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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/12/01(Sat) 20:25
最近の歌謡番組で「昭和」というのは、昭和末期、飽食の時代の昭和50年代のことらしいですが、昭和の名曲、どのくらい知ってますか?、何が好きですか?

今でこそテレビは色々な歌で溢れていますが、昔は民謡や唱歌・童謡、軍歌、演歌など以外にみんなが、大衆が口ずさむ、歌える歌というものがなかった。
昭和〈1926〜1989)と共に、SPレコードとともに始まった大衆歌曲としての、日本の文化としての「歌謡曲」の歴史、SPレコードの歴史、それは歌ずくりにかけた多くの先人のたゆまぬ熱き思いの歴史であった。

昭和の歌謡曲の歴史を歌で辿ってみましょう。

レコード歌謡は、今から84年前の昭和3年〈1928)「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)に始まったとされます。まだ日本が草深く貧しかった時代です。




302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/26(Sun) 19:21
【究極の】日本の歌こころの歌【癒し】

ttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/healing/1113312511/


303 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/26(Sun) 19:36
>>301
関種子

藤山一郎の影で、彼ほど知られていないが、藤山一郎とともに、忘れてはならない歌手に、東京音楽学校本科を首席で卒業し、ドイツリートの傍ら、初期の「古賀メロディ」を支えたクラッシックのソプラノ歌手・関種子がいる。
『乙女心』『窓に凭れて』『日本橋から』『青春図絵の唄(貞子の唄)』『博多小夜曲』『かた思い』『あけみの唄』『金色夜叉(お宮の唄)』『笛は冴ゆれど』『朝顔の唄』『秘めたる恋』『美わしの宵』『嘆きの夜曲』『去りゆく影』
『初恋の唄』『愛は紅い』『さらば上海』・・など多くの「古賀メロディ」を歌っている。

古賀政男がテイチクに移った後、1937年(昭和12年)、ポリドールに移籍。


2011-09-21 03:15:06
昭和の歌手シリーズ『関種子』
ttp://ameblo.jp/kazuhirowatabe/entry-11024417858.html



304 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/26(Sun) 20:32
古賀メロディの佳曲・『嘆きの夜曲』がある。
藤山一郎・『影を慕いて』と同じ、昭和7年(1932年)。西岡水朗作詞、古賀政男作曲、關(関)種子さん歌唱です。

丁度、東北・東日本大震災(2012)の80年前に作られたものです。
このYou Tubeには、「東日本大震災から1年になり、心からの哀悼の気持ちをこめてアップさせていただきました。」とあります。

震災復興支援ソング『花は咲く』と言うのがあります。花を持った若手が大勢歌う。でも、あれっ!?て思うのは、「追悼」であるのに、そこに最初にあるべき《哀しみ》というのが無いこと、いかにも残念なことだと思います。

今や「童謡」選の中に「影を慕いて」など「古賀メロディ」が入っている。癒しという点でも日本の共有財産、「日本の歌」になっている。

80年も前に作られたこの「古賀メロディ」、その簡潔な短い詞の中に、「普遍性」をもって、この大災禍の嘆き・哀しみさえをも予言したかのように包含したかのように、時代を超えて、
80年も後に起こった災禍に追悼の気持ちをぴったり共有しているというのは驚きとしかいえません。

「古賀メロディ」ほど無駄の無い音楽も無いだろう。
また「哀しみ」を歌ったら右に出るものもない「古賀メロディ」。


時代を超えた普遍性を持つ、ここに「古賀メロディ」の「古賀メロディ」たる所以がある。



嘆きの夜曲 関種子.wmv
公開日: 2012/03/05
昭和7年(1932年)。西岡水朗作詞、古賀政男作曲。關(関)種子さん歌唱です。東日本大震災から1年になり心からの哀悼の気持ちをこめてアップさせていただきました。
なお背景の画像は津波被害のものが多いですので、衝撃を受けやすい方々はご遠慮ください。
背景の画像と曲は直接は関係がありません。古いレコードですので雑音が多いのかもしれません。画像はおもにグーグルの検索画像から引用させていただきました。
ttp://www.youtube.com/watch?v=giaWCvjmsoY&feature=endscreen&NR=1




305 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/30(Thu) 21:19
他スレですがこのスレの皆様の意見を。

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=sportcombative&key=391028124

306 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/31(Fri) 08:58
日本のタンゴ名唱集〜(戰前・戰後編)

ttp://saasuraai.at.webry.info/201210/article_19.html


307 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/04(Tue) 23:19
寺山修司の編著作の名著に「日本童謡集―青い目の人形から唐獅子牡丹まで」〈光文社カッパブックス1972、1995年復刻版〉と言う本がある。童謡の概念は子供の歌に限らない、その中には「影を慕いて」など沢山の古賀メロディの名曲が入っている。

寺山修司は、この本のまえがきで、「優れた「童謡」というものは、長い人生に二度現れる。一度目は子供時代歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。」「人は子供時代を歌うことに依って、自らの現在地を確かめる。
「童謡」は大人の中によみがえることによって、はじめて人生の唄としての値打ちを獲得するのだ。」と。

また、童謡の価値は、子供時代に歌われた頻度によって決まるのではなく、大人時代の思い出された頻度によって決まるとも言っている。

80年を超える「童謡」も歌謡曲も、やはりすぐれた歌、年月に耐えた歌というものは、長い人生の中で繰り返し現れる。年を重ねるうちに、その短い詞の中にああこういうことなのかと、解釈や感じ方にも深みを増す。
映画に「主題歌」があるように、人生にも主題歌があるはずだという。

昭和が終わって平成の時代がはじまった平成元年(1989)に、忘れ去られつつある日本の
「うた」を日本全国の人々とともに掘り起こし、つぎの世代に伝える「文化遺産」として集大成して、記録にとどめようという趣旨のもとにNHKは、「日本の歌・ふるさとの歌 ベスト100曲」を選定、11月4日に放送。

唱歌・童謡が殆どである中に、「荒城の月」、「城ケ島の雨」、「波浮の港」、それに「影を慕いて」、時を越えた日本のスタンダ-ド、日本の歌・ふるさとの歌として、数多有る中で特にこの日本の名曲4曲だけがジャンルを超えて選ばれているのが印象的である。
ttp://www.geocities.jp/fujiskre/ka94.html

温かい家庭の和と憩いを夢見た古賀政男、養女に「おとうちゃん」と呼ばれて嬉しくて涙を流した。「明日に残す心に残るうた」・・、「赤い靴」など唱歌童謡の中に「影を慕いて」が含まれる。
HP・童謡新聞 「心の故郷」はこう報じている。




308 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/05(Wed) 10:47
>>285

佐藤惣之助

かわさき区の宝物シート 31−4 NPO法人かわさき歴史ガイド協会
044-221-9117
■昭和51年(1976)、古江氏の提唱によって「川崎今昔会」が設立された。同会の主催で
毎年2回、5月の命日の「酔花忌」と12月の誕生日の「闇汁会」という惣之助を偲ぶ会合
が現在も開催されている。
■平成22年(2010)に、佐藤惣之助の生誕120周年を記念して、川崎今昔会と川崎区役所の
主催による「佐藤惣之助生誕120年記念展『華やかな散歩』」が開催された。
■郷土川崎をこよなく愛した詩人。大正から昭和初期にかけて活躍した佐藤惣之助は、代々川崎宿砂子の本陣職を務め、明治維新後は雑貨商「藤屋」に転じていた佐藤家の次男として明治23年(1890)12月3日に生まれる。東京麻布の商家に丁稚奉公に出ていた12歳の頃から俳句を始め、劇作を経て、詩作へと活動の中心が移った。大正5年(1916)、25歳で処女詩集『正義の兜』翌年には『狂へる歌』を出版、以後生涯にわたり22冊の詩集を刊行した。さらに随筆、句集、小説、釣書、戯曲など多才で自由闊達な創作活動にも身を投じた。川崎市からの委託による『川崎小唄』『川崎音頭』の作詞(昭和5年(1930))や高津区溝ノ口の国木田独歩の記念碑建立の発案(昭和9年(1934))など、川崎における文化活動へも大きく貢献している。
■昭和8年(1933)に初めて歌謡曲の作詞を手掛けると、翌年に『赤城の子守歌』が大ヒット。歌謡曲作家としても不動の地位を築き、『緑の地平線』『男の純情』『青い背広で』『人生劇場』などが次々とヒットした。      
有名な阪神球団歌『六甲颪』は、昭和11年(1936)に『大阪タイガースの歌』としてつくられたが、広く愛唱されるようになったのは昭和40年代半ば以降のことである。
■昭和15年(1940)、日本コロムビアの専属作詞家となって『湖畔の宿』『燃ゆる大空』などを手掛けたものの、2年後の昭和17年(1942)5月15日、過労から倒れ帰らぬ人となった。享年51歳。惣之助が作詞した歌謡曲の数は660編をこえるといわれている。
■惣之助は酒と釣りと旅もまたこよなく愛したと伝えられる。大正11年(1922)、31歳での初の沖縄・台湾旅行から、昭和10年(1935)頃までの間に満州・北支、朝鮮、上海・香港、広州、マカオなど旺盛にアジアへの巡遊の旅を楽しんだ。特に初めての沖縄への旅は、惣之助の人生にとって大きな意味をもった。沖縄本島を馬車で巡り、慶良間諸島では巫女の家に滞在し大いに学ぶべきものを得たという。
旅の成果は、詩集『琉球諸島風物詩集』『颶風の眼』や紀行文『蠅と蛍』などに結実し、伊波南哲など沖縄出身詩人が惣之助主宰の「詩の家」に出入りし親交を深めた。そして昭和元年(1926)、富士瓦斯紡績工場で働く女子工員など沖縄出身者が中心となって芸能大会が開かれた際に、惣之助が激励に駆けつけ、主催者一同大いに感激したという。
■この沖縄芸能は第二次大戦後「川崎沖縄芸能研究会」の結成へと発展し、昭和29年(1954)には神奈川県の無形文化財に指定されたのであるが、他県由来の伝統芸能の指定に尽力したのが、当時川崎市教育委員会に在職していた古江亮仁氏(故人)であった。翌昭和30年、惣之助の詩碑の建立の話が進められた時に、古江氏は偶然にも故郷の先人・佐藤惣之助の沖縄への深い関心と愛情をはじめて知ることとなり、驚きとともに深い感銘を受けたという。そしてすぐに、川崎市民の名で惣之助の詩碑を沖縄に贈呈建立することを発案した。現在、惣之助がかつて漁船で巡った島々を遙かに望む那覇市首里城の景勝地には、琉球諸島風物詩集の中の一編『宵夏』の詩碑が建っている。
■現在、区内には佐藤惣之助の詩碑が3箇所に置かれている。川崎市体育館前の碑は、昭和30年(1955)武者小路実篤に『華やかな散歩』の一節を揮毫してもらい建立したもの。佐藤本陣跡の向かい・川崎信用金庫前には昭和54年(1979)に生誕の地記念碑が建てられ円鍔勝三氏による彫像と嗣子・佐藤沙羅夫氏による揮毫の『青い背広で』の詩が刻まれる。また、惣之助が幼い頃、山王祭りの日に横浜から遊びにくる親類の女の児への想いを綴った『祭りの日』の碑は稲毛神社境内に建つ。幼い客こそは後の花枝夫人であり、惣之助夫妻生誕100年を記念して昭和62年(1987)に建立されたものである。
■市立川崎小学校の校門脇に同校の出身である佐藤惣之助、坂本九の功績を記した看板が設置され、平成17年(2005)3月8日に除幕式が行われた。__


309 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/05(Wed) 14:13
>>308

有名な阪神球団歌『六甲颪』は、昭和11年(1936)に『大阪タイガースの歌』としてつくられたが、広く愛唱されるようになったのは昭和40年代半ば以降のことである。


310 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/05(Wed) 14:15
■昭和15年(1940)、日本コロムビアの専属作詞家となって『湖畔の宿』『燃ゆる大空』などを手掛けたものの、2年後の昭和17年(1942)5月15日、過労から倒れ帰らぬ人となった。享年51歳。惣之助が作詞した歌謡曲の数は660編をこえるといわれている。

311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/06(Thu) 10:52
>>309

参考
>有名な阪神球団歌『六甲颪』は、昭和11年(1936)に『大阪タイガースの歌』としてつくられたが、広く愛唱されるようになったのは昭和40年代半ば以降のことである。


『六甲颪』(佐藤惣之助作詞、古関祐而作曲)は、昭和11年(1936)に、『大阪タイガースの歌』としてつくられ,中野忠晴の歌でレコード化されるも、殆ど知られなかった。

一般に歌われるようになったのは戦後、昭和40年代後半で、昭和47年(1972年)に、朝日放送ラジオ番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で、中村が歌ったことによる。

1970年代の多くのファンに広めら、昭和60年(1985年)にタイガースが日本シリーズで優勝してからは、全国的に知られるようになった。
『六甲颪』は中村の案と言われる。

·中野忠晴 - 1936年(昭和11年)『大阪タイガースの歌』殆ど歌われなかった。
·若山彰  - 1961年(昭和36年)『阪神タイガースの歌』改題後初録音
·中村鋭一 - 1972年(昭和47年)『六甲颪』朝日放送アナウンサー



312 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/06(Thu) 10:57
>>308
佐藤惣之助

かわさき区の宝物シート 31−4 NPO法人かわさき歴史ガイド協会
ttp://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000026/26355/31-4.pdf#search='%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%83%A3%E4%B9%8B%E5%8A%A9%E3%80%8166%EF%BC%90%E6%9B%B2

313 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/09(Sun) 22:19
古賀政男大全集〜二十世紀の遺産〜 [16CD]
ttp://artist.cdjournal.com/d/-/3198052509
規格品番: COCA-15216〜31
発売日: 1998/07/18


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316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/13(Thu) 20:25
西條八十全集 生誕100年 [16CD]
ttp://artist.cdjournal.com/d/-/1193010669

·レーベル: CO
·規格品番: COCA-10026〜41
·価格: 48,544 円 (+税)
·発売日: 1992/10/01

童謡から新民謡、歌謡曲までを手がけた詩人・西條八十生誕100年記念の全集です。日本コロムビア、ビクター、キング、ポリドールなどのオリジナル音源を収録し、ハナ自身による詩の朗読や古賀政男、古関裕而との対談まで収録した文字通りの全集です。昭和の歌謡曲を作った中山晋平、古賀政男、古関裕而、服部良一らとのコンビによる作品集も編まれている。昭和の戦前・戦中・戦後を色どった歌の多くが西條八十の詞であった。時代の気分を反映した歌謡曲の詞を書いただけに批判される面もあるが、昭和の唄そのものであることは間違いない。付録のブックレットは八十資料としても貴重な内容。昭和を生きた日本人の心を洗う唄ばかりです。


[Disc 1]〈童謡編〉
[Disc 2]〈歌曲編〉
[Disc 3]〈外国曲編〉
[Disc 4]〈新民謡編〜中山晋平作品集〉
[Disc 5]〈歌謡曲編(1)〜中山晋平作品集〉
[Disc 6]〈歌謡曲編(2)〉
[Disc 7]〈歌謡曲編(3)〉
[Disc 8]〈歌謡曲編(4)〉
[Disc 9] (歌謡曲編(5)〜古賀政男作品集1〉
[Disc 10]〈歌謡曲編(6)〜古賀政男作品集2〉
[Disc 11]〈歌謡曲編(7)〜古賀政男作品集3〉
[Disc 12]〈歌謡曲編(8)〜古関裕而作品集〉
[Disc 13]〈歌謡曲編(9)〜服部良一作品集〉
[Disc 14]〈歌謡曲編(10)〉
[Disc 15]〈歌謡曲編(11)〉
[Disc 16]〈詩人の声〉〈朗読〉



317 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/13(Thu) 21:00
>>316

[Disc 16]〈詩人の声〉〈朗読〉
01はじめの詩
02奈良の一夜
03母の部屋
04哀唱 (歌:奈良光枝)
05関東大震災の一夜
06汽車の窓にて
07終戦の詩:ねずみとり〜秋風
08おわりの詩
〈回想〉
09「かなりや」について
〈対談〉
10サーカスの唄 (対談:古賀政男)
11ゲイシャ・ワルツ (対談:古賀政男)
12誰か故郷を想わざる(対談:古賀政男)
13旅役者の唄 (対談:古賀政男)
14伊豆の佐太郎 (対談:古賀政男)
15若鷲の歌 (対談:古関裕而)
〈お話〉
16ベルリン・オリンピックみやげ話



318 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/17(Mon) 09:31
西條八十は、わが国最初の芸術童謡「かなりあ」にはじまる数多くの童謡、「東京行進曲」「同期の桜」「青い山脈」「王将」ほか歌い継がれる流行歌など、生涯の作詞数は数知れない。研究者によると、童謡八五四篇(うち訳詞六十三篇)流行歌三千二百曲、校歌・社歌七百以上、計一万五千曲にのぼる。

歌謡分野では、特に長い歴史をもつ古賀政男とのコンビは黄金コンビと言われ、多くの作品を放つことで知られる。


319 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/17(Mon) 16:58
ttp://www.geocities.jp/jose_yacopi1977/2007_12_07malgorzata.htm

320 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/18(Tue) 12:59
佐藤惣之助    〜歌謡曲普及の功労者〜 >>312

古賀メロディーの作詞家を調べてみて驚くのは、名曲と言われる歌に「佐藤惣之助・作詞」というのがなんと多かったことか。古賀メロディーのヒットは、西條八十とともに、佐藤惣之助の日本人の心に訴える名詞があったことを否定できません。
昭和の日本人の古き良き哀歓を謳いあげ、今も延延と根強く愛唱されています。
一般庶民の生活を題材とした詞によって、歌謡曲を身近な音楽として大衆に普及させた功績は大きいです。

   藤山一郎・・・・「男の純情」 「青春日記」 「青い背広で」      
   ディックミネ・・・「人生の並木路」          
   霧島 昇・・・・ 「新妻鏡」
   楠木繁夫・・・・ 「緑の地平線」      
   村田英雄・・・・「人生劇場」                

72年前、太平洋戦争が始まって5ヶ月ほどした昭和17年5月15日(1942)、 佐藤惣之助(51歳)が、外出先の東京都大田区雪谷で、脳溢血のため亡くなりました。 2日前に義兄の萩原朔太郎の告別式があり、 佐藤はそこで葬儀委員長をやったというので、その時はまだ元気だったはずです。
佐藤惣之助 (1890〜1942) 詩人。神奈川県生まれ。民衆詩派系の人道主義詩人として出発
大正14年7月詩人のクラブ「詩之家」設立、機關誌「詩之家」創刊、10月萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる

ttp://designroomrune.com/magome/daypage/05/0515.html
ttp://touyoko-ensen.com/syasen/tudukiku/ht-txt/tudukiku21.html




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323 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/18(Tue) 23:25
☆八十と惣之助
  
大正期の詩人として、西条八十(1892 - 1968)と佐藤惣之助(1890 -1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもあ る。
ひとつは、詩のうまさ。
もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあ らず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家とし て名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。

上村直己「西条八十・佐藤惣之助における詩から歌謡への移行について」( 日本歌謡学会. 日本歌謡研究(通号 18) 1979.04))(ISSN―0387-3218)


324 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/20(Thu) 13:39
☆日本の代表的な作詞家・

故人では、日本の代表的な作詞家で、生前、優れた作品を残した作詞家をご紹介してまいります。
 
  ttp://www.sakushi.com/n_sakka/

 野口雨情、北原白秋、長田幹彦、佐藤惣之助、西条八十・・(年齢順)


325 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/20(Thu) 20:25
>>276-280 《索  引》 (参考・主なもの)>>275

>>281 昭和も遠くなりにけり、来年(2014年)は昭和89年にあたる。
>>282-286西條/八十
>>287 歌でつづる大正・昭和日本の流行歌 上
>>289 そして、古賀の曲はそれまで主流であった中山晋平の「晋平節」に対し、「古賀メロディー」と呼ばれた。
>>290-292 『日本橋から』・・ 和製タンゴ第1号
>>294 ビクター専属の看板作詞家・西條八十と、コロムビアの看板作曲家・古賀政男に、1年間、専属を超えてコンビを組ませるという、昭和歌謡史に残る企画を発表した。
>>295-299 佐藤千夜子
>>300 古賀政男(正男)初期の作品(プレクトラム音楽家・「古賀正男」作品)
>>303 関種子
>>304 古賀メロディの佳曲・『嘆きの夜曲』がある。
>>307「日本童謡集―青い目  [16CD]
>>320 佐藤惣之助 〜歌謡曲普及の功労者〜 >>312
>>322 佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲の曲 
>>323 八十と惣之助
>>324 日本の代表的な作詞家・


326 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/24(Mon) 10:53
☆コロムビア創立百周年記念 古賀政男名曲大全集 

CD D6160 GES31911-20
CD10枚組・全200曲収録・別冊歌詞集付

●制作:コロムビアミュージックエンタテインメント(株)
●音源協力:(株)テイチクエンタテインメント
 (株)徳間ジャパンコミュニケーションズ
●制作協力:(財)古賀政男音楽文化振興財団
●発売 2009年11月17日
ttp://shop.columbia.jp/pickup/kogamasao.html

2010年、コロムビアミュージックエンタテインメントは創立100周年を迎えますその記念企画の一つとして今回ご案内いたしますのが、コロムビアの“顔”であり、昭和歌謡史上最大の巨人、古賀政男の作品全集です。

5000曲ともいわれる“古賀メロディー”の膨大な作品の中から、コロムビア音源を中心に選びに選び抜かれた究極の名曲・全200曲。




327 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/24(Mon) 14:34
☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
《索  引》 (参考・主なもの)>>275>>325

>>2-3  影を慕いて
>>4 丘を越えて他
>>5-10 昭和7年から8年にかけて
>>11 昭和7年から8年にかけて
>>13-16 「人生の並木路」
>>18-19 愛染かつら メロドラマ他
>>20 乙女心 (鹿山鴬村作詞、古賀政男作曲 関種子)
月の浜辺(島田芳文作詞、古賀政男作曲、河原喜久恵)
>>21 「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)
>>22 人生の並木路
>>23 古賀メロデーを支えた主な歌手と最初のレコード(戦前)
>>24-26 昭和14年(1939)、内務省管轄の「大日本音楽著作権協会」ができた。
>>27 目ン無い千鳥(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)
>>29-30 誰か故郷を想わざる
>>31-34 西條八十は
>>32 戦後創早期の歌から・・
>>35 西條八十という人は単に詩人にとどまらず
>>36 白 い 椿 の 唄 (作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 )(昭和10年)
>>37-45 詩人・佐藤惣之助は
>>46 「人生の並木路」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)
>>47 最近、歌番組で「名曲」という言葉が頻繁に飛ぶ。「昭和の名曲」というのは、
>>48-54 以前NHK育テレビで『大希林』というのがあって、「人生の並木路」
>>55-59 藤山一郎他
>>60-62 故郷の白百合他 サトウハチロー作詞
>>63-65 霧島昇他
>>66 あけみの唄 昭和7年(1932年)
>>67 西條八十 参考書
>>68-79 昭和3年「人生の苦悩」から生まれた「古賀メロディ」、
>>80 松井義弘著「青春の丘を越えてー詩人島田芳文とその時代」(石風社・2007)
>>81-94 HKまたたび日記 〜☆きよ友何人できるかな☆ 『人生の並木路』。その他。
>>95 古賀政男アメリカへ
>>99-100 毎日新聞社「写真 昭和30年史」には


328 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/24(Mon) 14:36
その2
>>101-103 日本音楽著作権協会(JASRAC)歴代会長
>>106-111 古関祐而と古賀政男は色々な点でよく対比される。
>>112 初期の「古賀メロディ」と詩人・島田芳文
>>113(参考) 島田芳文詩集
>>114 西岡水朗と初期古賀メロディ
>>115 民謡詩集
>>117 古賀メロディを支えた名歌手たち・・その古賀メロディ第一作
>>118 李香蘭と古賀メロディ
>>119 李香蘭の歌う古賀メロディ
>>120 古賀メロディと霧島昇
>>121 古賀政男と「荒城の月」
>>122-123 「荒城の月」について
>>124 三浦環と古賀政男
>>127-130 西條八十と古賀政男
>>133-148 古賀政男 二つの「思い出の記」
>>134 昭和戦前の作曲家
>>135 昭和の主な詩人・作詞家 (昭和・戦前)
>>136 詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・
>>138 「佐藤惣之助作詞/古賀政男作曲」の最初期(1932)の歌・・
>>139 関 種子と「古賀メロディ」
>>140 古賀メロディと藤山一郎
>>140 ディックミネの代表曲(古賀メロディ)
>>141 藤山一郎代表曲(古賀メロディ)
>>143 テイチク黄金時代・・・「人生の並木路」とディックミネ
>>144 ディックミネの代表曲(古賀メロディ)
>>145 テイチク黄金時代・・・古賀政男と楠木繁夫
>>146 楠木繁夫の代表曲
>>147 古賀メロディと霧島昇
>>148 古賀政男 二つの「思い出の記」
>>149-151 関種子と「古賀メロディ」2・初期の「古賀メロディ」を支えた名ソプラノ歌手
>>152 「古賀メロデー」とは ― 2「古賀政男藝術大観」
>>153 佐藤千夜子と古賀政男
>>155-157 佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品
>>158 詩人・サトウハチローと古賀メロディ
>>160 サトウハチロー作品 (主な古賀政男作曲作品)
>>161 サトウハチローと「童謡」
>>164 佐藤惣之助没後70年
>>165 佐藤惣之助(作詞)の主な歌と歌手
>>166 「古賀政男音楽博物館」
>>167 古賀メロディの戦後
>>168-169 戦後の主な古賀メロディ・・
>>170 萩原朔太郎と古賀メロディ
>>172 西岡水朗と初期古賀メロディ
>>173 名曲「荒城の月」の作詞家土井晩翠の忌日
>>174 詩人・佐藤惣之助
>>175 古賀メロディ、その隠れた名曲!・・沖縄民謡となった《二見情話》など
>>176 古賀政男編曲作品
>>177 二見情話(HUTAMI JOOWA) 沖縄民謡
>>178 古賀メロディを支えた主な名歌手たち
>>179 「古賀政男」のドラマ
>>180 「古賀メロディ」と、その秘密
>>181 古賀メロデー)とは
>>183 藤山一郎と増永丈夫
>>185 「古賀政男と「荒城の月」 2  ・・・李香蘭と[荒城の月]
>>186 詩人・佐藤惣之助と「古賀メロディ」・・
>>188 古賀政男生誕100年記念CD
>>190 嘆きの夜曲 関種子.wmv
>>191 SPレコード歌謡とSPレコード
>>193-195 [古賀メロディ−] と 映画主題歌(まとめ)
>>196 古賀メロディとその時代
>>198-201 新妻鏡


329 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/24(Mon) 14:36
その3
>>202 松平晃 サーカスの唄
>>205 ビクター専属藤山一郎への対抗
>>106-111 古関祐而と古賀政男
>>215-216
>>219-220 古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)
>>222-226 古賀政男に関する文献
>>227-232 昭和のSPレコード歌謡、それは「三分間の芸術」ともいわれる。
>>233 書籍名『東アジア流行歌アワー――越境する音 交錯する音楽人』(岩波現代全書15)
>>234 日本の歌謡界に偉大な足跡を残した国民的大作曲家古賀政男
>>235-242 戦中戦後における童謡について(童謡排斥運動と童謡協会の発足)
>>243-245 CD全集 西條八十、古賀政男、藤山一郎等
>>246-247 日本流行歌史・戦前編
      日本歌謡集−明治・大正・昭和の流行歌
>>251-255 テイチク50年史・・
>>259-264「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」
>>265-268 中山晋平と「ゴンドラの唄」
>>269-271 昭和SP歌謡 主な歌手(戦前・戦中)
>>281 昭和も遠くなりにけり、来年(2014年)は昭和89年にあたる。
>>282-286西條/八十
>>287 歌でつづる大正・昭和日本の流行歌 上
>>289 そして、古賀の曲はそれまで主流であった中山晋平の「晋平節」に対し、「古賀メロディー」と呼ばれた。
>>290-292 『日本橋から』・・ 和製タンゴ第1号
>>294 ビクター専属の看板作詞家・西條八十と、コロムビアの看板作曲家・古賀政男に、1    年間、専属を超えてコンビを組ませるという、昭和歌謡史に残る企画を発表した。
>>295-299 佐藤千夜子
>>300 古賀政男(正男)初期の作品(プレクトラム音楽家・「古賀正男」作品)
>>303 関種子
>>304 古賀メロディの佳曲・『嘆きの夜曲』がある。
>>306 日本のタンゴ名唱集〜(戰前・戰後編)
>>307「日本童謡集―青い目の人形
>>308-312 佐藤惣之助
>>313 古賀政男大全集〜二十世紀の遺産〜 [16CD] ※
>>316-318 西條八十全集 生誕100年  [16CD] ※
>>320 佐藤惣之助 〜歌謡曲普及の功労者〜 >>312
>>322 佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲の曲 
>>323 八十と惣之助
>>324 日本の代表的な作詞家・
>>326 コロムビア創立百周年記念 古賀政男名曲大全集 (CD10枚) ※



330 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/26(Wed) 23:33
演奏家 古賀政男のすべて(10CD)
ttp://shop.columbia.jp/goods/?page=D4780CD D4780 GES-31701-10
2008年9月8日発売
古賀政男、本人自らが奏で歌う名演の数々!
『元祖 エンターテナー』による初のCD-BOX集!!

「明治大学マンドリン倶楽部大全集」に続く、古賀政男没後30年追悼第2弾!

演奏家としても多彩な才能を発揮し、数多くの録音を残した古賀政男。その古賀氏自らの演奏によるコロムビア音源の中から、選りすぐりの名演を集めた初のCD-BOXです。(通信販売のみの発売となります。一般店での発売はありません。)


331 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/26(Wed) 23:38
☆古賀政男作品主なCD

>>188
『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・下)』(各20曲)
 テイチクTECE 2445925460 (CD2枚)テイチク作品
>>313   『古賀政男大全集〜二十世紀の遺産〜』 [16CD]
>>316-318 『西條八十全集 生誕100年』  [16CD] (内古賀作品3CD)
>>326   『コロムビア創立百周年記念 古賀政男名曲大全集』 (10CD)
>>330  『演奏家 古賀政男のすべて』(10CD)


332 名前:この投稿は削除されました 投稿日:この投稿は削除されました
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333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/28(Fri) 08:12
>>322
他に、
李香蘭(北京の子守唄1941)
由利あけみ(愛国六人娘)
松原操(勤労乙女)
糸井しだれ(おもいでの都)
藤山一郎(勇敢なる航空兵、山内中尉の母)
などがある。


334 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/02/28(Fri) 12:46
>>322
佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲・編曲作品


藤山一郎・・・・「男の純情」「青春日記」「青い背広で」「東京娘」「さらば青春」「白薔薇は咲けど」「青春の謝肉祭」「青春旅情」「大洋の寵児」「旅の鴎」「聖処女(きよおとめ)の唄」「働こうぜ友よ」「勇敢なる航空兵」、「山内中尉の母」    
井上静雄(藤山一郎)・・「鳩笛を吹く女の唄」
関種子・・・・・「笛は冴ゆれど」「朝顔の唄」「金色夜叉(お宮の唄)」「秘めたる恋」「愛は紅い」
淡谷のり子・・・「アリランの唄」「不如帰」「春の唄」
長谷川一郎・・・「放浪の唄」              
楠木繁夫・・・・「国境を越えて」「白い椿の唄」「緑の地平線」「人生劇場」「慈悲心鳥の唄」「真実一路の唄」「男のまごころ」「護れ国境」「丹下左膳の唄」「明けゆく蒙古」「カボチャの歌」       
ディックミネ・・「人生の並木路」「愛の小窓」「ゆかりの唄」「白衣の佳人の唄」「黄河の月」 「波止場がらす」、   
丸山和歌子・・・「月夜の恋」
松島詩子・・・・ 「思い出の雪」
中野忠晴・・・・「武雄の唄」
音丸・・・・・ 「会津磐梯山」(日本民謡)
奥田瑛子・・・・「緑の月」「浜辺の哀唱」
霧島 昇・・・・「新妻鏡」  
松原操・・・・・「勤労乙女」
李香蘭・・・・・「北京の子守唄」
由利あけみ・・・ [愛国六人娘]
伊藤久男・・・・「海の豪族」「馬」
糸井しだれ・・・「おもいでの都」
酒井弘・・・・・「働く力」(国民合唱・国民皆労の歌)



335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 14:45
>>334

中野忠晴・・・逢いに来るなら


「白衣(びゃくえ)の佳人の唄」



336 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 14:46
☆戦前の流行歌

ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt



337 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 17:14
嵐の島(関 種子 西條八十作詞 古賀政男作曲)1933.2

338 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/01(Sat) 17:14
>>138-139

嵐の島(西条八十作詞 古賀政男作曲)1933.2


339 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/10(Mon) 09:47
>>338, >>138-139


関 種子

「曙に唄う」 (太田哲城作詞、 古賀政男作曲) 27121A 昭和7年11月 コロムビア 黒盤
「処女よさらば」 (西条八十作詞 古賀政男作曲)27507B 昭和8年9月 コロムビア 黒盤 松竹『嫁入り前』
「南海小唄」 (島田芳文作詞 古賀政男作曲) 26661B 昭和7年1月 コロムビア 黒盤
[嵐の島] (西条八十作詞 古賀政男作曲)1933.2



340 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/10(Mon) 22:03
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/history/index2.html#1


341 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/11(Tue) 21:33
>>138-139
☆関 種子と「古賀メロディ」

初期の「古賀メロディ」を支えた歌手・関 種子、ドイツリートのソプラノ歌手のかたわら「古賀メロディ」を中心に、数多くの名曲を 残している。

乙女心    (鹿山鶯村作詞, 古賀政男作曲) 1931.6
青春図絵の唄(貞子の唄)(菊池寛作詩、古賀政男作曲)1931.11
窓に凭れて  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1931.12
美わしの宵   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1932.1
南海小唄 (島田芳文作詞 古賀政男作曲) 1932.1
金色夜叉(お宮の唄) (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.2
日本橋から  (浜田広介作詩、 古賀政男作曲)  1932.3
秘めたる恋  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.3
さらば上海  (時雨音羽作詞、 古賀政男作曲) 1932.4
あけみの歌   (原阿佐緒作詞、 古賀政男作曲) 1932.5
朝顔の唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1932.6
笛は冴ゆれど  (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.7
嘆きの夜曲   (西岡水朗作詩、 古賀政男作曲) 1932.7
曙に唄う (太田哲城作詞、 古賀政男作曲) 1932.7
愛は紅い    (佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲) 1932.9
去りゆく影  (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.1
嵐の島 (西條八十作詞, 古賀政男作曲) 1933.2
初恋の唄   (西條八十作詩、 古賀政男作曲) 1933.3
旭川小唄(新民謡)(波多野勝作詞 古賀政男作曲)1933.3
処女よさらば (西條八十作詞, 古賀政男作曲)1933.9


乳姉妹の唄   (佐藤惣之助作詩、佐々江華作曲)1932.6
夢に泣く    (島田芳文作詩、 江口夜詩作曲) 1934.2
流れの乙女   (佐藤惣之助作詩、竹岡信幸作曲) 1934.12
雨に咲く花   (高橋掬太郎作詩、池田不二男作曲) 1935
野薔薇の歌  (佐藤惣之助作詞、弘田龍太郎作曲 1936国民歌謡
明日なき恋  (島田芳文作詩、 江口夜詩作曲) 1937
初恋の丘   (藤田まさと作詩、長津義司作曲) 1937.5
千人針 (サトウハチロー作詞、 長津義司作曲) 1938

・関種子
 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%A8%AE%E5%AD%90






342 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/03/12(Wed) 10:09
>>327-329

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

《索  引》 (参考・主なもの)>>327-329, >>330,>>331



343 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/07(Mon) 07:24
>>327-329

☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=35

344 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/07(Mon) 07:47
山田耕筰は、「日本の代表的な歌」として、外国に行くときは、古賀メロディ『丘を越えて』のレコードを持参し、外国に紹介していた。

345 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/08(Tue) 21:50
☆農村婦人の唄 山田耕筰・古賀政男作曲■コロムビアレコード 昭和7年
ttp://www.garitto.com/product/14389470
山田耕筰と古賀政男が作曲。富民協会当選歌。

桑田登志子作詞 山田耕筰作曲 オリオンコール女声合唱団 0709 COL27067
北部善良作詞  古賀政男作曲 淡谷のり子        0710 COL27067
 


346 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/13(Sun) 08:06
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html

2.山本 英子  歌唱
   「千曲川旅情の歌」(広田 龍太郎作曲)
   ピアノ伴奏 宇佐見 幸子
4.宇佐見 幸子  ピアノ演奏
   「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)
   「ワルツ 69の1」(ショパン作曲)
5.伊藤 勲  ギター演奏
   「荒城の月変奏曲」(瀧 錬太郎作曲)
   「我が心のアランフェス」(ロドリーゴ作曲)
12.伊藤 和子  琴演奏
   「六段の調べ」(八橋 検校作曲)
   「千鳥の曲」(吉澤 検校作曲)
13.中野 早苗  歌唱
   「影を慕いて」(古賀 政男作曲)
   ギター伴奏 伊藤 勲


347 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/13(Sun) 08:23
>>346
★♪ 第4回ダブルレインボー音楽会 ♪
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html



348 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 07:53
専属1年、ヒットに続くヒットで、コロムビアの顔となった古賀政男は、 昭和7年12月6日,コロムビア文芸部長和田龍雄の仲立ち、山田耕筰夫妻の陪酌で丸の内の東京會舘で挙式。28歳の時である。
相手は松竹少女歌劇スター、コロンビア専属歌手だった中村千代子。だが結婚は一年も続かなかった。翌、昭和8年10月離婚。離婚については、古賀は多くを語らない。それから一生古賀が結婚することはなかった。

この一連のごたごたで体調を崩して肺浸透で入院、伊東温泉に別荘を借りて転地療養。古賀政男がスランプで作曲を停滞させたのは長い作曲家人生でただこの期間だけだった。
その間、帝国蓄音機と言う小さなできたばかりの会社の社長南口重太郎氏の見舞いを受ける。この間、コロムビアの冷たい対応で、古賀は昭和8年5月1日、コロムビアを退社。だが、コロムビアは契約をたてに、退社を受け入れなかった。

この争いに救いの手を差し伸べたのが弘田龍太郎だった。
契約条件をはるかに超える作品を作っているという言い分が通って解決。

そして、昭和8年5月15日、古賀政男はテイチク入社、専務取締役としてである。南口社長は、古賀に重役待遇で,レコード企画と吹き込みにつき、一切の権限と責任を持つと言う破格の条件を示して熱心に招請していたのだった。


349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:00
そして古賀は、銀座にテイチク東京文芸部、通称古賀文芸部を発足させ明大マンドリンクラブの後輩7人を呼び寄せ、11年にはビクターとの3年契約の終えた藤山一郎を呼び寄せる。ここに、世にいう「テイチク黄金時代」(古賀政男第二期黄金時代)が始まる。

山田耕筰は、外国に行くときは、古賀メロディ『丘を越えて』のレコードを持参し「日本の代表的な歌」として紹介していた。

なお、中村千代子との結婚の前、昭和7年6月には、山田耕筰と古賀政男が作曲。富民協会当選歌「農村婦人の唄」である。>>345

その後、昭和13年,古賀政男はテイチクを退社。1年間の「外務省音楽文化親善使節」として、アメリカや南米各地を回り、世界の古賀として凱旋、昭和14年にコロムビアに復帰。

コロムビアに移籍していた西條八十との黄金コンビも復活。古賀政男第三期黄金時代を築く。

弘田龍太郎は、国民合唱・陸海軍礼式歌「いさおを胸に」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲。楠木繁夫・松原操歌。1944年10月・日畜=コロムビア)の編曲を行っている。




350 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:04
古賀政男ほど多くのヒット曲を持つ作曲家はいない、同時に古賀政男ほど映画主題歌の多い作曲家もいない。

他社をはるかに引き離した数の映画主題歌を出したのが、テイチクレコードだった。

昭和12年の、各社の曲数を並べてみると、テイチクの半端じゃない圧倒的な強さが判ってくる。テイチクの発展ぶりは数ばかりでなく、70年たった今でも、よく知られているヒット主題歌が多いことからも納得できる。

12年に出たテイチクの主題歌90曲のうち、古賀政男の作曲が43曲もあり、約半数を占めていた。 昭和9年に古賀政男がBクラスだったテイチクに招聘され、その後急速に業績が伸ばした救世主の由縁が、この作曲数でもよく判る。

「古賀メロディ」は、映画と言う人々に馴染み深いものを通じて多くの人に愛されたのだ。

各社別 昭和12年 映画主題歌数
テイチク    90曲     
ポリドール  49曲     
コロムビア   44曲        
ビクター   41曲      
キング    21曲
タイヘイ  19曲
その他   27曲
 
昭和12年 テイチク歌手別 映画主題歌数
デックミネ      16曲      
美ち奴     15曲      
藤山一郎    14曲   
楠木繁夫    14曲     
奥田英子    13曲
杉 狂児     8曲
その他     10曲


☆「日活 検事とその妹」  主題歌「人生の並木路・デックミネ」(佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 検事とその妹」  挿入歌「聖処女(きよおとめ)の唄・藤山一郎」(佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 うちの女房にゃ髭がある」主題歌「左同・美ち奴、杉狂児」(星野貞志作詞・古賀政男作曲)
☆「日活 うちの女房にゃ髭がある」主題歌「ああそれなのに・美ち奴」(詩曲とも同上)
☆「日活 銃後の赤誠」   主題歌「軍国の母・美ち奴」(島田磐也作詞・古賀政男作曲)


351 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/04/21(Mon) 08:41
昭和4年(1929)に作られた「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子)は、わが国の映画主題歌第1号。それまでも「船頭小唄」や「籠の鳥」など巷で流行した歌が映画になったのもあったが、最初から映画の主題歌として作られたのはこの歌が初めてである。もちろんサイレント映画である。

当時、雑誌「キング」に連載された菊池寛原作の小説を日活が映画化。これに先立ってその頃「かなりや」の歌が流行で、すでに名を知られていた詩人、西条八十に主題歌作詩の白羽の矢が立てられた。八十はヨーロッパから帰ったばかり、留守の間に震災で焼けてしまった銀座の柳を惜しみ、まず、「昔恋しい……」と書いた。

映画音楽には主題歌は勿論、劇中歌や挿入歌にも名曲が多い。歌謡曲の発展に大きく寄与したのが、サイレントからトーキーに移行したばかりの映画だったのです。

当時、昭和6年、日本最初のトーキー映画「マダムと女房」以来トーキーに移行して、音が出るようになった映画に対して、各レコード会社が競って、主題歌を作るようになるのです。いわゆる、映画と歌謡曲のタイアップです。

なかでも、コロムビアからテイチクに移籍した新進気鋭の作曲家、古賀政男の生み出す古賀メロディは、日活映画との提携で普及、流行し、「歌はテイチク、映画は日活」とまで言われたのです。

当時は、ラジオの時代で、まだテレビもない時代、娯楽としても、同時上映のニュースによる情報メディアとしても、映画の影響力が強かったので、歌謡曲の流行にも拍車がかかったのです。この映画をもっとも効果的に使ったのが古賀政男といえる。



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