル横入る
B松濤美術館入口
C東大前
D東大裏
E富ヶ谷二丁目
F富ヶ谷交差点
G上原一丁目(富ヶ谷図書館入口)
H上原二丁目(上原出張所入口)
I古賀音楽博物館
J代々木上原駅

S東急百貨店本店前終点




204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 10:38
☆昭和歌謡が好きな人集まれ!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110



205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 11:09
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50
☆日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50
☆名前を名にした歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50
☆懐かしの銀座を歌った歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=510311914&ls=50

☆名前を名にした歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50


206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/14(Fri) 20:07
昭和流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1




207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/19(Wed) 13:05
万城目正 主な代表曲

「旅の夜風」 (西條八十作詞; 1938年):映画『愛染かつら』の主題歌
「愛染夜曲」 (西條八十作詞; 1939年)
「愛染草紙」 (西條八十作詞; 1940年)
「純情二重奏」(西條八十作詞; 1939年)
「純情の丘」 (西條八十作詞; 1939年)(松竹大船映畫「新女性問答」主題歌)
「別れ路の歌」(高橋菊太郎作詞、1939年)(松竹大船映画「母の歌」主題歌)
「愛の紅椿」 (西條八十作詞; 1940年) 松竹「愛染椿」主題歌
[愛馬花嫁] (西條八十 作詞 1940年)征戦愛馬譜 暁に祈る(佐々木康監督)
「リンゴの唄」(サトウハチロー作詞 1946年) 映画「そよかぜ」主題歌
「浅草の唄」 (西條八十作詞、1948年)「松竹映画 駒鳥婦人」主題歌
「悲しき口笛」(藤浦洸作詞; 1949年)
「別れのタンゴ」(藤浦洸作詞、高峰三枝子歌、1949年) 
「東京キッド」(藤浦洸作詞; 1950年)
「越後獅子の唄」(西條八十作詞; 1951年)
「情熱のルンバ」(藤浦洸作詞; 1951年)
「あの丘越えて」(菊田一夫作詞; 1951年)
「哀愁日記」 (西條八十作詞; 1954年)
「この世の花 」 (西條八十作詞; 1955年):
「しあわせはどこに」(西條八十作詞; 1956年)




208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 19:10
樹木希林さんを悼む

樹木希林さんが亡くなった、かってテレビの番組で「人生の並木路」について語った・・


もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があった、内容は『神田川』などだった。

いかに昭和元禄、物の有り余る飽食の時代、親の作った弁当を食べずコンビニ弁当を食べる飽食の時代といえど、もはや“四畳半フォーク” が゛ “人生の苦悩”じゃ、世も末だなと思いました。

『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月8日、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」(1935))の主題歌。

日本はいつの間にか豊かになりましたが、昭和30年代初めまで長く貧しい時代が続きました。戦前となれば信じられない貧しい時代もはやだったでしょう。

昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。

まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。

昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。

今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。

昔は昭和戦前まで、「二十四の瞳」に描かれてるように、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだされる、そんな時代であったことでしょう。

このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。
日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、大切なものがだんだん失われてゆくのは大変残念なことです。

家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。
支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。

どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。
この歌は、日本人が忘れかけていたこと大切なことを思い出させてくれます。

「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。

まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない詩です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。
心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。

・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
h ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html

昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。
「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年、若きディックミネが歌うオリジナル版、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。



209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 19:14
以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。

別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。


古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。


210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 22:31
人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。

211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/22(Sat) 14:59
音楽なんて個人の楽しみだしなあ〜。テレビとかランキングなんて関係ない。
自分の好きなジャンルの曲だけをおのおの楽しめばそれでいい。

212 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/28(Fri) 22:36
懐メロをド演歌で歌わないでください
またまた、よもやま話とは関係ない記事です。
NHK様、どうかド演歌歌手に懐メロを歌わさないでください。イメージがまるつぶれになります。
40年代に三島敏夫が「人妻椿」を発売しましたが、松平晃の曲のイメージがまるつぶれで「なんだコリャー」とイカッタのはもう随分昔になりました。
それにまして、現代のド演歌女性歌手の声の太いこと、男性歌手のねちっこいこと、昔の歌手が美声で品良く歌った曲がガラリとイメージを変えられ頻繁に歌われて聴くに耐えません。
それなら見なきゃ良いではないかとおっしゃる?? でも気になるのです。
レコード会社さん、どうしてミスコロのような美声歌手を出してもらえないのですか??

懐メロはオリジナル原盤で聴いてこそ
ラジオで収集したい懐メロが放送されると期待して録音スタンバイ。これが再吹き込みのステレオ版でガッカリ。
こんな思いは皆さん体験済みだと思います。
NHKもどうしてこんな意地悪をするのでしょうね、オリジナル版はあるのにですよ、番組編成担当者が懐メロに興味ないか若い為なのでしょう。
ほんとうに最近の放送は腹立たしいことバッカリ、頻繁に間違えるし後で訂正もしない。事前に調査してるのかどうか疑わしい。 勝太郎の「伊豆の七島」を「イズノヒチトウ」と紹介して、歌詞の中にちゃんと「イズノナナシマ」とあるのにですよ、ちょっと流行歌に興味があれば 「イズノヒチトウ」なんて重箱読みはしないですよね。
20年前の場合、懐メロ解説者が一緒について放送していたので、色々勉強になりましたが、そういった懐メロに詳しい解説者は亡くなってしまったし 先がおもいやられます。もう少し懐メロファンに気を配った配慮を願いたいものです。
オリジナル原盤は少し針音がしても価値があります。最近ではノイズ除去技術が進んでわりと綺麗な音です。
田端義夫の「島の船唄」若い声ですねー19歳ですか。彼の声は昭和20年代も独特な哀愁があって良かった、しかし田端はミノルフォンに移った時、 歌唱法で遠藤実とケンケンガクガクの論争をして抵抗むなしく現代演歌調の歌唱法に変わってしまいました。変える必要なかったのに..時代には逆らえなかった??
二葉あき子の「あの夢この夢」とても可愛らしい声です。彼女は戦後「夜のプラットホーム」あたりから声が出なくなり低音に切り替えました。ご本人は 相当悩んで自殺まで考えたそうですが、お気の毒でした。
菊地章子の「相呼ぶ歌」の声も大変綺麗です。「星の流れに」に比べると随分違います。「なつかしの蕃社」あたりまでは美声です。
渡辺はま子も「長崎のお蝶さん」と「ああモンテンルパの夜は更けて」を比べると年齢を感じます。
東海林太郎、上原敏はできたらもっと速くデビューして20代の声を残してくれたらと思うと残念な気持ちです。
ミスコロのように若い声の時にサッパリと止めてしまった方が人々にはイメージとして良い記憶が残る気もしますが..
やはり、オリジナル原盤でないと絶対ダメ!!



213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/30(Sun) 15:19
最近の若者ソングの下手なこと!。歌は曲調が変わっていくのが歌というもの。
歌姫とか言ってるの、みな曲調が変化するとき、声量が無いのだろう、みな奇声を発する。
みな聞いてられない、聞くに堪えない、

耳を塞ぎたくなるような奇声ソングばかり、

昔は歌を歌うものは音楽学校で基本を習い、訓練するのだが、
今はシンガーソングライターとかいってすべて自分流。

やめてほしい!。


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