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自民党の極右政治でいいのか【2】

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/12(Thu) 20:13
閣僚19人のうち15人が極右の「日本会議議連」で、

自民国会議員の大半が「神道議連」の自民党は今や極右党だ。

大惨禍を招いた80年前と同様の政治思想を信奉する議員も議員だが、

その政治で地獄を見た日本国民が、

今また、その政治を支持している愚かさでいいのか。

極右体制とはナチや戦前の日本のように国家主義・全体主義だから

独裁による国民抑圧でのみ成り立つんだが、いいのか。

アホ国民よ、ボンヤリしてないで考えろ!! 



2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/12(Thu) 22:56

【極右独裁・幼稚化の道】 自民党が何だかおかしい 【利権・金権・腐敗・堕落の歴史】
h ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=politics&key=438820642&ls=50

幼稚園児アベにゴマを擦って、旨い汁を吸おうとする奴がいるから、同じ自民党でも
真面目にやっている奴は、「何でも賛成ロボット」をさせられた上に、アベにちょっと
睨まれたら、「次の公認はないからね!」とか、小泉のように、失敗させるための役職
を与えられたり、「幼稚園児から高校生」の間で流行っている陰湿な「い・じ・め」が、
アベ政権内でも起こっていて、

今や、「アベ極右独裁軍国主義不自由非民主党」になってしまいましたね。

驕れる毒妻者は、「憲法無視」、「議会制民主主義破壊」、「フルムーン旅行で
ギネス狙い」、「死体放題」、「槍隊砲台」で遊びまわって、臨時国会が開けない
ほど働きまくっているように見せかけて、裏では、飽食、贅沢三昧、酒池肉林で
持病の兆円を益々悪貨させて、日韓会談では、意識朦朧、言語不明瞭、いつもの
ようにロレツが完璧に回ってなかったそうです。

これを週刊誌に書かれて、「事実無根、法敵措置を盗る」などと、申し入れたが、
「書かれていることは事実です!」と一周されて、その後談はなし。
要は、疲労、病気、睡眠不測、二日酔いなどのフラフラ状態で、意識朦朧状態で
当時の記憶が完全に飛んでいたらしい。
それにしても、韓国側からそんな情報が漏れてこないのは、アベにとって不幸中
の幸いだったね。


3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/13(Fri) 09:18
個人攻撃は相手側に有利に働くと
なんべん教えてやっても
わからないバカ

4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/13(Fri) 18:13

一国の総理ともあろう者が、
首脳会談で行った相手国で酔っ払うなんて
立場の自覚がない行動に呆れる。
云われているように、本当に幼稚園児並みの頭脳なのか?


5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/13(Fri) 22:41
>>3
個人攻撃されているご本人様のような書き込みだね。
あるいは、そのお方のサポーターとか。w

6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 12:03
没後20年目の角栄ブーム―ソフトな保守への郷愁
早野 透 【Profile】
経済・ビジネス
政治・外交
|

没後20年を機に、田中角栄・元首相が再び注目を集めている。

番記者として田中角栄を20年あまり取材した元ジャーナリストで桜美林大学教授・早野透氏が、その背景を分析する。




戦後政治を生きた「今太閤」

2013年12月で、田中角栄元首相の没後20年となる。それを追悼する公式の催しはなかった。しかし、今なお国民から「角さんがいたらなあ」と何かにつけて引き合いに出される人物である。「没後20年の角栄ブーム」というべきか、それは現代日本政治から失われつつあるように見える「ソフトな保守」への哀惜なのかもしれない。


第二次田中内閣発足時の記念撮影。最前列中央は田中角栄元首相=1972年12月(時事)

田中角栄は「カクエイ」とか「角さん」とか、いまだに名前や愛称で呼ばれることが多く、民衆から親しまれた政治家である。第2次世界大戦後、日本の復興期から成熟期に至るまで、いわゆる戦後政治の時代に生きた。

1918年、日本海側にある新潟県の貧しい村で生まれ、高等小学校を出ただけで上京し、下積みの仕事を転々としながら建設会社を立ち上げて成功。戦後になって衆議院議員となり、ついに総理大臣まで駆け上がって「今太閤」と呼ばれた(太閤とは引退した摂政、関白に対する敬称。特に日本の戦国時代、百姓の身分から出世し天下を取り関白に就いた武将、豊臣秀吉のこと指す)。

しかし、その間に膨大な政治資金を集めたことで「金権政治家」とも呼ばれ、航空機輸入に絡むロッキード事件で5億円の収賄の疑いで逮捕・起訴された。1・2審で有罪、なお最高裁で争っている間に75歳で死去した。それが1993年のことだ。そんな汚辱の中で葬られた政治家であるにもかかわらず、今なぜ角栄ブームなのか。



角栄流「ソフト政治」と安倍流「対決型政治」


東京地裁で実刑4年の判決を受けた直後の田中角栄元首相=1983年10月(時事)

直接のきっかけは、いくつかの「角栄本」が続けて出版されたことにある。角栄の愛人の娘、佐藤あつ子が母を描いた『昭(あき)―田中角栄と生きた女』(講談社)、角栄を至近距離で取材した番記者だった拙著『田中角栄 ― 戦後日本の悲しき自画像』(中公新書)、そして角栄の秘書の回顧談『角栄のお庭番 朝賀昭』(講談社)が毎日新聞記者・中澤雄大氏の聞き書きによって出た。ほかにも森省歩『田中角栄に消えた闇ガネ』(講談社)、大下英治『田中角栄秘録』(イースト新書)と続く。角栄死後20年、一つの歴史として観望できるようになって、この清濁両面のある政治家の記憶を、もう一度書き留めておきたいということだったのだろう。

だが、それだけではない。おそらくは安倍晋三首相の率いる日本政治への不満や鬱屈、あるいは抵抗感が「今、角さんがいたらなあ」という人々のつぶやきにも似た郷愁になって現れていると思われる。時代背景の違いはあるけれども、角栄流「ソフト政治」と安倍流「対決型政治」は確かに対比されるべきところがある。


格差是正を目指した経済政策

まず「経済」面から比較してみよう。「政治とは生活です」――角栄は選挙演説をこのせりふで始めるのを常とした。角栄の思想は、政治主導で経済を動かし、経済が人々の暮らしを潤すという、いわば「経済=生活」である。演説に熱心に耳を傾ける民衆の住む田舎の道路建設や防災対策を具体的に語った。

看板政策の「日本列島改造論」は、全国に新幹線や高速道路を張り巡らせて生活基盤を引き上げ、田舎と都会の「格差是正」を図ろうとしたものにほかならない。だがこれは、土地投機を誘発し、1970年代には石油危機に見舞われて挫折することになる。一方で、高度成長の果実を分配すべく、「福祉元年」を宣言して老人医療費無料化、5万円年金といった施策を断行。義務教育の教員給与を一般公務員より25%引き上げるなど大胆な改革を実行した。

20年におよぶデフレ経済からの脱却を狙うアベノミクスは、角栄流の施策とは異なって、いわば「経済=企業」の視点に立つ。金融緩和で円安株高に誘導し、大企業は空前の利益をあげている。そこから従業員のベアを実現、景気の好循環を作ろうというものだが、そんなアベノミクスも自分たちには及んでいないと感じる中小企業や地方企業からは、「角さんだったらなあ」といった角栄待望論が聞こえてくる。角さんだったら、もっと下層に日を当ててくれるだろうというのだ。



7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 12:06
最大の功績、日中国交正常化


日中国交正常化のための訪中を前に、ハワイで米・ニクソン元大統領(右)と会談する田中角栄元首相(左)=1972年8月(時事)

次に「外交」面でも角栄と安倍は対象的である。1972年9月、田中角栄は首相就任2カ月で日中国交正常化を手掛け、中国からの戦争賠償放棄を含む難しい交渉を一気呵成にまとめあげた。中国がソ連と対立して孤立感を深める中、建国のリーダー毛沢東、周恩来が健在なうちに日中戦争の後始末を――という角栄の読みが当たった。もし中国が日本に戦争被害の賠償請求をするならば、それは膨大なものになるだろう。毛沢東、周恩来であればこそ「賠償放棄」を国民に説得できた。交渉の最後には毛沢東が出てきて「けんかはすみましたか」と角栄に語りかけ、歴史的和解を演出した。

それ以後、上野動物園にパンダが来て「日中友好」は盛り上がった。貿易も順調に増えた。中国は日本から供与されたODAも全額返せるほどに発展した。中国政府は角栄がロッキード事件で逮捕された後も、日中関係修復に貢献した人々を意味する「井戸を掘った人」として礼遇した。

いま安倍晋三政権にあって、日中関係、加えて日韓関係における、この険悪な状態はいったいどうしたことだろう。尖閣諸島、竹島などの領土問題がトゲになって、両国との首脳会談開催も困難を極める。南京大虐殺はあったのか否か、従軍慰安婦は強制連行だったのかどうかなど、いわゆる歴史認識の問題はこじれるばかりである。安倍首相の歴史修正的な態度に対し、中韓両国は警戒心を解かない。2013年12月、日本の戦犯を合祀する靖国神社に参拝したことは、被侵略国の中国、韓国を決定的に怒らせた。

角栄だったら、これにどう対応しただろうか。角栄は、陸軍2等兵として中国東北部に応召した経験がある。しかし、そこでの角栄の思い出は上官から理不尽に殴られたことばかりで、戦前への郷愁はない。あの機略縦横の角栄だったら、中国、韓国の立場も深くのみ込んで、もっと的確に対応したのではないか。歴史認識というものは、重箱の隅をつついて相手を責めたり、いじましい自己弁明をするトリビアリズムではない。

各国とも角栄世代が去って、歴史の反省・和解のプロセスが継承されていない。どうしてこんなことになるのか。毛沢東、周恩来と渡り合った角栄の政治的大きさへの追憶が人々から湧くゆえんである。

金権政治だが護憲政治、その多面性こそが角栄流



8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 12:07

「20年後の角栄ブーム」を反映して、このごろ筆者自身、角栄についての講演を求められることが増えた。そこで私が「角栄はキンケンだったけれども、ゴケンでもあった」と説明すると、参加者がオヤと耳を傾ける。

角栄は自民党総裁選に立候補したときの「国民への提言―私の十大基本政策」の中で、「日本は軍事大国を目指すべきでなく、憲法9条を対外政策の根幹にする」と盛り込んでいる。日本の戦後平和思想のシンボルである憲法9条(戦争放棄、戦力および交戦権の否認)を守るという角栄の言明が中国側から評価され、国交正常化につながったのである。

自民党は立党以来、「憲法改正」、つまり9条改正による軍の復活を党是としてきた。日本国憲法はマッカーサー占領軍の「押しつけ」によるものというのが理由だった。だが角栄は、例えば「自民党結党25年」の報道番組に出て「占領軍の大前提は、日本の弱体化を図ることだった。だが戦後の諸法規は、日本人の英知によってすべて消化され定着をした」と語っている。

実態をいえば、自民党は「建前改憲、実質護憲」で、安全保障投資はほどほどにして、それよりも経済発展に資源を集中してきた。「安保費の節約」が角栄にとっての9条のありがたみであり、角栄の平和思想の根底にある。「戦争はもうこりごりだ。もっと平和で豊かな生活をしたい」という戦後の国民思想は、まさにそれだったのである。

小さくなった政治家の器量、大きくなる角栄の存在感

安倍首相はそんな憲法9条の効用を「マインドコントロール」と断じ、国際社会の緊張に立ち向かうために9条の解釈変更で集団的自衛権の行使に進もうとしている。護憲派は、これを「専守防衛」から「海外で戦争のできる国」に転換しようとすることであり、9条の無意味化であると批判する。

しかし、安倍首相が説く国際情勢の厳しさとは、多分に安倍首相本人の対決的な政治戦略がもたらしたものである。田中角栄だったら、もう少し近隣と気持ちを合わせながらうまくやっているのではないか。戦後70年になるに及んで政治家の器量が小さくなり、大きな妥協ができないのではないか。

やはり戦争という苛烈な人生体験が人物を鍛えたのか、戦後体制を作った吉田茂に始まって、岸信介、池田勇人、佐藤栄作らは、明らかに今の政治家よりも大物だった。角栄の同世代には福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘などの個性的なライバルがいた。角栄はこれらの群像の一人にすぎないともいえる。ただ角栄という人物はとりわけ「情」に厚く、その人生は人間ドラマとして起伏に満ちており、人々から今なお思い出されるということである。

今、田中角栄がそこまでの力を発揮できるかどうかはともかくとして、「没後20年の角栄ブーム」は、「日本政治の今」への根底的な国民の違和感の表れと考えるべきなのである。


田中角栄元首相の主要な経歴一覧

1918年 新潟県に生まれる
1933年 高等小学校を卒業
1947年 新潟3区から衆議院議員に初当選
1957年 第一次岸内閣で郵政大臣。戦後初めて30代での大臣誕生となる
1965年 第一次佐藤内閣での大蔵大臣を辞任し、自由民主党幹事長に就任
1972年 6月、「日本列島改造論」を発表
7月、第一次田中内閣発足
9月、日中国交正常化を実現
1974年 田中内閣総辞職
1976年 2月、ロッキード事件が発覚
7月、受託収賄罪で逮捕。自民党離党
8月、保釈
1985年 脳梗塞で入院
1990年 政界引退
1992年 日中国交正常化20周年で中国訪問
1993年 死去



(2014年3月27日 記)

タイトル写真=第27回自民党臨時大会で新総裁に選出後、第一次田中内閣発足前に記者会見する田中角栄氏(1972年7月撮影、時事通信社提供)


9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 21:13

田中角栄が大人だとすると、

毒妻者気取りのアベッチは幼稚園児以下だな。

バブバブ言って、ハイハイできるくらいかな。


10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 21:51
日中国交正常化

田中の頃に
日中国交正常化を、やっといてよかったよ。
中国に賠償金放棄させたからさ。今だったら無理だろう。
それも毛沢東、周恩来存命中にな。
これは、日本にとって大きな外交カードになっています。

それに中国も江沢民がトップに立つまでは 反日路線じゃなかったしな。



11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 21:56
角栄は日中国交回復を果たした事で知られる人だが、アメリカ越の日中友好はだんだんアメリカにとって
許されざることで、そのためにロッキード事件を起こして田中角栄失脚を図ったといわれる。


12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 22:05
今日,日本の政治はリーダーシップ不在で混沌としているともいえる。そしてアメリカに言われるまま犬のようについていくだけの政治も。
角栄というのは,日本の自律・自立・・エネルギー政策の面でも・・を目指そうとしていたという。
日中国交回復も・・ひとつには石油の自立・・アメリカ一国に支配されない・・だったという。現にその後あちこち沢山の油田開発や輸入できるようにした。石油利権が大きいアメリカ政権としては,田中を失脚させる必要があったという。
ロッキード事件もキッシンジャー(国務長官)など、アメリカの陰謀だったという。
イラクに自衛隊が行く説明に,石油の大部分を中東に依存してるからといわれる。でも,田中は、そういう状態を早くから、脱却しなければならないことと考え,実際そうしようとしていた。田中角栄ってものすごい人なんですね!!。今こそ、田中角栄が再評価されるべきではないかと思います!。

13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 22:07

金になる玩具なら大きいほどいい

(1)
1兆円の玩具を作って

大喜びで動かしてみたが事故に事故

……そして20年の歳月が流れ

やる気も自信も失せ果てて

毎年掛る2百億円も気が重い

(2)
この玩具の始末 どうする?!

そうだ! ダメ出しさせよう

点検漏れ1万件ならダメ出るぞ

出た! 出た!「やる奴代えろ」

さあ 次の大プロジェクト何にする


14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 23:00
「田中角栄」がとみに今日的意義をもつのは,特に今の政治状況ですね。角栄は人心を掌握するのに天才的だったといわれます。その後の今の総理大臣には,政治家以前の学歴詐称疑惑(小泉k大卒業疑惑や,安倍留学疑惑)だけでなく、角さんに負けない億単位の疑惑が常にささやかれながら,なんとか生きてきているよう。
角栄が逮捕された後,私は夜電車で帰宅途中,二人の会社員風の男の話を耳にした。・・細かい話は忘れたが,最期に『田中角栄は人格者だよ!』といったのが印象に残ってます。それも角栄パッシングの頂点だった中だ。今までの事をひっくりかえして、時流に乗って、角栄のことを「どうせ土建屋だし・・」という人もいた。
彼は金で失脚ということになったのだが、彼が,多くの政治家を含め人心に共感を与えたのは事実で、かねだけではないはずだ(勿論,金もあったろうが)。
角栄といえば,「今太閤」といわれ,学歴詐称どころか、「学歴」もなかった。やはり混迷の中、それらを百も承知の上で敢えて『人格者』という最高・至高の表現をつかって気持ちを表現したのだと思います。
私も一面そうだと心の中で思いました。人格者でなければできない事でもあったからです。また混迷を救えるのは,彼(しかいない)でもあったからです。
彼は,その後の日本の総理大臣が、足元にも及ばない、政治家として確かに(一面の)人格者ともいえたのではないでしょうか。
混迷の今こそ、いろいろ謙虚に学ぶべきところは少なくないように思えるのです。



15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 23:28
田中角栄はアメリカの虎の尾を踏んで忙殺されたわけだけど、
具体的には石油メジャーの利権とか、中国との関係がアメリカの気に入らなかった
ということらしいが、
他に、新幹線構想がアメリカの航空機メーカの気に入らなかったこともあるんじゃないかな
日本中を新幹線で結ぶと言っていたが、ロッキードなんかの航空機メーカーはそれは気に入らないだろう

いまだにリニア新幹線ができてないのも、アメリカ航空機メーカーの陰謀だと思うわ


16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 23:40
田中角栄の言葉
大蔵大臣に就任し、大蔵省に初登庁したときの挨拶。 

「私は小学校高等科の卒業である。しかし、いささか仕事のコツは知っている。
われと思わん者は、遠慮なく大臣室へ来てくれ。上司の許可は要らない。
何でも言ってくれ。できることはやる。できないことはやらない。
すべての責任は、この田中角栄がとる。」



17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/14(Sat) 23:56
田中角栄は最高の政治家だな。


18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 09:24
>>12
【USA】 ジャップは裏切り者 72年にキッシンジャー氏 日中正常化に反発
h ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1148692914/
h ttp://mimizun.com/log/2ch/news4plus/1148692914/


19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 09:32
>>12.>>15,>>18

田中角栄逮捕の証拠資料は、三木武夫がアメリカに要求した。
この辺のいきさつは日高義樹等の資料に出でてくる。

アメリカは田中角栄が退陣したので、これは失脚であり、今後は影響力を失うと見た。
そこで当時の首相である三木武夫に媚びを売り、彼の政敵追い落としに手を貸しただけで、
三木武夫が積極的に求めなければ、資料を出さなかっただろうと。

違法に外国の助けを借りて、政敵田中角栄にトドメを刺そうとしたした三木武夫は卑劣!!

20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 09:48
近づくときは揉み手でニコニコペコペコ
そばへ引き寄せてしまえば、
殴るは蹴るは唾をはくは罵倒するは借金踏み倒すは物は盗むは
ありとあらゆる暴力をふるうのが
チャンコロのやりかた
…っていうより共産主義者のやりかた

21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 09:51
★★★★★ 中華貧民チャンコロ共和国万歳

中国海軍のほこる屑鉄空母「チャンコロ」の進水式に
感動しますたです

22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 13:01
*** 「選ぶ人がアホでも」と自民党幹部がアホ発言 ***

自民党の脇雅史参院幹事長は18日、都内での党所属女性議員の集会で「政党の候補者選びさえしっかりしていれば、選ぶ人(有権者)はアホでも選ばれる人はリッパだ」と述べた。

要するに有権者はアホだし、アホでいいということだ。

安倍首相も同席していたが、さすがにやばいと思ったのかその場で制止した。

汚染水がジャブジャブ海にも出ているのに「コントロールされている」と平気でウソをいう安倍首相や「ナチスの手口」を見習えと言った麻生副総理。

候補者選びのどこがしっかりしているんだ。

【日時】2013年09月19日 【提供】日刊現代

自民党としては、支持者はアベノネトサポのレベルでOKということね。
比例区では得票率17%で、議席数50%超とのことだから、あながち
ウソを書いてるとは思えませんね。少なくとも比例区では、そのとおり。


23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 18:45
>>6-19
>>16

角栄は、どのようにして大蔵官僚の支持を受け、彼らを思うように動かすか、独特の方法を考えだした。
 −次官や局長は、俺のいうことを受けつけないだろう。彼らに接近するよりも、実際に仕事をしている課長、課長補佐から実務の内容を聞きとろう−
 角栄は課長、課長補佐と話してみて、感覚のするどい相手を嗅ぎわけると、自宅へ呼んで大蔵省内部の事情を聴き、実務の内容をくわしくたずねる。
 彼らの入省年次、学歴、誕生日、家族構成まで調べあげ、自宅へ呼んだ者には高価なみやげものを与える。
 ケタはずれの祝儀や贈りもので官僚の気持ちをひきつけてゆく、独特の人心収攫術である。子供が大学へ入学したり、妻が入院すると、いつのまにか角栄が祝儀をとどけ、見舞いに出向く。
 そのようにされると、感激しない者はいない。省内の実務にたずさわっている課長たちが、角栄に何事もうちあけて話すようになるまで、さほどの月日はかからなかった。



24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 20:28
角栄は、代議士になると、三区の住民たちの就職の世話を熱心におこなった。
 三十三年には、角栄の尽力で就職できた人々が、「誠心会」という組織をつくった。県内の高校、大学の進学率は増えるいっぽうであったが、県内に就職先はすくない。
 角栄が、蔵相から自民党幹事長へと出世するにつれ、就職郎蹴のルートがひろがっていった。
 電電公社(現NTT)、国鉄(現JR)など公社関係から建設会社をはじめ民間企業に、就職のコネがある。北海道、東北、関東、関西など広い地域にその力が及んでいるので、だいたい希望通りのところに就職できた。
 三区からくる就職願いは、在京秘書が担当し、越山会員でない者の世話も分けへだてなくしたので、会員はふえるいっぽうであった。
 越山会によって就職できた者は、のちに一万人をこえたといわれる。
 就職と結婚の世話で獲得した票は、絶対にはなれることがない。本人はもとより、親たちは十年、二十年と角栄を支持した。

25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 21:02
腰を深くかがめ、あいさつをしながら渡す。

 それはいつも人生の特別席におさまってきた、佐藤首相や福田外相のうかがい知る機微ではなかった。
 角栄はそうした配慮を、下働きの人々への感謝をこめてするのだが、内奥には彼らのあいだのうわさが世間にひろまる影響力を顧慮する気持ちがあった。
 角栄は親しくなった番記者に教えた。
「内証だけど、常にそういったことを頭におきながら行動しなきゃ、この世の中だめなんだよ」
 まったくその通りであろう。
 生きてゆくために、そこまで気を配る人の身辺には、利運がめぐってくるものかも知れない。

26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/16(Mon) 23:06
2007年10月 1日 (月)
田中角栄の凄さ〜NHK「その時歴史が動いた〜日中国交正常化」




NHKの「その時歴史が動いた」300回記念〜「日中国交正常化」(07/9/26放送)を見て、深い感動を覚えた。それは田中角栄という大政治家の、まさに“トップはこうあらねばならぬ”という行動に対してだ。
この番組については、NHKのHPに詳しいが、まさに「その時歴史が動いた」の300回目に相応しい力作であった。(少々長いが、この番組を振り返る)

==============
昭和47年9月25日、当時の総理大臣 田中角栄が日中国交正常化のために北京を訪れた。田中は日中の貿易に注目して、大平外相とともに日中正常化に執念を燃やしていた。しかし交渉の現場は、日本の戦争責任の謝罪、中国が認めない台湾との関係の扱いで暗礁に乗り上げていた。それを田中角栄は、まさに人物の大きさで乗り越えていく。
最大の争点は「日中戦争はいつ終わったのか」という問題。台湾と日華平和条約を結んだ昭和27年に日中戦争は終わったと主張する日本。しかし中国は台湾を認めず、今回の共同声明の公表の日に終了すると主張。そして突然の毛沢東とのトップ会談で、田中の誠意が通じ、日中両国のお互いの顔が立つ表現で合意。そして、昭和47年9月29日、日中共同声明に調印。

国交を結ぶ条件は、日本側は「日米安保の承認」「戦争賠償の放棄」、中国側は「日華平和条約を破棄し中華人民共和国を唯一の中国政府と認める」。
田中内閣成立の1週間後(72/8/4)、公明党の竹入委員長が前の週に訪中した時の周恩来の伝言(7/27)を伝えに来た。そこには「日米安保条約にはふれません」「賠償の請求権を放棄する」と記されていた。そして田中は訪中を決断。9月25日から29日までの長い4日間が始まる。 (自分の記憶によると、この時NECが突貫で衛星中継器を作って、中国から衛星生中継をやったのでは・・・?)

・・・・・・・・・・


27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/16(Mon) 23:09
田中「今回の訪中をぜひとも成功させ、国交正常化を実現したい」

周恩来「日中両国には様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である」

晩餐会での田中の挨拶「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な“ご迷惑”をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」

交渉での高島条約局長「日中戦争の講和や賠償の問題は日華平和条約で終わっている。今回は日中の外交関係樹立によって生じる将来の問題について話し合いたい」

周恩来「ご迷惑とは、中国では道ばたでうっかり女性のスカートに水をかけたときにわびる言葉でしかありません。それをあなたは、日中間の不幸な過去の説明に使ったのです」

田中「日本語で『迷惑をかけた』とは、万感の思いをこめてわびをする時にも使うのです。この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない」
(ナレータ:誠心誠意のお詫び、その気持に偽りがないことを田中は繰り返し訴えました)

周恩来「日本と台湾が条約を結んだ昭和27年には、台湾の国民政府は大陸から逃げ出していた。彼らが全中国を代表して戦争を終わらせたなど、とんでもない話だ」

中国から出された声明案は、『中華人民共和国と日本の間の戦争状態はこの声明が公表される日に終了する』

(田中が「大学出たやつはこういう修羅場になるとだめだな」と言った。そして「どういう風に話し合いを持って行くのかは、ちゃんと大学を出たヤツが考えろ」の指示で、その夜ホテルで徹夜で考えた案)
大平正芳「日中両国のこれまでの関係は『不自然な状態』と表現できないだろうか」と中国外相に伝えた。そしてその夜、突然毛沢東の家に案内される。

毛沢東「けんかはもうすみましたか けんかは避けられないものですよ」
毛沢東「あなたがたは、あの『ご迷惑』問題をどのように解決しましたか」

田中「我々は中国の習慣に従って改めるよう、準備しています」

毛沢東「しかし迷惑をかけたという言葉の使い方は日本の首相の方がうまいようですね」

(この毛沢東の一言は日本の立場を受け入れるという中国側からのサインでした)
(安堵してホテルに戻った田中は鼻血・・・。医師に田中は「記者団に言うな。言うと毛さんに会って、田中は帰って鼻血ブー・・となるんだから」)
(田中は極度のストレスに耐えながら、中国側に対しても日本の外交スタッフに対しても、表面上は明るくふるまい続けていました)

この後開かれた協議で、中国側から戦争状態の表現について大きな譲歩が示された。
中国案『本声明が公表される日に、中国を日本との間の極めて不正常な状態は終了する』

日本側「日華平和条約で戦争が終わった」と解釈
中国側「今回の交渉で戦争が終わった」と解釈

そして日本と台湾との今後の関係が話し合われ、日本の次の提示で合意。
1. 日本と台湾との外交関係は解消
2. 日本政府は「二つの中国」の立場はとらない
3. 台湾との民間交流は継続される

そして昭和47(1972)年9月29日 日中共同声明が調印される。

TVでこの時の様子を見ても、田中と周恩来の何度も繰り返す固い握手は、両国の万感を込めた本当の握手に見えた。

周恩来「これで日中間の新しい1ページが始まりましたね」

田中「今日はもうこれで会議がないから、大いに飲もう!」
(この田中の一言で、日中双方は大きな笑い声に包まれました)

・・・・・・・・・・



28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/16(Mon) 23:11
田中が脳梗塞で倒れてから7年後の1992年4月7日、田中の家を江沢民が訪ね訪中を誘う。そして4ヶ月後に田中は訪中。
中国は国賓待遇でもてなし「田中先生は国交正常化に最も貢献した方。中国は永遠に忘れない」

田中「中国再訪が実現し万感胸にせまるものがある。私はこの20年間片時も目を離さず、日中関係を見つめてきた。首相当時下した決断が間違っていなかったことを確信したい一心で訪れたのである」

=================
この番組を見て、まさに大物政治家の“偉大さ”を感じた。アメリカと戦った吉田茂も同様である。(前に「吉田茂とサンフランシスコ講和条約」を書いた)

会社でも何でも、トップは「いざ」という時が何度もある。ものすごいストレスだが、その場をどう乗り越えるか・・・。それまでの全人格が試される・・・。(自分も、思い返すと色々な場面を思い出す。皆、客先とのぶつかり合いだった・・・・)

しかし、昔の「国」を背負った政治家に比べ、今の2世政治家の粒の小さい事・・・・。
そして毎日繰り返される「身体検査」と称する不毛な話題・・・・。
田中角栄のような、何があっても(逮捕されても)、何十年経っても相手国(中国)から感謝され、慕われる大物政治家は、もう日本では出現しないのであろうか?


29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/17(Tue) 09:36




ニッポンのお役人さまはエライ

1兆円のうえに毎年2百億円掛けて

「文殊」を「お釈迦」に変えるでよう




30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/17(Tue) 09:50

グリーンピアの9兆円ドブ捨てと同じだね。



31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/17(Tue) 09:53

それをやりたいから
誰にも文句云わせない極右が都合いいんだね。


32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/17(Tue) 10:58
安倍は救国の英雄として感謝される日がやってくる
集団的自衛権容認は
日本を救った

33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/17(Tue) 22:53
***** 憲法破壊の テロリスト政権 アベ極右独裁不自由非民主党 その行き先は *****

〈内閣総理大臣にも閣僚にも憲法尊重義務がある。どこに憲法を尊重する気持ちがあるのだろうか、ということになる。まるで憲法無効論に立っているような感じだ〉

 いやはや、痛快。ちなみに早川氏は東大法卒で23歳で司法試験に合格した。自治省に入った後、衆院選に挑戦。2期を務め、法務省の政務官もやった。つまり、法律のプロである。改めて、早川氏が言う。

「衆参いずれかの議員の4分の1以上の議員の要求があれば国会を召集しなければいけないという53条の規定は内閣に課せられた義務なんです。通常国会を95日間も延長したと言うが、今国会で論ずるべき問題は山のようにあるじゃないですか。大臣が代わったし、所信表明もしていないし、TPPの報告もない。マイナンバーも混乱続きだし、テロとの戦いについても国会議員は真剣に議論すべきでしょう。それなのに臨時国会を開かないのは許しがたいことだし、こんなことがまかり通るのであれば、内閣が堂々と憲法違反をする悪しき前例を残すことになります」


34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 10:01

国民の模範のトップツーの法の犯しぶり


・70年来の憲法の解釈を勝手に変えて「戦争法」つくったり

・沖縄では私人が行使する行政不服審査請求権を国が使ったり

・今度は憲法を無視して野党要求の臨時国会を開かず


成蹊大出の首相と法政大出・官房長官のマインドと学力に脱帽だあ!!


35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 10:20

ヒトラーはヒョンな現れ方をして
あの5千万人殺害の大戦争を起こしたが、
ヒョンな現れ方ってあるからね。


36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 10:23

ヒトラーはその前の第一次大戦の陸軍伍長(下士官)で

その前は画家志望の平凡な青年だったってね。



37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 13:12
安倍総理は後の時代の日本国民に深く感謝されるだろう。
危機一髪で日本は救われた。

本当に危ないところだった。
安倍が総理になっていなければとんでもないことになっていた。
本当によかった

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 13:15
どこの国にも軍隊はあるのは当たり前
どこの国だって集団的自衛権は認められている
こんなこと問題にするほうが
クルクルパー

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 19:07

「辺野古移設」など法廷闘争に入って、

今、政府・自民党は司法人事介入が露骨に行われているという。

今政府自民やってることはしちゃめちゃ!。

押し通すには司法人事介入が不可欠!。


「法治国家」だとか「法に則って」とかの賜ってるのだが、法に則っていない。

何でも法ではなく、「法」に依らない「閣議」で押し進めている!。


そもそも「行政代執行法」では、

行政庁たる沖縄県の「処分」を(「当該行政庁」でない)政府が「代執行」するなど脱法で、ないこと。


そもそも、この問題は沖縄という「特定地域」に関する事だが、「法律」(特別法)がない。

(憲法で特定地域に適用するには「特別法」が必要で、「特別法」には住民投票が必要!。)


40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/18(Wed) 19:25

政府、辺野古埋め立てへ沖縄県を提訴=普天間移設、法廷闘争に


沖縄県を提訴後、会見する石井啓一国土交通相=17日午前、国交省

 政府は17日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設先の名護市辺野古沿岸部埋め立て承認を同県の翁長雄志知事が取り消し処分としたのは違法だとして、県に代わって国が処分を撤回する「代執行」に向けた訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。12月2日に第1回口頭弁論が開かれる。辺野古移設をめぐる国と沖縄県との対立は、法廷闘争に発展した。
 菅義偉官房長官は17日の記者会見で、「わが国は法治国家であり、今回の訴訟提起は、普天間飛行場の危険除去を考えると、やむを得ない措置であると認識している」と述べた。
 訴状は、翁長知事による埋め立て承認取り消しについて「日米両国で積み上げてきた努力が無に帰す」と指摘。さらに「沖縄県全体の負担軽減も実現されないという有形無形の膨大な不利益が生じる」として、取り消し処分撤回の正当性を主張している。国の提訴に対し、翁長知事は自ら法廷で陳述し、辺野古移設を進める政府に反論する考えだ。(時事2015/11/17-12:09)




41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 09:09
>>40

>、県に代わって国が処分を撤回する「代執行」

・・ってなんでしょうか?、
 
 どなたか解説してください。法的根拠等!??

42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 09:31
>>39

安倍政権が露骨な人事 沖縄「代執行」訴訟に“体制寄り”裁判官
2015年11月19日


これじゃ公平裁判とは言えないか(C)日刊ゲンダイ


拡大する

 いよいよ法廷闘争に突入した、沖縄県の米軍普天間基地の名護市辺野古移設をめぐる「県VS国」のガチンコ対決。国は17日、辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長知事の処分を違法として、県に代わって国が処分を撤回する「代執行」を求める行政訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。

 米軍基地をめぐって県と国が法廷で争うのは20年ぶり。1995年に当時の大田知事が米軍用地の強制使用に必要な代理署名を拒否して以来だ。国は訴状で、埋め立て承認取り消しについて「日米両国で積み上げてきた努力が無に帰す」と主張。これに対し、翁長知事は会見で「基地建設は何があっても容認できない」と反論。自ら法廷で意見陳述する方針だ。ガチンコ対決の行方は司法の場に移ったわけだが、早くも“主戦場”となる那覇支部の裁判官人事で不穏な動きがあった。10月30日付で、東京地、家裁立川支部部総括判事の多見谷寿郎裁判官が那覇支部長に異動したのである。


43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 09:34

「前那覇支部長は『C型肝炎訴訟』や『原爆症認定訴訟』などで国の責任を厳しく指弾している須田啓之裁判官でした。新任の多見谷裁判官は大阪や東京、千葉などで勤務経験のある裁判官で、主に手掛けてきたのは住民が自治体や議員を訴える訴訟です。とはいえ、判決は住民寄りではない。成田空港用地内の農家男性に空港会社が土地の明け渡しを求めていた2013年の成田空港訴訟では男性に明け渡しを命じる判決を言い渡しています。11年に浦安市民が政務調査費の使われ方が不当として、市長と議員に返還を求めた訴訟では原告の請求を棄却している。体制寄りの判決を下す、ともっぱらの裁判官です」(司法ジャーナリスト)

 そんな“ヒラメ裁判官”が、寄りによってこのタイミングで那覇支部長に就いたのだ。県民じゃなくても「怪しい人事」に見えてしまう。なにしろ、安倍政権は憲法違反を正当化するために法の番人、内閣法制局長官のクビをすげ替えるぐらいだ。菅官房長官は「司法の判断を仰ぐことにした」なんて言っているが、本音は「多見谷裁判官よ、分かっているな」というプレッシャーがありありではないか。





44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 09:42

元大阪高裁判事の生田暉雄弁護士は「おそらく那覇支部の人事は国が必ず勝つための布石」とした上で、こう言った。

「今の司法は独立しておらず、行政の一部と化しています。
全くヒドイ状況だし、ますます悪くなっています」



45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 15:04
>>30-44


現代ビジネス 11月19日(木)7時1分配信

辺野古・基地移設問題「血の衝突」は回避可能か?〜東大大学院教授が提唱する、第三の選択肢 ついに国が県を提訴!


93名の研究者が安倍政権に異例の声明

 辺野古への米軍基地移設反対を掲げる翁長雄志・沖縄県知事が、辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しを表明したのが約一ヵ月前。これを受けて、安倍政権は「承認取り消しは違法であり、公益を害する」として、辺野古の新基地建設を強硬に進めようとしています。

 安倍政権は、安保法制でも、川内原発の再稼働でも、慎重論や反対論が多かったにもかかわらず、その声に耳を傾けることはありませんでした。しかし、辺野古新基地問題においてほど、民意を無視する態度が露骨に現れているところはないでしょう。

 沖縄では、仲井眞前知事が公約違反の辺野古埋め立て承認を行なったとして、県民の怒りが沸騰し、14年1月の名護市長選挙、同年11月の沖縄県知事選挙、そして昨年末の衆議院選挙沖縄選挙区において、すべて「米軍基地県内移設反対」の候補が勝利しました。

 世論調査でも沖縄県民の7〜8割は辺野古移設に反対です。にもかかわらず、それを強引に進めようとしているのです。

 普天間米軍基地の辺野古への移設計画を巡り対立する安倍政権と沖縄県。ついに政府が沖縄を提訴する事態にまで発展した。国はこのまま、強硬に基地移転を進めるのか。住民との激しい衝突によって、沖縄に血が流れるのか。

 「辺野古」でも「普天間固定化」でもない、もうひとつの選択肢を、『沖縄の米軍基地〜「県外移設」を考える』の著者、高橋哲哉・東京大学大学院教授が提示する。

 翁長知事は前知事の埋め立て承認に「法的瑕疵」があったとして承認を取り消しましたが、政府はこれに対して、本来国民が行政上の不利益を受けたときに使う制度である行政不服審査に「私人」の立場で訴え、同時に、国が知事に代わって取り消しを撤回する「代執行」の手続きを開始、取り消しを適法とする翁長知事を提訴しました。

 政府が「私人」になりすまし、また「私人」と国の立場を都合良く使い分けるやり方には、行政法研究者93名が「法治国家にもとる」との異例の声明を出しました。安倍政権にとって、「法の支配」は建前でしかなく、法律は強権を押し通すための道具でしかないのでしょうか。


46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 15:10
辺野古移設計画 日米の専門家が慎重な意見

日本テレビ系(NNN) 11月18日(水)23時16分配信
 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐり、日米の専門家が18日、日本記者クラブで会見し、名護市辺野古への移設計画に慎重な意見を述べた。

 アメリカ、ジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ教授は、辺野古への移設について、「日本政府が今の計画を推し進めることによって、結果的に政治的コストがどうなるかアメリカ政府は考えているだろう」と述べた。異例の法廷闘争に発展し、今後、沖縄県民の反発が一層強まることに懸念を示したもの。

 モチヅキ教授はその上で、普天間基地のオスプレイ24機を本土に移せば、辺野古沖の埋め立てを行わなくて済むと話し、「日本政府が代替案を示せば、アメリカも検討する」との見方を示した。

 いっしょに会見した桜美林大学の橋本晃和特任教授も、海兵隊の移転先となるグアムにある米軍基地の工事を急ぐことなどで、沖縄県の負担軽減を進められるという考えを示した。

47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 19:28
>>46
脳足りんの幼稚園児にそんな大人の知恵は無理だろう。


48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 20:04
>>39-44

政府が沖縄県の処分の撤回する「代執行」っていうんだけど、

普天間の埋め立ては政府の仕事であって、沖縄県の仕事でも、

沖縄県の「法定受託義務」(地方自治法第245条の8)でもないからな!。

法のロジックとして論外だよ!。《「法定受託義務」法定主義》

49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 20:39
普天間の住民って本当はずーっと基地がそのまま
あってほしいんじゃないかな
それが本音だろうな

50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/19(Thu) 22:59
>>48

地方自治法
(関与の法定主義)

第二百四十五条の二  普通地方公共団体は、その事務の処理に関し、法律又はこれに基づく政令によらなければ、普通地方公共団体に対する国又は都道府県の関与を受け、又は要することとされることはない。

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