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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/05/27(Mon) 08:43
昭和6年(1931)「酒は涙かため息か」「丘を越えて」「影を慕いて」・・いずれも藤山一郎、
今から88年前、まもなく90年を迎える「古賀メロディ」。
《日本のクラッシック》「古賀メロディ」の歴史を振り返る。


41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 12:34

☆李香蘭の歌う古賀メロディ

さらば上海   (時雨音羽作詞、古賀政男作曲)李香蘭1939.9(初唱1932関種子)
紅い睡蓮     (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1940.11
興亜三人娘   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)奥山彩子、李香蘭,白光1940.12
黒き宝     (西条八十作詞、古賀政男作曲) 李 香蘭 1941.6
そうだその意気(国民総意の歌)(西條八十作詞、古賀政男作曲)(霧島昇、松原操、李香蘭)1941.7
夜霧の馬車    (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1941.11
北京の子守唄  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1941.11
迎春花(インチュンホワ)(西條八十作詞 古賀政男作曲)李香蘭 1942
夕月乙女    (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1942.7
花の生命    (白井鉄蔵作詞、古賀政男作曲) 霧島昇、李香蘭 1942.8
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、古賀政男作曲) 楠木繁夫、李香蘭 1942.8

荒城の月(土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲、古賀政男編曲)、明大マンドリンクラブ伴奏、李香蘭 1942.9 COL100542

宵待草  (竹久夢二作詞、多忠亮作曲、古賀政男編曲)李香蘭、明大マンドリンクラブ伴奏1942.9 COL100542

若き日の夢    (西條八十作詞、古賀政男作曲)  李香蘭 1943.3
サヨンの歌    (西條八十作詞、古賀政男作曲) 李香蘭 1943.5






42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 12:46
5000曲とも言われる古賀政男の、昭和3年から53年に亡くなるまでの半世紀にわたる作品群には、実にたくさんの作品が有り驚かされます。

その中に、昭和17年の「荒城の月」編曲があり、李香蘭のSPレコードが、You Tube やCD[古賀政男大全集〜20世紀の遺産]〈CD16枚〉などで聴くことができます。

「荒城の月」といえば、藤原義江や三浦環、山田耕筰。古賀政男自伝『わが心の歌』〈展望社1965初版〉には、藤原義江は古賀政男が昭和13年11月、外務省音楽親善文化使節としてアメリカに派遣されるにあたって見送るなど、三浦環や藤原義江と古賀政男とは信頼と親交が有ったことが、写真とともにあります。

また、山田耕筰は外国人に日本の音楽を紹介するのに、よく古賀政男の「丘を越えて」を紹介していたといいます。

以下一見関係がなさそうで深い関係が有る、古賀政男と「荒城の月」について参考に。


※古賀政男と「荒城の月」

「荒城の月」(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)という歌は、現在の東京芸術大学〈音楽学部〉の前身である「東京音楽学校」主導で中学の音楽教科書のためにつくられた。

明治34年「中学唱歌」の懸賞応募作品として作曲し、入選となった作品だが、メロディーだけで伴奏が無く、後に三浦環に頼まれた山田耕筰がピアノ伴奏を付けたものが今日歌われているものとされる。

明治44年、師である瀧廉太郎が日本最初にドイツに留学するにあたって、門下生である三浦環は、送別演奏会で「荒城の月」(『荒城月』)を歌った。

当時は「歌曲」と言えば外国曲(でなければばらない)とうのが一般的風潮だった中で、昭和3年、藤原義江によってビクターで吹き込まれたのが「荒城の月」レコードの最初。

哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

世界で活躍していた我等のテナー「藤原義江」は、どこの国に行っても自分の生れた国の歌も歌えないようでは相手にされないとして、率先して日本の歌曲を歌い広めた事でしたれる。

三浦環の「歌姫は強き愛国心をもたざれは」に通ずることだ。

他に、藤原義江は山田耕筰の「この道」その他や、弘田龍太郎の「叱られて」「浜千鳥」などをレコードにしている。

『荒城の月』は、特定の史実・史話に基づいたというものではないが、つい30年前「明治維新」 における日本の内戦である戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜- 明治2年(1868年 - 1869年))と無関係ではないのだ。

武家の「栄枯盛衰」とそれに伴う「無常感」が滲んだ詩は、お寺の「講話」にも使われている。
「荒城の月」は、1898(明治31)年、土井晩翠は会津の「鶴ヶ城」をイメージして造られたものだと土井晩翠自身が語っている。(※)

※土井晩翠が1927年6月29日滝廉太郎45年祭で語り、放送された。

幼い頃から父と祖父から戊辰戦争における会津の悲劇と仙台から見た会津の英雄伝をたくさん聞かされて育った晩翠。

そして二高の時、明治維新後、落城したまま、ほったらかされていた「鶴ヶ城」に行き、悲惨な戦争の跡地から月を見て、なんとも儚い想いを詩にした晩翠の詩、それに子供のころを過ごした・大分県竹田の「岡城」から曲を着想した滝廉太郎の作曲がおりなす「荒城の月」。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったというのもわかります。そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが昭和17年古賀政男編曲になる。

戦乱の世の栄華と哀愁とがないまぜになった名曲・・しっとりしていい歌いで、風格、品格を保ちつつ、ひとつひとつの言葉が心に深く沁みてきます。

「荒城の月」をオペラでも歌うつもりか、頭の芯に突き刺さるような高い声を張り上げて歌うクラッシックを標榜する若手歌手が今、少なくないが、戦時中慰問先で「李香蘭」の歌う「荒城の月」は何と美しいことか。どれほど多くの兵士を勇気ずけたことか。

この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見れる他、国立近代美術館フィルムセンター、歌は以下に含まれる。

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる映画である。

「荒城の月」;土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 古賀政男編曲 明大マンドリンクラブ演奏


なお、滝廉太郎作曲「荒城の月」の原曲は無伴奏で、以下「山田耕筰編曲版」、「本居長世編曲版」、「橋本国彦編曲版」、それに、李香蘭が戦地で歌った「古賀政男編曲版」がある。




1

43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 12:54
☆「荒城の月」について

『荒城月』 (土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲)  明治34年発表(無伴奏)

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/山田耕筰・編曲) 大正6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/本居長世・編曲) 昭和5年発表

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/橋本国彦・編曲) 昭和6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/古賀政男・編曲)昭和17年編曲(歌李香蘭)


☆(参考)「荒城の月」 SP時代の主な名盤

 1928.02 藤原義江 VIC1175赤盤

 1931,01 萩野綾子 VIC13109赤盤         (橋本国彦編曲版)

 1931,02 奥田良三 POL631631

 1933.05 四家文子 VIC52673

 1933.07 増永丈夫(藤山一郎)VIC52756      (橋本国彦編曲版)

 1936.01 関屋敏子 VIC13452赤盤

 1937.10 藤原義江 VIC13527赤盤

 1942.09 李香蘭  COL100542 @赤盤(スダレ)   (古賀政男編曲版)


(参考)古賀政男編曲「荒城の月」CD

・CD[古賀政男大全集〜20世紀の遺産]日本コロムビア
 発売日:1998年7月18日  CD16枚、
(荒城の月 ;No,16−14)
ttp://joshinweb.jp/dp/4988001187691.html
  ttp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA349020/

・CD「夜霧の馬車 山口淑子 (李香蘭) 」1990 COCA-71089
 15.宵待草   李香蘭 古賀政男編曲、 明大マンドリンクラブ演奏
 16. 荒城の月 山口淑子 (李香蘭)(歌); 作詞 土井晩翠; 作曲 滝廉太郎; 編曲 古賀政男 明大マ ンドリンクラブ演奏
ttp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA318749/





44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 13:09
☆楠木繁夫の代表曲

国境を越えて  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1934.8
男ごころ    (西岡水朗作詞、 古賀政男作曲) 1934.8
白い椿の唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.3
希望の花束 (不詳、古賀政男作曲)      1935.4
ハイキングの唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1935.5
山は微笑む (小西民治作詞、 古賀政男作曲) 1935,8
男のまごころ (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
緑の地平線   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11
啄木の歌    (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1936.4
慈悲心鳥の唄  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.7
護れ国境    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.11
女の階段    (村瀬まゆみ=島田欣也作詞、古賀政男作曲) 1936.12
丹下左膳の唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 楠木繁夫歌 1937.1
スキ‐の唄    (島田芳文作詞 、 古賀政男作曲) 1937.3
やすらいの唄 (百田宗治作詞、 古賀政男作曲)1937.3(1947.12 NHKラジオ歌謡)
嬉しい仲     (テイチク文芸部作詞、古賀政男作曲)(美ち奴)    1937.5
のばせばのびる (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)        1937.7
真実一路の唄 (佐藤惣之助作詞、 古賀政男作曲)        1937.8
時代の霧   (門田ゆたか作詞、 古賀政男作曲)        1937.12
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲)(ディックミネ) 1938.1
人生劇場   (佐藤惣之助作詞、 古賀政男作曲)        1938.6
花白蘭の唄   (白井鉄造作詞、 古賀政男作曲)(李香蘭)    1942.8
どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)        1942.12
歌う狸御殿   (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(三原純子)1942.12
月の小島 (西條八十作詞、 古賀政男作曲)         1942.12
戦いの街に春が来る(西條八十作詞、古賀政男作曲)(菊池章子) 1943.3
明けゆく蒙古  (佐藤惣之助作詞、 古賀政男作曲)        1943.3
夏子の歌    (西條八十作詞、 古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1943.10
いさおを胸に (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲)(松原操)1944.11
カボチャの歌  (サトウハチロー作詞、 古賀政男作曲)(渡辺はま子) 1944.11











147 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/07(Sat) 20:41
☆古賀メロディと霧島昇

日本歌謡史に燦然と輝く古賀メロディー。「古賀メロディ」と言えば霧島昇、霧島昇と言えば《誰か故郷を想わざる》。

霧島昇は、藤山一郎、関種子、ディックミネ、松平晃、楠木繁夫、伊藤久男、李香蘭などとともに、古賀メロディをささえた代表的な名歌手の一人である。

霧島昇がコロムビアレコード専属歌手となったのは昭和11年である。

苦学しながら東洋音楽学校(現、東京音楽大学)を卒業。藤山一郎がビクターから、古賀政男のテイチクへ変わった昭和11年、テイチク黄金時代と言われる中、コロムビアはポリドールの東海林太郎の対抗馬としてデビューさせ、翌年「赤城しぐれ」(竹岡信幸作曲)がヒット。

昭和13年、松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を、既にスターだった、ミス・コロムビア(本名松原操)とコンビで歌い、あっという間にスターの階段を上り詰めた。


昭和13年11月8日にテイチクか

45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 13:22
☆ディックミネの代表曲(古賀メロディ)

恋は荷物と同じよ (瀬川与志=サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(川畑文子)1935.6
望郷の唄 (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1935.7
二人は若い (玉川英二作詞、 古賀政男作曲) 1935.10(星玲子)
波止場がらす (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
夕べ仄かに   (島田芳文作詩、 古賀政男作曲) 1935.11
ゆかりの唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11(台詞:星玲子)
白衣の佳人の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.3
愛の小窓    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.10
人生の並木路 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937.1(テイチク1200)
ギターに寄せて (星野貞志作詞、 古賀政男作曲) 1937.5
恋のハワイ   (吉本英夫作詞、 古賀政男作曲) 1937.12
黄河の月 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(三根耕一名)1938.7
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲) (楠木繁夫)  1938




46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 13:31
☆昭和SP歌謡  主な歌手(戦前・戦中) 1,

「昭和」と言う、まだ日本がまだ草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、レコード歌謡が花開き、人々に迎えられたのです。SPレコードの時代です。
その歌手の多くは音楽学校出身者でした。以下にその主な歌手と主な歌を。

佐藤千代子(1897-1968)(東京音楽学校)波浮の港、東京行進曲、当世銀座節、
レコード歌手第一号、大正から昭和の初めにかけて、中山晋平の歌を世に広めた歌手です。古賀政男の才能を発見したことで、日本の大衆音楽史の中で忘れてはならない歌手です。
童謡、新民謡、歌曲、歌謡曲、新日本音楽など100曲を超えるレコードを残しいている。


藤原義江(1898−1976)  出船の港、 波浮の港、鉾をおさめて、出船,特幹の歌
二村定一(1900-1948)   私の青空、アラビアの唄、君恋し、神田小唄
内海一郎(宇津美清)(1898―1972)(東京音楽学校)道頓堀行進曲、銀座行進曲
天野喜久代(1897-1945)(帝劇歌劇部)私の青空、アラビアの歌、チャッカリしてるわね
曽我直子(1905−1995)  (東洋音楽学校)蒲田行進曲、沓掛小唄、明眸花の唄、
藤本二三吉(1897-1976)     祇園小唄、唐人お吉小唄(明烏篇)
河原喜久恵(1902-1997) (東京音楽学校)麗人の唄、月の浜辺、無憂華の唄
四家文子(1906−1981) (東京音楽学校)銀座の柳、踊り子の唄、不壊の白珠
徳山l(たまき)(1903−1942)(東京音楽学校)侍ニッポン、天国に結ぶ恋、隣組
関 種子(1907-1990)  (東京音楽学校)窓に凭れて、嘆きの夜曲、あけみの唄、
藤山一郎(1911-1993)  (東京音楽学校)酒は涙か溜息か、丘を越えて、影を慕いて
松平晃(1911-1961)   (東京音楽学校)サーカスの唄,望郷の唄、人妻椿
淡谷のり子(1907-1997) (東洋音楽学校)私この頃憂鬱よ、佳人よ何処へ
羽衣歌子(1902−1979) (東洋音楽学校)女給の唄、
中野忠晴(1909-1970) (武蔵野音楽学校)山の人気者、高原の唄、歓喜(よろこび)の歌
ミス・コロムビア(松原操) (1911−1984)(東京音楽学校) 十九の春、旅の夜風、目ン無い千鳥
楠木繁夫(1904-1956)  (東京音楽学校)緑の地平線、女の階級、人生劇場
新橋喜代三(1903-1963)    明治一代女、 酋長の娘
和田春子(渡辺光子)(1906−2003)幌馬車の唄、強くなってね、
二葉あき子(1915-2011) (東京音楽学校)あの花この花、新妻鏡、春よいづこ
小唄勝太郎(1904-1974) 島の娘
東海林太郎(1898-1972) 赤城の子守唄,国境の町、すみだ川,旅笠道中、野崎小唄
上原  敏(1908-1944)  妻恋道中、裏町人生、流転
児玉好雄(1909-1986)  無情の夢 
林伊佐緒(1912-1995)  出征兵士を送る歌
美ち奴 (1918〜1996)  ああそれなのに、うちの女房にゃ髭がある
杉狂児(1903−1975)  (東京音楽学校)うちの女房にゃ髭がある
由利あけみ(1913-) (東京音楽学校)黒いパイプ、愛国六人娘、茶坊の花、長崎物語、
ディック・ミネ(1908−1991)二人は若い、愛の小窓、人生の並木路、ゆかりの唄
霧島昇(1914-1984)   (東洋音楽学校)誰か故郷を想わざる,新妻鏡、旅の夜風
李香蘭(1920−)  迎春花、紅い睡蓮、夜霧の馬車、サヨンの歌、蘇州夜曲
奥田瑛子(1907- ) 緑の月、別れの歌、南国の乙女、浜辺の哀唱
奥山彩子(1916-)    (東洋音楽学校) 蛇姫絵巻,母立つ丘、興亜三人娘
菊池章子(1924--2002)  (東洋音楽学校)相呼ぶ歌、愛馬花嫁、馬、湖畔の乙女
渡辺はま子(1910-1999) (武蔵野音楽学校)サヨンの鐘,蘇州夜曲、夏子の歌
三原純子(1920−1959)  南から南から、固い約束
市  丸(1906−1997)   天竜下れば、濡れつばめ
松島詩子/千早淑子(1905-1996)  マロニエの木陰、夕べ仄かに 
伊藤久男(1933-1983) (帝国音楽学校)暁に祈る、白蘭の歌、熱砂の誓い(建設の歌), 馬




47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 13:37
志村道夫(1914-)     (東京高等音楽学院) 蛇姫絵巻
有島通男(1911-)    (東洋音楽学校)春まだ浅く
小林千代子(1910−1976) (東洋音楽学校)涙の渡り鳥、 旅のつばくろ
小夜福子(1909-1989)    (宝塚音楽歌劇学校)小雨の雨
高峰三枝子(1918-1990)  純情二重奏、南の花嫁さん、湖畔の宿
能勢妙子(1915-1999)   あなたなしでは
伏見信子(1915−)    あの夢この夢、花言葉の唄、初恋日記
北廉太郎(1920-1940)   潮来夜船,青春の丘
奈良光枝(1923-1977)   青い牧場、祖国の花、勝利の日まで
井口小夜子(1914-2003) (武蔵野音楽学校) 乙女十八,ねんねのお里、
轟由紀子(1917−1967) (宝塚音楽歌劇学校) お使いは自転車に乗って、 祖国の花
波平暁男(1915−1983) (東京音楽学校)    月夜船、勝利の日まで
近江俊郎(1918−1992) (武蔵野音楽学校)   明日もまた、勝利の日まで
灰田勝彦(1911−1982)  煌く星座、鈴懸の径
高田浩吉(1911−1998)  大江戸出世小唄、故郷の唄
田端義夫(1919−2013)  大利根月夜、シンガポールだより  
小畑 実(1923−1979)  勘太郎月夜唄,湯島の白梅
岡晴夫 (1916-1970)   上海の花売り娘、港シャンソン


(参考)
東京音楽学校  (現 東京藝術大学音楽学部)
東洋音楽学校 (現 東京音楽大学)
武蔵野音楽学校(現 武蔵野音楽大学)



追加
内田栄一(1901−1985) (東京音楽学校) 起てよ一億
中村淑子(1911− ) (東京音楽学校) 愛国行進曲、日の丸行進曲
伊藤武雄(1905-1987) ) (東京音楽学校) 愛馬進軍歌
酒井 弘(1914-1996) (東京音楽学校) ああ紅の血は燃ゆる、働く力
波岡惣一郎(1910−1951) (東洋音楽学校)かちどきの歌、興亜行進曲、日の丸行進曲
永田絃次郎(1909−1985)  出征兵士を送る歌
大谷冽子(1919−2012)   (武蔵野音楽学校)ジャワのマンゴ売り
結城道子(1908−?)    (東京高等音楽学院)裏町人生
三島一声(1889-1974)  東京音頭
小笠原美都子(1920-)  十三夜
青葉笙子(1918-2012)    鴛鴦道中
川端文子(1916−2007) 上海リル、青空
三門順子(1915−1954)   愛国千人針
服部富子(1917−1981)   満州娘
江戸川蘭子(1913-1990) (日劇音楽舞踊学校)上海リル
小野 巡(1910−2009)    祖国の護り
塩まさる(1908-2003)    九段の母、
樋口静雄(1911−1973)  チンライぶし、緑の幌馬車、田園交響楽
赤坂小梅(1906−1992)   ほんとにそうなら、
豆千代(1912−2004)   夕日は落ちて
市丸(1906−1997)     天龍下れば、ちゃっきり節
音丸(1906―1976)     船頭可愛や、下田夜曲





48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 15:57
☆昭和戦前の作曲家


日本に本格的なレコード会社が登場したのは、昭和改元(1926)とともにあり、今から80数年余り前の昭和2年から3年にかけてです。

レコード歌謡の最初は昭和3年の「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)とされる。

SPレコードの時代は、戦前から戦後にかけて、映画「二十四の瞳」の時代と重なる日本がまだ貧しく、くるしい時代です。しかし、その中にも豊かな心をはぐくんでいたでしょう。

昭和、戦前戦中、今に残る数多くの名曲がレコードに乗って世に出ています。昭和の歴史が生んだ豊かな心の表れであるSPレコードとその歌声は文化遺産と言えます。

そして今歌われているそのほとんどは、主にここに上げた作曲家によるものと言えるでしょう。


日本の西洋音楽を取り入れた大衆音楽は本居長世、その弟子中山晋平、弘田龍太郎にはじまる。


大衆音楽と作曲家(昭和・戦前)

中山晋平(1887〜1952)(*)青い芒、波浮の港、当世銀座節、東京行進曲
弘田龍太郎(1892〜1952) 野薔薇の歌、無憂華の唄、いさおを胸に(編曲)、今年の燕、お国のために
佐々木すぐる(1892〜1966) 兵隊さんよありがとう、昭和の子供
佐々紅華(1907〜1961)君恋し、祇園小唄、浪花小唄、神田小唄
堀内敬三(1897〜1983)(*)黒い瞳よ今いずこ、麗人の唄、
塩尻精八        道頓堀行進曲、女給の唄
奥山貞吉(1887〜1956)ザッツ・オーケー、沓掛小唄,乳姉妹の唄、お島千太郎旅唄

古賀政男(1904〜1978)(*)影を慕いて、丘を越えて、あけみの唄、いさおを胸に、
松平信博(1893-1949) サムライ・ニッポン、ルンペン節、天国に結ぶ恋
江口夜詩〈1903〜1978〉 十九の春、忘られぬ花、急げ幌馬車
仁木他喜雄〈1901〜1958〉 高原の月、めんこい仔馬
万城目正〈1905〜1968〉旅の夜風、愛染夜曲、純情二重奏
服部良一〈1907〜1993〉(*)蘇州夜曲、別れのブルース、別れのブルース
佐々木俊一〈1907〜1957〉涙の渡り鳥
竹岡信幸(1907〜1985)赤城の子守歌,人妻椿
長津義司〈1904〜1986〉十三夜、
古関裕而〈1909〜1989〉船頭可愛や、愛国の花、露営の歌、暁に祈る
早乙女光〈1904〜1944〉湖畔の乙女、荒野の夜風、愛国の花、古き花園
明本京静〈1905〜1972〉父よあなたは強かった、伊豆の子守唄
大村能章〈1893〜1962〉旅笠道中、野崎小唄、
阿部武雄〈1902〜1968〉 流転、むらさき小唄、国境の町
山田栄一〈1906〜1995〉すみだ川

*日本音楽著作権協会会長歴任 (他に詩人、西条八十、サトウハチロー、勝承夫)





49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 16:07
☆昭和の主な詩人・作詞家 (昭和・戦前)

昭和前半の昔の歌には、その3分間の中に「ドラマ」があって、歌詞と曲は一体のものでした。

当代随一と言われた詩人、作詞家、作曲家たちが心をこめて作った歌、そのさりげない短い言葉、そのメロデーの中に行間のドラマ、・喜びと哀しみを共有したのです。

昭和戦前の大衆歌曲(歌謡曲)分野に貢献した主な詩人・作詞家を参考に。


*野口雨情(1882〜1945) 波浮の港、鶯の夢、青い芒、紅谷の娘、
*西條八十(1892〜1970) (※)東京行進曲、誰か故郷を想わざる、旅の夜風
 時雨音羽(1899〜1980 ) 出船の港、鉾をおさめて、君恋し、浪花小唄
 堀内敬三(1897〜1983) 私の青空、アラビアの唄、黒い瞳よ今いずこ
 長田幹彦(1887〜1964) 祇園小唄、天竜下れば、島の娘
*島田芳文(1898〜1973) 丘を越えて、キャンプ小唄、月の浜辺、窓に凭れて
 高橋掬太郎(1901〜1970) 酒は涙か溜息か、雨に咲く花、人妻椿
*佐藤惣之助(1890〜1942)人生の並木路、新妻鏡、男の純情、青い背広で、
*サトウ・ハチロ−(1903〜1973)(※)麗人の唄、目ン無い千鳥、勝利の日まで、
*西岡水朗(1909〜1955) 嘆きの夜曲、忘られぬ花、
*大木惇夫(1895〜1977) 崑崙越えて、思い出の記、雲のふるさと、国境の町
*藤浦 洸(1893〜1979)ビア樽ポルカ、別れのブルース、月夜船
*久保田宵二(1899〜1947)浮草の唄、ほんとにそうなら、山寺の和尚さん、
 佐伯孝夫(1902〜1981) 無情の夢、新雪、勘太郎月夜唄、湯島の白梅、
 門田ゆたか(1907〜1975) 東京ラプソディー
 藤田まさと(1908〜1982) 旅笠道中、明治一代女、妻恋道中、鴛鴦道中、
 倉仲房雄(サトウハチロー)合歓の木蔭で、東京の夢、友情夜曲、
 玉川英二(同上)    二人は若い
 星野貞志(同上)     うちの女房にゃ髭がある、あゝそれなのに
 山野三郎(同上)     若しも月給が上がったら
 島田磬也(1909〜1978)  白虎隊、望郷の唄、啄木の唄
 宮本旅人        旅姿三人男、懐しのヴィオロン
 石松秋二        十三夜、九段の母、満州娘
 矢島寵児1908〜1946)  名月赤城山
 清水みのる(1903〜1979)出船の唄、別れ船
 野村俊夫(1904〜1966)  暁に祈る、ヒュッテは招く、あの日あの時

(*は詩人。※は戦後において日本音楽著作権協会会長歴任(他に勝承夫))




50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 16:22
☆詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・

 青春日記、青い背広で、男の純情、人生の並木路・・佐藤惣之助没後70年!

物が、食があり余る「飽食の時代」、若者文化を象徴するかのような最近のニューミュ-ジック等のテレビ歌番組には、重い言葉であるべき『名曲』と言う言葉がいとも軽く平気で飛び交っているのには違和感を覚える人も少なくないでしょう。

「名曲」と言うものは、聴くことに依って心が洗われ癒され、心穏やかになれる、心の原点を取り返すことができる。人は、心が洗われ、心穏やかになり、心の原点を取り戻した時、自然に涙がでてくる、そして人は再び生きる力を与えられる。

「人生の苦悩」から始まった「古賀メロディ」・・「影を慕いて」が作られた昭和3年、唱歌・童謡、民謡、新民謡等を除いて、今ある歌のほとんどはまだなかった。

「古賀メロディ」にもいろいろあるが、人生の、青春の苦悩をテーマとしたものに、より名曲が多い。(ただしSPオリジナルを基本とした音源でないと聴けない。)

その短い中に、底辺に流れる誰もマネできない独特の哀調を帯びたメロディの中に、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲に値するようなメロディの中に、明日に向かって生きていく躍動や青春の息吹を感じさせる・・、今までにない詩とメロディ、人々はそれを敬愛の意味を込めて「古賀メロディ」と呼んだ。

 初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」というような意味の記事が大きく載った。古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。

そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」と逆に励まされたという意味のことが自伝に載っています。

これまでの流行歌が、どちらかというと抑揚の少ない平板に感じられるような、「古賀メロディ」の出現によって、より表情豊かで心の襞に滲みわたるあたらしい歌の形ができていくのだが、それを決定的にしたのが古賀政男とのコンビで数多くの名曲を世に送り出した事で知られる詩人・佐藤惣之助だろう。

古賀政男の自伝には、私が本格的に作曲に全身全霊を傾けるようになったのは惣之助さんと出会ってからだったということが書かれている。

川崎出身の詩人・佐藤 惣之助は、大正14年7月詩人のクラブ「詩之家」設立、機關誌「詩之家」創刊、10月萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる。


惣之助は大正、昭和初期の詩壇に雄飛して数多くの珠玉の名篇を世に出した。また「詩の家」を主宰して詩友と交わるとともに多くの後進の指導養成にあたった事で知られる。

さらに俳句や歌謡、小説、随筆にもすぐれた業績を残したほか、釣や義太夫、演劇、民謡研究、郷土研究、沖縄風物の紹介など多方面で活躍した。釣りに関する書物も多数残している。

大正の末から昭和の初めにかけての佐藤惣之助の主な活動は、八木重吉など70余名の同人・門下生を抱える、「詩の家」を主宰することだった。
そして天真闊達な、くったくのない人柄で世話役をつとめていた。





51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 16:32
詩人佐藤惣之助が本格的に歌謡曲の作詞を手掛けたのは、古賀政男がコロムビア専属作曲家(1931.3)になった翌年、藤山一郎の「影を慕いて」(1932.3 コロムビア)が出た昭和7年(1932)からです。

その最初は、「金色夜叉(お宮の唄) 」(1932.2 関種子)、「鳩笛を吹く女の唄」(1932.2 井上静雄(藤山一郎)、いずれも古賀政男作曲です。下に、参考までに最初期の佐藤惣之助とのコンビによる主な作品をあげる。

この後、昭和8年1月には、夫人花枝と死別、同年8月に「日本詩人」や馬込の文士村での仲間の朔太郎の妹周子(かねこ・本名愛子)と再婚するとになった。

酒を愛し、釣りを愛した人として知られる惣之助は、「私は詩を大衆の中に捨てた。そして波浪の中から自然の魚を釣った」と書いている。

なお、歌謡曲の作詞をし始めた昭和一桁時代も、それ以降も、「處女線を截る」「花心」などの詩集、随筆「釣心魚心 」「怒れる神 」(昭和14年)、「わだつみの歌」 「青年詩集」(昭和16年)、「春すぎし」(昭和17年) などの詩集を亡くなる直前まであらわし生涯に22の詩集を出している。詩人や文人で彼の門下生も多い。

そして古賀政男は、「人生の並木路」や、「新妻鏡」など、感動で打ち震え楽譜を「大粒の涙で濡らしながら」多くの名曲を世に送ることになる。

昭和7年頃からの佐藤惣之助の作詞活動は、17年に亡くなるまでの10年間余りながら、「人生の並木路」「新妻鏡」「青い背広で」「男の純情」など古賀メロディを中心とし日本人に心の琴線に触れる多くの殊玉の名曲、それに新民謡、他の国民歌謡その他を含めて660篇余りにも及ぶ。

今年、平成24年(2012)5月は、この「古賀メロディ」で忘れてはならない詩人であり作詞家である佐藤惣之助(1890 〜 1942)が亡くなって丁度70年になります。


太平洋戦争開戦から5ヶ月ほどたった昭和17年(1942)の5月15日、佐藤惣之助(51歳)が外出先の馬込(東京大田区 馬込文士村)で脳溢血を起こして倒れ亡くなりました。

佐藤惣之助は昭和12年に現在の大田区馬込にある「文士村」から雪谷に引っ越していたのだが、2日前、義兄の萩原朔太郎の告別式の葬儀委員長をやったばかりでした。

義兄・萩原朔太郎(1886〜1942)は昭和17年5月11日肺炎で死去55歳、13日に自宅で告別式。その4日後、惣之助は過労から脳溢血で倒れ、51歳の若さであっけなくこの世を去った。

惣之助最後の作品は、昭和17年4月のNHK国民合唱「働く力」(国民皆労の歌)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲、酒井弘歌)です。

没後70年、もうすぐ命日ですが、惜しまれてならない詩人です。






52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 16:41
☆「佐藤惣之助作詞/古賀政男作曲」の最初期(1932)の歌・・

金色夜叉(お宮の唄)       1932.2 関種子
鳩笛を吹く女の唄        1932.2 井上静雄(藤山一郎)
秘めたる恋           1932.3 関種子
武雄の唄             1932.5 中野忠晴
春の唄              1932.6 淡谷のり子
月夜の恋             1932.6 丸山和歌子
朝顔の唄    1932.6 関種子
笛は冴ゆれど       1932.7 関種子
不如帰    1932.8 淡谷のり子
放浪の唄            1932.9 長谷川一郎
アリランの唄(朝鮮民謡)     1932.9 淡谷のり子、長谷川一郎
愛は紅い        1932.9 関種子


「緑の地平線」や「人生の並木路」など、その後の主な映画主題歌については、「古賀メロディ−と映画主題歌」参照。



・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
   ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html
・阪神タイガースファンなら誰でも知ってる☆詩人・佐藤惣之助          
  テーマ:馬込文士村
   ttp://ameblo.jp/mocchann314/entry-10769706865.html
・六甲颪(ろっこうおろし)の歌詞から
   ttp://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-10736372304.html
・萩原朔太郎と佐藤惣之助
   ttp://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2008/02/post_4273.html
・二木紘三のうた物語
   ttp://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_1ee6.html





53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 16:52
【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50



日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50

54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 17:12
※サトウハチロー映画作品 (主な古賀政男作曲作品)

・日活映画 渡辺邦男監督1935.6「うら街の交響樂」(サトウハチロー原作)
 主題歌 戀は荷物と同じよ/川畑文子、ディック・ミネ歌(瀬川与志作詞 - 古賀政男作曲 )  50033 @
 挿入歌 あなたとならば (瀬川与志作詞 - 古賀政男作曲 )バートン・クレーン・川畑文子 (瀬川与志=サトウハチロー)
・日活映画1935.10大谷俊夫監督「のぞかれた花嫁」(小国英雄原作)
 主題歌 のぞかれた花嫁(玉川英二作詞 杉狂児歌)
 挿入歌 二人は若い(玉川英二作詞 ディック・ミネ, 星 玲子歌)
・日活映画1936「純情一座」
 主題歌 純情一座の唄(玉川英二作詩、千早俶子〈松島詩子〉歌)
 挿入歌 風に吹かれて(玉川英二作詩、木村肇歌)
・日活映画1936「うちの女房にゃ髭がある」(サトウハチロ‐原作)
 主題歌 うちの女房にゃ髭がある(星野貞志作詞 美ち奴、杉狂児歌)
 挿入歌 ああそれなのに(星野貞志作詞、美ち奴歌)
・日活映画、伊賀山正徳監督1037、『ジャズ忠臣蔵』(原作サトウ・ハチロー、音楽古賀政
 男)、主演杉狂児、共演美ち奴、日活多摩川
 主題歌 「道行シャンソン」(杉狂児、作詞)杉狂児、美ち奴、「嬉しい仲」(美ち奴,楠木繁 夫歌)
・東宝映画1940渡辺邦男監督「新妻鏡」(小島政二郎原作)
 (主題歌 新妻鏡(佐藤惣之助作詞 霧島昇、二葉あき子歌))
 挿入歌 目ン無い千鳥(サトウハチロー作詞、霧島昇、ミス・コロムビア歌)
・誰も知らない(サトウ ハチロー作詞、古賀政男作曲、奥山貞吉編曲、ミス コロムビア(松 原操))1939.9
・松竹映画1940「新妻問答」(野田高梧原作)
 挿入歌 波を越えて(サトウハチロー作詞、伊藤久男歌)
・東宝映画1941「歌えば天国」(古川緑波原作)
 挿入歌 リンゴが紅い(サトウハチロー詩、藤山一郎、古川ロッパ、松原 操歌)
・大映映画1942「歌う狸御殿」(木村恵吾原作)
 主題歌 歌う狸御殿(サトウハチロー作詞、楠木繁夫、三原純子歌)
 挿入歌 どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、楠木繁夫歌)
・大映映画1943「青空交響楽」(サトウハチロー原作)
 主題歌 青い牧場(サトウハチロー作詞 藤山一郎、奈良光枝歌)
 挿入歌 故郷の白百合(サトウハチロー作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
・いさをを胸に1944(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲,楠木繁夫、松原操)(国民合唱・陸・海軍礼式歌)
・東宝映画1945.1成瀬 巳喜男監督「勝利の日まで」(サトウハチロー脚本)
 主題歌 勝利の日まで(サトウハチロー作詞 波平暁男、近江敏郎他歌)他
 挿入歌 祖国の花(サトウハチロー作詞、轟由紀子、奈良光枝歌)
 挿入歌 硬い約束(サトウハチロー作詞、三原純子歌
・大映映画 「今宵妻となりぬ」(田中重雄監督)  1947.3
 主題歌 今宵妻となりぬ(サトウハチロー 作詞、 高峰三枝子歌) 1947
・希望に燃えて (1949 NHKラジオ「希望音楽会」テーマソング)(サトウハチロー作詞、伊藤 久男、霧島昇、近江俊郎・二葉あき子・奈良光枝)・





55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 17:36
佐藤惣之助

明治23年、神奈川県川崎町生れ。詩人。
37年頃より句作を開始。
39年佐藤紅緑の秋聲会の同人となる。
43年小山内薫、吉井勇などと劇作を試みる。
44年川田花枝と結婚。
45年12月福士幸次郎、千家元麿、高村光太郎、木村荘八と雜誌「テラコツタ」を創刊。
大正3年元麿らと雜誌「エゴ」創刊。「白樺」の衞星雜誌として武者小路實篤も寄稿。
4年處女詩集『正義の兜』出版。
8年雜誌「大洋の岸邊」創刊(光太郎、元麿、白鳥省吾、中西悟堂らが寄稿)。
11年5〜7月琉球、臺灣を旅行。
14年7月詩人のクラブ「詩之家」設立、機關誌「詩之家」創刊、10月萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる。
昭和3年5月滿洲、蒙古、朝鮮各地を1箇月に亙り旅行す。
8年1月夫人花枝と死別、同年8月朔太郎の妹周子と再婚。
9年年末上海、香港、廣東、マニラを旅行。
13年9月久米正雄、林房雄、川口松太郎らと武漢作戰に從軍記者として參加。
17年5月15日、外出中、腦溢血のため死去。
大の釣好きで、釣に關する著書が數册ある。日本磯釣倶樂部常務理事を歴任。

歌謠曲の作詞者としても知られる。



56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 21:54
(参考)
佐藤惣之助資料

「大手拓次/佐藤惣之助」新学社2006
「佐藤惣之助全集. 第1巻(詩集 上)〜第3巻」日本図書センター2006
渡辺明 「湖畔の宿 絢爛の詩人佐藤惣之助」上毛新聞社1990
「日本の詩歌13」中央公論社1975(中公文庫)
藤田三郎著「佐藤惣之助 詩とその展開」木菟書館1983
(佐藤惣之助研究・主要参考文献,年譜:p408〜438)
伊藤桂一「集成日本の釣り文学. 第1巻」作品社1995
詩の家編「佐藤惣之助詩華集」詩の家1991

昭和女子大学近代文学研究室著「近代文学研究叢書49」昭和女子大学近代文化研究所1979
「日本詩人全集12」新潮社1979
「近代文学研究叢書89 現代詩集」筑摩書房1967
「日本現代文学全集 54」講談社1980
「現代日本文学大系41 」筑摩書房1979
伊藤信吉等編「現代詩鑑賞講座. 第6巻」角川書店1969
潮田武雄編「佐藤惣之助覚え帖」桜井書店(昭和18年)
吉行淳之介〔ほか〕編集「現代日本のユーモア文学. 3」立風書房1980
佐藤惣之助「華やかな散歩 : 佐藤惣之助詩集 その6」新潮社(大正11)
「春すぎし : 佐藤惣之助詩文集」鶴書房(昭和17年)


57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 22:01
古賀政男は、自伝「古賀政男「歌はわが友、わが心」(人間の記録93 日本図書センター)で、「私が作曲の醍醐味を知ったのは、やはり惣之助さんと出会ってからだ」と回顧している。

佐藤惣之助の名詞は古賀政男の曲と出あうことによって、いつの時代にも、それぞれの聴く人の人生に重ねあわせることができる、時代を超えるすばらしい名曲となったということでしょう。

佐藤惣之助は当時盛んであった民謡詩も多く書いていて、昭和4,5年頃の作品に新民謡がみられる。その中には、「新作おわら」、「下婢」(昭和4年)、「大分おどり「川崎小唄」(町田嘉章曲、川崎 豊、コロムビア 」ななどがある。(昭和五年発行『世界音楽全集13日本民謡曲集』)。

また、昭和5年には、「吉見紫香」の名前で「ふるさと」(松村まこと作曲、コロムビア)がある。


58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 22:09
新民謡集
◇大正15年|佐藤惣之助『浮れ鴛鴦 民謠集』東京:紅玉堂書店。
◇昭和4年|佐藤惣之助『波止場のむすめ 新民謡集』東京:泰文館書店。


参考までに、詩人・佐藤惣之助の著作等の資料が以下の図書館で見れます。

・大田区立馬込図書館 馬込文士村コレクション資料
 ttp://www.lib.city.ota.tokyo.jp/o_magome_sa.html

・川崎市立中原図書館 佐藤惣之助資料


59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 22:19
八十と惣之助

大正期の詩人として、西条八十(1892〜1968)と佐藤惣之助(1890〜1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもある。ひとつは、詩のうまさ。もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあらず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家として名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。


60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 22:38
参考

「別冊太陽 近代詩人百人(特別付録・萩原朔太郎 佐藤惣之助宛書面)」(別冊太陽No.24 (AUTUM‘78)(平凡社1978)

61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 23:45
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50

62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/04(Tue) 14:04
昭和3年(1928)にはレコード歌手第一号とさあれる佐藤千夜子の「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)の他、二村定一の「アラビヤの唄」、「青空」など外国曲の訳詩曲や、藤原義江の「出船」(杉山長谷夫作曲〉、「出船の港)(野口雨情作詞、中山晋平作曲)など。昭和4,5年には、映画主題歌第一号「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲)、「紅屋の娘」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)など佐藤千夜子の中山晋平の曲、二村定一の「君恋し」(時雨音羽作詞、佐々江華作曲)など。
昭和6年に、ここに彗星のように現れるのがコロムビアの若き古賀政男。

丘を越えて  (藤山一郎)
キャンプ小唄 (藤山一郎)
月の浜辺   (河原喜久恵)
乙女心    (関種子)
窓に凭れて  (関種子)
酒は涙か溜息か(藤山一郎)

昭和6年(1931)に入ると、ビクタ‐1月新譜「影を慕いて」(佐藤千夜子、昭和5年10月吹込)以降、3月にコロムビア専属作曲家となった新星古賀政男は次々にヒット作品を世に送り出し、これまでの晋平節とは一味違う哀調を帯びた「古賀メロディ」と呼ばれることになる新しい歌謡曲(歌謡歌曲)のジャンルを確立してゆく。
[影を慕いて]は昭和7年藤山一郎に依って再び吹き込まれる。

「古賀メロディー」を支えたのは、河原喜久恵、関種子、藤山一郎など、東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前進)出身の若き首席卒業歌手たちなどだった。当初ビクターの一人勝ちで出発したレコード界の主流は古賀政男のコロムビアに移ってゆく。
他に昭和6年には、「侍ニッポン」(西條八十作詞、松平信博作曲、徳山 l(たまき))などがある。

昭和7年から8年にかけて、昭和8年は、ビクター専属の西條八十とコロンビア専属の古賀政男が専属を越えたタイアップが行われた。

鳩笛を吹く女の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 井上静雄(藤山一郎)
影を慕いて    〈古賀政男作詞作曲〉 藤山一郎
「お蝶夫人」の唄 (西條八十作詞、古賀政男作曲)ミス・コロムビア
笛は冴ゆれど   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)関種子
朝顔の唄     (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)関種子
あけみの唄    (原 阿佐緒作詞、古賀政男作曲) 関種子
嘆きの夜曲    (西岡水朗作詞、古賀政男作曲) 関種子
二見情話     (西岡水朗作詞、古賀政男作曲)
美はしの宵    (島田芳文作詞、古賀政男作曲) 関種子
去りゆく影    (西條八十作詞、古賀政男作曲) 関種子
サーカスの唄   (西條八十作詞、古賀政男作曲) 松平晃




63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:33
☆三浦環と古賀政男

日本が生んだ世界的プリマドナ三浦環が、その63歳の生涯を終えたのは66年前、終戦直後の昭和21年5月26日のことで、東京渋谷の病院で死去。

環が亡くなった時、東大病院で解剖した彼女の声帯は、二十歳以下のそれだっ たという。
環は、ただ日本が生んだ世界的プリマドンナというだけでなく、当時の日本の音楽芸術家と言われる人たちがとかく西洋かぶれして日本の文化を見失っていたのと違って、日本をこよなく愛した。

祖国愛に満ちた、日本の島国的な発想の中に収まりきらない、たいへんスケールの大きな人物として知られている。かってNHKでもドラマがあった。また、三浦環と古賀政男には深い関係が有る。

なお、古賀メロディを支えた歌手に、三浦環に師事した李香蘭(山口淑子)、白光や、東京音楽学校を出て、『蝶々夫人』で三浦環と共演した由利あけみなどがいる。


「私は貴方の歌に恋してるのよ」・・古賀政男自伝『我が心の歌』(展望社刊1965) には二人のスナップ写真などが載っている。

古賀政男と三浦環(1884〜1946)この二人の大家の間には信頼と親交があったとしてもおかしくない。

三浦環は昭和13年の『古賀政男藝術大観』に萩原朔太郎などとともに序文を寄せている、古賀政男の芸術を高く評価していたようである。

三浦環は大正11年4月、懐かしい故国に錦を飾って帰朝した。6ケ月の里帰り中、全国を公演して回った。古賀政男の上記自伝によると、大正11年7月14日、学生時代、欧米で活躍していた三浦環が道内ツアーの折函館で演奏会を開いた。

そして「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」などを歌った、そして多勢の観衆を前にして「大日本帝国 万歳」と叫んだ。

古賀はそこにこの歌姫の類いまれな祖国愛と信念を感じ取り感銘を受けたこという。


64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:41
展望社刊の自伝『わが心の歌』には、「昭和12年ごろの第一線作曲家が集まった写真」が載っていて、中山晋平、小松耕輔、弘田龍太郎、本居長世・・など錚々たる作曲家と共に古賀政男が写った写真である。

そこからは、昭和10年代に於いて、分野は異なるが、古賀政男は日本の第一線作曲家として、すでに日本音楽界の重鎮たちと比肩すべき大きな存在になっていただろうことが窺い知れる。

昭和11年(1936年)(『蝶々夫人』出演2000回達成後の帰朝で、昭和11年6月16日の「日本青年館」で行われた「第二十六回明大マンドリン倶楽部定期演奏会」で、三浦環が古賀メロディ『忘れなの花束』(野村俊夫作詩)と、『乙女心』(鹿山鶯村作詩)を歌ったという。

三浦環(柴田環)は、明治37年(1904年)に東京音楽学校を卒業してから研究科に進み、山田耕筰などを教え、明治40年には助教授になったが、夫とともにドイツに留学し、オペラの才能を認められ、以後オペラ「蝶々夫人」とともに昭和5年までの16年間世界で活躍した。

夏はテニス姿の若者があふれる山中湖村、この地にマダム・バタフライとして一世を風びした世界の歌姫、三浦環がその晩年を過したことを知る人はあまりいない。
戦争中、戦火を避けて山中湖畔に疎開した三浦環と、もうひとり河口湖畔に疎開した古賀政男、二人はサツマイモ一つも分け合う仲だったという。




環が山中湖村平野で過ごしたのは、昭和18年2月14日、旅館三国荘別館に疎開。してから病を得て入院のため上京した20年の暮れまでの2年10カ月ほど。
後に87歳の母・登枝も加わったが、燃料、食糧共に乏しく、ひとしお寒さが身にこたえるこの地で、母は病床につき、あまつさえ寝たきり。その看護は環がほとんど一人で行ったという。

夜中に母の湯タンポを換える湯を沸かしながら、楽譜により勉強する芸の鬼、環の話は今に語り伝えられている。 .・

しかし、母は昭和二十年他界、地元の好意でこの地に葬ったが、環自身も昭和20年の暮、病を患って入院のため上京、翌21年5月28日、渋谷の病院で死去。

遂に生きて再び平野の土を踏むことはなかった。同年6月7日、日比谷公会堂で音楽葬、環自身の希望で今、平野の寿徳寺の奥津城(おくつき)に母堂、登枝と共に眠っている。

祖国愛に満ちた信念と自尊の明治の女だった環は、平野疎開中も、困難な交通事情ながら軍の慰問によく出かけたという。


65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:47
今、平野寿徳寺の墓碑面には、環自筆の

《「うたひめは強き愛国心をもたざれば真の芸術家とはなり得まじ   環」》

との文が刻まれている。

ロンドンのロイヤルアルバ−トホ−ルで「蝶々夫人」に処女出演以来、ニューヨークを拠点にヨーロッパとアメリカを中心とし、「蝶々夫人」2000回公演を果たした三浦環。

世紀のテノール、エンリコ・カルーゾーと共演した三浦環、プッチーニをして「マダムバタフライはあなたによって初めて成った」と言わせた三浦環、その言葉である。

昭和20年12月、日比谷公会堂で自らの訳詩による「冬の旅」をうたうが、発病、上京して、渋谷の友人の病院に入院。昭和21年5月26日午前5時20分、渋谷の大東学園病院で死亡しました。

昭和21年入院中に放送と録音を行うも、5月26日死去。6月7日、日比谷公会堂で音楽葬。「富士山の見える湖畔で母とともに眠りたい」という環の遺言により、母堂・登枝の眠る山梨県山中湖村平野、寿徳寺に葬る。

環が愛用したピアノは、環の住んだ部屋共々、今、平野の三国荘別館に保存されているという。(公開されていない。)

   ttp://www.nakash.jp/opera/kikou05/18fuji/4miura.htm
   ttp://yamanakako.info/sisetsu.php?id=157
なお、三浦環の「募石」はもうひとつ、上野の寛永寺第一霊廟の入口近くにもある。「Madam  Butterfly」と刻まれている蝶の形をしていて、傍らの碑には、次の詩が書いてある。

    葛は西に東にまひつれど やはり嬉しき 古郷の梅かな




66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:52
一方、[古賀政男]は戦争中、当時の河口村(現河口湖町)に疎開しており、終戦を当地で迎えた。古賀が河口村に疎開したのは、昭和20年3月から8月まで。

今、河口湖湖畔にある記念碑の碑文によると、きっかけは陸軍省からの一本の電話だった。
古賀政男作曲の「誰か故郷を思わざる」が前線の兵士に熱狂的に愛唱され、兵士は遠い祖国を思い、故郷を偲び、心を癒されていることへのお礼の言葉に続き、戦況が大変厳しい今、日本の大衆音楽文化を守るために、一日も早く疎開してほしいと、特別な計らいで差し向けてくれた陸軍省のトラックで、当時内弟子であった山本(古屋)丈晴の故郷河口村に疎開することとなったのだ。古賀が滞在した別荘は富士山を真正面に望む素晴らしい自然の中にあり、村の人々との温かい触れ合いのなかで、心休まるときを過ごしたという。

こうした中で、河口湖畔に疎開した古賀政男と、山中湖畔に疎開した三浦環。

自伝に依ると古賀政男はニッカポッカ姿で畑を耕した。そして二人は、収穫した物は芋のひとつ まで分け合った仲だったという。

平成18年11月、「古賀政男生誕百年」を記念して、古賀の偉大な業績を顕彰し、後世に正しく継承しようと川口湖畔に記念碑と音楽碑が建立された。湖畔公園/円形ホール・ オルゴールの森・河口湖美術館が立ち並ぶ湖畔エリア一帯は「古賀政男記念公園」になっている。
 ttp://www.fujisan-net.jp/GUNNAISPOT/spot-077.html
 

67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/05(Wed) 22:59
(参考)

・瀬戸内晴美 著.「お蝶夫人 : 小説三浦環」 講談社 (1969)

・瀬戸内晴美 著.「お蝶夫人」 (講談社文庫 せ 1-9) (1977)

・「人間の記録27 三浦環ーお蝶夫人」 (日本図書センター (1997)


・三浦環−古賀メロディーを歌う・・ 菊池清麿・日常随想・昭和博物誌
  ttp://25877386.at.webry.info/

・三浦環と李香蘭   ttp://d.hatena.ne.jp/Cosmopolitan/20080322/1206140835

・流行歌曲について  萩原朔太郎
  ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47046_30961.html



68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/06(Thu) 07:09
小田急線代々木上原駅前、3000坪の古賀政男邸、昭和日本の著作権王を象徴するその豪華な古賀邸は昭和13年に作られた。
テイチクを退社し、14年にコロムビアに復帰するわけだが、この間に「外務省音楽文化親善使節」として、アメリカ、南米を回り、1分間1万ドルのNBC放送から全世界に流れた。
昭和13年、代々木上原の駅前3000坪を手に入れた古賀はここに古賀村を作るべく古賀邸の建設を始める。
当時、私鉄が沿線の現在高級住宅地と呼ばれる駅前を分譲していたころだ。

そこが100坪からせいぜい200坪であったのに比べ、桁違いの大きさ。

その辺りで2000円で家が建つと言われたころに、20万円をかけて清水組(現清水建設)に建てさせ昭和13年に完成した。
その豪華な和様折衷の洋館は、講談社「日本の洋館」(講談社)などに残っている。
「日本の洋館 第6巻 昭和篇2 」講談社2002(ISBN-13: 9784062614863)
そして、テイチクを退社した古賀政男は藤原義江の見送りを受けて横浜港へ出発。

14年8月には、1分間1万ドルのNBC放送から古賀の曲が全世界に流れた。14年、「世界の古賀」となって帰国凱旋した古賀は三浦環の歓迎祝賀会を受けた。そしてコロムビア復帰。
このコロムビア時代は、初期コロンビア黄金時代、テイチク黄金時代と並んで、「古賀政男第三期黄金時代」と言われる。
同時に14年には、日本の著作権行政に大きく影響を及ぼすことになる、JASRACの前身『大日本音楽著作権協会』が設立される。
第三期黄金時代の古賀はコロムビアの古賀としてだけでなく、日本の古賀、世界の古賀として、この「大日本音楽著作権協会」の設立に大きく関わっている。



古賀政男は著作権長者として有名、自身もコロンビアからテイチクに移るのに著作権に苦労し弘田竜太郎に助けられた。毎朝玄関でカネを数える音がするという伝説もある。
著作権料も圧倒的であって、JASRACの前身「大日本音楽著作権協会」設立にも深く関与、戦後「日本音楽著作権協会会長」など、「著作権」と切っても切れない関係にある古賀政男。

現在、古賀政男音楽博物館になっている、その財団法人古賀政男音楽文化振興協会、その西新橋から移転したJASRACをテナントとして持つ、博物館と一体のビルの威容!。
日本音楽著作権協会(JASRAC)は現存する日本国内の著作権管理事業者としては最も古く、昭和14年(1939年)に設立された社団法人大日本音楽著作権協会をその前身とする。
著作権に関する仲介業務に関する法律 (昭和 14年法律 67号) により主務官庁の許可を得た日本唯一の音楽著作権仲介団体となった。

西新橋にあった本部は古賀政男没によって創設された、東京都渋谷区の古賀政男音楽文化振興財団が所有する同博物館と一体の同ビルに移転。22の支部が日本全国の主要都市に設置されている。
戦前の大日本音楽著作権協会では政治家が会長をつとめたが、昭和23年から作曲家と詩人が交代となって、作曲家古賀政男は、作曲家中山晋平、詩人西條八十、作曲家堀内敬三、詩人サトウハチローに次いで、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長を歴任している。
財団法人古賀政男音楽文化振興財団、古賀政男音楽博物館ビルに日本の著作権を代表するJASRACの本拠が一体であるのも不思議ではない。










69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/07(Fri) 12:17
>>20-22,>>25

古賀政男は李香蘭のために「荒城の月」「宵待草」の編曲を行った。山田耕筰、本居長世、橋本国彦に次ぐ編曲です。

「荒城の月/宵待草」(古賀政男編曲 明治大学マンドリン倶楽部演奏 李香蘭 1942コロムビア100542)

戦後5年を経たない1950年1月、山口淑子主演の東宝映画「暁の脱走」が公開された。

李香蘭として戦地慰問の姿を自ら再現したような映画です。

この中で、李香蘭が兵隊を前に「荒城の月」を歌うシーンが You Tubeで見られる。(検索;山口淑子・荒城の月)

澄んだソプラノ、歌唱のすばらしさ、繊細に、心を込めて、言葉をひとつひとつ大切に、兵隊さんを前に切々と歌う李香蘭・・


李香蘭には、「宵待草」盤もあります。

「宵待草」の最初のレコードは昭和3年(1928)、藤原義江によって日本ビクター蓄音機から出されました。

SP盤では、関屋敏子盤など、この昭和17年の李香蘭盤まで、戦前だけで15年間に少なくとも18枚のレコードが出されています。


現在のクラッシック歌手で、これほどまでに歌えるものを知りません。

《李香蘭・宵待草》で検索。

『私の半生』によると、李香蘭は元来、体が丈夫でなく、肺浸潤を患って半年休学し、自宅静養する彼女を励ましてくれた、リューバ・モノソファ・グリーネッツという、ユダヤ系の白系ロシア人少女が同級にいた。

そのリューバが、病弱の李香蘭に呼吸器をきたえる健康法として、「クラシック歌曲」を習うことをすすめ、知り合いのマダム・ポドレソフを紹介してくれたおかげで、のちの彼女があるといっている。

マダム・ポドレソフは、ミラノ音楽学校教授を父にもつイタリア人で、ロシア貴族のポドレソフと結婚し、オペラ歌手として帝政ロシア時代のオペラ座で活躍しました。

ドラマチック・ソプラノの世界的な名手だったので、指導者としては申し分なしだったと思います。

『私の半生』には、李香蘭が、日本の歌曲「荒城の月」を祖国への郷愁そのものととらえ、シューベルトの「セレナーデ」、ベートーベンの「イッヒ・リーベ・ディッヒ」、グリークの「ソルベージュの歌」をうたい、中国の哀歌「漁光曲」や民謡の「鳳陽歌」のメロディを好んだことが出てきます。

また、李香蘭は三浦環に師事した事でも知られる。

こうしたことが、李香蘭の歌をクラシックを基盤にしながらも、より幅広いものにしていたのではないでしょうか。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったのが「荒城の月」というのもわかります。

そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが、昭和17年9月(発売)、古賀政男編曲になる。(COL100542 荒城の月/宵待草 李香蘭 )


ソプラノで哀しみを歌うことができるーそんなクラッシック歌手はそういるものではない。

そんな繊細な歌唱、それができるのはドイツリートの傍ら、多くの初期の古賀メロディを支えた本格的クラッシックソプラノ歌手・関種子とかクラス。

なぜ李香蘭なのか、その優しい歌声を聞けばわかる。

映画「暁の脱走」それは、なぜ李香蘭なのか、その問いに、一つの解答を与えるものでもある。


「暁の脱走」
李香蘭が戦後、山口淑子と名を変えて出演した『暁の脱走』。昭和20年の中国戦線、上官にひたすら従順な兵士と、慰問歌手との禁じられた恋の行方。 昭和25年に製作された反戦映画の傑作。

「国立近代美術館フィルムセンター」で保管されており,同アートライブラリ(竹橋)、フィルムセンタ―図書室(京橋)で見ることができるほか、時々鑑賞会が開かれている。

またDVDも出ている。
DVD[暁の脱走」(東宝TDV−2926D)
谷口千吉監督作品、1950李香蘭、池辺良

荒城の月荒城の月、宵待ち草、両曲とも古賀政男編曲。




70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 19:02
age

71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/27(Thu) 21:22
*「ビクター専属・西條八十」のコロムビア作品(昭和8年1933)
戦後に至る西條八十・古賀政男黄金コンビのはじめとなる。
(ビクター専属・西條八十が、ビクター専属のまま、1年間同時にコロムビア専属とした。西條八十と古賀政男の専属を超えた提携)。 [去りゆく影]は、 西條八十・古賀政男黄金コンビ最初の作品
なおこの時、ミス・コロムビアは「浮草の歌」(1933.3)でデビュー、古賀政男の最初のミス・コロムビア作品は「「お蝶夫人」の唄」(同)。

去りゆく影     (西條八十作詩、古賀政男作曲) 関種子      1933.1 (*)
恋ごころ       (西條八十作詩、古賀政男作曲) 長谷川一郎   1933.1
初恋の唄      (西條八十作詩、古賀政男作曲) 関種子   1933.2
強くなってね     (西條八十作詩、古賀政男作曲) 渡辺光子  1933.2
来る来るサーカス (西條八十作詩、古賀政男作曲) 淡谷のり子 1933.3
「お蝶夫人」の唄 (西條八十作詩、古賀政男作曲) ミス・コロムヒア   1933.3
椿姫の唄      (西條八十作詩、江口夜詩作曲) 淡谷のり子 1933.3
浮草の唄      (西條八十作詩、江口夜詩作曲) ミス・コロムヒア 1933.3
サーカスの唄   (西條八十作詩、古賀政男作曲) 松平晃   1933.5
マダムバタフライの唄 (西條八十作詩、佐々江華作曲)  淡谷のり子 1933.5
須磨行進曲(新民謡) (西條八十作詩、古賀政男作曲)中野忠晴 1933..6
十九の春     (西條八十作詩、江口夜詩作曲) ミス・コロムヒア  1933.6
気まぐれ涙  (西條八十作詩、古賀政男作曲) ミス・コロムヒア 1933.9
はてなき旅  (西條八十作詩、古賀政男作曲) 松平晃    1933.10

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50
☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50




72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 11:28
<古賀メロデーの抒情歌>

ほかにもたくさんあるが・・ 古賀メロディーとは抒情を歌った元祖青春歌謡

影を慕いて(古賀政男)
丘を越えて(島田芳文)
月の浜辺 (島田芳文)
ハイキングの唄(島田芳文)
夕べ仄かに(島田芳文)
人生の並木路(佐藤惣之助)
白い椿の唄(佐藤惣之助)
さらば青春(佐藤惣之助)
誰か故郷を想わざる(西条八十)
あの花この花(西条八十)
青い牧場(サトウハチロー)
故郷の白百合(サトウハチロー)
雲のふるさと(大木敦夫) 国民歌謡
やすらいの歌(百田宗冶)  国民歌謡、ラジオ歌謡
ピレネーの山の男(西条八十)
りんどう峠(西条八十)


73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 11:44
<古賀メロデー 青春・叙情歌>  藤山一郎歌

東京ラプソデイー (門田ゆたか)1936年6月(映画「東京ラプソデー」主題歌)
 ♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で・・
東京娘 (佐藤惣之助)1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
 ♪東京娘の 東京娘の初恋は・・
さらば青春(佐藤惣之助)1936年7月 (日活「慈悲心鳥」挿入歌)
 ♪愛と希望に身はきずつきて・・
男の純情(佐藤惣之助)(映画「魂」主題歌)1936年8月
 ♪男いのちの純情は 燃えて輝く金の星・・
愛の小窓(佐藤惣之助)(映画「魂」挿入歌)1936年8月 (デイックミネ)
 ♪花の都に身をすねて 若きいのちを散らすやら・・
回想譜(今城請児)1936年10月  (日活「女の階級」挿入歌)
 ♪星みれば はろかに遠く 雲見れば つきせぬ思い
青春カーニバル(青春の謝肉祭)(島田欣也・野村俊夫)  1936年11月
 ♪若き日の憧れを胸に抱き・・
青春日記(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪初恋の涙にひそむ花びらを 水に流して泣きくらす あわれ一九の春の夢・
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助)1937年5月(西條八十原作、東宝映画「白薔薇は咲けど」主題歌)
 ♪若き日に 溢るる胸の せつなさは 夢の空の 紅の色 野薔薇に虹は 消ゆるとも
  涙は消えぬ スーベニル
青い背広で(佐藤惣之助)1937年2月
 ♪青い背広で心も軽く・・
青春旅情 (佐藤惣之助)1938年3月
 ♪たそがれの波止場に一人泣きに行く ああ青春の・・
歓喜の丘 (島田芳文)1938年3月
 ♪あこがれの丘にきて 萌ゆる瞳に仰ぎ見る 空は青空 日はうらら・・
春よいずこ(西条八十)
 ♪おもいでは おもいでは 青い背広の・・


74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 12:00
  古賀メロデーの主な詩人・作詞家と歌

*詩人

浜田広介*  娘心も、日本橋から、片想い、風の鈴蘭  
島田芳文*  月の浜辺、窓に凭れて、丘を越えて、キャンプ小唄、歓喜の丘、スキーの唄、ハイキングの唄、夕べ仄かに   
西岡水郎   チャッカリしてるわネ、嘆きの夜曲、歓喜の歌
鹿山鶯村   乙女心
高橋掬太郎  酒は涙か溜息か、私此の頃憂鬱よ、愛の子守唄

原阿佐緒   あけみの唄
佐藤惣之助* 鳩笛を吹く女の唄、アリランの唄、男の純情、愛の小窓、青春日記、青い背広で、東京娘、人生の並木路、新妻鏡、緑の地平線、人生劇場、白い椿の唄、真実一路の唄、白薔薇は咲けど、ゆかりの唄、緑の月、さらば青春、
西条八十*  去り行く影、サーカスの唄、誰か故郷を思わざる、春よいずこ、迎春花、サヨンの鐘、紅い睡蓮,相呼ぶ歌、そうだその意気、旅役者の唄、麗人の唄、
サトウハチロー* 青い牧場、故郷の白百合、二人は若い、目ン無い千鳥、いさをを胸に、
       カボチャの歌、勝利の日まで

時雨音羽   さらば上海、花に浮かれて、花の東京
島田欣也   白虎隊、望郷の唄、軍国の母、啄木の歌
山瀬まゆみ(同上)女の階級 門田ゆたか  東京ラプソディー
久保田宵二  ほんとにそうなら、旅がらす
大木敦夫*  崑崙越えて 雲のふるさと
藤浦洸*   南の花嫁さん、葵の歌、月夜船
野村俊夫   湯の町エレジー




75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 12:17
古賀政男略歴について、「人間の記録93 古賀政男」(日本図書センター)から
抜粋・・

昭和3年(1928)11月25日
 第13回明大マンドリンクランブ大演奏会に当時の人気歌手佐藤千夜子の特別出演を得て
 処女作「影を慕いて」を発表。
昭和4年(1929)3月10日 明治大学卒業
       12月 25歳、佐藤千夜子の歌唱で日本ビクターより「影を慕いて」「日本橋から」
         と、「片思い」「風の鈴蘭」の二枚を吹き込み、5年12月発売される。
昭和6年 3月    日本コロムビアと専属契約。作曲家としての第一歩を踏み出す。発吹き込みは「乙女心」(関種子)、「キャンプ小唄」(藤山一郎)
昭和7年12月     コロムビア文芸部長和田達夫氏の紹介、山田耕筰氏の媒約で中村千代子と結婚。
昭和9年 5月1日   日本コロムビア円満退職、15日テイチクに入社。
昭和13年11月〜昭和14年11月  外務省音楽文化親善使節として渡米。
昭和23年 5月    日本音楽著作権協会監事就任(会長 中山晋平)
昭和34年 1月    日本作曲家協会を設立、会長となる。
昭和38年 4月    日本音楽著作権協会理事に就任
昭和49年10月    日本音楽著作権協会会長
昭和50年 4月    勲三等瑞宝章受賞
 

76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 12:29
【明治】演歌について語ろう【古賀政男】
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/396/1122014572/l50
【東京】不滅の古賀メロディー【ラプソディー】
h ttps://bubble6.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1122559619/
古賀政男総合スレ (577)
H TTPS://2CH.VET/RE_AI_NATSUMELOJ_1320231349_2_172



77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 12:42
歌う昭和史、藤山一郎
H TTPS://BUBBLE6.5CH.NET/TEST/READ.CGI/NATSUMELOJ/1011539806/
H TTP://AI.2CH.SC/TEST/READ.CGI/NATSUMELOJ/1196428914/L50



78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 14:22
【童謡】詩人・西條八十と、その歌【歌謡曲】
H TTPS://BUBBLE4.5CH.NET/TEST/READ.CGI/NATSUMELOJ/1154785781/



79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 14:33
☆日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50
☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50


80 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/28(Fri) 14:46
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50

81 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/01(Mon) 08:30
「荒城の月」

「荒城の月」(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)という歌は、現在の東京芸術大学〈音楽学部〉の前身である「東京音楽学校」主導で中学の音楽教科書のためにつくられた。

明治34年「中学唱歌」の懸賞応募作品として作曲し、入選となった作品だが、メロディーだけで伴奏が無く、後に三浦環に頼まれた山田耕筰がピアノ伴奏を付けたものが今日歌われているものとされる。

明治44年、師である瀧廉太郎が日本最初にドイツに留学するにあたって、門下生である三浦環は、送別演奏会で「荒城の月」(『荒城月』)を歌った。
当時は「歌曲」と言えば外国曲(でなければばらない)とうのが一般的風潮だった中で、昭和3年、藤原義江によってビクターで吹き込まれたのが「荒城の月」レコードの最初。

哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

世界で活躍していた我等のテナー「藤原義江」は、どこの国に行っても自分の生れた国の歌も歌えないようでは相手にされないとして、率先して日本の歌曲を歌い広めた事でしたれる。
三浦環の「歌姫は強き愛国心をもたざれは」に通ずることだ。

他に、藤原義江は山田耕筰の「この道」その他や、弘田龍太郎の「叱られて」「浜千鳥」などをレコードにしている。

『荒城の月』は、特定の史実・史話に基づいたというものではないが、つい30年前「明治維新」 における日本の内戦である戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜- 明治2年(1868年 - 1869年))と無関係ではないのだ。

武家の「栄枯盛衰」とそれに伴う「無常感」が滲んだ詩は、お寺の「講話」にも使われている。
「荒城の月」は、1898(明治31)年、土井晩翠は会津の「鶴ヶ城」をイメージして造られたものだと土井晩翠自身が語っている。(※)

※土井晩翠が1927年6月29日滝廉太郎45年祭で語り、放送された。

幼い頃から父と祖父から戊辰戦争における会津の悲劇と仙台から見た会津の英雄伝をたくさん聞かされて育った晩翠。

そして二高の時、明治維新後、落城したまま、ほったらかされていた「鶴ヶ城」に行き、悲惨な戦争の跡地から月を見て、なんとも儚い想いを詩にした晩翠の詩、それに子供のころを過ごした・大分県竹田の「岡城」から曲を着想した滝廉太郎の作曲がおりなす「荒城の月」。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったというのもわかります。そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが昭和17年古賀政男編曲になる。

戦乱の世の栄華と哀愁とがないまぜになった名曲・・しっとりしていい歌いで、風格、品格を保ちつつ、ひとつひとつの言葉が心に深く沁みてきます。

「荒城の月」をオペラでも歌うつもりか、頭の芯に突き刺さるような高い声を張り上げて歌うクラッシックを標榜する若手歌手が今、少なくないが、戦時中慰問先で「李香蘭」の歌う「荒城の月」は何と美しいことか。どれほど多くの兵士を勇気ずけたことか。

この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見れる他、国立近代美術館フィルムセンター、歌は以下に含まれる。

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる映画である。

「荒城の月」;土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 古賀政男編曲 明大マンドリンクラブ演奏


なお、滝廉太郎作曲「荒城の月」の原曲は無伴奏で、以下「山田耕筰編曲版」、「本居長世編曲版」、「橋本国彦編曲版」、それに、李香蘭が戦地で歌った「古賀政男編曲版」がある。










82 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/03(Wed) 23:43
昭和7年から8年にかけて

鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 藤山一郎
影を慕いて〈古賀政男作詞作曲〉  藤山一郎
銀座の柳(西條八十作詞、中山晋平作曲) 四家文子
「お蝶夫人」の唄(西條八十作詞、古賀政男作曲)ミス・コロムビア
笛は冴ゆれど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)関種子
朝顔の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 関種子
あけみの唄(原 阿佐緒作詞、古賀政男作曲)  関種子
嘆きの夜曲(西岡水朗作詞、古賀政男作曲) 関種子
二見情話 (西岡水朗作詞、古賀政男作曲)
美はしの宵(島田芳文作詞、古賀政男作曲)  関種子
去りゆく影(西條八十作詞、古賀政男作曲) 関種子
サーカスの唄(西條八十作詞、古賀政男作曲) 松平晃


83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/10(Wed) 23:25
昭和一桁、初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」・・古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」という意味の記事が大きく載った。

古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。

そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」

と逆に励まされたという。

これが、「中山晋平(晋平節)の時代から古賀メロディの時代へ」を決定ずけ、かつ『古賀メロディ』の名を普遍的なものとした。

昭和53年(1978年)7月25日、古賀政男が亡くなった。

その夜、訃報を伝えるNHKラジオはすべての番組を停止して古賀メロディを流し続けた。

古賀メロディの原点であり、不朽の名曲「影を慕いて」は、「美しき日本の歌」で、クラッシックの演奏会のプログラムにもよく見受けられる。

今や「古賀メロディ」を超えて『日本の名曲』になっている。

優しい詩、優しく哀調を帯びた、誰にも真似できない独特のメロディー、その多くは映画音楽(
映画主題歌)でもある。

「古賀メロデイ」というのは元祖青春歌謡です。

人生の、青春の苦悩や喜びという時代を越え、世代を越えた永遠の、青春のテーマを秘めているので、80年を超えた今でも古さを感じさせない。

多くの歌い手を悩ませた譜面に並ぶとりわけ多くの音符、音域も広い、あるいは怒涛のような、あるいは流れるような、音のキャンバスいっぱいに使ったような、「三分間の芸術」の極致を行くような新鮮な作品。

歌詞はもちろんとして、前奏・間奏・後奏など歌詞がないところにも、並々ならぬ想いが込められていて、それぞれが一曲にも値するような曲。

詞の語句と語句の間にもいくつもの音符。これらが一つになり、一つのメロディーとなって聴く人の心を捉えて離さない。


人々は、それを「古賀メロディ」と呼んだ。

古賀政男は「詩はお姉さん、曲は弟」といって、詩を大切にした人。

曲作りに人並み外れて熱い想いをかけていた。古賀政男が作曲の醍醐味を知るのは、詩人・佐藤惣之助との出会いであったと自伝にある。

古賀政男ほど多くの詩人との結びつきの深い者も知らない。

『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』等々・・・、古賀メロディーは、佐藤惣之助〈1932〜〉、西條八十(1933〜)、サトウハチロー〈1935〜〉など、詩人との出会いの歴史によってそれは生れたといえるでしょう。


ちょうど同じ頃、昭和3年(1928)に作られた、
佐藤千夜子の歌で世にでた二つの名曲、《波浮の港》・《影を慕いて》・・、

いずれも《日本の名曲》として、今でも根強く愛され歌われ、演奏会で演奏されているのです。

両方とも、平成元年,NHKテレビで「日本の名曲10曲」として放送された。

古賀メロディーというのは、その殆どが青春を謳った青春歌謡です。


古賀政男は、宮本旅人が「中山晋平」の伝記を近く出版するという話を聞いて、序文を書いてあげようと言って数日後には送ってくれたそうです。
それから二ヶ月たたずに、古賀政男は亡くなりました。


中山晋平先生と古賀政男の出会いについて触れられているのだろうか。


宮本旅人著「歌謡山脈 : 中山晋平伝記小説 」信濃毎日新聞社 (昭和53年 1978)

宮本旅人著「レコード芸術入門 : 作詞家・作曲家・流行歌手 」シンフオニー楽譜出版社1939




84 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/10(Wed) 23:48

“メロディーこそは音楽の本質”(モーツァルト)

その誰にも真似のできないメロディ・・その哀調を帯びた、青春の息吹を感じさせる日本人の琴線に触れるメロディ、

それを当時の主流だった【晋平節】に対し、「古賀メロディ」と呼んで称えた。

彗星のように現れ、たちまち頂点に立った古賀作品、

その前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲に値するような、とりわけ日本人なら心の襞に浸透する強烈な印象を与える、聴く人を歌の世界に惹きこむ新鮮なメロディ・・それを特別に「古賀メロディ」と呼んだ。

古賀メロディというのは、古賀政男作品全体をさす場合と古賀作品の内、詩のテーマとするところが、人生の、青春の苦悩をテーマとしたもの、「影を慕いて」、「人生の並木路」「丘を越えて」などを指す場合が有る。


昭和13年(1938)11月に、「古賀政男藝術大観」が出た。その新聞広告に、すでに「古賀メロディ」と言う言葉がみられる。(なお、昭和53年10月に復刻本が出版されている。)

古賀政男がコロムビア専属作曲家になったのは、今年平成30年(2018)から87年前の昭和6年(1931)3月。

僅か作曲家になった7年後に、「古賀政男藝術大観」という作品研究を含む豪華な大型本が出版された。この中には180曲余りの作品が載っている。

しかもその序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、小松 耕輔、三浦環、佐藤惣之助、サトウハチローなど、知る人ぞ知る錚々たるメンバーが分野を越えて寄稿しているのだ。

昭和13年(1938)11月に、「古賀政男藝術大観」が出た。その新聞広告に、すでに「古賀メロディ」と言う言葉がみられる。(なお、昭和53年10月に復刻本が出版されている。)

古賀政男がコロムビア専属作曲家になったのは、今年平成30年(2018)から87年前の昭和6年(1931)3月。

僅か作曲家になった7年後に、「古賀政男藝術大観」という作品研究を含む豪華な大型本が出版された。この中には180曲余りの作品が載っている。

しかもその序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、小松 耕輔、三浦環、佐藤惣之助、サトウハチローなど、知る人ぞ知る錚々たるメンバーが分野を越えて寄稿しているのだ。

したがって『古賀メロディ』とは、昭和一桁代の初期コロムビア時代、少なくとも昭和10年代初めには分野を越えてすでに確立したものとなっていたのだろう。

・・「其の二 ― 古賀政男作品研究 
 ★古賀政男の作品全般に亘り微に入り細を穿っての解剖と研究は、“古賀メロディ”の本質を知らんとする人、流行作曲家たらんとする人、大衆音楽の神髄を極めんとする人々にとりては、感激の虎の巻であり羅針盤です。」(「古賀政男藝術大観」新聞広告より)

(参考)
宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻昭和53年10月)





85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/10(Wed) 23:58
「古賀メロデー」というのは、いろいろあるが、映画と積極的に提携して映画主題歌が多い。

「白い椿の唄」、それは菊池寛原作「貞操問答」の主題歌で、池寛の依頼で主題歌を作ったもの。

東京へ母を呼んで暮らすのが夢だったという古賀政男の母が亡くなった(昭和9年8月)のは、この映画の企画をしてるときだそうです。

この歌ができた時は母がなくなってた時で、佐藤惣之助作詞の三番目に「呼べど帰らぬ面影は、消えて遥かな山の上・・」
と歌われてますが、これは母を失った古賀政男の心境そのもので、彼のその後に創作意欲を大いにかきたてたそうです。

たくさんのヒット曲で知られる「古賀メロデー」、「古賀メロデー」の時代、それは日本がまだ草深く、貧しくも心豊かだった苦難の時代と重なる。

その多くは永遠のテーマである人生・青春をテーマとした「古賀メロデー」。

特に『影を慕いて』『人生の並木路』や『新妻鏡』など、詩のテーマが人生の、青春の苦悩をテーマとしたものにより名曲が多いとされる。

古賀政男は亡くなる前、・・「古賀メロデーよいつまで続くんだ、古賀メロデーよ消えされ、これまでたくさんの歌を作ってきたが、僕の古賀メロデーが受け入れられる世の中というのは、不幸な時代なのだ。
今はハピ−な歌が受け入れられる時代なんだ。」・・といっていたことがある。

そして、亡くなる前日かに便せんに書かれたメモが、旧古賀邸跡の古賀政男音楽博物館に展示されている。

「もうぼくのメロデーが受け入れられる時代ではない。いまは明るいハピーな歌が受け入れられているんだ。そういう歌がいまの歌なんだ。」って。・・

これについて吉田正は、「僕はまったく逆説だと思う。古賀先生が言いたかったのはね、人間というのは、ハッピーな時だけではない。苦しいときも、悲しいときもある。
そういう人間の一番暗い面がでたときは、わたしの歌を聴いてくださいよって、そういうことだとぼくは思うんだ。
人間が苦境に立ったとき、そのときには自分の歌が歌われるはずだという確信があったんですよ、先生には。」・・

と書いている。
(「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版))




86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/11(Thu) 00:08
☆古賀政男とその主な人脈

歌手; 佐藤千夜子、藤山一郎、関種子、奥田良三、藤原義江、三浦環、
    淡谷のり子、楠木繁夫、松平晃、霧島昇、ミス・コロムビア、二葉あき子、川畑文子、
    由利あけみ、渡辺はま子、伊藤久男、松島詩子、ディックミネ・・
詩人; 萩原朔太郎、佐藤惣之助、西條八十、サトウハチロー 、島田芳文 ・・
作曲家;中山晋平、弘田竜太郎、小松耕輔、山田耕筰、海沼 實・・
その他;棟方志功、藤陰(藤間)静枝,原阿佐緒、渡辺邦男、長谷川一夫、山口淑子(李香 蘭)、徳川無声、森繁久弥、山本富士子、美空ひばり、村田英雄、・・

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110



87 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/11(Thu) 14:22
☆古賀政男に関する文献

宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻昭和53年10月)
・・豪華な大型本で、序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、三浦環、佐藤惣之助、小松耕輔、サトウハチローなど、錚々たるメンバーが寄稿している。

くろがね会「くろがね叢書 1944.10.31」 ・・「勝利の日まで」について
古賀政男「私の音楽生活二十年」(全音楽譜出版社1949)
毎日新聞社編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社1955)
古賀政男「我が心の歌」(展望社1965)
日経新聞社編「私の履歴書 第48集」(日経1973)
「人間の記録93 古賀政男」(日本図書センター)
古賀政男「歌はわが友わが心 : 古賀政男自伝」潮出版社1977
茂木大輔「誰か故郷を・・素顔の古賀政男」(講談社1979)
毎日新聞社『別冊・一億人の昭和史 昭和流行歌史』(毎日新聞社1979)
利根川祐「人物昭和史」(ちくま文庫720) (1989)
沢憲一郎著「二人の千代子 : 古賀政男の結婚」(文園社1994)
下嶋哲朗著「謎の森に棲む古賀政男」(講談社1998)
「古賀政男・昭和の日本の心・・わが歌は永遠に」(平凡出版)・・昭和53年、古賀政男追悼本
高平一記「うさぎ―古賀政男十三回忌年出版作品」 (単行本) 日本ブックマネジメント (1990/08)
菊池清麿「佐藤千夜子 ・永遠の歌姫 」(東北出版企画) 
菊池清麿「評伝 古賀政男」(アテネ書房2004)
「夢人生を奏でて」 : (古賀政男生誕百年記念特別版)古賀政男音楽文化振興財団(小学館スクウェア2004)


『古賀政男110 名曲集 古賀政男生誕百年記念 ギターでつまびく 我が心の歌』(全音楽譜出版社、平成15 年11 月刊)103 頁
佐高信『悲歌 古賀政男の人生とメロディ』(毎日新聞社)
佐高信『酒は涙か溜息か 古賀政男の人生とメロディ』(角川書店 角川文庫)
読売新聞文化部編『愛唱歌ものがたり』(岩波書店2003)・・ふと口ぐさむ愛唱歌66曲
寺山修司編著『日本唱歌集』』〈光文社カッパブックス30−17, 1972〉
藍川由美著「「演歌」のススメ」(文春新書2002)・・「演歌」という言葉は必ずしも適当でないと思うのだが

福田俊二「昭和流行歌総覧(戦前・戦中編〉」(拓殖書房1994)
コロムビア50年史編纂委員会編「コロムビア50年史」(日本コロムビア〈株〉)(昭和36年)
古賀政男編著「古賀政男ピアノ伴奏名曲集. no.1」(シンフオニー楽譜出版社(昭和14年)
「古賀政男ギター新奏法」シンフオニー楽譜出版社(昭和17年)
古賀政男編著「古賀政男作曲集. 第4輯」(全音樂譜出版社1948)
堀野羽津子編「古賀政男名曲集」(成美堂出版1978)
「古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史」(東京音楽書院1979)
古賀政男音楽文化振興財団編「ギターでつまびく古賀政男110名曲集 我が心の歌」全音楽譜出版社2003
「生誕100年記念 古賀政男大正琴名曲集」全音楽譜出版社2004
信長貴富編曲「混声3部合唱とピアノのための楽譜 近代日本名歌抄」(河合楽器製作所2008)宵待草、ゴンドラの唄、影を慕いて他

長田暁二編「楽譜 日本抒情歌全集4」(ドレミ楽譜出版社2008)
 「秋の野 - 北原白秋 團伊玖磨」、「川 - 千家元麿 橋本国彦」「鶯の夢 - 野口雨情 中山晋平」「秋の夜 - 長田秀雄 山田耕筰」「働くお山 - 高橋掬太郎 弘田龍太郎」
「酒は涙か溜息か - 高橋掬太郎 古賀政男」他




88 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/11(Thu) 14:32
☆古賀政男に関する文献2

 ・古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史
  古賀 政男著 東京音楽書院 1978
 
 ・森下 節著 [孤独の宴 : 小説・古賀政男 ]仙石出版1972

 ・田辺 明雄  「古賀政男論」
  掲載誌 季刊芸術 / 季刊芸術出版株式会社 [編] 臨時増刊号(1989年秋) 1989-10 p.p180〜189

 ・高橋 功「"回想の雅兄・古賀政男"」
  掲載誌 心 31(10) 1978-10 p.p129〜140

 ・「日録20世紀 1931 昭和6年」(講談社1997)注記:12/30 第1巻       第43号 通巻43号
  
 
 ・九州の偉人たちを育んだ「おふくろ物語」(2)古賀政男の母「セツ」
  掲載誌 財界九州 46(3) (通号 966) 2005-03 p.159〜162
  
 ・大石 さち子 「趣味と私 古賀政男音楽博物館--昭和と共に生きた古賀メロディ」
  掲載誌 共済新報 / 共済組合連盟 [編] 41(8) 2000-08 p.50〜52

 ・石出 法太 「古賀政男--「古賀メロディー」と民衆 」(20世紀の歴史のなかの人物)
  掲載誌 歴史地理教育 / 歴史教育者協議会 編 (通号 576) 1998-03 p.56〜57
 
 ・古賀 政男 「人との出会いにめぐまれて 」(わが人生を天職に生きて<特集> ; わが人生を天職に生きて--この道ひとすじ五十年--味わい深い人生哲学の数々) 掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 214) 1977-03 p.p246〜247

 ・下嶋 哲朗 「太平洋戦争秘話=「歌謡曲の天皇」渡米の裏に外務省の謀略があ  った--古賀政男に下った「日米開戦前夜の密命」」
  掲載誌 「現代」 32(9) 1998-09 p.218〜228

 ・古賀 政男 「昭和を歌う我が涙の幾千曲 」
  掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 120) 1969-12-00 p.350〜354

 ・松山祐士 編著「わが心の日本抒情歌集 」
 ドレミ楽譜出版社 2003 (シニアのためのピアノ曲集)

 ・舘野晰 編著「韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人 : 西郷隆盛、福沢諭吉から現代まで 」 明石書店 2002
  
 ・里村あきら 著 影を慕いて… : 「古賀メロディー」知ったかぶり
  雄文社出版企画室 1993






89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/11(Thu) 14:36
☆古賀政男に関する研究文献

森田哲至…「昭和歌謡」成立の系譜と黎明期の展開・・―日本橋と『昭和歌謡』の関係についての一考察―
(「日本橋学研究」日本橋学館大学 第3巻1号 2010年3月)

The Birth and Early Development of Showa Kayoh (popular hit songs in the Showa era) : A Consideration of its Beginnings in Nihonbashi
([日本橋学研究] 日本橋学館大学 3(1) (20100331))

ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110008895600
ttp://www.nihonbashi.ac.jp/nihonbashiology/pdf/nihonbashigaku_3-1.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%80%81%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7'

「日本橋」のキーワードのもとで、中山晋平、佐藤千夜子、古賀政男、藤山一郎 の関係する「SP歌謡」たる黎明期の「昭和歌謡」成立の系譜と展開について詳しく述べ られている。



参考

・【東京】不滅の古賀メロディー【ラプソディー】
  ttp://unkar.org/r/natsumeloj/1122559619

・【人生の並木路】佐藤惣之助【新妻鏡】
  ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1162563164/

・【童謡】詩人・西條八十と、その歌【歌謡曲】
  ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1154785781/

・【究極の】日本の歌こころの歌【癒し】
ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1011539806/

・歌う昭和史、藤山一郎
 ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1011539806/

・歌う昭和史、藤山一郎2
 ttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1196428914/



(古いBBSで終了移転されていて広告などが入っています。)


利根川祐「人物昭和史」(筑摩書房 ちくま文庫720) (1989)



90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/11(Thu) 16:24
>>89

利根川祐「人物昭和史」(筑摩書房 ちくま文庫720) (1989)

天  皇
近衛文麿
東条英機
吉田茂
大原孫三郎
小林一三
松永安左エ衛門
正力松太郎
野間清冶
菊田一夫
古賀政男


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