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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/12/01(Sat) 20:25
最近の歌謡番組で「昭和」というのは、昭和末期、飽食の時代の昭和50年代のことらしいですが、昭和の名曲、どのくらい知ってますか?、何が好きですか?

今でこそテレビは色々な歌で溢れていますが、昔は民謡や唱歌・童謡、軍歌、演歌など以外にみんなが、大衆が口ずさむ、歌える歌というものがなかった。
昭和〈1926〜1989)と共に、SPレコードとともに始まった大衆歌曲としての、日本の文化としての「歌謡曲」の歴史、SPレコードの歴史、それは歌ずくりにかけた多くの先人のたゆまぬ熱き思いの歴史であった。

昭和の歌謡曲の歴史を歌で辿ってみましょう。

レコード歌謡は、今から84年前の昭和3年〈1928)「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)に始まったとされます。まだ日本が草深く貧しかった時代です。




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333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/28(Fri) 08:12
>>322
他に、
李香蘭(北京の子守唄1941)
由利あけみ(愛国六人娘)
松原操(勤労乙女)
糸井しだれ(おもいでの都)
藤山一郎(勇敢なる航空兵、山内中尉の母)
などがある。


334 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/28(Fri) 12:46
>>322
佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲・編曲作品


藤山一郎・・・・「男の純情」「青春日記」「青い背広で」「東京娘」「さらば青春」「白薔薇は咲けど」「青春の謝肉祭」「青春旅情」「大洋の寵児」「旅の鴎」「聖処女(きよおとめ)の唄」「働こうぜ友よ」「勇敢なる航空兵」、「山内中尉の母」    
井上静雄(藤山一郎)・・「鳩笛を吹く女の唄」
関種子・・・・・「笛は冴ゆれど」「朝顔の唄」「金色夜叉(お宮の唄)」「秘めたる恋」「愛は紅い」
淡谷のり子・・・「アリランの唄」「不如帰」「春の唄」
長谷川一郎・・・「放浪の唄」              
楠木繁夫・・・・「国境を越えて」「白い椿の唄」「緑の地平線」「人生劇場」「慈悲心鳥の唄」「真実一路の唄」「男のまごころ」「護れ国境」「丹下左膳の唄」「明けゆく蒙古」「カボチャの歌」       
ディックミネ・・「人生の並木路」「愛の小窓」「ゆかりの唄」「白衣の佳人の唄」「黄河の月」 「波止場がらす」、   
丸山和歌子・・・「月夜の恋」
松島詩子・・・・ 「思い出の雪」
中野忠晴・・・・「武雄の唄」
音丸・・・・・ 「会津磐梯山」(日本民謡)
奥田瑛子・・・・「緑の月」「浜辺の哀唱」
霧島 昇・・・・「新妻鏡」  
松原操・・・・・「勤労乙女」
李香蘭・・・・・「北京の子守唄」
由利あけみ・・・ [愛国六人娘]
伊藤久男・・・・「海の豪族」「馬」
糸井しだれ・・・「おもいでの都」
酒井弘・・・・・「働く力」(国民合唱・国民皆労の歌)



335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 14:45
>>334

中野忠晴・・・逢いに来るなら


「白衣(びゃくえ)の佳人の唄」



336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 14:46
☆戦前の流行歌

ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt



337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 17:14
嵐の島(関 種子 西條八十作詞 古賀政男作曲)1933.2

338 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 17:14
>>138-139

嵐の島(西条八十作詞 古賀政男作曲)1933.2


339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/10(Mon) 09:47
>>338, >>138-139


関 種子

「曙に唄う」 (太田哲城作詞、 古賀政男作曲) 27121A 昭和7年11月 コロムビア 黒盤
「処女よさらば」 (西条八十作詞 古賀政男作曲)27507B 昭和8年9月 コロムビア 黒盤 松竹『嫁入り前』
「南海小唄」 (島田芳文作詞 古賀政男作曲) 26661B 昭和7年1月 コロムビア 黒盤
[嵐の島] (西条八十作詞 古賀政男作曲)1933.2



340 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/10(Mon) 22:03
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/history/index2.html#1


341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/11(Tue) 21:33
>>138-139
☆関 種子と「古賀メロディ」

初期の「古賀メロディ」を支えた歌手・関 種子、ドイツリートのソプラノ歌手のかたわら「古賀メロディ」を中心に、数多くの名曲を 残している。

乙女心    (鹿山鶯村作詞, 古賀政男作曲) 1931.6
青春図絵の唄(貞子の唄)(菊池寛作詩、古賀政男作曲)1931.11
窓に凭れて  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931.12
美わしの宵   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1932.1
南海小唄 (島田芳文作詞 古賀政男作曲) 1932.1
金色夜叉(お宮の唄) (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.2
日本橋から  (浜田広介作詩、 古賀政男作曲)  1932.3
秘めたる恋  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.3
さらば上海  (時雨音羽作詞、 古賀政男作曲) 1932.4
あけみの歌   (原阿佐緒作詞、 古賀政男作曲) 1932.5
朝顔の唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.6
笛は冴ゆれど  (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.7
嘆きの夜曲   (西岡水朗作詩、 古賀政男作曲) 1932.7
曙に唄う (太田哲城作詞、 古賀政男作曲) 1932.7
愛は紅い    (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.9
去りゆく影  (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.1
嵐の島 (西條八十作詞, 古賀政男作曲) 1933.2
初恋の唄   (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.3
旭川小唄(新民謡)(波多野勝作詞 古賀政男作曲)1933.3
処女よさらば (西條八十作詞, 古賀政男作曲)1933.9


乳姉妹の唄   (佐藤惣之助作詩、佐々江華作曲)1932.6
夢に泣く    (島田芳文作詩、 江口夜詩作曲) 1934.2
流れの乙女   (佐藤惣之助作詩、竹岡信幸作曲) 1934.12
雨に咲く花   (高橋掬太郎作詩、池田不二男作曲) 1935
野薔薇の歌  (佐藤惣之助作詞、弘田龍太郎作曲 1936国民歌謡
明日なき恋  (島田芳文作詩、 江口夜詩作曲) 1937
初恋の丘   (藤田まさと作詩、長津義司作曲) 1937.5
千人針 (サトウハチロー作詞、 長津義司作曲) 1938

・関種子
 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%A8%AE%E5%AD%90






342 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/12(Wed) 10:09
>>327-329

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

《索  引》 (参考・主なもの)>>327-329, >>330,>>331



343 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/07(Mon) 07:24
>>327-329

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=35

344 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/07(Mon) 07:47
山田耕筰は、「日本の代表的な歌」として、外国に行くときは、古賀メロディ『丘を越えて』のレコードを持参し、外国に紹介していた。

345 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/08(Tue) 21:50
☆農村婦人の唄 山田耕筰・古賀政男作曲■コロムビアレコード 昭和7年
ttp://www.garitto.com/product/14389470
山田耕筰と古賀政男が作曲。富民協会当選歌。

桑田登志子作詞 山田耕筰作曲 オリオンコール女声合唱団 0709 COL27067
北部善良作詞  古賀政男作曲 淡谷のり子        0710 COL27067
 


346 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/13(Sun) 08:06
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html

2.山本 英子  歌唱
   「千曲川旅情の歌」(広田 龍太郎作曲)
   ピアノ伴奏 宇佐見 幸子
4.宇佐見 幸子  ピアノ演奏
   「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)
   「ワルツ 69の1」(ショパン作曲)
5.伊藤 勲  ギター演奏
   「荒城の月変奏曲」(瀧 錬太郎作曲)
   「我が心のアランフェス」(ロドリーゴ作曲)
12.伊藤 和子  琴演奏
   「六段の調べ」(八橋 検校作曲)
   「千鳥の曲」(吉澤 検校作曲)
13.中野 早苗  歌唱
   「影を慕いて」(古賀 政男作曲)
   ギター伴奏 伊藤 勲


347 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/13(Sun) 08:23
>>346
★♪ 第4回ダブルレインボー音楽会 ♪
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html



348 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 07:53
専属1年、ヒットに続くヒットで、コロムビアの顔となった古賀政男は、 昭和7年12月6日,コロムビア文芸部長和田龍雄の仲立ち、山田耕筰夫妻の陪酌で丸の内の東京會舘で挙式。28歳の時である。
相手は松竹少女歌劇スター、コロンビア専属歌手だった中村千代子。だが結婚は一年も続かなかった。翌、昭和8年10月離婚。離婚については、古賀は多くを語らない。それから一生古賀が結婚することはなかった。

この一連のごたごたで体調を崩して肺浸透で入院、伊東温泉に別荘を借りて転地療養。古賀政男がスランプで作曲を停滞させたのは長い作曲家人生でただこの期間だけだった。
その間、帝国蓄音機と言う小さなできたばかりの会社の社長南口重太郎氏の見舞いを受ける。この間、コロムビアの冷たい対応で、古賀は昭和8年5月1日、コロムビアを退社。だが、コロムビアは契約をたてに、退社を受け入れなかった。

この争いに救いの手を差し伸べたのが弘田龍太郎だった。
契約条件をはるかに超える作品を作っているという言い分が通って解決。

そして、昭和8年5月15日、古賀政男はテイチク入社、専務取締役としてである。南口社長は、古賀に重役待遇で,レコード企画と吹き込みにつき、一切の権限と責任を持つと言う破格の条件を示して熱心に招請していたのだった。


349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:00
そして古賀は、銀座にテイチク東京文芸部、通称古賀文芸部を発足させ明大マンドリンクラブの後輩7人を呼び寄せ、11年にはビクターとの3年契約の終えた藤山一郎を呼び寄せる。ここに、世にいう「テイチク黄金時代」(古賀政男第二期黄金時代)が始まる。

山田耕筰は、外国に行くときは、古賀メロディ『丘を越えて』のレコードを持参し「日本の代表的な歌」として紹介していた。

なお、中村千代子との結婚の前、昭和7年6月には、山田耕筰と古賀政男が作曲。富民協会当選歌「農村婦人の唄」である。>>345

その後、昭和13年,古賀政男はテイチクを退社。1年間の「外務省音楽文化親善使節」として、アメリカや南米各地を回り、世界の古賀として凱旋、昭和14年にコロムビアに復帰。

コロムビアに移籍していた西條八十との黄金コンビも復活。古賀政男第三期黄金時代を築く。

弘田龍太郎は、国民合唱・陸海軍礼式歌「いさおを胸に」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲。楠木繁夫・松原操歌。1944年10月・日畜=コロムビア)の編曲を行っている。




350 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:04
古賀政男ほど多くのヒット曲を持つ作曲家はいない、同時に古賀政男ほど映画主題歌の多い作曲家もいない。

他社をはるかに引き離した数の映画主題歌を出したのが、テイチクレコードだった。

昭和12年の、各社の曲数を並べてみると、テイチクの半端じゃない圧倒的な強さが判ってくる。テイチクの発展ぶりは数ばかりでなく、70年たった今でも、よく知られているヒット主題歌が多いことからも納得できる。

12年に出たテイチクの主題歌90曲のうち、古賀政男の作曲が43曲もあり、約半数を占めていた。 昭和9年に古賀政男がBクラスだったテイチクに招聘され、その後急速に業績が伸ばした救世主の由縁が、この作曲数でもよく判る。

「古賀メロディ」は、映画と言う人々に馴染み深いものを通じて多くの人に愛されたのだ。

各社別 昭和12年 映画主題歌数
テイチク    90曲     
ポリドール  49曲     
コロムビア   44曲        
ビクター   41曲      
キング    21曲
タイヘイ  19曲
その他   27曲
 
昭和12年 テイチク歌手別 映画主題歌数
デックミネ      16曲      
美ち奴     15曲      
藤山一郎    14曲   
楠木繁夫    14曲     
奥田英子    13曲
杉 狂児     8曲
その他     10曲


☆「日活 検事とその妹」  主題歌「人生の並木路・デックミネ」(佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 検事とその妹」  挿入歌「聖処女(きよおとめ)の唄・藤山一郎」(佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 うちの女房にゃ髭がある」主題歌「左同・美ち奴、杉狂児」(星野貞志作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 うちの女房にゃ髭がある」主題歌「ああそれなのに・美ち奴」(詩曲とも同上)
☆「日活 銃後の赤誠」   主題歌「軍国の母・美ち奴」(島田磐也作詞・古賀政男作曲)


351 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:41
昭和4年(1929)に作られた「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子)は、わが国の映画主題歌第1号。それまでも「船頭小唄」や「籠の鳥」など巷で流行した歌が映画になったのもあったが、最初から映画の主題歌として作られたのはこの歌が初めてである。もちろんサイレント映画である。

当時、雑誌「キング」に連載された菊池寛原作の小説を日活が映画化。これに先立ってその頃「かなりや」の歌が流行で、すでに名を知られていた詩人、西条八十に主題歌作詩の白羽の矢が立てられた。八十はヨーロッパから帰ったばかり、留守の間に震災で焼けてしまった銀座の柳を惜しみ、まず、「昔恋しい……」と書いた。

映画音楽には主題歌は勿論、劇中歌や挿入歌にも名曲が多い。歌謡曲の発展に大きく寄与したのが、サイレントからトーキーに移行したばかりの映画だったのです。

当時、昭和6年、日本最初のトーキー映画「マダムと女房」以来トーキーに移行して、音が出るようになった映画に対して、各レコード会社が競って、主題歌を作るようになるのです。いわゆる、映画と歌謡曲のタイアップです。

なかでも、コロムビアからテイチクに移籍した新進気鋭の作曲家、古賀政男の生み出す古賀メロディは、日活映画との提携で普及、流行し、「歌はテイチク、映画は日活」とまで言われたのです。

当時は、ラジオの時代で、まだテレビもない時代、娯楽としても、同時上映のニュースによる情報メディアとしても、映画の影響力が強かったので、歌謡曲の流行にも拍車がかかったのです。この映画をもっとも効果的に使ったのが古賀政男といえる。



352 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 23:18
>>193-195 [古賀メロディ−] と 映画主題歌(まとめ)


353 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 23:39
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

《索  引》 (参考・主なもの)>>327-329 >>275>>325

>>330 演奏家 古賀政男のすべて(10CD)
>>331 古賀政男作品主なCD
>>334-335 佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲・編曲作品
>>341 関 種子と「古賀メロディ」
>>344-345 山田耕筰は
農村婦人の唄 山田耕筰・古賀政男作曲■コロムビアレコード 昭和7年
>>345-347 ♪ 第4回ダブルレインボー音楽会 ♪
>>349-352 古賀政男ほど多くのヒット曲を持つ作曲家はいない、


354 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/24(Thu) 21:22
(参考)

福田俊二、加藤正義編「昭和流行歌総覧(戦前・戦中編)」つげ書房新社2007
加藤正義編「昭和流行歌総覧(戦後編)」つげ書房新社2007

村越光男、佐藤孝夫編「昭和歌謡全曲名―昭和流行歌総覧索引」(戦前・戦中編、戦後編)つげ書房新社2007


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356 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/27(Sun) 20:47
☆古賀政男に関する文献(参考)
(追加)
>>222-226 古賀政男に関する文献
>>251-255 テイチク50年史・・テイチク社史編纂委員会編「レコードと共に五十年」(テイチク株式会社1986)

・高橋功著作集・別冊写真文集1988.11. (国会図書館)
 功·高橋「高橋功著作集・別冊写真文集; 古賀政男・古賀政男編, 第 2 巻

・藤森 照信著、藤森 照信写真「歴史遺産 日本の洋館〈第6巻〉 昭和篇(2)」 講談社 (2003/3/19) ISBN-13: 9784062614863

 岩崎小彌太別邸(静岡県) 、三井家別邸(北海道)、徳川義親邸(長野県)、細川護立邸(東京都)、原邦造邸(東京都)、林芙美子邸(東京都)、古賀政男邸(東京都)など。

 古賀政男邸(東京都) 昭和の大作曲家、これを建つ p.126

・寺山修司編「日本童謡集―青い目の人形から唐獅子牡丹まで」〈光文社カッパブックス1972、1995年復刻版〉
 童謡の概念は子供の歌に限らないとする、童謡の中に「影を慕いて」など沢山の古賀メロディの名曲が入っている。


357 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/28(Mon) 08:07
・伊藤正憲「レコードと共に四十五年―私のアルバム」日本クラウン, 1971



358 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/29(Tue) 22:05
CD紹介

日本フィルとゆく抒情歌紀行 1 心の旅路へ /  CD1(KICC-526 (キング)
南安雄, 小野崎孝輔 指揮 ; 日本フィルハーモニー交響楽団 [演奏].

内容
(1)夢路より(夢見る人)(フォスター)(2)星めぐりの歌(宮澤賢治)(3)愛の挨拶(エルガー)(4)メロディ・イン・F(「2つのメロディ」作品3より第1曲)(ルービンシュタイン)(5)童神-天の子守歌(佐原一哉)(6)ぞうさん(團伊玖磨)(7)砂山(中山晋平)(8)影を慕いて(古賀政男)(9)暗路(W.T.ライトン)(10)私のお父さん-オペラ「ジャンニ・スキッキ」より(プッチーニ)(11)聞かせてよ愛の言葉を(ジャン・ルノワール)(12)涙そうそう(BEGIN)(13)枯葉(ジョセフ・コスマ)(14)愛の讃歌(マルグリット・モノ)(15)亡き母の教え給いし歌-歌曲集「ジプシーの歌」(ドヴォルザーク)(16)トロイメライ-「子供の情景」作品15第7曲(シューマン)


359 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 10:34
ttp://www.geocities.jp/jose_yacopi1977/2007_12_07malgorzata.htm

PROGRAM

1 「春の海」  作曲:宮城道雄(尺八:森川友博、ピアノ:吉野りん子)
Spring Sea music by MIYAGI Michio
syakuhachi:MORIKAWA Tomohiro,piano:YOSHINO Rinko

2 「アランブラ宮殿の思い出」  作曲:F.タレガ(ギター:中子祐二)
Recuerdos de la Alhambra music by Francisco Tárrega (guitar:NAKAKO Yuji)

3 「バルカローレ」  作曲:A.タンスマン(ギター:中子祐二)
Barcarole music by Alexandre Tansman(guitar:NAKAKO Yuji)

4  「影を慕いて」  作曲:古賀 政男(ギター:中子祐二)
 KAGE WO SHITAI TE music by KOGA Masao(guitar:NAKAKO Yuji)

5  「ダニー・ボーイ」  作曲:アイルランド民謡
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ギター:中子祐二)
Danny Boy Irish traditional (soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko,guitar:NAKAKO Yuji)

6  「エーデルワイス」  作曲:R.ロジャース 作詞:O. ハマースタイン2世
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ウクレレ:中子祐二)
Edelweiss music by Richard Rodgers & words by Oscar Hammerstein II
(soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko, ukulele :NAKAKO Yuji)




360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 11:20
>>358-359
>>74-75,>>356

昭和3年(1928)、「人生の苦悩」から生まれた「古賀メロディ」、昭和歌謡史の最高傑作と言われる『影を慕いて』

この歌には古賀の人生の苦悩・絶望からの魂の叫びが込められており、古賀政男の人生の歌ともいわれる。

童謡と同じく、80年を超えるこの歌、かってNHKTV『日本の名曲10』として、時に童謡として、時に叙情歌として、ジャンルを超え、時代を超えた普遍性をもって、今でも根強く歌われ、演奏されていることがわかる。

影を慕いて(古賀正男作詞、古賀正男作曲)佐藤千夜子 ビクタ― 黒盤 51519@  昭和6年1月
影を慕いて(古賀政男作詞、古賀政男作曲)藤山一郎  コロムビア黒盤 26748@  昭和7年3月



361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 14:33
信長貴富:混声合唱とピアノのための 「近代日本名歌抄」(混声4部版)カワイ出版2008



編曲:信長貴富
A4判/48頁
グレード:初級
演奏時間=約22分。
ISBN 978-4-7609-1270-4

西洋音階による日本語の歌が民衆の間に親しまれ始めた大正から昭和初期の作品編曲した「近代日本名歌抄」の混声4部合唱版。これで、混3版、女声版と三種類が揃う。混3版の基本的なコンセプトは踏襲しているが、男声が厚くなった分響きが変わり、より音楽性が際だった編曲になっている。
「あの町この町」「宵待草」「ゴンドラの歌」「青い眼の人形」「影を慕いて」「カチューシャの歌」の6曲。日本の歌謡曲第一号といわれる「カチューシャの歌」はじめ、中山晋平の作品が半数選ばれている。「合唱団葡萄」の委嘱で2009年2月に初演された。

1 あの町この町(1’35”)
2 宵待草(3’40”)
3 ゴンドラの歌(4’00”)
4 青い眼の人形(2’20”)
5 影を慕いて(5’40”)
6 カチューシャの歌(4’35”)

ttp://editionkawai.shop16.makeshop.jp/shopdetail/002001000375/





362 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 16:13
☆古賀政男に関する文献☆

日本の歌謡曲の歴史をつくった作曲家・古賀政男、歌謡曲の歴史そのものであるだけに、古賀政男に関する文献は圧倒的に多い。まずその最初は、テイチク黄金時代、昭和13年(1938)11月、宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』>>152である。
このあとテイチクを退社した古賀政男は、「外務省音楽文化親善使節」として、1年間アメリカにわたるのである。>>95
・・豪華な大型本で、序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、三浦環、佐藤惣之助、小松耕輔、サトウハチローなど、錚々たるメンバーが寄稿している。なお、この新聞広告には「古賀メロディ」という言葉が使われている。その他雑誌には沢山でていたようだ。


宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻昭和53年10月)
古賀政男編著「古賀政男ピアノ伴奏名曲集. no.1」(シンフオニー楽譜出版社(昭和14年1939)「古賀政男ギター新奏法」シンフオニー楽譜出版社(昭和17年1942)
くろがね会「くろがね叢書 1944.10.31」 ・・「勝利の日まで」について
古賀政男編著「古賀政男作曲集. 第4輯」(全音樂譜出版社1948)
古賀政男「私の音楽生活二十年」(全音楽譜出版社1949)
毎日新聞社編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社1956.3)
萩原葉子 『父・萩原朔太郎』(中公文庫 A 109-2、1979) 1959
コロムビア50年史編纂委員会編「コロムビア50年史」(日本コロムビア)(昭和36年1961)古賀政男「我が心の歌」(展望社1965)
伊藤正憲「レコードと共に四十五年―私のアルバム」日本クラウン, 1971
森下 節著 [孤独の宴 : 小説・古賀政男 ]仙石出版1972
寺山修司編著『日本唱歌集』〈光文社カッパブックス30−17, 1972 、1995年復刻版〉〉
日経新聞社編「私の履歴書 第48集」(日経1973)
結城亮一『あゝ東京行進曲』 河出書房新社 (1976,1985/01角川文庫) (小説佐藤千夜子)
古賀政男「歌はわが友わが心 : 古賀政男自伝」潮出版社1977
堀野羽津子編「古賀政男名曲集」(成美堂出版1978)
「古賀政男・昭和の日本の心・・わが歌は永遠に」(平凡出版)・・昭和53年、古賀政男追悼本古賀政男と石川啄木(『古賀政男芸術大観』)・「萩原朔太郎全集 第14巻 雑纂」筑摩書房 1978.2.25
「古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史」(東京音楽書院1979)
茂木大輔「誰か故郷を・・素顔の古賀政男」(講談社1979)
毎日新聞社『別冊・一億人の昭和史 昭和流行歌史』(毎日新聞社1979)
高橋功著作集・別冊写真文集1988.11. (国会図書館)
 功·高橋「高橋功著作集・別冊写真文集; 古賀政男・古賀政男編, 第 2 巻


363 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 16:14
テイチク社史編纂委員会編「レコードと共に五十年」(テイチク株式会社1986)
利根川祐「人物昭和史」(ちくま文庫720) (1989)
高平一記「うさぎ―古賀政男十三回忌年出版作品」 (単行本) 日本ブックマネジメント (1990/08)
里村あきら 著「影を慕いて… 「古賀メロディー」知ったかぶり」雄文社出版企画室 1993
沢憲一郎著「二人の千代子 : 古賀政男の結婚」(文園社1994)
福田俊二「昭和流行歌総覧(戦前・戦中編)」(拓殖書房1994)
「日録20世紀1931 昭和6年」(講談社1997)第1巻 第43号通巻43号
下嶋哲朗著「謎の森に棲む古賀政男」(講談社1998)
「人間の記録93 古賀政男」(日本図書センター1999)
藍川由美著「「演歌」のススメ」(文春新書2002)
舘野晰 編著「韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人 : 西郷隆盛、福沢諭吉から現代まで 」 明石書店 2002
読売新聞文化部編『愛唱歌ものがたり』(岩波書店2003)・・ふと口ずさむ愛唱歌66曲
『古賀政男110 名曲集 古賀政男生誕百年記念 ギターでつまびく 我が心の歌』(全音楽譜出版社、平成15 年(2003)11月刊)103 頁
古賀政男音楽文化振興財団編「ギターでつまびく古賀政男110名曲集 我が心の歌」全音楽譜出版社2003
シニアのためのピアノ曲集 (ドレミ楽譜出版社 2003 )
菊池清麿「評伝 古賀政男」(アテネ書房2004)
「夢人生を奏でて」(古賀政男生誕百年記念特別版)古賀政男音楽文化振興財団(小学館スクウェア2004)
「生誕100年記念 古賀政男大正琴名曲集」全音楽譜出版社2004
佐高信『悲歌 古賀政男の人生とメロディ』(毎日新聞社(2005/08))
菊池清麿「永遠の歌姫 佐藤千夜子」(東北出版企画(2008/12)) 
佐高信『酒は涙か溜息か 古賀政男の人生とメロディ』(角川書店 角川文庫)(2008/11/22)
信長貴富編曲「混声3部合唱とピアノのための楽譜 近代日本名歌抄」(河合楽器製作所2008)宵待草、ゴンドラの唄、青い目の人形、影を慕いて他
長田暁二編「楽譜 日本抒情歌全集4」(ドレミ楽譜出版社2008)
「秋の野 - 北原白秋 團伊玖磨」、「川 - 千家元麿 橋本国彦」「鶯の夢 - 野口雨情 中山晋平」「秋の夜 - 長田秀雄 山田耕筰」「働くお山 - 高橋掬太郎 弘田龍太郎」
「酒は涙か溜息か - 高橋掬太郎 古賀政男」他

藤森 照信著、藤森 照信写真「歴史遺産 日本の洋館〈第6巻〉 昭和篇(2)」講談                社 (2003/3/19) ISBN-13: 9784062614863
 岩崎小彌太別邸(静岡県)、三井家別邸(北海道)、徳川義親邸(長野県)、細川            護立邸(東京都)、原邦造邸(東京都)、林芙美子邸(東京都)、古賀政男邸(東京都)など。
    古賀政男邸(東京都) 昭和の大作曲家、これを建つ p.126


364 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/30(Wed) 17:24
☆古賀政男に関する文献2  雑誌
 
・田辺 明雄「古賀政男論」
   掲載誌 季刊芸術 / 季刊芸術出版株式会社 [編] 臨時増刊号(1989年秋) 1989-10
・高橋 功「"回想の雅兄・古賀政男"」
  掲載誌 心 31(10) 1978-10 p.p129〜140
・九州の偉人たちを育んだ「おふくろ物語」(2)古賀政男の母「セツ」
  掲載誌 財界九州 46(3) (通号 966) 2005-03 p.159〜162
・大石 さち子 「趣味と私 古賀政男音楽博物館--昭和と共に生きた古賀メロディ」
  掲載誌 共済新報 / 共済組合連盟 [編] 41(8) 2000-08 p.50〜52
・石出 法太 「古賀政男--「古賀メロディー」と民衆 」(20世紀の歴史のなかの人物)
  掲載誌 歴史地理教育 / 歴史教育者協議会 編 (通号 576) 1998-03 p.56〜57
・古賀 政男 「人との出会いにめぐまれて 」(この道ひとすじ五十年) 掲載誌 潮 (通号 214) 1977-03 p.p246〜247
・下嶋 哲朗 「太平洋戦争秘話=「歌謡曲の天皇」渡米の裏に外務省の謀略が--古賀政男に    下った「日米開戦前夜の密命」  掲載誌 「現代」 32(9) 1998-09 p.218〜228
・古賀 政男 「昭和を歌う我が涙の幾千曲 」
  掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 120) 1969-12-00 p.350〜354
・菊池清麿「日本近代と古賀メロディーの心情」(『メディア史研究』第16号、2004)


365 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 09:37
・流行歌曲について  萩原朔太郎 >>170
(「日本の名随筆 別巻82 演歌」作品社1997.12:「萩原朔太郎全集」筑摩書房1975)
 
 ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47046_30961.html


366 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 09:55
>>362
古賀政男「我が心の歌」(展望社1965)
古賀政男と石川啄木(『古賀政男芸術大観』)・「萩原朔太郎全集 第14巻 雑纂」筑摩書房 

367 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 12:07
(参考)

Electronic Journal
ttp://electronic-journal.seesaa.net/pages/user/m/comments/regist/input?article_id=23976803


368 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 12:34
(参考)

・「サヨンの鐘」によせて―「サヨンの鐘」資料一斑―(十訂稿)
―日本統治下台湾警察史の一齣―
ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/tatyoshi/sayun001.pdf#search='%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%90%98%E8%B3%87%E6%96%99'


・歌謡曲「サヨンの鐘」の謎(2,000・12・25転記)
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no47.htm


・下村作次郎編「サヨンの鐘」関係資料集(日本統治期台湾文学集, 第2期 ; 28)緑陰書房, 2007.6
・サヨンの鐘 企画展 国立民俗学博物館
ttp://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fs/movies0610


・「サヨンの歌」と「サヨンの鐘」
サヨンの歌
作詞:西条八十  作曲:古賀政男  歌唱:李香蘭
花を摘み摘み 山から山を 歌いくらして 夜霧に濡れる わたしゃ気まぐれな 蕃社の娘 親は雲やら 霧じゃやら ハイホー ハイホー

この「サヨンの歌」は、渡邊はま子がレコードの吹き込んだ「サヨンの鐘」とともに今でも台湾の人々に愛唱されている曲である。

李香蘭の出演した映画が凡てそうであったように、映画そのものよりも主題歌の方が生命力を持っているようだ。
サヨンの歌は、映画のことなど知らなくても十分に楽しめるし、その明るい牧歌的なリズムは記憶に残る。
映画そのものは、ビデオ化されているし、フィルムセンターなどでも見ることが出来る。
日本の台湾に於ける皇民化政策がいかなるものであったかを知るための歴史的資料として上映されることもある。



369 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 17:31
>>366
・古賀政男と石川啄木(『古賀政男芸術大観』)…… 314pp
「萩原朔太郎全集 第14巻 雑纂」筑摩書房 1978.2.25



370 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/01(Thu) 22:35
>>290-292,>>306

私の タンゴ年表
ー(古賀政男と日本におけるタンゴの歴史)・・

ttp://members.optusnet.com.au/~yhosaka/mytangohistory.html


371 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/03(Sat) 09:25
☆主な歌手と主な歌

>>117 古賀メロディを支えた名歌手たち・・その古賀メロディ第一作
>>155-157 佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品
>>139 関 種子と「古賀メロディ」
>>141 藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
>>144 ディックミネの代表曲(古賀メロディ)
>>146 楠木繁夫の代表曲
>>147 古賀メロディと霧島昇
>>119 李香蘭の歌う古賀メロディ

>>112 初期の「古賀メロディ」と詩人・島田芳文
>>127-130 西條八十と古賀政男
>>160 サトウハチロー作品 (主な古賀政男作曲作品)
>>165 佐藤惣之助(作詞)の主な歌と歌手
>>172 西岡水朗と初期古賀メロディ
>>334-335 佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲・編曲作品

>>193-195 [古賀メロディ−] と 映画主題歌(まとめ)


372 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/03(Sat) 22:41
>>269-271 昭和SP歌謡 主な歌手(戦前・戦中)


373 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/03(Sat) 22:54
>>362-369 ☆古賀政男に関する文献☆


374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/07(Wed) 08:18
参考)

歌手生活60周年記念島倉千代子全集が発売

歌手生活60周年記念島倉千代子全集 CD38枚+DVD1枚 全600曲
販売元 日本コロムビア2014.4
ttp://www.u-canshop.jp/shimakura/

和製タンゴ第一号『日本橋から』など、古賀メロディを含む島倉千代子全600曲



375 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/08(Thu) 11:55
タンゴと歌謡曲 ttp://voicejapan2.heteml.jp/janjan/column/0701/0701168221/1.php

376 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/11(Sun) 18:16
>>141 藤山一郎代表曲(古賀メロディ)

昭和の日本歌謡史上に燦然とした足跡を残す名歌手藤山一郎、藤山一郎は「歌謡曲」はもちろん、それ以外でも本名を含めて数え切れないほど沢山歌っている。しかし藤山一郎と言えば古賀メロディ。藤山一郎は、アルバイト時代のコロムビアを皮切りに、ビクター、テイチク、コロムビアと、ビクターを除いて古賀政男に合わせて転籍しています。

「藤山一郎」としての戦前のメジャーな代表曲としては、なんといっても、古賀メロディが圧倒的。それ以外で知られるのは、ビクター時代の「浅草の唄」「赤い花」「僕の青春(はる)」「チェリオ」などしょうか。

浅草の唄(西條八十作詞、中山晋平作曲)1933,4
赤い花 (佐伯孝夫作詞、松平信博作曲)1933
燃える御神火(西條八十作詞、中山晋平作曲 )1933
僕の青春(はる)(佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲)1933.
チェリオ(佐伯孝夫作詞、橋本国彦作曲)1934(小林千代子)
僕の銀座(佐伯孝夫作詞、加藤しのぶ作曲)(四家文子)



377 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/12(Mon) 08:36
日本のもっとも大きく伸びんとするとき、日本人の心を支えた音楽があります。
古賀政男は、日本に歌謡曲という新しい音楽の分野を根ずかせることを心に、メロディーの重要性を訴え、かつ広く世界の色々な分野の音楽を取り入れました。
昭和一桁代、その新鮮な新しい音楽を、人は主流だった『晋平“節”』に対し、『古賀“メロディー”』と呼んだのでした。


378 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/15(Thu) 23:00
昭和3年、レコード歌謡が始まって以来の名門ビクター。
しかし、彗星のように現れた「古賀メロディー」のコロムビア。
昭和6年以降、「晋平節」から「古賀メロディー」の時代へと大きく変わっていく。

これまで主流だった中山晋平は、「古賀メロディー」の隆盛によって、昭和一桁をもってその作曲活動から遠ざかる。
昭和9年の「皇太子様お生まれなった」や、「さくら音頭」を最後に、以後、戦後、昭和27年に亡くなるまでほぼ空ろな余生を送ることになる。

西條八十は、昭和10年(1935)9月、ビクターに対する著作権上の不満から、ビクター専属をやめ、コロムビア専属となる。

こうして大御所・中山晋平に代わるビクターの主役は佐々木俊一に、詩人・西條八十に代わるのは、その弟子である作詞家の佐伯孝夫に。
以後、戦後に至るまで、ビクターを抑えてコロムビアは最大のレーベルとして君臨することになる。

コロンビアでのアルバイトで「古賀メロディー」の最大の功労者、藤山一郎は、
昭和8年4月、東京音楽学校を主席卒業して、ビクター専属となった。

しかし、古賀政男のいないビクターでは、これといってヒットは無かった。

しかし、専属契約の切れると、昭和11年5月、古賀政男に招かれテイチク専属となる。
そして、7月、「東京ラプソディ」を大ヒットさせる。

藤山一郎を得て、ここに世に言う「テイチク黄金時代」が始まる。


379 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/16(Fri) 07:41
昭和13年〈 1938〉、「人生劇場」(佐藤惣之助作詞、楠木繁夫)(1938.6))を最後にテイチクから コロムビアに移籍復帰した古賀政男は、直後に「外務省音楽文化親善使節」として渡米。

古賀政男33歳は、昭和13年11月8日にテイチクからコロムビアに移籍復帰したのだ。
そのコロムビア復帰直後、「外務省音楽文化親善使節」として、昭和13年11月14日、藤原義江などの見送りを受けて、龍田丸でハワイ(ホノルル)経由でアメリカに向けて横浜湊を出港。
昭和13年11月には、これまでの音楽を集大成する「古賀政男藝術大観」と言う豪華本がでる。

. その後、テイチクとの3年間の契約の切れた藤山一郎も、昭和14年4月、古賀不在中のコロムビアに移籍。そして、10月10日に古賀が帰国する。
昭和10年(1935)年9月、ビクター専属から、 コロムビアへと移籍していた西條八十、ここに西條八十・古賀政男コンビが復活。
昭和13年(1938)にテイチクをはなれて、コロムビア専属となっていたサトウハチロー。

昭和15年(1940)にコロムビア専属となっていた佐藤惣之助、そして古賀政男がコロムビアに揃うこととなったのである。古賀政男第3期黄金時代を迎えた。

そして、楠木繁夫も、昭和17年(1942)に、再び古賀政男の誘いでコロムビアに移籍、大映映画「歌う狸御殿」にも出演。


380 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/16(Fri) 23:17
昭和27年も押し迫った12月2日、「ゴンドラの唄」の作曲者・中山晋平は、ある恩人の記念碑の除幕式に出席した帰りに、暖房のきかない恵比寿の映画館で黒沢明の『生きる』を観た。

主人公が公園のブランコに乗って唄っていたのが晋平作曲の「ゴンドラの唄」でした。「いのち短し恋せよ少女・・・」。
母危篤の知らせを受け、故郷に駆けつける列車の中でつくった「ゴンドラの唄」を耳にした、この28日後、今から62年前の昭和27年12月30日、晋平は65歳の生涯を閉じます。

晋平が目指したのは《誰でも歌える歌ずくり》でした。

告別式は翌年1月16日築地本願寺にて、日本ビクターの社葬として行われ、作曲家佐々木俊一の指揮するオーケストラによる「哀悼歌」、四家文子の独唱に続いて、ビクター児童合唱団、音羽ゆりかご会による「てるてる坊主」、最後には「カチューシャの唄」が歌われた。
母が晋平との最後の別れに残した「私にも歌える歌を作っておくれ」という言葉に取りつかれたように・・・。
中山晋平は島村抱月・須磨子の死のあと藝術座を離れ、野口雨情、西條八十らと大正デモクラシーの中ではじまり、発展した童謡運動に加わりました。晋平の童謡は子どもたちに歓迎され、その歌は今でも歌い継がれています。

その他、大正から昭和のはじめに掛け、佐藤千夜子などと新民謡(中野小唄、船頭小唄、波浮の港など)や歌曲など幅広い作曲活動を続けてきた。昭和に入ってからは『東京行進曲』「銀座の柳」など作曲しました。

しかし、その後、流行歌(レコード歌謡)の世界は、ビクターから『古賀メロディ』のコロムビアに移っていきます。

中山晋平は昭和一桁時代、昭和9年1月の童謡「皇太子さまお生れなつた」(北原白秋作詞 中山晉平作曲)を最後に、ほぼ空ろな悠々自適生活を送っています。

以後は、昭和17年「日本音楽文化協会理事長」、そして戦後昭和23年「日本音楽著作権協会理事長」等の要職を歴任します。






381 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/05/17(Sat) 22:08
中山晋平の記念館は生地である長野県中野市と、熱海の梅園にある。熱海のは、「雨降りお月」「波浮の港」「東京音頭」など数々のヒット曲を作りだした中山晋平が晩年を過ごした別荘を梅園内に移築したもの。 
館内には作曲に使用したピアノや、「シャボン玉」など直筆の譜面などが展示されている。
晋平は、東京中野区に住んでいたのだが、昭和10年2月に、熱海市の西山町に別荘を構える、49歳だった。
記念館には、大正8〜10年頃に購入し際に作曲に使用したピアノがある。東京・中野にて使用していたが、このとき、昭和10年に熱海の別荘に持ってきたものという。

昭和19年(1944)、戦局の悪化に伴い熱海の西山町に疎開し、それ以後、昭和27年に亡くなるまでこちらで過すことになる。ピアノが先に別荘の方に移っているのは象徴的ではあろう。。

実際、晋平は昭和23年に日本音楽著作権協会会長となるも、殆ど曲を作ることはなかった。
そして、同年12月2日に自らが作った『ゴンドラの唄』が使われた『生きる』を映画館で観た、その翌日に倒れ、30日3時30分、入院先の熱海国立病院で死去。死因は膵臓炎だった。65歳没。


(参考)
斉藤武雄他『定本中山晋平 唄とロマンに生きた全生涯』郷土出版社, 1987年
菊池清麿『近代日本流行歌の父 中山晋平伝』郷土出版社, 2007年
和田登 著「唄の旅人 中山晋平」岩波書店  2010年2月

映画「ララ、歌は流れる-中山晋平物語」(長野映研製作)
NHK連続テレビ小説「いちばん星」












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