掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

189 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/19(Mon) 21:20
>>184-188

ISBN-10: 4069996621
「日本のうた・ふるさとのうた」実行委員会「NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲」(講談社1990/12)

190 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/20(Tue) 09:16
日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50

191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/27(Tue) 10:45
>>173-174

古賀政男音楽博物館は小田急線代々木上原駅前です。

小田急線代々木上原駅は新宿駅から5分、渋谷区循環コミュニティバス「ハチ公バス」【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)で、始発の渋谷駅西口バスターミナルより古賀音楽博物館停留所まで7分です。料金は大人も子供も一律100円で8時から20時まで、1時間に3循環です。次の渋谷109ビルを右に入った東急百貨店前本店前停留所らものれます。


192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/31(Sat) 23:45
昭和の流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1

193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/01(Sun) 17:24
>>183-191

昔は大衆音楽というのは民謡くらいしかなかった。多くの音楽家のすぐれた才能や、歌にかけたたゆまぬ努力によって、今日ある大衆音楽の名曲は生まれた。
古賀政男音楽博物館では、日本大衆音楽のその歴史を振り返り、その発展に貢献された先人の功績を顕彰する「大衆音楽の殿堂」を設けている。この殿堂ホールには、顕彰者のレリーフが掲げられているほか、その年の顕彰者ゆかりの品々を展示している。
顕彰者の代表曲などは、地下1階「音楽情報室」の検索システムで聞ける。

顕彰者一覧 h ttp://www.koga.or.jp/information/sanctuary/index.html

以下は抜粋につき、上記で確認のこと。SP時代のものはSPオリジナル歌手のオリジナル音源で聴ける。

<大衆音楽の殿堂 顕彰者>  作曲家  (抜粋)
滝廉太郎、岡野貞一、田村虎蔵、下總壯一、井上 武士、本居長世、山田耕作、中山晋平、弘田竜太郎、
成田為三、草川 信、梁田 貞、杉山長谷夫、河村光陽、海沼 實、佐々木すぐる、佐々紅華、古賀政男、江口夜詩、竹岡信行、町田佳声、佐々木俊一、万城目正、仁木田喜雄、池田不二夫、古関裕而、服部良一、大村能章、阿部武雄、長津義司、上原げんと、団 伊久磨、中田義直、飯田三郎、中村八大,大久保徳次郎、いずみたく、倉若春生、吉田矢健治、利根一郎、市川昭介、八州秀章、細川潤一、宮川 泰、田村しげる、富田 勲、米山正夫、吉田正、猪俣公章、船村徹、遠藤実、・・

<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 歌手(抜粋)
松井須磨子、藤原義江、佐藤千夜子、藤山一郎、関 種子、徳山 l(たまき)、田谷力三、淡谷のり子、松平 晃、楠木繁夫、中野忠晴、上原 敏、東海林(しょうじ)太郎、ミス・コロムビア(松原操)、二葉あき子、霧島 昇、ディックミネ、山口淑子(李香蘭)、伊藤久男、高峰三枝子、松島詩子、渡辺はま子、塩まさる,市丸、小唄勝太郎、高田幸吉、川田正子・孝子、河村順子、平井英子、安西愛子、松田トシ、灰田勝彦、岡晴夫,神楽坂はん子、美空ひばり、笠置しず子、小畑実、近江俊郎、竹山逸郎、榎本健一、高 英男、森繁久彌、奈良光枝、並木路子、宮城まり子、織井茂子、菊池章子、宮城まり子、三波春夫、村田英雄、、田端義男、三橋美智也、初代コロムビアローズ、ペギー葉山、橋幸夫、坂本 九、島倉千代子、こまどり姉妹、神戸一郎、菅原洋一、三浦光一、テレサテン、岸 洋子、小坂和也、フランク永井、ザ・ピーナッツ・・・

<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 詩人・作詞家(抜粋)
吉丸 一昌、井上 赳、大和田建樹、高野公男、井上 赳、近藤朔風、林 柳波、武島羽衣、中村雨紅、清水かつら、加藤省吾、久保田宵二、斎藤信夫、加藤省吾,武内俊子、東くめ、
野口雨情、西條 八十、佐藤惣之助、島田芳文、サトウハチロー、藤浦 洸、菊田一夫、高橋 掬太郎、佐伯 孝夫、長田幹彦、門田ゆたか、藤田 まさと、野村俊夫、島田欣也、清水みのる、寺山修司、横井 弘、西沢爽、宮川哲夫、石本美由樹、矢野亮、星野哲郎、やなせたかし・・・
(平成30年4月現在)











194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/01(Sun) 21:24
古賀政男音楽博物館 企画展示情報 

古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史

平成30年4月1日(日)〜7月31日(火)


古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史

「歌は世につれ、世は歌につれ」とはよくいわれる言葉です。歌は世相を映す鏡といえるのではないでしょうか。遠く明治・大正・昭和の時代から現在に至るまで、多くの流行歌や歌謡曲などが時代とともに生まれ、そして時代の移り変わりとともに消えて行きました。心に残るあの歌やこの歌が流行した当時、日本はどのような時代だったのでしょうか。
今回は、平成30年に没後40年を迎える作曲家 古賀政男の作品と生涯を、日本の昭和史とともに追って行きたいと思います。



「影を慕いて」

「湯の町エレジー」

古賀政男没後40年 日本大衆音楽史【特別編】古賀政男の昭和史


195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/04(Wed) 22:38
戦前の流行歌

h ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-senzenkayokyoku.html

196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/07(Sat) 22:33
古賀政男没後40年 心を込めて古賀メロディーを歌う!

開催日:平成30年6月23日(土)

昼の部 開場 12:00 開演 12:30
夕の部 開場 15:30 開演 16:00
入場料 2,000円(指定席制)

古賀政男音楽博物館 h ttp://www.koga.or.jp/ >>191,>>194
※昼の部、夕の部ともに、開催日朝10時から、座席指定券を配布します。
※参加をご希望のお客様はご予約下さい。

昭和を代表する作曲家 古賀政男先生は、昭和53年7月25日に73歳で亡くなられました。本年、没後40年を迎えます
古賀政男先生を偲んで、一般社団法人日本歌手協会に所属する名歌手の方々の出演による、古賀メロディーコンサートを開催します。

出演は、田辺靖雄さん、こまどり姉妹さん、アントニオ古賀さん、扇ひろ子さん、水田かおりさん、谷 龍介さんが心を込めて古賀メロディーの名曲を歌い上げます。構成・司会は、合田道人さんです。また、特別ゲストとして、菅原都々子さんを予定しています。ごゆっくりお楽しみください。





197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/09(Mon) 22:19
昭和の流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1

198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/21(Sat) 18:04

古賀政男音楽博物館「国際博物館の日」記念 無料開館日

平成30年5月18日(金)

5月18日はICOM(国際博物館会議)が提唱する「国際博物館の日」です。古賀政男音楽博物館ではこれを記念して平成30年5月18日(金)を無料開館日と致します。
ぜひご来館ください。


199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:17
☆『東京ラプソディ』・・モダン東京のテーマソング

藤山一郎主演、PCL映画『東京ラプソディ』1936.12.1の主題歌(門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)他に「東京娘」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)、「青春の謝肉祭(カーニバル)」がある。「50銭の入場料で藤山一郎の歌を聴きながら東京見物ができます」という宣伝、門田ゆたか作詞は西條八十の弟子。..

映画『東京ラプソディ』の制作には技師として、後にソニーの創業者の一人となる井深大が参加していた。井深と交流を持つようになった藤山は後にソニーに嘱託として勤務し、さらに社友となった。
古賀には音楽監督料として900円が支払われ、古賀は全額を(昭和9年1934)に死去した母親を祀るための仏壇の購入に充てたという。

昭和9年にテイチクに移った古賀政男は、他にも次々とヒット曲を生み出し「テイチク黄金時代」といわれる第二期黄金時代を築く。昭和11年、東京音楽学校を卒業した藤山一郎をテイチクに迎え入れた最初の曲で、《モダン東京のテーマ曲》ともいえるエポック曲。

作曲を担当した古賀政男は『東京ラプソディ』について、自身が「銀座、浅草、新宿という盛り場が見事に歌い込まれて心憎いばかり」と評価する『東京行進曲』(1929年(昭和4年)発売。
作詞・西条八十、作曲・中山晋平)を目標に、「もう少しモダンになった東京を書いてみたい」という考えのもとに制作したと述べている。古賀によるとフォードのクーペの新車に乗って初夏の明治神宮外苑付近を走行中に、自然とメロディーが浮かんできた。

こうして曲が先に完成し、後から古賀と門田ゆたかが共作のような形で詞を作ったという。門田が起用された時点ですでにレコード吹き込みの日程は決まっており、B面の『東京娘』は完成していた。西條八十の弟子でもある門田は重圧と闘いながら、3日間ほとんど寝ずに作業をして詞を完成させた。

歌唱を担当した藤山一郎はこの曲を、「銀座、神田、浅草、新宿と、東京の盛り場を楽しく歌いあげた清潔にして軽快なフォックストロット調の歌」と解説している。吹き込みにあたって門田や古賀から注文をつけられることはなく、自由に歌うことができたという。

東京音楽学校で「声楽の基礎を完全にマスターした」という自負からフォックストロット調の流行歌は容易に歌えるという自信のあった藤山は、声音を明瞭に保ちつつ、曲調に合わせて「ある時は歯切れよく、あるときはシットリと」歌うことに神経を使ったと回顧している。

藤山にとってこの曲は、ビクターからテイチクへの移籍後第1作であった。藤山に移籍の話を持ちかけたのはテイチクの重役を務めていた古賀で、藤山はテイチクをレコード会社としては二流だと感じながら、かつて『酒は涙か溜息か』や『丘を越えて』、『影を慕いて』でヒットを飛ばした古賀とのコンビに魅力を感じて移籍を決断した。
歴史家の今西英造は、『東京ラプソディ』の歌詞には戦時色が濃くなり、権力によって昭和モダンが抑圧され分解しつつあった世相にあっても消えることのなかった、モダニズムを追求する人々の心が表れていると分析し、『東京ラプソディ』を「モダニズムの残響」と評している。



200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:20
昭和の大作曲家・古賀政男。彼は敗戦の虚脱状態から、どう立ち直ったのかを、『自伝 我が心の歌』で、こう綴っている。

「無条件降伏を告げる玉音放送をつたえ聞いたのは、疎開先の山梨県のいなかであった。……終戦とともに、私はこれで自分たちの世代はすべてが終ったのだと思った。私が再び作曲を発表するような時代や、また、すでに発表した歌が、再び唄われる日も決してめぐって来ないのだと覚悟した。故郷に帰って僅かな土地を耕し、暇があればギターを手にする“晴耕雨唱”の生活を送ろうと、心にひそかに決めていたのである。」
「私たちが疎開していた素朴な田舎にも、飢えと貧困、悪徳と混乱の戦後がやってきた。犬畜生にも劣る激しい人間社会の変りようにただ驚きあきれた。心のささえのすべてを失い、絶望の日日が続いた。今後何をたよりになにを求めて生きていけばいいのだろうか。
 
終戦のあのとき、これからの身の処し方を決め、心の整理ができたはずであったが、あまりに激しい世相に再び虚脱状態に陥ってしまった。そんなある日のこと、村役場の女子事務員が私の許に血相を変え、息せききって駆けこんできた。「先生、大変です。アメリカ兵が来ました。先生をさがしているんです。いまのうちに早く裏山にでも逃げて下さい。」というのだ。その頃は、米軍がしきりに戦犯を逮捕して巣鴨に収容している頃であった。

お嬢さんの説明によると、ジープ二台に乗った米兵が村役場にやって来て、「ミスター・コガはどこにいるか」と村長を掴まえてしきりに尋ねているのだという。気をきかした村長が、時間を稼ぎながら、女子事務員をそっと裏口からは知らせて私に連絡してくれたのだった。私には逃げる理由はなかった。軍歌を多少つくったことがあっても、戦時中は被圧迫者の一人だったのだ。説明すればわかるはずである。「いや、ぼくは逃げないよ」と、心配する家人たちに私は答えたが、夜道にジープのヘッドライトがだんだん近づいて来るのを見たときは、さすがに不安であった。

 米軍の将兵たちは、私が探している当人だと知ると「オオ、ミスター・コガ」と、愛想よく、まるで百年の知己であるかのように握手を求めた。逮捕などという気配は全くない。いぶかる私に、一人が流暢な日本語で訪問の目的を説明してくれた。
 彼等は戦争中、日本進駐後の司令部要員として、米陸軍で日本語の教育を受け、テキストとして日本映画を見せられた。ところがそのとき、私がかつて作曲した東京ラプソディなどの歌をきき非常に感動したのだという。そして、日本に行くようなことがあれば、作曲した古賀政男という男に、是非とも会ってみようと相談していたのだったという。彼等は親切にも、食糧難で私も困っているだろうと、ジープに食糧を沢山積んで、私にプレゼントするためはるばる訪ねて来てくれたのだった。
 すでに夜となった。それに河口村は当時は電灯もない僻地の山村である。とにかく皆さん今夜は泊っていったらどうだと私が奨めると、彼等もそうしたいというので、私はなけなしのウイスキーを出して彼等の厚意に報いた。それから私の歌や外国の歌を唄いながら彼等と夜の明けるまで飲み明かし、朝になって私の歌を声一ぱい合唱して別れた。彼等の一人は別れ際に「ミスター・コガ、私たちの日本語が上達したのは、貴男のおかげです。心からお礼を申しあげたい」と、丁寧に頭を下げるのであった。……」
 
「それからしばらく後のこと、私は在日韓国人の代表らしい人たちの訪問を受けた。彼等は「古賀さん、絶対に他言はしませんから、ほんとうの名前を教えてください。そしてこんごわれわれの力になってください」というのだった。・・(略)・・
 この二つのできごとは、私にとって天啓であった。私はこれによって虚脱状態から立ち直る精神的糧を得たのだ。たとえ国はやぶれても、また私の築いた過去の基盤がうたかたのように消え去っても、私の歌は国境を越えて、人の心のなかに生き続けていることを私は改めて確認させられたのであった。私の歌だからということではない。それが歌というものなのだ。私はそのとき改めていのちのあるかぎり作曲を続けようと決意した。」
(古賀政男著『自伝 我が心の歌』(展望社、2001))



201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/19(Tue) 14:21
古賀政男は、昭和20年3月から20年8月まで河口湖畔に疎開。そして、戦後初の作品が「麗人の歌」(西條八十作詞 古賀政男作曲 霧島昇1946) 。
川口湖畔には、昭和20年に疎開のためにこの地を訪れた中で、地元中学校の校歌をはじめ、「河口湖おどり」「河口湖ワルツ」などの楽曲は、地域の音楽文化の礎となった。生誕100年を記念して平成16年に古賀政男記念公園として、「影を慕いて」音楽碑があって、懐かしいメロディーを奏でる。記念碑にはこの辺のことについて書かれている。

藤山一郎歌唱で、銀座を歌った戦後の歌に「夢淡き東京」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)がある。「東京ラプソディ」(1936)に匹敵する、戦後の東京(銀座)の歌をということで、昭和22年(1947)につくられたもので、他にも戦後、銀座を歌った歌は山ほどある。

これらを含めて、あの青春の息吹溢れる、《モダン東京のテーマ曲》ともいえる「東京ラプソディ」(1936テイチク 門田ゆたか作詞)、や「なつかしの歌声」(1940コロムビア 西條八十作詞)。

これを超えるものはまだ出ていない、今後もでないだろう。


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110







202 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
この投稿は削除されました

203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 10:26

<コガミュージアムコンサート(案内)> 

古賀政男生誕記念明治大学マンドリン倶楽部演奏会

1904年11月18日、古賀政男先生は誕生いたしました。それを記念して、本年も古賀先生に大変かかわりの深い明治大学マンドリン倶楽部の演奏会を開催します。明治大学マンドリン倶楽部の皆さんの若々しい演奏で、古賀メロディーの世界をたっぷりとお楽しみください。
2018年10月20日(土)
開演 14:00  (13:30開場)
終了予定  16:00

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
h ttp://www.koga.or.jp/
入場料 指定席制 税込2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団
小田急線・東京メトロ代々木上原駅
南口1出口 右折 徒歩3分井之頭通り駅前交番前(代々木上原駅南口交差点駅前交番前)

あお、渋谷駅から〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス)・丘を越えてルート(上原・富ヶ谷ルート)・ I古賀音楽博物館前下車、一律100円、いずれも10数分で可能。

渋谷駅から〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス)
〔渋谷区コミュニティバス〕(ハチ公バス) 一律100円
【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
渋谷駅と代々木上原駅を結び、東大や美術館などの区施設を経由します。
渋谷駅から古賀政男音楽博物館と代々木上原駅〜渋谷駅を結ぶ便利なコミュニティバスです!。
h ttp://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/com_bus/

【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)
@渋谷駅西口 バスターミナル発
A東急百貨店本店前 ・・・渋谷109ビル横入る
B松濤美術館入口
C東大前
D東大裏
E富ヶ谷二丁目
F富ヶ谷交差点
G上原一丁目(富ヶ谷図書館入口)
H上原二丁目(上原出張所入口)
I古賀音楽博物館
J代々木上原駅

S東急百貨店本店前終点




204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 10:38
☆昭和歌謡が好きな人集まれ!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110



205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/11(Tue) 11:09
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50
☆日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50
☆名前を名にした歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50
☆懐かしの銀座を歌った歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=510311914&ls=50

☆名前を名にした歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50


206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/14(Fri) 20:07
昭和流行歌掲示板
h ttp://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=haidakatsuhiko&dd=37&re=231&qu=1




207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/19(Wed) 13:05
万城目正 主な代表曲

「旅の夜風」 (西條八十作詞; 1938年):映画『愛染かつら』の主題歌
「愛染夜曲」 (西條八十作詞; 1939年)
「愛染草紙」 (西條八十作詞; 1940年)
「純情二重奏」(西條八十作詞; 1939年)
「純情の丘」 (西條八十作詞; 1939年)(松竹大船映畫「新女性問答」主題歌)
「別れ路の歌」(高橋菊太郎作詞、1939年)(松竹大船映画「母の歌」主題歌)
「愛の紅椿」 (西條八十作詞; 1940年) 松竹「愛染椿」主題歌
[愛馬花嫁] (西條八十 作詞 1940年)征戦愛馬譜 暁に祈る(佐々木康監督)
「リンゴの唄」(サトウハチロー作詞 1946年) 映画「そよかぜ」主題歌
「浅草の唄」 (西條八十作詞、1948年)「松竹映画 駒鳥婦人」主題歌
「悲しき口笛」(藤浦洸作詞; 1949年)
「別れのタンゴ」(藤浦洸作詞、高峰三枝子歌、1949年) 
「東京キッド」(藤浦洸作詞; 1950年)
「越後獅子の唄」(西條八十作詞; 1951年)
「情熱のルンバ」(藤浦洸作詞; 1951年)
「あの丘越えて」(菊田一夫作詞; 1951年)
「哀愁日記」 (西條八十作詞; 1954年)
「この世の花 」 (西條八十作詞; 1955年):
「しあわせはどこに」(西條八十作詞; 1956年)




208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 19:10
樹木希林さんを悼む

樹木希林さんが亡くなった、かってテレビの番組で「人生の並木路」について語った・・


もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があった、内容は『神田川』などだった。

いかに昭和元禄、物の有り余る飽食の時代、親の作った弁当を食べずコンビニ弁当を食べる飽食の時代といえど、もはや“四畳半フォーク” が゛ “人生の苦悩”じゃ、世も末だなと思いました。

『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月8日、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」(1935))の主題歌。

日本はいつの間にか豊かになりましたが、昭和30年代初めまで長く貧しい時代が続きました。戦前となれば信じられない貧しい時代もはやだったでしょう。

昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。

まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。

昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。

今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。

昔は昭和戦前まで、「二十四の瞳」に描かれてるように、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだされる、そんな時代であったことでしょう。

このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。
日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、大切なものがだんだん失われてゆくのは大変残念なことです。

家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。
支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。

どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。
この歌は、日本人が忘れかけていたこと大切なことを思い出させてくれます。

「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。

まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない詩です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり、作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。
心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。

・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
h ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html

昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。
「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年、若きディックミネが歌うオリジナル版、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。



209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 19:14
以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。

別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。


古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。


210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/21(Fri) 22:31
人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。

211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/22(Sat) 14:59
音楽なんて個人の楽しみだしなあ〜。テレビとかランキングなんて関係ない。
自分の好きなジャンルの曲だけをおのおの楽しめばそれでいい。

212 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/28(Fri) 22:36
懐メロをド演歌で歌わないでください
またまた、よもやま話とは関係ない記事です。
NHK様、どうかド演歌歌手に懐メロを歌わさないでください。イメージがまるつぶれになります。
40年代に三島敏夫が「人妻椿」を発売しましたが、松平晃の曲のイメージがまるつぶれで「なんだコリャー」とイカッタのはもう随分昔になりました。
それにまして、現代のド演歌女性歌手の声の太いこと、男性歌手のねちっこいこと、昔の歌手が美声で品良く歌った曲がガラリとイメージを変えられ頻繁に歌われて聴くに耐えません。
それなら見なきゃ良いではないかとおっしゃる?? でも気になるのです。
レコード会社さん、どうしてミスコロのような美声歌手を出してもらえないのですか??

懐メロはオリジナル原盤で聴いてこそ
ラジオで収集したい懐メロが放送されると期待して録音スタンバイ。これが再吹き込みのステレオ版でガッカリ。
こんな思いは皆さん体験済みだと思います。
NHKもどうしてこんな意地悪をするのでしょうね、オリジナル版はあるのにですよ、番組編成担当者が懐メロに興味ないか若い為なのでしょう。
ほんとうに最近の放送は腹立たしいことバッカリ、頻繁に間違えるし後で訂正もしない。事前に調査してるのかどうか疑わしい。 勝太郎の「伊豆の七島」を「イズノヒチトウ」と紹介して、歌詞の中にちゃんと「イズノナナシマ」とあるのにですよ、ちょっと流行歌に興味があれば 「イズノヒチトウ」なんて重箱読みはしないですよね。
20年前の場合、懐メロ解説者が一緒について放送していたので、色々勉強になりましたが、そういった懐メロに詳しい解説者は亡くなってしまったし 先がおもいやられます。もう少し懐メロファンに気を配った配慮を願いたいものです。
オリジナル原盤は少し針音がしても価値があります。最近ではノイズ除去技術が進んでわりと綺麗な音です。
田端義夫の「島の船唄」若い声ですねー19歳ですか。彼の声は昭和20年代も独特な哀愁があって良かった、しかし田端はミノルフォンに移った時、 歌唱法で遠藤実とケンケンガクガクの論争をして抵抗むなしく現代演歌調の歌唱法に変わってしまいました。変える必要なかったのに..時代には逆らえなかった??
二葉あき子の「あの夢この夢」とても可愛らしい声です。彼女は戦後「夜のプラットホーム」あたりから声が出なくなり低音に切り替えました。ご本人は 相当悩んで自殺まで考えたそうですが、お気の毒でした。
菊地章子の「相呼ぶ歌」の声も大変綺麗です。「星の流れに」に比べると随分違います。「なつかしの蕃社」あたりまでは美声です。
渡辺はま子も「長崎のお蝶さん」と「ああモンテンルパの夜は更けて」を比べると年齢を感じます。
東海林太郎、上原敏はできたらもっと速くデビューして20代の声を残してくれたらと思うと残念な気持ちです。
ミスコロのように若い声の時にサッパリと止めてしまった方が人々にはイメージとして良い記憶が残る気もしますが..
やはり、オリジナル原盤でないと絶対ダメ!!



213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/30(Sun) 15:19
最近の若者ソングの下手なこと!。歌は曲調が変わっていくのが歌というもの。
歌姫とか言ってるの、みな曲調が変化するとき、声量が無いのだろう、みな奇声を発する。
みな聞いてられない、聞くに堪えない、

耳を塞ぎたくなるような奇声ソングばかり、

昔は歌を歌うものは音楽学校で基本を習い、訓練するのだが、
今はシンガーソングライターとかいってすべて自分流。

やめてほしい!。


214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/09/30(Sun) 15:34
昭和7年(1932年)

あけみの唄
作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ



「佳人よいずこへ」主題歌、歌人原阿佐緒作詞、関種子は東京音楽学校主席卒業、
初期の古賀メロディを支えた歌手。
もう一つの「佳人よいずこへ」は淡谷のり子歌。







☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。



昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。

映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。



原阿佐緒は、明治40年(1909年)、新詩社に入って与謝野晶子に師事、『スバル』に短歌を発表。『スバル』終刊後は『アララギ』に移り、今井邦子や三ヶ島葭子とともにアララギ女流の新鋭と見なされるようになる。
アララギ派の女流歌人、美貌の持ち主であり若くからさまざまな恋愛問題を引き起こしてきた。
昭和7年( 1932年)、直木三十五の紹介で「大衆文芸映画社」に入社、阿佐緒が原作を書き女優として主演したサイレント映画『佳人よ何処へ』(監督福西譲治)が製作され、同年6月1日に新興キネマが配給して公開された[2]。

同作の公開に先行し、阿佐緒が作詞し古賀政男が作曲・編曲、淡谷のり子が歌った同名の主題歌「佳人よ何処へ」、および美貌のソプラノ歌手関種子が歌った『あけみの唄』を、日本コロムビアが同年5月に発売している。



・原阿佐緒歌集
涙痕 歌集 東雲堂 1913
白木槿 歌集 東雲堂書店 1916
うす雲 歌集 不二書房 1928
原阿佐緒抒情歌集 平凡社 1929
原阿佐緒全歌集 小野勝美編 至芸出版社 1978.6
死をみつめて 歌集 短歌新聞社 1995.9 (短歌新聞社文庫)
原阿佐緒自伝・黒い絵具 西田耕三編・制作 耕風社 1997.8 (みやぎ文学館ライブラリー)



・原阿佐緒作品
『恋人形の唄』: 作曲・編曲堀田公明、歌唱淡谷のり子、ポリドール、1931年3月
『浪花小唄』: 作曲山野芳作、編曲奥山貞吉、歌唱かね本幾松、タイヘイ、1933年12月
『あけみの唄』: 作曲・編曲古賀政男、歌唱関種子、コロムビア、1932年5月
『佳人よ何処へ』作曲・編曲古賀政男、歌唱淡谷のり子、コロムビア、1932年5月
『山の娘』: 作曲・編曲・演奏高倉彰、歌唱三浦環、コロムビア、1940年7月


『原阿佐緒の生涯 その恋と歌』、小野勝美、古川叢書、古川書房、1974年





215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/10/09(Tue) 17:01
日本の歌こころの歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50


216 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/10/13(Sat) 10:37
歌番組、歌謡番組に物申す!
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=519398705&ls=50


217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/11/22(Thu) 08:54
☆タンゴ100年、日本におけるアルゼンチンタンゴの歴史と古賀政男
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=542627758&ls=50

218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/11/22(Thu) 08:57
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

219 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/13(Thu) 18:01
>>210
「人生の並木路」は、―日活映画「検事とその妹」(1937.1.14)・・竹田敏彦原作の『検事の妹』の映画化・の主題歌で、戦前、戦後2回にわたって映画化されている。
  1937.1.14 日活多摩川 渡辺邦男監督 岡譲二、原節子
  1956.5 新東宝 古賀聖人監督 丹波哲郎,日比野恵子
映画は知らなくとも、「人生の並木路」は、映画を離れて広く時代を超えて愛されています。
日本はいつの間にか豊かになりましたが、昔日本がまだ農村主体の貧しかった時代、
貧乏人の子沢山・・長男とか兄は、弟・妹の面倒を一身にみる、それがあたりまえだったそうです。

「検事とその妹」(昭和12年)という映画は、昭和12年1月、80年を超えた日本のスタンダードですが、「法の裁きのなかにも人間の情がある」こと
をテーマとしたもので、両親を早々と失い,唯一の妹と貧しい生活を支え合う
という経験をしてきた、被告を裁く検事は、そのため同じような立場にある被告に対して同情の念を禁じ得なかった・・のです。
最近はこのような「人間の情」が余り語られることが無く、こうした人間の情をテーマとしたドラマや映画も、昭和30年代以降、
日本が豊かになるにつれて、めっきりなくなってきたのは残念なことです。
この歌は日本にもそういう時代があったことを教えてくれます。

  
『泣くな妹よ 妹よ泣くな・・』(佐藤惣之助)・・この歌は聴けば聴くほどに味のあるメロディーのすばらしさが存分に味わえる名曲です。
戦時中には「誰か故郷を想わざる」とともに兵士たちの間で最もよく歌われたといわれ,「この歌のおかげで,ぜひ妹の顔をもう一度見ようと
思って,つらい間も生き抜くことができた.」という便りも作曲者のもとに寄せられたそうです。最後に『生きてゆこうよ 希望に燃えて・・』
で結ばれる、簡潔な中に今失われつつある「兄弟の絆」を歌った説得力のあるすばらしい歌だと思います。

h ttp://homepage1.nifty.com/muneuchi/enka/ch13.htm
h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/jinseinonamikimichi.htm


220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/13(Thu) 18:05
新妻鏡

1940東宝映画 小島正二郎原作「新妻鏡』主題歌
作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男

僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(くらし)なら
清いふたりの 人生を
熱い涙で 謳おうよ


物が有り余る時代、最近の歌には、感動できる歌がめっきりすくない。一方昔の歌も歌われる機会が少なくなりつつある。

「新妻鏡」・・昭和15年、太平洋戦争開戦直前、東宝映画『新妻鏡』は、目の見えない薄幸の新妻が苦労の果てに結ばれると言う話(小島政二郎原作)で、霧島昇、二葉あき子(戦後、島倉千代子)歌。

まだテレビも無かった時代、昭和は「日本映画黄金時代」。どんな小さな街にも小さな映画館があって、人々は続編を心待ちにしていたのでした。

実は録音されていないが2番と3番の間にもうひとつあって、

  強くなろうよ 強くなれ
  母となる身は 幼児(おさなご)の
  愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
  なんで嵐に あてらりょう

この歌は、すごい重みのある。

男女年齢を問わず勇気ずけられる人生の応援歌です。

これを歌えば、今流行の育児放棄虐待などありえないことでしょう。

簡潔な詞のなかにわすれかけている大切なことが、さりげなくちりばめられた惣之助の詩。

時代を超えて、味わいのある歌だと思います。
ぜひ、オリジナルで聞いてください。

なお、挿入歌に「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (霧島昇、ミス・コロムビア歌) がある。



221 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/13(Thu) 18:26
とてもいい曲だと思います。いつまでも残しておきたいですね!。。
現代ではいろんな人が作詞、作曲されていますがこのように心に残る曲がないのが残念でなりません。  
このようなきれいで心に残る曲を後世に
これからも数少ない名曲を大切にみんなで歌い継がれるようにしたいですね!。





222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/13(Thu) 18:35
 この時代の歌は人に寄り添い、やさしさに満ちていますね!


もうひとつ、「目ン無い千鳥」(サトウ・ハチロー作詞)は、日米開戦前年、昭和15年(1940)に公開された,小島政二郎原作、東宝映画「新妻鏡」の挿入歌です。 (主題歌「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞)のB面)

戦前戦後2回映画化され、戦後テレビドラマでも3回放送されています。

映画化(1940,1956) 

TVドラマ化(1966,1869.1974) ・1969年挿入歌「目ン無い千鳥」 歌・大川栄策


♪目ン無い千鳥の高島田 見えぬ鏡に いたわしや 曇る今宵の 金屏風 誰のとがやら 罪じゃやら・.・

「目ン無い千鳥」とは、[目隠し鬼ごっこ]のこと。

子供の空気銃の誤射によって失明した薄幸の美女が辿る「数奇な運命と美しい愛の物語」。

詩人サトウ・ハチローは、 目が見えぬということを、一言も触れずに,それを短い言葉であらわしています。

多分、今ではこういう歌はできないでしょう。

この美しい歌が、放送禁止曲とかになったということはありません。



太平洋戦争前に、こうした[青春歌謡]ができていたことは驚きです。日本がまだまずしかった時代、貧しくもこころ豊かな時代だからこそ生まれた歌でしょう。

でもやはり、霧島昇、ミス・コロムビア夫妻が歌うからこその青春歌謡であって、大川栄策が歌うとド演歌になってしまうのは残念です。

歌いこなせる歌手がいなくなってきているのは残念なことです。

飽食の時代といわれ久しいですが、日本が豊かになるにつれ、こうした歌が歌われなくなっていると言うことは残念なことです。

また最近、なんでも「言葉狩り」がまかりどおっているようなのは残念なことでは有りますね。




目ン無い千鳥
作詞 サトウ・ハチロー  
作曲 古賀政男
昭和15年(1940)

1 目ン無い千鳥の 高島田
 見えぬ鏡に いたわしや
  曇る今宵の 金屏風
  誰の科(とが)やら 罪じゃやら

2 千々(ちじ)に乱れる 思い出は
  過ぎし月日の 糸車
 まわす心の 杯に
  紅はさしても 晴れぬ胸

3 雨の夜更けに 弾く琴が
  白い小指に 沁みてゆく
  花が散る散る 春が逝く
  胸の扉が また濡れる

4 目ン無い千鳥の 寂しさは
  切れてはかない 琴の糸
  青春(はる)の盛りの 若い葉に
  咽(むせ)び泣くよな 小糠(こぬか)雨




223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/13(Thu) 19:23
丘を越えて


 作詞:島田芳文
 作曲:古賀政男
  歌唱:藤山一郎


丘を越えて行こうよ
 真澄の空は朗らかに
 晴れてたのしいこころ
 鳴るは胸の血潮よ
 讃えよわが青春(はる)を
 いざ行け遥か希望の
 丘を越えて

昭和4年(1929)、マンドリン合奏曲「ピクニック」として作られ、新興映画「姉」の主題歌として野口雨情門下の詩人島田芳文の詩になる青春賛歌,元祖「青春歌謡」である。

昭和改元(1926年12月)のちょうど5年目、昭和6年(1931)12月、東京音楽学校の学生だった藤山一郎によってレコード。 藤山一郎とのコンビで9月「酒は涙か溜息か」、昭和7年「影を慕いて」とともに「古賀メロディ−」を確立した。(「写真 昭和30年史」毎日新聞社1956)

「影を慕いて」とともに、童謡と同じく演奏会などで80年を超えて歌われ演奏されている数少ない「日本の名曲」である。
46小節よりなる前奏、歌の部分より前奏・間奏・後奏の方が長い「古賀メロデー」の代表的な曲。

山田耕筰は「明朗性」を表す作品として高く評価、ヨーロッパに行くときはこのレコードを持ち歩いて日本の代表的な作品として自慢していた。


224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/14(Fri) 17:39
「影を慕いて」

古賀政男作詞・作曲




まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦(こが)れつつ 忍び泣く

わびしさよ
せめて痛みの なぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) 行(ゆ)く秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し

君故(ゆえ)に
永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ

昭和3年、人生の、青春の苦悩から生まれた『古賀メロディ』の原点。

この歌が作られた頃、ほとんどの今の歌はまだなかった。

225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/14(Fri) 17:47
影を慕いて

古賀メロディーの原点と言われる名曲
古賀政男(正男)作詞作曲
昭和5年 ビクタ‐  佐藤千夜子 歌
昭和7年 コロムビア 藤山一郎  歌
(明治大学学生の時、昭和3年秋に作曲したとされる、完成まで2年かかっている)

226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/14(Fri) 19:58
誰か故郷を想わざる

  作詩 西条八十 作曲 古賀政男
  歌 霧島昇 (昭和15年)
 
 1 花摘む野辺に 日は落ちて
   みんなで肩を 組みながら
   唄をうたった 帰りみち
   幼馴染みの あの友この友
   あゝ誰か故郷を想わざる

 2 ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
   小川の岸で さみしさに
   泣いた涙の なつかしさ
   幼馴染みの あの山この川
   あゝ誰か故郷を想わざる

 3 都に雨の 降る夜は
   涙に胸も しめりがち
   遠く呼ぶのは 誰の声
   幼馴染みの あの夢この夢
   あゝ誰か故郷を想わざる

227 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/15(Sat) 20:03
サ ー カ ス の 唄

作詩 西条八十 作曲 古賀政男
歌 松平晃 (昭和8年) 

1 旅のつばくろ 淋しかないか
  おれもさみしい サーカス暮らし
  とんぼがえりで 今年もくれて
  知らぬ他国の 花を見た

2 あの娘(こ)住む町 恋しい町を
  遠くはなれて テントで暮らしゃ
  月も冴(さ)えます 心も冴える
  馬の寝息で ねむられぬ

3 朝は朝霧 夕べは夜霧
  泣いちゃいけない クラリオネット
  ながれながれる 浮藻(うきも)の花は
  明日も咲きましょ あの町で

228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/16(Sun) 10:18
慈悲心鳥の唄(愛の勝利)

作詩 佐藤惣之助  作曲 古賀政男
昭和12年

1 愛と泪に 流れ行く
  若きふたりの 思い出は
  海の真珠の 浪の色
  虹よ消ゆるな いつまでも


2 窓のともし火 ほのかにも
  母と呼ばれて 幼児(おさなご)に
  聞かす夜毎の 子守唄
  ゆめの千鳥よ 何を泣く


3 掟(おきて)きびしき 人の世に
  負けてこの身は 果つるとも
  愛の勝利の うるわしく
  花もかがやけ この胸に 
   (菊池寛原作 「慈悲心鳥」より)

229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/16(Sun) 10:31
男 の 純 情

作詩 佐藤惣之助  作曲  古賀政男
昭和11年 日活「魂」主題歌


1 男いのちの 純情は 
  燃えてかがやく 金の星 
  夜の都の 大空に 
  曇る涙を 誰が知ろ


2 影はやくざに やつれても 
  訊いてくれるな この胸を 
  所詮男の ゆく道は 
  なんで女が 知るものか


3 暗い夜空が 明けたなら 
  若いみどりの 朝風に 
  金もいらなきゃ 名もいらぬ 
  愛の古巣へ 帰ろうよ  




230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/01/07(Mon) 22:12
白い椿の唄

作詩   佐藤惣之助
作曲   古賀政男

歌    楠木繁夫


雪もかがやけ青春の
花は涙のおくりもの
風にさびしく泣きぬれし
あわれ乙女の白つばき

宵の酒場に咲く花は 
燃えてほのぼの誰を待つ
ながきまつ毛の横顔も 
夢にやつれし白つばき

呼べど返らぬ面影は 
きえてはるかな山の上
月にささげてひとり泣く 
あわれ涙の白つばき


名曲の宝庫、80年を超える日本のクラッシック「古賀メロデー」というのは、いろいろあるが元祖青春歌謡で、映画と積極的に提携して映画主題歌が多い。

「白い椿の唄」、それは昭和10年、菊池寛原作「貞操問答」の映画化主題歌で、菊池寛の依頼で主題歌を作ったもの。

東京へ母を呼んで暮らすのが夢だったという古賀政男の母が亡くなった(昭和9年8月)のは、この映画の企画をしてるときだそうです。

この歌ができた時は母がなくなってた時で、佐藤惣之助作詞の三番目に「呼べど帰らぬ面影は、消えて遥かな山の上・・」と歌われてますが、これは母を失った古賀政男の心境そのもので、彼のその後に創作意欲を大いにかきたてたそうです。



231 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/01/29(Tue) 18:09
緑の地平線

     作詞:佐藤惣之助
     作曲:古賀政男
     歌唱:楠木繁夫
  

(一)
   なぜか忘れぬ 人故に
   涙かくして 踊る夜は
   ぬれし瞳に すすり泣く
   リラの花さえ なつかしや

  (二)
   わざと気強く ふりすてて
   無理に注(つ)がして 飲む酒も
   霧の都の 夜は更けて
   夢もはかなく 散りて行く

  (三)
   山のけむりを 慕いつつ
   いとし小鳩の 声きけば
   遠き前途(ゆくて)に ほのぼのと
   緑うれしや 地平線


「緑の地平線」は、1935年(昭和10年)公開された安倍豊監督による日活映画の主題歌です。

佐藤惣之助は詩人であり作詞家、戦前の歌謡曲ではおそらく、西條八十とともに古賀政男との曲が最も多く、そして最も多くの多くの名曲をヒットをさせた。

映画「緑の地平線」のフィルムは戦災で行方不明になってしまい、現在ではスチール写真でしかその姿を偲ぶことができません。
また原作の小説(児童作家・横山美智子)も絶版の状態だそうです。

しかし、作曲家・古賀政男のこの楽曲は、84年たった今なお生き続け、歌い継がれています。

楠木繁夫が唄ったシングル盤は、軽快感のあるテンポで現代でも聴き応えある作品といえましょう。




232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/01/29(Tue) 20:22
「女の階級」 (日活『女の階級』主題歌)

 村瀬まゆみ作詩 古賀政男作曲

1 君に捧げた まごころの
愛が女の 命なら
  弱い涙は 今日かぎり
  捨てていばらの 径(みち)を行く

2 心砕(くだ)けど ままならぬ
辛い浮世の 小夜嵐
 愛の船路を 祈るごと
星もまたたく この夕べ

3 想い乱れて 咲く花は
女心か 月草よ
涙誘うな 秋風に
  散るは彼の日の 夢ばかり

4 君を信濃の 高原に
涙かくして 見送れば
  靡(なび)く煙りも 一すじに
燃えて火を吐く 浅間山


『女の階級』は、吉屋信子(1896〜1973)原作による昭和 11(1936)年 10 月封切 の日活映画であり、楠木繁夫(1905〜1956)の歌った同名の主題歌。楠木繁夫の情感溢れる歌唱でヒットした。B 面は、「回想譜」で、 藤山一郎が歌った。



233 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/02/02(Sat) 14:23
昭和は大正15年・昭和元年(1926)12月25日から、昭和64年(1989)1月7日まで62年14日、明治大正を合わせた60年より長い62年と2週間、世界的にも一番長い。

昭和元年は1週間しかなく、昭和は実質昭和2年から。

レコード歌謡は昭和2年から3年にかけて始まった。

「昭和」の由来は、書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」・・国民の安寧のもとに国際平和の実現を目指す・・ものだったが、実際は戦乱に明け暮れ貧しい民だった。

そんな昭和の幕開け、まだ「青空」とか「アラビアの唄」などまだあちらの歌くらいしかなかった時代だ。

「歌う昭和史!」と言われる「藤山一郎」、昭和6年からでさえ、「青い山脈」とか、戦後の歌しか知らない人が多い。

この「歌う昭和史」藤山一郎も戦後の歌手だと思っている人が少なくないのは残念な事。

「昭和」とは60年を超える明治大正を合わせたより長いのだ。

最近のテレビ歌番組で「昭和歌謡」という言葉がたびたび耳にするのだが、ほとんどが昭和も終わり、飽食の時代と言われた昭和40年代以降、最近では50年代のもの。

まだ日本が貧しかったころ、テレビもなかったころの昭和歌謡は詩もやさしく温かさがありホッとする。

234 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/02/11(Mon) 19:57
「目ン無い千鳥」は、昭和15年(1940))4月10日にコロムビアレコードから発売された東宝映画「新妻鏡」の主題歌「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞)の裏面で、霧島昇、ミス・コロムビア夫妻が歌っている。

今は使えないと思うが、古賀政男が感動で打ち震えたという「新妻鏡」の佐藤惣之助の名詞とともに、それを一言も使わずに、目の見えない新妻の心情を、哀しくも美しい物語を歌い上げているところはこの詩人ならではの事。

いろいろな人が歌っているが、やはりオリジナルの霧島昇、ミス・コロムビア夫妻のデュエットだからこそ引き立つ素晴らしい青春歌謡といえる。


目 ン 無 い 千 鳥

 サトウハチロー作詩 古賀政男作曲
 昭和15年(1940)

1 目ン無い千鳥の 高島田
  見えぬ鏡に いたわしや
  曇る今宵の 金屏風
  誰の科(とが)やら 罪じゃやら

2 千々(ちぢ)に乱れる 思い出は
  過ぎし月日の 糸車
  まわす心の 杯に
  紅はさしても 晴れぬ胸

3 雨の夜更けに 弾く琴が
  白い小指に 沁みてゆく
  花が散る散る 春が逝く
  胸の扉が また濡れる

4 目ン無い千鳥の 寂しさは
  切れてはかない 琴の糸
  青春(はる)の盛りの 若い葉に
  咽(むせ)び泣くよな 小糠(こぬか)雨



目ン無い千鳥とは「目隠し鬼ごっこ」の意。
「目ン無い千鳥の 高島田」とは、目の見えない薄幸の花嫁の晴れ姿、

目が見えないということを一言も使わずに、それを短い言葉で表現している。






235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/02/13(Wed) 11:13
昭和歌謡が好きな人集まれ!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50

236 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/03/16(Sat) 08:54
窓に凭れて


 島田芳文 作詞 古賀政男 作曲
 関種子(昭和6年12月)

(一)
行きて返らぬ 若き日を 
窓に凭れて 思いみる
夢多かりし かの頃の
雲にかからぬ 清らかさ
あゝ過ぎにし 
過ぎにし春の 思い出よ

(二) 
ただやすらけく ありし日の
胸のあこがれ 泡と消え
更けてこの日の この胸に
地上の愛の なやましさ
あゝ涙に
涙にくるる このこころ


関種子は、東京音音楽学校本科を首席で卒業、坪内逍遥原作・山田耕筰作曲の歌劇「堕ちたる天女」で楽壇デビュー。クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。「堕ちたる天女」の抜粋をコロムビアレコードに吹込んだのが縁となり、1931年(昭和6年)同社からデビュー。「窓に凭れて」、「嘆きの夜曲」、「あけみの唄」、「日本橋から」など、主に初期の古賀メロディーをヒットさせている。
1931年12月発表の曲で、[丘を越えて」とともに新興キネマ映画「姉」の主題歌です。








237 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/03/16(Sat) 11:10

名曲はいつ聞いても懐かしさで涙があふれてくる、そして、生きる喜びを感じさせます。

238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/03/23(Sat) 12:17
中途半端な声楽の技術を持った人間が、クラシック系の歌手が歌った曲を歌ってるのを聴くと耳を覆いたくなる。
講演なんかで歌うやつがいるが馬鹿かと。
あほかと。

昭和前半の歌は現在
のプロでも簡単に歌えない歌が
たくさんあります。カバーして歌ってるのを聴くと
よく分かります。


改めて藤山さんの歌を色々歌ってみると、素人には簡単に歌えない歌だと痛感します。

歌詞も一流の詩人・文学者とも言うべき人が作詞してたりしましたね。
そう考えると、最近はチンピラ作曲家にチンピラ作詞家にチンピラ歌手、
レコード会社も芸能事務所もヤクザな稼業…。



掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)