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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/12/01(Sat) 20:25
最近の歌謡番組で「昭和」というのは、昭和末期、飽食の時代の昭和50年代のことらしいですが、昭和の名曲、どのくらい知ってますか?、何が好きですか?

今でこそテレビは色々な歌で溢れていますが、昔は民謡や唱歌・童謡、軍歌、演歌など以外にみんなが、大衆が口ずさむ、歌える歌というものがなかった。
昭和〈1926〜1989)と共に、SPレコードとともに始まった大衆歌曲としての、日本の文化としての「歌謡曲」の歴史、SPレコードの歴史、それは歌ずくりにかけた多くの先人のたゆまぬ熱き思いの歴史であった。

昭和の歌謡曲の歴史を歌で辿ってみましょう。

レコード歌謡は、今から84年前の昭和3年〈1928)「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)に始まったとされます。まだ日本が草深く貧しかった時代です。




185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 16:15
☆「古賀政男と「荒城の月」 2 ・李香蘭と[荒城の月]

昨年、2012年 6月12日、本欄に、「古賀政男と「荒城の月」」を載せさせていただきましたが、その後2012年10月に、以下のブログで土井晩翠と「荒城の月」、それにここで書いた李香蘭が戦地慰問で最初に歌った古賀政男編曲になる「荒城の月」についても、これを含めてポスターを使ってわかりやすくまとめてくださっていますので一部ここに紹介させていただくこととします。

名曲「荒城の月」の作詞家土井晩翠の忌日
2012-10-19 | 人物
ttp://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/043bce83d51c834415dc1008bf695af4

以下引用・・
戦前の中国(中華民國)と満州國、日本で歌手、女優として活躍(悲運の運命を辿ったと言ったほうが良い)した李香蘭(山口 淑子)が戦地慰問でかならず最初に歌ったという歌が、「荒城の月」であったといい、これは1942(昭和17)年、古賀政男の編曲になるものだそうだ(※14)。
※14:SP歌謡・回顧と展望:古賀政男と「荒城の月」
  
この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年公開。 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見ることができる。
彼女の本格クラシック的歌唱力は幼少時に奉天(現:瀋陽)に住むイタリア人オペラ歌手マダム・ポドレソフのもとで声楽を習い、日本では三浦環にも師事したといわれるだけあって、単なる美貌のアイドルスターの歌ではなく、とても素晴らしいものだ。

私は、若い頃から彼女の歌の大ファンである。是非この曲をきいてください。映像は、戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる場面である。

荒城の月 山口淑子 - YouTube





186 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 16:25
☆詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・

 青春日記、青い背広で、男の純情、人生の並木路・・佐藤惣之助没後70年!

物が、食があり余る「飽食の時代」、若者文化を象徴するかのような最近のニューミュ-ジック等のテレビ歌番組には、重い言葉であるべき『名曲』と言う言葉がいとも軽く平気で飛び交っているのには違和感を覚える人も少なくないでしょう。

「名曲」と言うものは、聴くことに依って心が洗われ癒され、心穏やかになれる、心の原点を取り返すことができる。人は、心が洗われ、心穏やかになり、心の原点を取り戻した時、自然に涙がでてくる、そして人は再び生きる力を与えられる。

「人生の苦悩」から始まった「古賀メロディ」・・「影を慕いて」が作られた昭和3年、唱歌・童謡、民謡、新民謡等を除いて、今ある歌のほとんどはまだなかった。

「古賀メロディ」にもいろいろあるが、人生の、青春の苦悩をテーマとしたものに、より名曲が多い。(ただしSPオリジナルを基本とした音源でないと聴けない。)

その短い中に、底辺に流れる誰もマネできない独特の哀調を帯びたメロディの中に、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲に値するようなメロディの中に、明日に向かって生きていく躍動や青春の息吹を感じさせる・・、今までにない詩とメロディ、人々はそれを敬愛の意味を込めて「古賀メロディ」と呼んだ。

 初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」というような意味の記事が大きく載った。古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。

そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」と逆に励まされたという意味のことが自伝に載っています。

これまでの流行歌が、どちらかというと抑揚の少ない平板に感じられるような、「古賀メロディ」の出現によって、より表情豊かで心の襞に滲みわたるあたらしい歌の形ができていくのだが、それを決定的にしたのが古賀政男とのコンビで数多くの名曲を世に送り出した事で知られる詩人・佐藤惣之助だろう。

古賀政男の自伝には、私が本格的に作曲に全身全霊を傾けるようになったのは惣之助さんと出会ってからだったということが書かれている。

川崎出身の詩人・佐藤 惣之助は、大正14年7月詩人のクラブ「詩之家」設立、機關誌「詩之家」創刊、10月萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる。


惣之助は大正、昭和初期の詩壇に雄飛して数多くの珠玉の名篇を世に出した。また「詩の家」を主宰して詩友と交わるとともに多くの後進の指導養成にあたった事で知られる。

さらに俳句や歌謡、小説、随筆にもすぐれた業績を残したほか、釣や義太夫、演劇、民謡研究、郷土研究、沖縄風物の紹介など多方面で活躍した。釣りに関する書物も多数残している。

大正の末から昭和の初めにかけての佐藤惣之助の主な活動は、八木重吉など70余名の同人・門下生を抱える、「詩の家」を主宰することだった。
そして天真闊達な、くったくのない人柄で世話役をつとめていた。



187 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 16:30
彼が本格的に歌謡曲の作詞を手掛けたのは、古賀政男がコロムビア専属作曲家(1931.3)になった翌年、藤山一郎の「影を慕いて」(1932.3 コロムビア)が出た昭和7年(1932)からです。

その最初は、「金色夜叉(お宮の唄) 」(1932.2 関種子)、「鳩笛を吹く女の唄」(1932.2 井上静雄(藤山一郎)、いずれも古賀政男作曲です。下に、参考までに最初期の佐藤惣之助とのコンビによる主な作品をあげる。

この後、昭和8年1月には、夫人花枝と死別、同年8月に「日本詩人」や馬込の文士村での仲間の朔太郎の妹周子(かねこ・本名愛子)と再婚するとになった。

酒を愛し、釣りを愛した人として知られる惣之助は、「私は詩を大衆の中に捨てた。そして波浪の中から自然の魚を釣った」と書いている。

なお、歌謡曲の作詞をし始めた昭和一桁時代も、それ以降も、「處女線を截る」「花心」などの詩集、随筆「釣心魚心 」「怒れる神 」(昭和14年)、「わたつみの歌」 「青年詩集」(昭和16年)、「春すぎし」(昭和17年) などの詩集を亡くなる直前まであらわし生涯に22の詩集を出している。詩人や文人で彼の門下生も多い。

そして古賀政男は、「人生の並木路」や、「新妻鏡」など、感動で打ち震え楽譜を「大粒の涙で濡らしながら」多くの名曲を世に送ることになる。

昭和7年頃からの佐藤惣之助の作詞活動は、17年に亡くなるまでの10年間余りながら、「人生の並木路」「新妻鏡」「青い背広で」「男の純情」など古賀メロディを中心とし日本人に心の琴線に触れる多くの殊玉の名曲、それに新民謡、他の国民歌謡その他を含めて660篇余りにも及ぶ。

今年、平成24年(2012)5月は、この「古賀メロディ」で忘れてはならない詩人であり作詞家である佐藤惣之助(1890 〜 1942)が亡くなって丁度70年になります。


太平洋戦争開戦から5ヶ月ほどたった昭和17年(1942)の5月15日、佐藤惣之助(51歳)が外出先の馬込(東京大田区 馬込文士村)で脳溢血を起こして倒れ亡くなりました。

佐藤惣之助は昭和12年に現在の大田区馬込にある「文士村」から雪谷に引っ越していたのだが、2日前、義兄の萩原朔太郎の告別式の葬儀委員長をやったばかりでした。

義兄・萩原朔太郎(1886〜1942)は昭和17年5月11日肺炎で死去55歳、13日に自宅で告別式。その4日後、惣之助は過労から脳溢血で倒れ、51歳の若さであっけなくこの世を去った。

惣之助最後の作品は、昭和17年4月のNHK国民合唱「働く力」(国民皆労の歌)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲、酒井弘歌)です。

没後70年、もうすぐ命日ですが、惜しまれてならない詩人です。


☆「佐藤惣之助作詞/古賀政男作曲」の 最初期(1932)の歌・・

金色夜叉(お宮の唄)             1932.2 関種子
鳩笛を吹く女の唄               1932.2 井上静雄(藤山一郎)
秘めたる恋           1932.3 関種子
武雄の唄      1932.5 中野忠晴
春の唄      1932.6 淡谷のり子
月夜の恋   1932.6 丸山和歌子
朝顔の唄    1932.6 関種子
笛は冴ゆれど       1932.7 関種子
不如帰    1932.8 淡谷のり子
放浪の唄                  1932.9 長谷川一郎
アリランの唄(朝鮮民謡)    1932.9 淡谷のり子、長谷川一郎
愛は紅い       1932.9 関種子

「緑の地平線」や「人生の並木路」など、その後の主な映画主題歌については、「古賀メロディ−と映画主題歌」(2012年 3月 6日)参照。


・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html
・阪神タイガースファンなら誰でも知ってる☆詩人・佐藤惣之助 テーマ:馬込文士村                                
ttp://ameblo.jp/mocchann314/entry-10769706865.html
・六甲颪(ろっこうおろし)の歌詞から
ttp://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-10736372304.html
・萩原朔太郎と佐藤惣之助
ttp://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2008/02/post_4273.html
・二木紘三のうた物語
ttp://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_1ee6.html







188 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 17:31
☆古賀政男生誕100年記念CD

平成16年12月に古賀政男生誕100年記念以下の当時のオリジナル原盤によるCDが出ましたので、参考のためここに紹介しておきます。

古賀政男生誕100年記念のCDは、最近の歌手ので、いくつもでてますが、やはりSP原盤によるものが聞けるのは、貴重です。

『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・下)』(各20曲)
テイチクTECE 2445925460

<上>
 国境を越えて  (佐藤惣之助)  楠木繁夫・・古賀政男テイチク第一作(昭和9年7月) 
 影を慕いて   (古賀政男)   楠木繁夫・・・(編集したような作曲)
 スキーの唄   (島田芳文)   楠木繁夫
 白い椿の唄   (佐藤惣之助)  楠木繁夫・・前奏・間奏・後奏が独立した一曲に値する。
                    菊池寛原作「貞操問答」映画化主題歌
 ハイキングの唄 (島田芳文)    楠木繁夫
 望郷の唄    (島田欣也)   デイックミネ
 のぞかれた花嫁 (玉川映二/サトウハチロー)   杉狂児
 二人は若い   (玉川映二/サトウハチロー)  デイックミネ・星玲子
 波止場がらす  (佐藤惣之助)  デイックミネ
 男のまごころ  (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 夕べ仄かに   (島田芳文)   デイックミネ
 緑の地平線   (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 ゆかりの唄   (佐藤惣之助)  デイックミネ
 白衣の佳人   (佐藤惣之助)  デイックミネ
 啄木の歌    (島田欣也)   楠木繁夫
 春まだ浅く   (石川啄木)   有島通男
 東京ラプソデイー(門田ゆたか)   藤山一郎
 東京娘     (佐藤惣之助)  藤山一郎
 慈悲心鳥    (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 さらば青春   (佐藤惣之助)  藤山一郎
              




<下>
男の純情    (佐藤惣之助)  藤山一郎
愛の小窓    (佐藤惣之助)  デイックミネ
女の階級    (村瀬まゆみ)  楠木繁夫
回想譜     (今城靖児)   藤山一郎
青春の謝肉祭(カーニバル )(島田欣也) 藤山一郎
南国の乙女   (水島洋)    奥田英子
あゝそれなのに (星野貞志/サトウハチロー)    美ち奴
うちの女房にゃ髭がある (星野貞志/サトウハチロー) 杉狂児、美ち奴
聖処女の唄      (佐藤惣之助)   藤山一郎
人生の並木路     (佐藤惣之助)  デイックミネ・・・・(オリジナルレコード)
青い背広で      (佐藤惣之助)  藤山一郎
青春日記       (佐藤惣之助)  藤山一郎
緑の月        (佐藤惣之助)  奥田英子 
のばせばのびる    (江川真夫)   楠木繁夫
真実一路の唄     (佐藤惣之助)   楠木繁夫
軍国の母       (島田欣也)   美ち奴
黒いパイプ      (倉仲住人)・・  由利あけみ・・三浦環と「蝶々夫人」にも出演。
白虎隊        (島田欣也)   藤山一郎
人生劇場       (佐藤惣之助)  楠木繁夫
弥次喜多道中記    (古賀政男)    楠木繁夫





189 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 20:57
参考

「別冊太陽 近代詩人百人(特別付録・萩原朔太郎 佐藤惣之助宛書面)」(別冊太陽No.24 (AUTUM‘78)(平凡社1978)


190 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 09:01
嘆きの夜曲 関種子.wmv
公開日: 2012/03/05
昭和7年(1932年)。西岡水朗作詞、古賀政男作曲。關(関)種子さん歌唱です。東日本大震災から1年になり心からの哀悼の気持ちをこめてアップさせていただきました。なお背景の画像は津波被害のものが多いですので、衝撃を受けやすい方々はご遠慮ください。背景の画像と曲は直接は関係がありません。古いレコードですので雑音が多いのかもしれません。画像はおもにグーグルの検索画像から引用させていただきました。
www.youtube.com/watch?v=giaWCvjmsoY&feature=endscreen&NR=1


191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 09:32
☆SPレコード歌謡とSPレコード


・三分間の芸術・・SPレコード歌謡とSPレコード

SPレコードとは、今では見かけることは殆ど無いが「蓄音機」で聴くための、昭和30年代に全盛を迎えたLPレコードが出現する以前の78回転レコードです。因みにその後LPレコード(33、3回転)、EPレコード(ドーナツ盤、45回転)があった。

日本における電気吹き込みによるSPレコード産業は「昭和」の歴史とともに勃興したが、マイナーなレコードには前から主に浪花節や一部の童謡、民謡、演歌などがあった。

SP盤レコードの録音時間には現在のCD或いはLPレコードと違い、3分と言う時間制約が有った。3分と言う時間内に、すべてをどうやって収めるかと言う「三分間の芸術」であった。

「歌謡曲」(歌謡歌曲)とはまさに「三分間の芸術」だったのです。でもその短い時間で歌詞の行間に秘められた想いを自ら想起しつつ聞けるのです。

たとえば、「古賀メロディー」の「白い椿の唄」(佐藤惣之助作詩)や、「勝利の日まで」(サトウハチロー作詞)の様に、3分間という短い時間の中で、前奏・間奏・後奏それぞれが独立した一曲にも値し、人を曲の世界に引きずり込む溢れるような名曲といえましょう。

短い歌詞で思わず涙が溢れる、そのような曲は今あるだろうか。


・SPレコードと、その他の展示施設(参考)

CD、ビデオ、カセットなど視聴覚資料が図書館で借りられて聞くことができる。

広く大衆音楽については、「古賀政男音楽博物館」(代々木上原)、「国立国会図書館デジタル化資料」や、靖国神社前の「昭和館」で聞くことができる。

「昭和館」は、東京九段の「靖国神社」の下にあり、「昭和」の歴史と暮らしについて保存展示する厚生労働省所管の博物館で、平成11年3月に開館した。SPレコードが鑑賞できる映像・音響室があり、寄贈された音楽評論家、前沢コレクション35,000枚他を中心とするSPレコードを検索して聴ける。たとえば、西條八十で検索すると600件ヒット。古賀政男441件、霧島昇236件、関種子256件など。
今回の東北・東日本大震災大津波に耐えた207枚のSPレコードが、 岩手・大船渡 の土蔵から発見され寄贈されたという。 ttp://www.showakan.go.jp/
 レコード検索 ttp://www.showakan.go.jp/search/records/

多数の文化遺産ともいえる「SPレコード」や各種蓄音機の蒐集の試みが行なわれ、寄贈を受けて展示され聞くことができる、地方におけるレコードを中心とした「文化交流施設」(レコード博物館)を以下HPをもとに参考に紹介する。
これ以外では地方であるが参考に挙げると・・


・新冠町 レ・コード館  北海道新冠郡新冠(にいかっぷ)町
新冠町はレコードと音楽に依る町作りを目指す。収蔵枚数は約80万枚。
サラブレッドが遊ぶ牧場や日高山脈、太平洋が見える展望塔からの眺めは最高だ。(Hpより)
1991年全国のレコード愛好家に「あなたのレコードを、いつまでも大切にお預かりします」と呼びかけ、1997年のオープンまでに約30万枚のレコードが集まったことから始まりました。
その思いは建物全体をレコードとプレーヤーに見立てたデザインにも現れています。施設にはレコードの歴史・文化を学び体験することができるレ・コードミュジアムや我が国最大級のオールホンスピーカーを導入したホールなどがあります。昔懐かしのジュークボックス、レ・コードバンクに保管されているレコードなど多くのレコードを手に取りヘッドホーンで聴くことが出来ます。(Hpより)
ttp://www.niikappu.jp/record/
ttp://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-bsbsk/bunkashigen/parts/908.html

・音浴博物館 長崎県西海市大瀬戸町
森の中にあるアナログレコードの世界 緑深い山奥の廃校を改修した建物内には、アナログレコード、蓄音機、往年の名機のオーディオセットがところ狭しと並ぶ。すべて自分の手で針を落として聴くことができる。(Hpより)
日本全国から寄贈され集まったSP10,000枚、LP150.000枚のレコード。
ttp://onyoku.org/
検索  ttp://onyoku.org/index.php?page=alias-5

・金沢蓄音機館 石川県金沢市尾張町
 ttp://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/

 山高コレクション二万枚余り

・懐かしのレコード展示館 沖縄市中央2
 1950年代から70年代のレコード1500余枚と、大正時代の蓄音機やラジオ数点が展示 され、「団塊の世代」が親しんできた懐かしのメロディーが流れている。






192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 10:42
最近は,「思い出のメロディー」というのも、「昭和のメロディー」というのも、次第に下がって来て数年前は昭和30年代だたが、今や「昭和」とは昭和の終わりごろ昭和50年代あたりのことのようだ。

昭和戦前から終戦後あたりまでのあのSP歌謡の名曲を聴くことはできない。

そんな中で、大晦日にNHKラジオ第一で、長田暁二、小沢昭一の「年末特集 思い出の昭和歌謡」がお勧めです。

今年、2011年で4回目を数える大みそか恒例の番組です。82歳の俳優・小沢昭一と81歳の音楽文化研究家・長田暁二が、昭和の歌謡曲をききながら、「昭和」という時代を大いに語る、題して「モノクロ歌合戦」。司会は島田政男アナウンサー。
ttp://cgi.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11w21420111231

長田暁二氏の解説に依るもので、昨年は、藤山一郎、二葉あき子の二人の東京音楽学校コンビによるあの「なつかしの唄声」「春よいづこ」いずれも西條八十作詩、古賀政男作曲。霧島昇の「誰か故郷を想わざる」(西條八十作詩、古賀政男作曲)、ディックミネの「人生の並木路」(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲)、昭和12年日活映画「検事とその妹」オリジナル、当時の20代の若きディックミネの歌う悲壮感漂うオリジナル盤(テイチク)によるものなど、その他当時のSPオリジナル盤による本ものの唄声を存分に聞き入った。

12月31日(土)放送 [NHKラジオ第1]後0:15〜1:55
ttp://cgi.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11w21420111231






193 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 21:25
☆[古賀メロディ−] と 映画主題歌(まとめ)

昭和4年(1929)の菊池寛原作の日活映画『東京行進曲』の主題歌「東京行進曲」(西條八十作詩、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)が、わが国の「映画主題歌第一号」とされています。トーキ‐の最初は、昭和6年6月、松竹蒲田、田中絹代主演、五所平之助監督「マダムと女房」と言われる。

今映画館はどんどんなくなってきて大都市以外殆ど見かけなくなった。昭和の初め1930年代から1950年代にかけて、まだ日本が貧しかった時代、日本映画黄金時代だった。

茶の間にまだテレビもなかった時代、どんな小さな街にも小さな映画館があって、人々の娯楽の主体はラジオと映画だった。人々はそれを心待ちしたのだ。

一世を風靡した川口松太郎原作[愛染かつら](昭和13〜14年)などたくさんある。溢れるような「古賀メロディー」、それは映画主題歌とともに、映画とともにあって、無声映画時代から戦後に至るまで、しかもとぎれなく人々の心を慰め生きる力を与えてきた。

「古賀メロディ」の特徴は、まずヒット曲が多いことである。作曲家は数多く出たが、「古賀メロディ」ほど多くのヒット曲を持つものは無いのです。

そして実は、「古賀メロディ」には映画主題歌が圧倒的に多のだ。

《東京ラプソディ》も、《緑の地平線》、《女の階級》、《人生の並木路》(日活「検事とその妹」)も《目ン無い千鳥》(日活[新妻鏡])などみんな映画主題歌。


昭和6年、松竹映画1931.2 「チャッカリしてるわね」に始まる映画主題歌には、この無声映画に始まり、戦後まで続くのは「古賀メロディ」しかない。(なお、「チャッカリしてるわね」は、関種子の「乙女心」と表裏にある。)

古賀政男は昭和53年に王貞治選手に次いで「国民栄誉賞」を与えられた。存命の人に与えられる「国民栄誉賞」が亡き後に贈られたのだが、古賀の人生が、まさに日本に「歌謡曲」というものができて、それが確立する歴史そのものであるということからも、それに値するといえるだろう。

昭和12年、テイチク時代、映画も40編を超えているのだが「映画主題歌にみる主な古賀メロディ」などを、まとめてみました。



主な古賀メロディーの映画主題歌。・・




194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 21:29
☆主な古賀メロディーの映画主題歌。・・


・松竹映画1931.2 「チャッカリしてるわね」(柳井隆雄原作) (無声  映画)
 主題歌 チャッカリしてるわね(西岡水朗作詞 天野喜久代歌)
  (映画と関係ないが、片面が関種子「乙女心」♪朧月夜のその頃に・・)
・松竹映画1931.10 「想い出多き女」 (無声映画)
 主題歌 酒は涙か溜息か〈高橋掬太郎作詞 藤山一郎歌〉
 挿入歌 私此頃憂鬱よ (高橋掬太郎作詞 淡谷のり子歌)
・松竹 1931.11清水宏監督「青春図絵」(菊池寛 原作)
 主題歌 青春図絵の唄(貞子の唄)(菊池寛詩、関種子歌)
・入江プロ 1936「白衣(びゃくえ)の佳人」
 主題歌「白衣の佳人の唄」 (佐藤惣之助作詞 デックミネ歌)
・新興キネマ1931「姉」
 主題歌 丘を越えて(島田芳文作詞 藤山一郎歌)
 挿入歌 窓に凭れて(島田芳文作詞 関 種子歌)
・松竹映画1932.1野村芳亭監督「金色夜叉」(無声映画)
 主題歌 お宮の唄(佐藤惣之助作詩、関 種子歌)
・松竹映画1932.3 島津保次郎監督「勝敗」
 主題歌 町子姉妹の唄(菊地寛詩、河原喜久恵歌)
・日活映画1932.7「鳩笛を吹く女の唄」(無声映画)
 主題歌 鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、井上静雄(藤山一郎)歌)
・大衆文芸プロ映画社1932「佳人よ何処へ」
 主題歌 あけみの歌〈原阿佐緒作詞、関種子歌〉
 挿入歌 佳人よ何処へ(原阿佐緒作詞 淡谷のり子歌)
・日活映画1932「上海」
 主題歌 さらば上海(時雨音羽作詞 関種子歌)
・新興キネマ1932「スキーの唄」
 主題歌. スキーの唄(島田芳文作詞 藤山一郎歌)
・新興キネマ1935 「貞操問答」(菊池寛原作)
 主題歌 白い椿の唄(佐藤惣之助作詞、楠木繁夫歌)
・日活映画1935.10大谷俊夫監督「のぞかれた花嫁」
 主題歌 のぞかれた花嫁(玉川英二作詞 杉狂児歌)
 挿入歌 二人は若い(玉川英二作詞 ディック・ミネ, 星 玲子.歌)
・日活映画1935阿部豊監督「緑の地平線」
 主題歌 緑の地平線(佐藤惣之助作詞、楠木繁夫歌)
 挿入歌 ゆかりの唄(佐藤惣之助作詞、ディックミネ歌)
 挿入歌 夕べ仄かに (島田芳作詩、デックミネ歌)
・日活映画1936島耕二監督「情熱の詩人啄木」
 主題歌 啄木の唄(島田磬也作詞 楠木繁夫歌)
 挿入歌 春まだ浅く〈石川啄木作詩 有島通夫歌〉
・テイチク提携東宝映画(PCL映画)1936東京ラプソディ」
 主題歌 東京ラプソディ(門田ゆたか作詩 藤山一郎歌)
 挿入歌 東京娘(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
 挿入歌 青春の謝肉祭(カーニバル)(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
・日活映画1936渡辺邦男監督「慈悲心鳥」
 主題歌 慈悲心鳥の唄(佐藤惣之助作詩 楠木繁夫歌)
 挿入歌 さらば青春(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
・日活映画1936渡辺邦男監督「魂」
 主題歌 男の純情(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
 挿入歌 愛の小窓(佐藤惣之助作詞、ディックミネ歌)
・日活映画1936千葉泰樹監督「女の階級」(吉屋信子原作)
 主題歌 女の階級(村瀬まゆみ作詞 楠木繁夫歌)
 挿入歌 回想譜(今城靖児作詞 藤山一郎歌)
・日活映画1936「うちの女房にゃ髭がある」
 主題歌 うちの女房にゃ髭がある(星野貞志作詞 美ち奴、杉狂児歌)
 挿入歌 ああそれなのに(星野貞志作詞 美ち奴歌)
・日活映画1937.1.14渡辺邦男監督「検事とその妹」〈竹田敏彦原作『検事の妹』〉
 主題歌 人生の並木路(佐藤惣之助作詞、ディックミネ歌)(テイチク1200)
 挿入歌 聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
・日活1937「真実一路」(山本有三原作)
 主題歌「真実一路の唄」(佐藤惣之助作詞 楠木繁夫歌)
・東宝映画1937.7西條八十原作、「白薔薇は咲けど」
 主題歌 白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞 藤山一郎歌)
 挿入歌 緑の月(佐藤惣之助作詩、奥田瑛子歌)
・日活映画1938「人生劇場―残侠編」(尾崎士郎原作)
 主題歌 人生劇場(佐藤惣之助作詞、楠木繁夫歌)


195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 21:29
・東宝映画1940.2.21渡辺邦男監督「春よいづこ」(川口松太郎原作)
 主題歌 春よいづこ(西條八十作詞 藤山一郎、二葉あき子歌)
 挿入歌 なつかしの歌声(西條八十作詞 藤山一郎、二葉あき子歌)
・東宝映画1940渡辺邦男監督「新妻鏡」(小島政二郎原作)
 主題歌 新妻鏡(佐藤惣之助作詞 霧島昇、二葉あき子歌)
 挿入歌 目ン無い千鳥(サトウハチロー作詞、霧島昇、ミス・コロムビア歌)
・松竹映画1940「愛の暴風」
 主題歌 相呼ぶ歌(西條八十作詞、霧島昇、菊池章子歌)
・東宝映画1940「蛇姫絵巻」
 主題歌 蛇姫絵巻(西條八十作詩、志村道夫、奥山彩子歌)
・新興キネマ1940「誰か故郷を想わざる」
 主題歌 誰か故郷を想わざる(西条八十作詞 霧島 昇歌)
・東宝映画1940.10渡辺邦男監督「熱砂の誓い」
 主題歌 熱砂の誓い〈建設の歌〉〈西條八十作詩 伊藤久男歌〉
 挿入歌 紅い睡蓮(西條八十作詞 李香蘭歌)
・東宝映画1941山本嘉次郎監督「馬」
 主題歌 馬(佐藤惣之助作詞 伊藤久男、菊池章子歌)
(「めんこい仔馬」は、この映画のために作られたのがだが映画には入らなかった。)
・東宝映画1941「歌えば天国」
 主題歌 歌えば天国(西條八十作詩、藤山一郎、古川ロッパ、二葉あき子歌)
   (古賀メロディーらしからぬジャズ調の曲です。)
 挿入歌 リンゴが紅い(サトウハチロー詩、藤山一郎、古川ロッパ、松原 操歌)
挿入歌 働こうぜ友よ (佐藤惣之助作詩、藤山一郎歌)
・日活映画1941「海の豪族」
 主題歌 海の豪族(佐藤惣之助作詩 伊藤久男歌)
・松竹・満映合作映画1942「迎春花」(インチュンホウ)
 主題歌 迎春花(西條八十作詞 李香蘭歌)
・映画「蘭花扇(らんかせん)」(1942 5月)
 主題歌 花白蘭の唄(李香蘭、楠木繁夫歌)
・大映映画1942「歌う狸御殿」
 主題歌 歌う狸御殿(サトウハチロー作詞、楠木繁夫、三原じゅん子歌)
 挿入歌 どうじゃね元気かね(サトウハチロー作詞、楠木繁夫歌)
・松竹映画1943清水宏. 監督:「サヨンの鐘」
 主題歌 サヨンの鐘(西條八十作詞、渡辺はま子歌)(台湾名 月光小夜曲)
 挿入歌 サヨンの歌(西條八十作詞、李香蘭歌)
 挿入歌 なつかしの蕃社(西條八十作詞、霧島昇、菊池章子歌)
・大映映画1943「青空交響楽」(サトウハチロ‐原作)
 主題歌 青い牧場(サトウハチロー作詞 藤山一郎、奈良光枝歌)
 挿入歌 故郷の白百合(サトウハチロー作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
・東宝映画1944「あの旗を撃て」
 挿入歌「雲のふるさと」(大木惇夫作詩、伊藤久男歌)(1946年NHK「ラジオ歌謡」)
・東宝映画1945.1成瀬 巳喜男監督「勝利の日まで」(サトウハチロー脚本)
 主題歌 勝利の日まで(サトウハチロー作詞 波平暁男、近江敏郎他歌)他
 挿入歌 祖国の花(サトウハチロー作詞、轟由紀子、奈良光枝歌)
 挿入歌 硬い約束(サトウハチロー作詞、三原じゅん子歌 )
・東宝映画1946渡辺邦男監督「麗人」(佐藤紅緑原作『麗人』再映画化)
 主題歌 麗人の歌(〈西條八十作詞 霧島 昇歌〉
・大映映画1946「或る夜の接吻」
 主題歌 悲しき竹笛(〈西條八十作詞 近江敏郎、奈良光枝歌〉
・東宝映画1947「こころ月の如く」
 主題歌 こころ月の如く〈西條八十作詞 二葉あき子歌〉
 挿入歌 旅の舞姫(〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌〉
・新東宝映画1948渡辺邦男監督「あの夢この歌」(西條八十「唄の自敍傳」より)
 主題歌 あの夢この歌〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌〉
・東宝映画1948市川崑監督「三百六十五夜」(小島政二郎原作)
 主題歌 三百六十五夜〈西條八十作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
 挿入歌 恋の曼珠沙華〈西條八十作詞 二葉あき子歌)
・新東宝映画1948 「湯の町悲歌」
 主題歌 湯の町エレジー(野村俊夫作詩 近江俊郎歌)
・新東宝映画1949野村浩将監督「影を慕いて」(古賀政男原案)
 主題歌 影を慕いて(古賀政男作詞、藤山一郎歌)
・新東宝映画1949 「夢よもう一度」
 主題歌 夢よもう一度(西條八十作詩 二葉あき子歌)
 挿入歌 愛の灯かげ(西條八十作詩 近江俊郎、奈良光枝歌)


玉川英二、星野貞志はサトウハチロ‐の変名。


196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 22:17
☆古賀メロディとその時代

「古賀メロディ」と呼ばれ多くの人に親しまれた曲の原点は『影を慕いて』にある。彼が昭和初期から手がけた作品は5000曲余り。「酒は涙か溜息か」「影をしたいて」「丘を越えて」「東京ラプソディ」「人生劇場」「誰か故郷を想わざる」「湯の町エレジー」「無法松の一生」「柔」など、未だ唄い継がれる普遍の名曲は数知れない。

「古賀メロディ」という言葉には、「古賀政男作曲」のものという意味と、もうひとつ、古賀政男作曲のうち、誌のテーマが人生の苦悩・青春の苦悩をテーマとしたものであるものの二つの意味があるといわれる。

あの人をそっと包み込む優しいメロディ、メロディのあたたかさと、その付けたしではない哀調を帯びたメロディ、それは誰もまねができないものです。それは聞く人が年を重ねれば重ねるほどますます味わいが深くなるものです。

「古賀メロディ"」と呼ばれ多くの人に親しまれた曲の多くは、「昭和」戦前、戦中から戦後にかけてというまだ日本が豊かになる前の貧しい時代だった。

その時代は丁度あの映画「二十四の瞳」の時代です。「飽食の時代」と言われる今の時代と比べ、貧しい時代だが、貧しくとも心豊かな時代だったろう。

底辺に哀調を帯びた、寂寥感や哀愁といった心の奥をそのまま音符に託したかのような--胸を突く美しさを感じさせるもので、それが同時代の多くの日本人の琴線に触れて長く愛されてきた。そこに嘘が無い、だから人々に共感をあたえることができたといえるでしょう。

その生れた時代はどんな時代だったのか。

古賀政男音楽博物館には日本の大衆音楽に貢献したたくさんの作曲家や詩人、歌手が顕彰されていて、別室のパソコンで作品を聴くことができる。

本居長世は、文学者から始まった童話・童謡運動を、自ら作曲し、かつ広めることによって、「童謡」という分野を確立し根付かせた人だが、同時に中山晋平の師でもあるという点では、単なる「童謡の祖」というだけでなく、「日本の大衆音楽」に大きな影響を与えた人です。

長世は、本居宣長の子孫で、明治41年、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)を主席で卒業した長世は卒業後すぐに母校に招かれ(文部省)邦楽調査掛として、箏曲や長唄など日本の伝統音楽の研究活動に従事する。当時洋楽が日本に取り入れられたが、日本の音楽との調和は大きな課題だったようだ。

長世はこうして、日本的なるものを外国にではなく、日本の伝統音楽の中に求めていくということ、それがフレームワークになっていく。彼は童謡だけでなく、合唱曲や民謡曲、オペラなど800曲余りを作曲して、昭和20年10月に亡くなっている。

そして、「春の海」で知られる邦楽家・宮城道雄らと「新日本音楽運動」という活動を展開する。これは、日本の伝統を洋楽の中に生かすことを目指したもので、その後の日本の声楽曲における作曲のパイオニアとして活動することになる小松耕輔、弘田龍太郎、梁田貞らの作曲研究会などに大きな影響を及ぼしたといわれます。「新日本音楽運動」には歌手の佐藤千夜子も歌手として参加し、宮城道雄の「紅薔薇」という作品など吹きこんでいる。

本居長世は、中山晋平、弘田龍太郎の師でもある。晋平の学友と撮った有名な写真で、晋平だけが和服姿がある。当時音楽学校に進むのは、良家の子女がほとんどだった。信州の貧しい子弟だった晋平はみんな制服のところ、一人だけ和服で草履姿。

そのタビには穴があいて爪が覗いていて、晋平はそれを墨で塗って隠していたという。長世はそんな晋平を常に心にかけていたという。

その晋平は、「誰でも歌える歌」を目指していた。そして浅草千束小学校の音楽教師を勤めたあと、島村抱月の書生となって劇中歌や童謡の作曲をするとともに、野口雨情らと民謡の採譜などを行う。
こうした新しい文化運動に、昭和の初めの新民謡運動(童謡・新民謡運動)がある。新民謡には、[須坂小唄]「中野小唄」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)などのいわゆる民謡の他、「旅人の唄」「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)・・などの歌曲もある。本居長世も「豊作唄」「江戸祭りの唄」など新民謡に類別される曲を作曲している。



197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 22:18
当時はレコードの普及もラジオもなかった頃で、普及には全国行脚するしかなかっただろう。全国行脚といえば、大正から昭和の初めにかけての本居長世と三人の娘さんの全国行脚が有名だが、もう一つ野口雨情、中山晋平、佐藤千夜子の全国歌の旅(「新民謡・童謡普及運動研究会」)がある。

新民謡運動には野口雨情、中山晋平、佐藤千夜子をはじめ、作曲家の藤井清水、詩人の佐藤惣之助、西条八十などがいる。こうした大正から昭和にかけて童謡・新民謡運動に結集した詩人、作曲家、歌手らは、その後の昭和の歌謡・歌曲を担う中心人物となっていく。

新作地方民謡が沢山作られるとともに、「船頭小唄」「紅屋の娘」(野口雨情/中山晋平)・・のように、新民謡は歌謡・歌曲として盛んになり、その後の歌の原型がみられる。

 古賀政男は、昭和3年学生時代作曲した「影を慕いて」を、中山晋平の歌を世に広めた歌手であり、晋平の弟子である佐藤千夜子の力添えで作曲家になった。まさに日本が大衆音楽を作り出して行くさ中である。長世が出なかったら、多分日本の大衆音楽は違ったものになっていたかもしれません。

昭和3年「人生の苦悩」から生まれた「古賀メロディ」、彗星のように大衆の中に浸透していった「古賀メロディ」が、やがて晋平の時代を引き継いで、さらに大衆の中に新しい時代を作り上げていくことになるのである。

そして、晋平の時代と「古賀メロディ」の時代を繋ぐ歌手がレコード歌手第一号・佐藤千夜子といえるだろう。




198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 23:29
☆新妻鏡


最近の歌には、めっきり感動できる歌がめっきりすくない。一方むかしの歌も歌われる機会が少なくなりつつある。

 西條八十とともに、古賀メロデーの中で大きな位置を占めるのが、佐藤惣之助ですが、古賀メロデーは、何であっても「人生」・・人生の苦悩・・と言うものが隠れてると思いますが、特に佐藤惣之助の詩を聞くとそうおもわずにいられません。


「新妻鏡」・・昭和15年、太平洋戦争開戦直前、東宝映画『新妻鏡』は、目の見えない薄幸の新妻が苦労の果てに結ばれると言う話で、霧島昇、二葉あき子(戦後島倉千代子)歌。

 人生を歌った詩としては、『人生の並木道』にも匹敵したすばらしい応援歌ではないかと思います。(「遠くさびしく離れても」・・と言うと結婚式に不向きかもしれぬが、こころでは願いたいもの・・)


僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼が 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(いのち)なら
清いふたりの 人生を
熱い涙で 謳おうよ

実は2番と3番の間にもうひとつあって、


  強くなろうよ 強くなれ
  母となる身は 幼児(おさなご)の
  愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
  なんで嵐に あてらりょう


この歌は、すごい重みのある歌で、男女年齢を問わず勇気ずける人生の応援歌として、時代を超えて、味わいのある歌だと思います。

なお、挿入歌に「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (霧島昇、ミス・コロムビア歌) がある。


199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/09(Mon) 23:34
訂正

たとえこの眼が 見えずとも ・・ たとえこの眼は見えずとも



200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 00:57
>>194

・新興キネマ1935 「貞操問答」(菊池寛原作)
 主題歌  白い椿の唄(佐藤惣之助作詞、楠木繁夫歌)
挿入歌  思い出の雪(佐藤惣之助作詞、松島詩子歌)


201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 01:05
>>198>>199

☆新妻鏡
佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲 1940

1)
僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

2)
たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

3)
強くなろうよ 強くなれ
母となる身は 幼児(おさなご)の
愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
なんで嵐に あてらりょう

4)
むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(いのち)なら
清いふたりの 人生を
熱い涙で 謳おうよ


  


202 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:46

松平晃 サーカスの唄 投稿者:SPレコード歌謡倶楽部 投稿日:2013年 7月 3日(水)07時49分15秒
 昭和八年の陽春四月、東京で開催された大博覧会に、遠くドイツから世界一の大サーカス団(ハーゲンベックサーカス団)が来演することになっていた。このサーカスの宣伝歌が作られた。西條八十は、幼い頃の記憶、九段の靖国神社の祭礼でみた天幕張りのイメージを描きながら作詞した。旋律は、作曲者の古賀政男の少年時代の音楽体験がベースになった。それは、子供心をときめかせた旅まわりのサーカス(当時は曲馬団)の、なつかしいジンタの響きだったのである。
 真っ赤に染まる夕陽が沈み始める頃、旅から旅へと流れるサーカス(曲馬団)の楽隊の奏でる音色が畦道の向こうからしだいに近づいてくる。その光景をあたかも連想させるように前奏がヴァイオリンのピアニッシモから、途中にアコーディオンが入りクレッシェンドさせながら哀愁を込めて奏でられるのだ。昭和初期、松平晃は全国各地の実演ショーはおろか明大マンドリン倶楽部の地方演奏会でも《サーカスの唄》を熱唱したと伝えられている。甘いマスクの松平晃が十六分音符が連なる前奏にのって颯爽と登場する姿が浮かんできそうだ。古いOB諸兄の語るところによれば、松平晃という歌手は、青春の甘さを持ちタキシード姿が舞台で似合う誇り高き歌手だったらしい。
 《サーカスの唄》の原調は、♭ひとつのDマイナーのキーだが、松平は♭三つのCマイナーで吹込んでいる。この歌は、実に音域が広い。原調のキーでは加線の「A」=ラ(固定ド表記)から「F」=ファ(固定ド)までの十三度の音域がある。これをあくまでも滑らかに、その旋律を生かしながら郷愁と哀歓を伝えなければならないのだから、歌手の技量のほどがわかるというものだ。松平は、Cマイナーに落としたキーでも加線のついている「G」=ソ(固定ド)をしっかりと発声している。この歌手も低音の安定度が抜群である。低音に安定がある歌手は、キーを下げることによって楽曲の曲調が変化してもその魅力を伝えることができる。
 

203 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:46
《サーカスの唄》は松平の旅から旅へ彷徨う心情を甘く包んだ歌唱で大ヒットした。ところが、コロムビアは、大サーカスの宣伝歌にはふさわしくないという批判が周囲からあがっていたので、この歌は大して売れまいと多寡をくくっていた。作詞・作曲の著作権を一切博覧会側に売り渡していたのである(一千円)。そのため、西條と古賀は地団駄を踏んで悔しがったという裏話が残っている。《サーカスの唄》のカップリングは、同じ古賀作品の《来る来るサーカス》(西條八十・作詞/古賀政男・作曲)である。これは佐藤千夜子・創唱の《文のかおり》(古賀正男・作詞/古賀正男・作曲*作曲者・不祥説有り)の焼き直しで妖艶なソプラノ歌手淡谷のり子の歌唱だった。
 翌六月新譜では松平の歌唱による《恋しき夢》(西條八十・作詞/江口夜詩・作曲)が《十九の春》(西條八十・作詞/江口夜詩・作曲)のB面で発売された。いずれも松竹映画『十九の春』の主題歌。映画は昭和八年五月十八日、帝国館で封切られた。監督は五所平之助、出演、伏見信子、高峰秀子、竹内良一等々。松平は、この抒情詩的な歌謡を〈夢の続きが知りたさに 眠れど淋し夜の風〉としっとりと歌っている。伴奏はコロムビアオーケストラ。これも《サーカスの唄》に続いて売れ行きが快調だった。
 松平がミスターコロムビアの階段を上りつめた頃、藤山一郎は、声楽家増永丈夫として昭和八年六月十八日、日比谷公会堂でベートーヴェンの《第九》のバリトン独唱のソリストとして登場した(指揮・クラウスプリングスハイム)。甘い流行歌のテナーにはつながらない堂々とした独唱ぶりであった。また、バリトン本来の美しさをもつテナー藤山一郎の豊かな歌唱力は、晋平節の名作《燃える御神火》(西條八十・作詞/中山晋平・作曲)をヒットさせる。レコードは六月の新譜発売だった。レコード売上げは、小唄勝太郎の《大島おけさ》(西條八十・作詞/中山晋平・作曲)のB面ということもあったが、18万枚を記録。それに対して、コロムビアの松平は、七月新譜の《島の御神火》(島田芳文・作詞/近藤政二郎・作曲)で対抗した。
 一方、古賀政男は、《サーカスの唄》がヒットしたにもかかわらず、九月新譜の《東京祭》(門田ゆたか・作詞/西條八十・補作/古賀政男・作曲)が幕末のええじゃないかの昭和版と言われた《東京音頭》(西條八十・作詞/中山晋平・作曲)に完敗する。《東京祭》のA面は、藤本二三吉、B面は松平が歌った。昭和八年の夏は、異常ともいえるほどの《東京音頭》で興奮した。狂乱ともいうべき《東京音頭》の熱狂は、不気味な前触れの予兆に敏感に反応するかのような民衆の情念の発散といえる。古賀政男は、その後、疲労困憊から、肺浸潤を患い八月二十日神田杏雲堂病院に入院した。中村千代子との結婚生活の行き詰まりなど、相当な精神的疲労が原因であった。
 松平の歌唱による昭和八年十月新譜の《はてなき旅》(西條八十・作詞/古賀政男・作曲)は、古賀の心中を象徴しているようだ。
 この歌は、《街の灯》(浜田広介・作詞/古賀政男・作曲)の焼き直し(淡谷のり子歌唱)。だが、松平晃の音色は、江口メロディーにマッチする。そのため、残念ながら古賀メロディーの感傷をうまく表現しきれていない。《サーカスの唄》のようにはいかなかった。古賀政男は、病気回復の静養とその精神的傷を癒すため昭和八年の晩秋から翌九年の四月まで伊東の温泉で静養した。この間に江口夜詩がコロムビアの中心になるのである。歌手は当然、ニットー、ポリドール、キングで江口メロディーを存分に歌いまくっていた松平晃である。
 

204 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:46
一方、かつての古賀政男芸術の表現者藤山一郎は、昭和八年九月二十日、ベートーヴェン編曲のスコットランド民謡特集がNHKラジオから放送され、バリトン増永丈夫で出演し独唱した。他にソプラノ岩谷廣子、アルト四家文子、テノール薗田誠一、ヴァイオリン大岡運英、チェロ小沢弘ら新進気鋭の音楽家たちが出演した。十月九日には、『藤山一郎と増永丈夫の会』を日比谷公会堂で開催。一部ではドイツリート、オペラのアリアを独唱。ヴェルディーの《椿姫》では、増永丈夫(藤山一郎)がヂ(ジ)ェルモン(父役=バリトン)、ヴィオレッタは美貌のソプラノ歌手中村淑子が演じた。声量豊かな美しいバリトンの響きによるレガートな歌唱が聴衆に感銘をあたえた。第二部は、ビクター管弦楽団の演奏に今度はマイクロフォンに響きをうまくのせたクルーン唱法で藤山一郎のジャズと流行歌のオンパレード。第三部では、ミュージカル『僕の青春』を上演。マイクロフォン無しの独唱とそれを使ったクルーン唱法の二つの方法で響き・共鳴・声量を自由自在にコントロールしての実演だった。
 松平は、この「テナー藤山一郎とバリトン増永丈夫」を同一の音楽空間で表現する音楽技術に驚く。まさに天才なのである。だが、松平の体内に熱く流れる葉隠れ武士の血は、行動のエネルギーとなり怯むことはない。しかも、コロムビアの期待は、《サーカスの唄》でギャラントなダンディーに変化し今や押しも押されぬスター歌手になった松平晃にますます集まった。古賀政男が《サーカスの唄》や《ほんとにそうなら》(久保田宵二・作詞/古賀政男・作曲)のヒットにもかかわらずスランプ状態ならば、コロムビアの目玉商品は脚光を浴びつつある江口メロディーということになるのだ。それは、松平晃の真骨頂が試されることでもある。
 昭和八年十一月、松平晃は、ついに東京音楽学校師範科を退学する。彼は《サーカスの唄》でどうやら決心したようだ。こうなるとコロムビアも松平晃の宣伝に力を入れる。翌年二月のコロムビアの新譜案内でようやく松平晃の端正なマスクが登場する。もうクラシックには未練はない。どうせ、クラシックに固執しても自分は、主役のテノールではない。主役よりも美男で明るいリリコの声質をもつバス・バリトンでは歌劇の配役構成が成立しないのである。そう考えるなら、懐が豊かになる流行歌手の途を選択した方がましである。そう決心すれば話は早い。「佐賀っぽ」は、儚い刹那的人生を目前にしても思い切りが良いのだ。だが、《サーカスの唄》のつぎのような歌詞は、表面上の行動様式はともかくも松平の内奥に潜む心情を表現しているようだ。
 西條八十は、敢えて「クラリネット」とは書かず「クラリオネット」という言葉を使っているが、旅回りのうらぶれた音色をイメージすれば、この歌の歌唱者である松平晃の思い切りのよさに潜む「寂寥」をやはり象徴していると思えるのである。《サーカスの唄》によって、松平の人生航路も波瀾万丈にむかってその航跡が決められたといえよう。
 コロムビアは、昭和八年十二月二十六日、麹町区内幸町の東洋拓殖ビル一階に文芸部と吹込み所を移転した。昭和九年一月二十六日から、そのスタジオで録音使用が開始され音質の良いレコードが製作されることになる。さあ、「江口夜詩メロディー」を歌う松平晃の体内に補給されたガソリンが点火され、いよいよエンジンがかかるのである。





205 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:49
ビクター専属藤山一郎への対抗 投稿者:SPレコード歌謡倶楽部 投稿日:2013年 4月23日(火)08時12分53秒
 春、桜の枯れ枝に生気が膨らんだかと思うと、ほんのりと紅の色を含んだ白い花がいっせいにほころぶ。フランス山の桜が妖艶な色を発しながら、春満開と言わんばかりに咲き誇っているのである。松平晃は、その妖しいほどに精を放つ桜の花びらを受けながら横浜山手の小高い丘から港を見下ろしていた。波止場には、外国船が停泊している。抜錨の合図をする汽笛が鳴る。彼は、青い海を眺めることのできるこの小高い丘の風景を満喫していた。
 この横浜の地に、F・W・ホーンが『ホーン商会』を設立したのは、明治二十九年である。明治四十年十月三十一日、十万円の資本金をもって神奈川県橘樹郡川崎町久根崎に日米蓄音機製造株式会社が誕生(松本武一郎は設立の日を見ずに急死)。明治四十三年十月一日、株式会社日本蓄音器商会が新設(日米蓄音器商会は廃止)、明治四十五年一月八日、日蓄は日米蓄音機製造株式会社を合併。吉田奈良丸の浪花節レコードで驚異的な躍進をしめした日蓄は、大正八年、J・R・ゲアリーが社長に就任するとさらなる飛躍を遂げた。日蓄は、複写による海賊盤レコードの問題に操業以来悩まされていた(リチャード・ワダマンの敗訴がその跋扈に拍車をかけていた)。だが、大正九年七月、「著作権法改正法律案」によってその駆除に成功した。それが業界制覇を狙う日蓄に大きな起爆をあたえたのである。だが、

昭和三年一月十八日、日蓄は英米資本によって新たな製造会社を設立。昭和SP歌謡の序盤戦、コロムビアはビクター独走を許す。晋平節とジャズソングに沈黙したのだ。だが、コロムビアは藤山一郎の古賀メロディーで劣勢を挽回する。そして、藤山がビクター専属になると松平晃がコロムビアの専属歌手になる。『コロムビア五十年史』は「昭和八年四月一日、松平晃入社」と記している。 藤山一郎は東京芸大の前身「上野」(東京音楽学校)を首席で卒業し、晴れて誰憚ることなく、ビクター四月新譜の《僕の青春》(佐伯孝夫・作詞/佐々木俊一・作曲)で見事カムバックした。卒業を祝福するかのように踊りだしたくなるような青春賛歌だった。レコード売上げは10万枚。また、晋平節の情緒豊かな《浅草の唄》(西條八十・作詞/中山晋平・作曲)でもレガートな歌唱表現で人々に感銘をあたえた。流行歌手テナー藤山一郎は健在だった。
 松平は、今日もアクセルを目一杯踏んで横浜へと車を走らせる。彼の愛車はフォードのオープンカーである。自動車は昭和モダンの象徴であり、そのエンジンの音はネオンが輝く帝都のアスファルトに軽い軋みをあたえた。松平の車はボディーの色も派手でモータリゼーションの展示場のようなダンスホールに横付けしても周囲の目をひいた。当時、珍しいスポーツカーを転がしていたのも藤山一郎を意識してのことだった。松平が横浜の繁華街を車でゆっくりと通り抜けようとしていると、カフェーから《僕の青春》が流れてくる。彼は、葉隠れ武士の情念をますます滾らせ、握るハンドルにも力が入った。三月十日にコロムビアで吹込んだ《サーカスの唄》が待ち遠しい。音楽技術では絶対に適わぬ相手とはいえ、敢えてライバル心を滾らせるところに彼のモダンぶりとは対照的な「佐賀っぽ」の気質がみられたのである。
 昭和八年四月二十七日、日比谷公会堂では、楽壇待望の花開く『オール日本新人演奏会』(読売新聞主催)が開催された。松平の母校「上野」は声楽において異例の二人が出演した。ソプラノの長門美保とバリトンの増永丈夫(藤山一郎)である(尚、武蔵野音楽学校も異例の二人、渡辺はま子と井崎加代子が出演)。増永丈夫は、レーベ作曲《詩人トム》を独唱し、「上野最大の傑作」をアピールした。これを聴いた「上野」の新入生たちは、確実な歌唱と美しいバリトンに感銘する。
 

206 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:50
この情報は当然、コロムビアで一応専属契約を結んでいたとはいえ、まだ、音楽学校に学籍のある松平の耳目にも届いていた。銀杏並木が新緑に包まれようとしていた上野の構内でも新人演奏会は話題になっていた。そこに、増永丈夫がレッスンに来ようものなら、奏楽堂は女子生徒で溢れかえったと云われている。流行歌とクラシックの二刀流の噂を聞くと葉隠れ武士の血が騒ぐ。闘志溢れる「佐賀っぽ」は、冷静に正格歌手藤山一郎の発声法を分析する。松平は、平円盤時代のものから録音機材を集めて愛用し自分の声を分析していたほどだから、発声のメカニズムには深い関心があった。
 藤山一郎(増永丈夫)は、バリトンの低い音域で歌っているのに、まるでテノールの高い音域で歌っているように聴こえてくる。「E」=ミ(固定ド)がまるで「G」=ソ(固定ド)のように聴こえるのだ。しかも、声区の変わるところでも響きが均等で音色の統一性があり、レガートな歌唱を支える低音が抜群の安定度をしめしていた。松平は、その分析・解明を試みたのである。
 藤山一郎は、響きを飛ばす場合、もしくは身体から離すそれにおいて軟口蓋の後ろから鼻腔に抜き頭部共鳴に連動させる方法と硬口蓋から鼻腔に抜くという二つの武器(マスケラに響きをのせる)がある。蓄音器のラッパを想像していただければよい。ファルセットと実声の連動がスムーズで、口腔内の「オ」の口形からの変換、ジラーレが速い。しっかりとした横隔膜の支えと瞬発力があるので声帯の締まりが速く、口腔内の響きを前に移動するスピードが速いのだ。上顎の使いかたが非常にうまい。バリトン(増永丈夫)の音域内でありながら共鳴の変換が瞬時にテノール(藤山一郎)へ神業的に行われるのである。この場合、メッツァヴォーチェにするか、緊張感のあるスピントの効いた張りのある美声にするかは、曲想によって決められる。外国に留学する現代の声楽家たちは、向こうで「響き」は共鳴する骨の振動と教えられるそうだが、藤山はすで昭和の初期にこの原理を理解していた。だから、声量と響きの増幅が自由自在なのである。
 

207 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 10:51
松平は、ファナティックな行動様式とはいえ頭脳明晰な歌手である。彼は、喉を開くと太いバスバリトンである。このままで歌うと共鳴が奥になるので母音の響きだけが目立ち日本語が不明瞭になる。ドラマティックな歌劇のアリアならよいがこれでは歌にならない。しかも、軟口蓋の後ろに共鳴を置いた重厚な響き(バスバリトン)を作れても頭部共鳴には連動ができにくいのだ。テナー藤山一郎のように奇麗に頭声に抜くことは不可能である。さらに、バスバリトンでありながらリリコテノールの声質と音色が明るいという特殊性もある。藤山は、松平の特殊な声質・音色を見抜いていたが、それは、彼の本格的な声を聴いた経験があるからなのだろう。松平晃が歌った《そよ風》(藤浦洸・作詞/バルチ・チイボー・作曲)というタンゴを聴けば、彼の声の特徴が分かる。「バスの声域」・「リリコの声質」・「明るい音色」という声は、その生かし方が難しい。松平にしてみれば、この特徴をどう流行歌にいかすかが問題である。声楽的にはりっぱな持ち声だが、それがはたして流行歌に適しているかどうかは別問題である。だが、彼には、コロムビアの看板を背負わなければならない使命があった。そこで、理論家の松平は一計を案じた。
 藤山は流行歌を歌う場合でも喉を縦に完全に開くが、松平は、喉の開きを浅くして硬口蓋に響きを充て、たとえそれが鼻腔から抜けなくてもレコード盤では甘いテナーの音色になればよいと考えた。流行歌において誰も専門的知識をもって聴く人などはいない。音楽は現象の錯覚である。発声のメカニズムの根本が違っても甘いテナーと同じような声に聴こえればよいのだ。藤山一郎の正統な声楽技術の解釈をデフォルメしようが聴く人に心地よく響けばそれでよいのである。松平は歌唱力には自信がある。もうすでに、ポリドールなどで実証済みである。松平自身も計算あってのことだった。
 山本常朝(神右衛門常朝)が祖述した『葉隠聞書』には「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と記されている。己から発し己以上のものに没入する行動のエネルギーは「死」の覚悟をもって行うときに最大になる。死にもの狂いになって利害打算が渦巻く地獄にさえも飛び込む気概が重要である。松平晃は、流行歌に不向きな明るい音色とリリコの声質をもつ特殊なバスバリトンでありながら、「葉隠魂」の精神を己の体内に血肉化して「藤山一郎」という流行歌の寵児にコロムビアの命運をかけて対抗しようとしたのである。 前号では、藤山が松平をニットーに紹介したと書いたが、実は、つぎのような説が伝えられている。それは、藤山の母親が、流行歌の吹込みの一件で息子(藤山一郎)が「上野」(東京音楽学校)を停学処分となり、ニットーで吹込みができなくなってしまいニットーに迷惑をかけることになったので、その代償として藤山の代わりに松平を紹介したということなのである。ニットーのスタジオには藤山の母親が丸坊主の松平を連れて現れたと云う。とにかく、増永青年(藤山一郎)と福田青年(松平晃)の二人は、それ以来の付き合いであり、後に古川ロッパに松平を引き合わせたのも藤山だったらしい。だが、二人の友情はともかくも、松平晃の藤山一郎への対抗意識は並々ならぬものがあった。




208 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/10(Tue) 21:10
※お知らせ

       【SP歌謡・回顧と展望】

       が、平成25年9月10日をもって
    廃止されましたので、こちらに移転致しました。
 

     《日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史》
       @10cH 歴史BBS
       ttp://www.10ch.tv/

         ここです。
     よろしくお願いいたします。

209 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/11(Wed) 09:36
>>208

《SP歌謡・回顧と展望》 - Teacup   (2013、9、10廃止)


以下を含みます。(検索用)

昭和SP歌謡についての貴重で詳細な資料です、

当スレに移転しましたのでご利用ください。


松平晃 サーカスの唄 | SP歌謡・回顧と展望 -
学生スター歌手 | SP歌謡・回顧と展望 -
李香蘭と古賀メロディ | SP歌謡・回顧と展望
ビクター専属藤山一郎への対抗 | SP歌謡・回顧と展望
西條八十と古賀政男 | SP歌謡・回顧と展望
古賀メロディの戦後 | SP歌謡・回顧と展望 ?
関 種子と「古賀メロディ」 | SP歌謡・回顧と展望 -
映画主題歌にみる古賀メロディ | SP歌謡・回顧と展望
古賀政男と「荒城の月」 | SP歌謡・回顧と展望 -
藤山一郎と増永丈夫 | SP歌謡・回顧と展望
古賀政男 二つの「思い出の記」 | SP歌謡・回顧と展望
三浦環と古賀政男 | SP歌謡・回顧と展望 -
“歌謡界の大御所”古賀政男と、“国民的歌手・歌う昭和史”藤山一郎 | SP歌謡・回顧と展望...
古賀メロディの戦後 | SP歌謡・回顧と展望 -
古賀政男、その音楽遺産と旧古賀邸 | SP歌謡・回顧と展望
古賀メロディ−と映画主題歌 | SP歌謡・回顧と展望
佐藤千夜子と古賀政男 | SP歌謡・回顧と展望 -
詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」 | SP歌謡・回顧と展望 -
古賀政男アメリカへー古賀政男音楽博物館企画展 | SP歌謡・回顧と展望
明治大学の昭和歌謡史群像 | SP歌謡・回顧と展望 -
古賀メロディとその時代 | SP歌謡・回顧と展望 -

(その他)
菊池清麿-SP歌謡の世界・なつかしの歌声
昭和の流行歌掲示板 - EZBBS.NET
島田芳文 - Yahoo!検索(人物)



210 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/11(Wed) 10:17
参考

★検索法

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211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/11(Wed) 11:30
索引

>>2 影を慕いて
>>23 古賀メロデーを支えた主な歌手と最初のレコード(戦前)
>>101 日本音楽著作権協会(JASRAC)歴代会長
>>31 西條八十は
>>37 詩人・佐藤惣之助は
>>46 「人生の並木路」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)
>>95 古賀政男アメリカへ
>>106 ->>111 古関祐而と古賀政男
>>112 ☆初期の「古賀メロディ」と詩人・島田芳文
>>114 ☆西岡水朗と初期古賀メロディ
>>117 古賀メロディを支えた名歌手たち・・その古賀メロディ第一作
>>118 李香蘭と古賀メロディ
>>120 ☆古賀メロディと霧島昇
>>121 ※古賀政男と「荒城の月」
>>122-123 ☆「荒城の月」について
>>124 ☆三浦環と古賀政男
>>127-130 ☆西條八十と古賀政男
>>133 >>148 ☆古賀政男 二つの「思い出の記」
>>134 ☆昭和戦前の作曲家
>>135 ☆昭和の主な詩人・作詞家 (昭和・戦前)
>>136 ☆詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・
>>138 ☆「佐藤惣之助作詞/古賀政男作曲」の最初期(1932)の歌・・
>>139 ☆関 種子と「古賀メロディ」
>>140 ☆古賀メロディと藤山一郎
>>141 ☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
>>143 ☆テイチク黄金時代・・・「人生の並木路」とディックミネ
>>145 ☆テイチク黄金時代・・・古賀政男と楠木繁夫
>>146 ☆楠木繁夫の代表曲
>>147 ☆古賀メロディと霧島昇
>>149 ☆関 種子と「古賀メロディ」 2・初期の「古賀メロディ」を支えた名ソプラノ歌手
>>152 ☆「古賀メロデー」とは ― 2「古賀政男藝術大観」
>>153 ☆佐藤千夜子と古賀政男
>>155-157 ☆佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品
>>158 ☆詩人・サトウハチローと古賀メロディ
>>160 ※サトウハチロー作品 (主な古賀政男作曲作品)
>>161 ☆サトウハチローと「童謡」
>>164 ☆佐藤惣之助没後70年
>>165 ・佐藤惣之助(作詞)の主な歌と歌手
>>166 「古賀政男音楽博物館」
>>167 ☆古賀メロディの戦後
>>168-169 ◇戦後の主な古賀メロディ・・
>>170 ☆萩原朔太郎と古賀メロディ
>>172 ☆西岡水朗と初期古賀メロディ
>>173 名曲「荒城の月」の作詞家土井晩翠の忌日
>>174 ☆詩人・佐藤惣之助
>>175 ☆古賀メロディ、その隠れた名曲!・・沖縄民謡となった《二見情話》など
>>176 ◇古賀政男編曲作品
>>177 ☆二見情話(HUTAMI JOOWA) 沖縄民謡
>>178 ☆古賀メロディを支えた主な名歌手たち
>>179 <「古賀政男」のドラマ>
>>180 ☆「古賀メロディ」と、その秘密
>>181 ☆古賀メロデー」とは
>>183 藤山一郎と増永丈夫
>>185 ☆「古賀政男と「荒城の月」 2  ・・・李香蘭と[荒城の月]
>>186 ☆詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・
>>188 ☆古賀政男生誕100年記念CD
>>190 嘆きの夜曲 関種子.wmv
>>191 ☆SPレコード歌謡とSPレコード
>>193 -195 ☆[古賀メロディ−] と 映画主題歌(まとめ)
>>196 ☆古賀メロディとその時代
>>198 ‐201 ☆新妻鏡
>>202 松平晃 サーカスの唄
>>205 ビクター専属藤山一郎への対抗



212 名前:かいき ◆J8/Awaoo 投稿日:2013/09/17(Tue) 17:38
vfvf

213 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/23(Mon) 09:51
>>211

>>106-111 古関祐而と古賀政男


214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/23(Mon) 09:59
>>211


>>133-148 ☆古賀政男 二つの「思い出の記]

215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/29(Sun) 11:18

>>106-111 古関祐而と古賀政男

人生の苦悩から始まった古賀メロディ。一方、コンクールに入賞?して、留学を目指した古関・・。何と言っても、古関作品の残念なのは、断片的で一貫した「テーマ」というのがみあたらないということだろう。
古関の場合、戦後間もないころのラジオドラマ作品やテーマ音楽などに注目すると、いい作品がたくさんある。

しかし、ネットなどの評伝をみると、戦前を含めて、どれをみても,元の間違った評伝などがそのままコピーされたかのようにパターンが決まってしまって、史実の間違いも同じでいるのは大変残念なことではないだろうか。間違いから出たものが正しいものにはなりえないのだ。
どれを見ても同じだが、たとえば米山正夫作詞の「高原列車は行く」その他、戦後を含めマイナ−なごくありきたりの普通の歌謡曲などに「クラッシック」という一語をつけて格上げされるべきでない。
「クラッシック」とは基本的意味において、そんないいかげんなものではないはずなのだが。
やはり歌謡曲(レコード歌謡)というのは「詩」があって、詩で決まってしまうものだろう。「曲」は「詩」を超えることができないのだ。




216 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 09:17
訂正

×米山正夫作詞の
○丘灯至夫作詞の

217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 10:19
test

218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 10:19
test

219 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 20:13
☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。



昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。

映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。(次を参照)



原阿佐緒は、明治40年(1909年)、新詩社に入って与謝野晶子に師事、『スバル』に短歌を発表。『スバル』終刊後は『アララギ』に移り、今井邦子や三ヶ島葭子とともにアララギ女流の新鋭と見なされるようになる。
アララギ派の女流歌人、美貌の持ち主であり若くからさまざまな恋愛問題を引き起こしてきた。
昭和7年( 1932年)、直木三十五の紹介で「大衆文芸映画社」に入社、阿佐緒が原作を書き女優として主演したサイレント映画『佳人よ何処へ』(監督福西譲治)が製作され、同年6月1日に新興キネマが配給して公開された[2]。

同作の公開に先行し、阿佐緒が作詞し古賀政男が作曲・編曲、淡谷のり子が歌った同名の主題歌「佳人よ何処へ」、および美貌のソプラノ歌手関種子が歌った『あけみの唄』を、日本コロムビアが同年5月に発売している。



・原阿佐緒歌集
涙痕 歌集 東雲堂 1913
白木槿 歌集 東雲堂書店 1916
うす雲 歌集 不二書房 1928
原阿佐緒抒情歌集 平凡社 1929
原阿佐緒全歌集 小野勝美編 至芸出版社 1978.6
死をみつめて 歌集 短歌新聞社 1995.9 (短歌新聞社文庫)
原阿佐緒自伝・黒い絵具 西田耕三編・制作 耕風社 1997.8 (みやぎ文学館ライブラリー)



・原阿佐緒作品
『恋人形の唄』: 作曲・編曲堀田公明、歌唱淡谷のり子、ポリドール、1931年3月
『浪花小唄』: 作曲山野芳作、編曲奥山貞吉、歌唱かね本幾松、タイヘイ、1933年12月
『あけみの唄』: 作曲・編曲古賀政男、歌唱関種子、コロムビア、1932年5月
『佳人よ何処へ』作曲・編曲古賀政男、歌唱淡谷のり子、コロムビア、1932年5月
『山の娘』: 作曲・編曲・演奏高倉彰、歌唱三浦環、コロムビア、1940年7月


『原阿佐緒の生涯 その恋と歌』、小野勝美、古川叢書、古川書房、1974年



220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 20:20
>>219

あけみの唄

1932
作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子


(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ




221 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/01(Tue) 22:50
>>219

[山の娘」(原阿佐緒作詞 高倉 彰作曲) 三浦 環   昭和15年7月 コロムビア 青盤 37001



222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/03(Thu) 12:50
☆古賀政男に関する文献

宮本旅人『半生物語・作品研究 古賀政男藝術大観(作品集)』シンフオニー楽譜出版社(昭和13年11月/復刻昭和53年10月)
・・豪華な大型本で、序文や推薦文には、萩原朔太郎、中山晋平、三浦環、佐藤惣之助、小松耕輔、サトウハチローなど、錚々たるメンバーが寄稿している。

くろがね会「くろがね叢書 1944.10.31」 ・・「勝利の日まで」について
古賀政男「私の音楽生活二十年」(全音楽譜出版社1949)
毎日新聞社編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社1955)
古賀政男「我が心の歌」(展望社1965)
日経新聞社編「私の履歴書 第48集」(日経1973)
「人間の記録93 古賀政男」(日本図書センター)
古賀政男「歌はわが友わが心 : 古賀政男自伝」潮出版社1977
茂木大輔「誰か故郷を・・素顔の古賀政男」(講談社1979)
毎日新聞社『別冊・一億人の昭和史 昭和流行歌史』(毎日新聞社1979)
利根川祐「人物昭和史」(ちくま文庫720) (1989)
沢憲一郎著「二人の千代子 : 古賀政男の結婚」(文園社1994)
下嶋哲朗著「謎の森に棲む古賀政男」(講談社1998)
「古賀政男・昭和の日本の心・・わが歌は永遠に」(平凡出版)・・昭和53年、古賀政男追悼本
高平一記「うさぎ―古賀政男十三回忌年出版作品」 (単行本) 日本ブックマネジメント (1990/08)
菊池清麿「佐藤千夜子 ・永遠の歌姫 」(東北出版企画) 
菊池清麿「評伝 古賀政男」(アテネ書房2004)
「夢人生を奏でて」 : (古賀政男生誕百年記念特別版)古賀政男音楽文化振興財団(小学館スクウェア2004)


『古賀政男110 名曲集 古賀政男生誕百年記念 ギターでつまびく 我が心の歌』(全音楽譜出版社、平成15 年11 月刊)103 頁
佐高信『悲歌 古賀政男の人生とメロディ』(毎日新聞社)
佐高信『酒は涙か溜息か 古賀政男の人生とメロディ』(角川書店 角川文庫)
読売新聞文化部編『愛唱歌ものがたり』(岩波書店2003)・・ふと口ぐさむ愛唱歌66曲
寺山修司編著『日本唱歌集』』〈光文社カッパブックス30−17, 1972〉
藍川由美著「「演歌」のススメ」(文春新書2002)・・「演歌」という言葉は必ずしも適当でないと思うのだが

福田俊二「昭和流行歌総覧(戦前・戦中編〉」(拓殖書房1994)
コロムビア50年史編纂委員会編「コロムビア50年史」(日本コロムビア〈株〉)(昭和36年)
古賀政男編著「古賀政男ピアノ伴奏名曲集. no.1」(シンフオニー楽譜出版社(昭和14年)
「古賀政男ギター新奏法」シンフオニー楽譜出版社(昭和17年)
古賀政男編著「古賀政男作曲集. 第4輯」(全音樂譜出版社1948)
堀野羽津子編「古賀政男名曲集」(成美堂出版1978)
「古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史」(東京音楽書院1979)
古賀政男音楽文化振興財団編「ギターでつまびく古賀政男110名曲集 我が心の歌」全音楽譜出版社2003
「生誕100年記念 古賀政男大正琴名曲集」全音楽譜出版社2004
信長貴富編曲「混声3部合唱とピアノのための楽譜 近代日本名歌抄」(河合楽器製作所2008)宵待草、ゴンドラの唄、影を慕いて他

長田暁二編「楽譜 日本抒情歌全集4」(ドレミ楽譜出版社2008)
 「秋の野 - 北原白秋 團伊玖磨」、「川 - 千家元麿 橋本国彦」「鶯の夢 - 野口雨情 中山晋平」「秋の夜 - 長田秀雄 山田耕筰」「働くお山 - 高橋掬太郎 弘田龍太郎」
「酒は涙か溜息か - 高橋掬太郎 古賀政男」他


223 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/03(Thu) 23:39
☆古賀政男に関する文献2

 ・古賀政男傑作全集 : 昭和歌謡50年史
古賀 政男著 東京音楽書院 1978
 
 ・森下 節著 [孤独の宴 : 小説・古賀政男 ]仙石出版1972

 ・田辺 明雄  「古賀政男論」
 掲載誌 季刊芸術 / 季刊芸術出版株式会社 [編] 臨時増刊号(1989年秋) 1989-10 p.p180〜189

 ・高橋 功「"回想の雅兄・古賀政男"」
  掲載誌 心 31(10) 1978-10 p.p129〜140

 ・「日録20世紀 1931 昭和6年」(講談社1997)注記:12/30 第1巻       第43号 通巻43号
  
 
 ・九州の偉人たちを育んだ「おふくろ物語」(2)古賀政男の母「セツ」
  掲載誌 財界九州 46(3) (通号 966) 2005-03 p.159〜162
  
 ・大石 さち子 「趣味と私 古賀政男音楽博物館--昭和と共に生きた古賀メロディ」
  掲載誌 共済新報 / 共済組合連盟 [編] 41(8) 2000-08 p.50〜52

 ・石出 法太 「古賀政男--「古賀メロディー」と民衆 」(20世紀の歴史のなかの人物)
  掲載誌 歴史地理教育 / 歴史教育者協議会 編 (通号 576) 1998-03 p.56〜57
 
 ・古賀 政男 「人との出会いにめぐまれて 」(わが人生を天職に生きて<特集> ; わが人生を天職に生きて--この道ひとすじ五十年--味わい深い人生哲学の数々) 掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 214) 1977-03 p.p246〜247

 ・下嶋 哲朗 「太平洋戦争秘話=「歌謡曲の天皇」渡米の裏に外務省の謀略があ  った--古賀政男に下った「日米開戦前夜の密命」」
  掲載誌 「現代」 32(9) 1998-09 p.218〜228

 ・古賀 政男 「昭和を歌う我が涙の幾千曲 」
  掲載誌 潮 / 潮出版社 [編] (通号 120) 1969-12-00 p.350〜354

 ・松山祐士 編著「わが心の日本抒情歌集 」
 ドレミ楽譜出版社 2003 (シニアのためのピアノ曲集)

 ・舘野晰 編著「韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人 : 西郷隆盛、福沢諭吉から現代まで 」 明石書店 2002
  
 ・里村あきら 著 影を慕いて… : 「古賀メロディー」知ったかぶり
  雄文社出版企画室 1993




224 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/04(Fri) 12:05
☆古賀政男に関する研究文献

森田哲至…「昭和歌謡」成立の系譜と黎明期の展開・・―日本橋と『昭和歌謡』の関係についての一考察―
(「日本橋学研究」日本橋学館大学 第3巻1号 2010年3月)

The Birth and Early Development of Showa Kayoh (popular hit songs in the Showa era) : A Consideration of its Beginnings in Nihonbashi
([日本橋学研究] 日本橋学館大学 3(1) (20100331))

ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110008895600
ttp://www.nihonbashi.ac.jp/nihonbashiology/pdf/nihonbashigaku_3-1.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%80%81%E5%8F%A4%E8%B3%80%E6%94%BF%E7%94%B7'

「日本橋」のキーワードのもとで、中山晋平、佐藤千夜子、古賀政男、藤山一郎 の関係する「SP歌謡」たる黎明期の「昭和歌謡」成立の系譜と展開について詳しく述べ られている。


225 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/04(Fri) 20:28

参考

・【東京】不滅の古賀メロディー【ラプソディー】
  ttp://unkar.org/r/natsumeloj/1122559619

・【人生の並木路】佐藤惣之助【新妻鏡】
  ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1162563164/

・【童謡】詩人・西條八十と、その歌【歌謡曲】
  ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1154785781/

・【究極の】日本の歌こころの歌【癒し】
ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1011539806/

・歌う昭和史、藤山一郎
 ttp://www.logsoku.com/r/natsumeloj/1011539806/

・歌う昭和史、藤山一郎2
 ttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1196428914/



(古いBBSで終了移転されていて広告などが入っています。)

226 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/04(Fri) 22:48
>>222

利根川祐「人物昭和史」(筑摩書房 ちくま文庫720) (1989)

天  皇
近衛文麿
東条英機
吉田茂
大原孫三郎
小林一三
松永安左エ衛門
正力松太郎
野間清冶
菊田一夫
古賀政男




227 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/05(Sat) 11:38
昭和のSPレコード歌謡、それは「三分間の芸術」ともいわれる。

基本的にはクラッシックによる洋楽を基したもので、当時殆どクラッシック畑から出たものであるが、日本的な風土に由来する詩情(詩)を短い制約で表現するという点では、ごく日本的文化の極地と言え、クラッシックそのものとは同一視にはできない。

古賀の作品には、16分音符や3連符などが多用されているものが多く見られ、歌の詩情が細かい節回しで表現されている。ここが「古賀メロディ」と呼ばれ、多くの人々の心の琴線に触れ長く愛されている理由でもある。

なお、細かい節回し,これを(「小節・しょうせつ」。「こぶし」ということがある。)という。

古賀は、自分で自由に調弦できるギターやマンドリンなどの弦楽器を使うことによって作曲において、ピアノでは出せない音を求めたようです。

一方これに対し、一般的に外国曲には、詩にはあまり重きをおくわけでもない、あっさり、さっぱりした歌が殆どだ。ひたすら、こうしたどちらかというと洋風のさっぱり曲を素敵だとするものもいるだろう。

彼らはそうしたものを、なぜか「クラッシック」と混同することがあるようだ。

時代を超えて人の心を掴むことができなければ長く生き続けることはできない。
やはり歌の生命は「詩」と「メロディ」に尽きるといえるだろう。



228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/07(Mon) 11:20
ゆかりの唄

作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
歌 :ディック・ミネ (台詞;星玲子)

都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は
露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命

あゝ傷つきぬわが胸は、真白きリラの花のごと、
一人さびしく夕月に、すすり泣きつつしのびつつ、
あわれ今宵も散りて行く、ああ美わしの花よ、
なれの名は乙女、はかなくも消え行く雪よ、
なれの名も乙女、紅そめし頬も、
みどりのくろ髪も、束の間の秋の嵐にちりゆく。

高嶺の白雲 ほのかになびけど
わが夢は
さびし浅間の煙の影
嘆けどうつつに 消えゆきて
あゝ短きは 乙女の命



1935日活映画『緑の地平線』の挿入歌。いずれも佐藤惣之助の詩、星玲子の朗読があり、日本最高のジャズシンガーの称号を持つディック・ミネが歌唱しました。戦後、藤山一郎も歌っている。

「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲,楠木繁夫歌)とは前奏から対照的に、繊細な乙女の心情を描く物静かな名曲。


229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/08(Tue) 12:07
>>226

古賀メロディについては、1956年3月に出た毎日新聞社「写真 昭和30年史」にも取り上げられているように
昭和の歴史において偉大な存在で、社会的、文化的存在であった。

かつ昭和30年代において、すでに「古賀政男」といえば、押しも押されぬ歌謡界の「大御所」であっただけでなく、
≪日本の名士≫でもあった。

230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/09(Wed) 22:54
緑 の 地 平 線

作詩 佐藤惣之助  
作曲 古賀政男
歌  楠木繁夫

昭和10年

1 なぜか忘れぬ 人故に
  涙かくして 踊る夜は
  ぬれし瞳に すすり泣く
  リラの花さえ 懐かしや


2 わざと気強く ふりすてて
  無理に注がして 飲む酒も
  霧の都の 夜は更けて
  夢もはかなく 散りてゆく


3 山の煙を 慕いつつ
  いとし小鳩の 声聞けば
  遠き前途(ゆくて)に ほのぼのと
  緑うれしや 地平線




231 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/13(Sun) 21:32
夕べ仄かに

   作詞:島田芳文
   作曲:古賀政男
   歌唱:ディック・ミネ
   
    (一)
    夕べ仄かに 窓辺に立てば
    山のかなたの 空の色
    遠いあの日の 夢に似て
    かいなき君の 偲ばれる

    (二)
    夕べ彩なす あかねの空よ
    何故に思いを こがすやら
    山の遠さよ 過ぎし日の
    儚なき君の 想い出よ
    

    (三)
    夕べ仄かに またたく光
    星になりたや 一つ星
    黒い瞳に うつる影
    誰故流す わが涙

 
これも昭和10年(1935)、日活映画「緑の地平線」の挿入歌です。松島詩子のもある。


232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/17(Thu) 10:34
「古賀メロディ」というのは、(単に佐曲家の名前の後に「メロディ」という言葉をつけたものでなく)、長い日本の歌謡史の中で生まれ多くの大衆によって育まれ与えられたもので、「メロディ」というのは、古賀作品のみに使われる特別の「称号」ということができるでしょう。

日本人の心の琴線に触れる一種哀調を帯びた優しいメロディ、稀有で卓越した一連のたくさんの古賀作品、それに対する敬意と賞賛の意味が込められているのです。


「古賀メロディ」紛いで、最近なんでもかんでも、いろいろ作曲家、それがリズム系であっても、その名前の後に、「メロディ」をつけて、作曲家の曲を「何とかメロディ」で呼ぶことがあるようで違和感を感じている人もあるのではないでしょうか。
これらは、いつからか戦後昭和40年代前後の頃のテレビ(12チャンネル等)に始まる「ナツメロブーム」の影響でしょうか。
使い方も間違っていると思います。

西條八十、佐藤惣之助、サトウハチローなど、詩人の日本人の琴線に触れるの詩情溢れる「古賀メロディ」・・、昭和の初めから、人は敬意を持って「古賀メロディ」と呼んだのだ。

しかし、最近のはもちろん、「古賀メロディ」以外が、実際SP黄金時代に、そのように「メロディ」をつけて呼ばれてきたわけではないのです。


昭和の長い歌謡の歴史の中で「メロディ」をつけて実際にそう呼ばれてきたのは、たくさんある中で、「古賀メロディ」しかないのです。





233 名前:貴志俊彦 投稿日:2013/10/22(Tue) 10:36
突然の書き込みで失礼します。
下記のような拙著を刊行いたしましたでの、関心をもっていただけそうな方々に、ご案内をさしあげているしだいです。
よろしくご一読のほど、お願い申し上げます。

========
書籍名 『東アジア流行歌アワー――越境する音 交錯する音楽人』(岩波現代全書15)
著者名 貴志 俊彦 著
発行者名 岩波書店
発行年月 2013年10月18日
ページ数 288頁
価格(税込) 2415円
備考

【目 次】
序章 「帝国圏」と「華語圏」の流行歌
第1章 東西音楽の融合―ダンス音楽とレコード歌謡の幕開け
第2章 ラジオとトーキー映画―抵抗と啓蒙から生まれた流行歌
第3章 一九三〇年代―東アジアにおける流行歌の時代
第4章 戦争と流行歌―「軍歌」「戦時歌謡」Vs. ジャズソング
第5章 戦争の残影―戦後直後の流行歌の光と影
第6章 植民地と革命の継続―香港と中国
終章 「歌」の解放?それとも分断?

コラム
 1.東アジアの流行歌に関する主要目録
 2.日本におけるジャズ創成期の音源
 3.東アジアの流行歌を考える四冊の基本書
 4.流行歌CDコレクション
 5.日本の流行歌に関する主要目録
 6.三つの流行歌データベース
 7.個人記念館と音楽資料館

あとがき
主要参考文献
索引

234 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/29(Tue) 00:42
日本の歌謡界に偉大な足跡を残した国民的大作曲家古賀政男

『古賀メロディ』と呼ばれたその作品は、昭和一桁時代から数多くの人に親しまれました。

その曲は底辺に寂寥感や哀愁を漂よわせたものが多く、それが同時代の日本人の心の琴線に触れて長く愛されて、日本歌謡史に多大の足跡を残しました。

その数多くのヒット作品、その多くは「映画主題歌」でもあります。「古賀メロディー」ほど多くのヒット曲を持つ作品群はありません。同時に「古賀メロディー」ほど、数多くの「映画主題歌」を持つものもありません。 

昭和6年、「チャッカリしてるわね」(天野喜久代歌)に始まり、「酒は涙か溜息か」(想い出多き女)「丘を越えて」、「鳩笛を吹く女の歌」(同、いずれも藤山一郎歌)など無声映画の時代から始まり、戦後30年代頃までよどみなく続きます。



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